第二十二話 「エディムと悪鬼抹殺指令」
ここは邪神軍地下帝国のとある一室。そこは華美な調度品、広々とした空間があり、下手な貴族の邸宅より豪華な部屋となっている。
ただし、この地下帝国を基準とすれば、中の下といったところか……。
この一室に邪神軍の吸血部隊が駐屯。吸血部隊の長、アルハス・エディムは部屋の上座に座り、下僕である眷属ダルフの報告を聞いている。
「報告します。第三次眷属のデイジー他三名が警備隊を放逐されました」
「そうか。報告ご苦労下がれ」
「はっ」
ダルフは深くお辞儀をすると、そのまま部屋を退出した。
ダルフの報告を書類に書き込む。
これで十四人目、国の中枢に配置していた眷属達が国外に追放されていく。国外退去だけならいい。後で呼び寄せれば良いのだから。だが、中には処刑された眷属もいるのだ。別に下級眷属がどうなろうが知ったことではない。問題は、せっかく集めた手駒が無くなるのは非効率で不愉快という話だ。これも数日前に帰国したサム・ゴードンのせいである。
サム・ゴードン懐かしい名前だ。人間だった時によく耳にしていた。
別名「悪鬼」数多くの伝説を残した怪物……。
ふっ、怪物? 魔族を知った今となってはあまりに滑稽、お笑い種である。奴は所詮、小バエだ。ぶんぶん騒がしい小バエは排除するか? ダルフ達一次眷属数人に命じ、奴の首をとる。
いや、スタンドプレイは控えよう。何事も「ほうれんそう」が大事だ。ティレア様がいつも言われている。この「ほうれんそう」を疎かにして、よくニールゼン様がティレア様にお叱りを受けているのだ。同じ轍は踏めない。次の軍議でこの件は、議題に挙げよう。ダルフ達にはこれ以上、ゴードンに我が領域を侵食されないように注意を促しておけばよい。
ふ~今日はこの辺で終わりにするか……。
吸血部隊を率いる長として日々雑務に追われる。国中に散らばる眷属を一手に率いる身として、とめどなく仕事が溢れてくる。人間の身であれば今頃疲労で倒れていた。頑健な吸血鬼の身体が身にしみて嬉しく思う。
雑務を終え、そろそろ学園寮に戻ろうかと考えていると、部屋の扉が開いた。誰だろう……自然に扉に目を向ける。
訪問者は、ティレア様だった。
ティレア様は、キョロキョロと辺りを注意深く観察しながら部屋に入ってくる。右左上下と念入りに見られているのだ。
な、何をなされたいのだろう? おそらく人払いして内密の話があるのかな? そこまで見なくてもこの部屋には私一人しかいないのだが……。
「あ、あのティレア様――」
「し――っ!」
ティレア様が指を立てて真剣な表情で「大声を出すな」と注意する。それでは小声で話そう。
「ティレア様、御用の向きは――」
「実はね、エディムに重要な話があるの。この後、会議室Cまで来てくれる?」
「承知しました」
「あと、内密の話だから会議室には誰にも気づかれないようにきてね。特に、ティムには気づかれないように」
えっ!? カミーラ様に内緒の話とはいったい……?
それにティレア様、誰にも気づかれないように会議室Cまで行くのは無理です。どう頑張っても幹部の方々と鉢合わせします。私の技量では、強者達を尻目に潜行なんてとてもできませんよ。
「ティレア様、私では――」
「それじゃあ宜しくね。あとはオルにも伝えないといけないから」
「あっ! お待ち――」
ティレア様は言いたいことを言われて、部屋を飛び出して行かれた。
どうしよう?
下手に気配を殺して移動すれば、暗殺者と間違われて殺されないかな?
あぁ、せめてベルナンデス様ほどの潜入能力があれば良かったのに。私にはそこまでの技量は無い。
練習してみるか……いや、潜行レベルを高めるのは、一朝一夕では無理である。
うーん、だめだ。ここで悩んでいても仕方がない。もう普通に移動しよう。何か言われたら言葉でごまかせばいい。
半ば開き直って会議室Cに向かう。誰かと会った時の言い訳を考えながら、慎重に移動した。幸か不幸か、幹部の方々とすれ違う事なく会議室Cへと進める。
やった、運がいい。このまま何事もなく――
「どこに行かれるのですか?」
「ひゃぁあ!」
突然、背後から声をかけられ、びくりとする。
な、なんて事! 油断した。どう言い訳しようか――って、お前、確か……。
「ジェジェ……?」
「はい、エディム様にはご機嫌麗しゅう。それにしてもここは素晴らしいですな。広さに煌びやかな調度品の数々、エディム様の居城にふさわしい」
「こぉの不敬者がぁあ――っ!」
「ほべらっ!」
とっさにジェジェを岩壁にめり込ませる。顔面の半分ほど埋没したジェジェは、うごごと唸っていた。
そのまま死んどけ。誰の居城だ。ティレア様の居城だろうが!
なんて物騒な言動をしやがる。誰かに聞かれたら謀反と疑われてもおかしくはない。そういえば気にはしていた。どうも眷属達の忠誠がティレア様に向かわず、私に来ているようなのだ。
どこかで眷属共の再教育が必要だな。
とにかく、まずはティレア様の密命が最優先だ。先を急ごう。
そして会議室Cに到着……。
ジェジェとトラブルがあったものの無事扉の前にたどり着いた。オルティッシオ様も到着している。オルティッシオ様は緊張しているご様子だ。顔から汗が流れているし、何より扉の前まで来ていて入ろうとされない。
まぁ、ティレア様からの突然のお呼び出しである。不安になりますよね。
あぁ、この感覚。学生だった時、学園長に呼び出しを受けたことを思い出す。新入生だった当時、学園のトップに呼び出され最大限に緊張した記憶がある。
まぁ、今となっては茶番もいいとこだ。ティレア様の密命とは天と地、限りなく遠い差がある。
「オルティッシオ様、部屋に入らないのですか?」
「エディム、ティレア様からの今回のお呼び出し。何か心当たりあるか?」
「いえ、見当もつきません」
「そうか。私もわからぬ……いや、待てよ。あれか? いやいや、もしかしたらアレのことかも?」
オルティッシオ様は、心当たりがあるのかぶつぶつ独り言を言われている。オルティッシオ様は幹部の方々からの風あたりが強い。軍議でも可哀想なくらい激しく非難されている。なんていうかいつも叱られ慣れているせいか、今回もお叱りを受けると思っているようだ。
「オルティッシオ様、とりあえず中へ――」
「エディム、今回のお呼び出しはお叱り事だと思うか?」
「さ、さぁ、わかりません。私にはお叱りを受ける理由が見当もつかないです」
「そうか。私は心当たりがありすぎるのだが……」
そんな事を言わないで欲しい。私は大丈夫、きちんと仕事をこなしている。だが、オルティッシオ様と二人で呼び出しというのが不安でしょうがない。
うぅ、オルティッシオ様のせいで何かとばっちりを受けたのではないだろうか?
「とにかく、ここで考えていても仕方がありません。中に入りましょう」
「そうだった。ティレア様をお待たせする訳にはいかぬ」
覚悟を決め、オルティッシオ様と室内に入る。
「「ティレア様、お召しにより参上しました」」
「よく来てくれたね」
ティレア様は何やら思案顔をされている。お言葉も最初の一声以来、無言のままだ。これはお叱り事なのか?
「ティレア様……?」
「あ、あのね……実は……」
「はい」
「うぅ、だめだ。やっぱり言えないよ」
ティレア様ほどのお方が言いづらい事ってなんなのだろうか? お叱り事であれば、ティレア様が躊躇する必要はない。
であれば……。
色々思案していると、オルティッシオ様から意味深長な言葉を聞かされる。そして、オルティッシオ様から衝撃の発言が飛び出した。
ティレア様がカミーラ様の排除を望んでいる!?
う、嘘でしょ。あまりな言葉に愕然とした。
そ、そんな私はどうすれば……。
もし、オルティッシオ様の予測どおりなら、私は究極の選択を迫られる。ティレア様が邪神軍のトップである。本来であれば、ティレア様のお言葉を第一として行動しなければならない。
だが、カミーラ様は私の全て……。
私は身も心もカミーラ様に捧げたのだ。カミーラ様に楯突くなどあってはならない。考えたくもない。
「そ、そんな嫌です。私はカミーラ様を裏切ることなどできません」
「エディム、それ以上言うな! うぅ、わ、私だって辛いのだ」
「でしたら……」
「だまれ。邪神軍の為に耐えぬか! ティレア様とて苦渋の決断をされたのだ」
「オル、いい加減にしなさい。それ以上、馬鹿なことを言うようなら、その舌を引っこ抜くわよ」
「ひ、ひぃ。も、申し訳ございません」
「あなたねぇ~。私がティムを害するわけないでしょ! まったく、あまりの言葉に呆然としちゃったよ」
「ティレア様、それではカミーラ様抹殺の指令ではないのですね?」
「当たり前でしょうが! 冗談にしてもタチが悪い」
ティレア様の剣幕。心外とばかりに憤慨されているご様子だ。
そうだよ。あんなにカミーラ様を大事にされているティレア様が、そんな命令を出すはずがない。まったく、オルティッシオ様の早合点にいらいらしてくる。幹部の方々がオルティッシオ様を責めるのも無理ないのじゃないか。
それからティレア様が密命をお話になった。それは奇しくも最近、対策を考えていた悪鬼討伐の件であった。
正直、拍子抜けした。ティレア様から勿体無くもすごくご心配されているが、問題ない。もともと、私自ら行くまでも無く、一次眷属数人を派遣するだけで十分だと思っていたぐらいなのだから。
ティレア様とのお話が終わり、部屋を退出する。オルティッシオ様は興奮しきっていた。なんといってもティレア様たっての密命である。オルティッシオ様にとっては他を見返すチャンス、汚名返上の機会だ。
「エディム、この君命、是が非でも成功させねばならぬ!」
「はっ。もちろんでございます」
「では、早速作戦会議をするか」
「御意」
それからオルティッシオ様と空いている会議室に移動した。
しばし作戦会議……。
ふぅ、小一時間ぐらいたったか? 比較的簡単なご命令なのに……。
オルティッシオ様が気合が入りすぎているせいか、話し合いが難航している。オルティッシオ様は、会議で事あるごとに突入役を代われと言ってきたのだ。
正直、今の功に焦っているオルティッシオ様に突入役を任せたくはない。戦闘面では格段に私より上なのだが、何かやらかしそうで怖い。
それに、私だって名指しでティレア様にご指名されたのだ。先陣の名誉は譲りたくはない。ティレア様たってのご命令、達成したらティレア様はもちろん、カミーラ様にも褒められるはずだ。
「なぁ、本当に貴様一人で大丈夫か? なんなら役割を変えてもいいんだぞ」
「いえいえ、けっこうです。大丈夫です。問題ありません」
あぁ、もう何度、同じ言葉を言わせる気なのだ。いい加減にして欲しい。こうやって貴重な時間を無為に過ごしているのがわからないのだろうか?
やはりオルティッシオ様に行動させるのは不安でしょうがない。こんな簡単な任務で失態を犯すわけには行かないのである。
「そうか……私が行けば、より確実に奴を屠れるのだがな」
「オルティッシオ様、ティレア様は私に突入役、そのサポートをオルティッシオ様に命じました。その命令に違うわけにはいきません」
「だが、そのサポートの延長上の行動で……」
「オ、オルティッシオ様、お願いです。何度同じやりとりを繰り返しましたか? もう一時間は経とうとしていますよ。このまま無為に時間を過ごせば、任務を達成できなくなります」
「むむ、たしかに時間が惜しい。しょうがない。エディム大役頼んだぞ」
ほっ、やっと納得してもらった。
会議の結果……。
ティレア様のご指示通り、私が屋敷に潜入しゴードンの首を討ち取る。オルティッシオ様率いる第二師団は屋敷を包囲し、万が一、ゴードンが逃走した時の保険とする。
……ティレア様のご指示のまま変わっていない。五分で終わる内容だ。ここまで会議をする必要があったのだろうか?
オルティッシオ様への不信が募る。
不安だ。今のオルティッシオ様は常軌を逸している。包囲網にかんしても任せられないような気がする。
ひそかに眷属のダルフに指令を出す。指令には念話を使う。念話は、遠く離れた対象人物と会話が可能となる。直接眷属との間にだけ使える技術なのだ。
念話発動!
『ダルフ、緊急の要件がある』
『これはエディム様。念話を使われるとは、よっぽどの案件ですね』
『あぁ、ティレア様からの密命だ。これより悪鬼討伐を開始する』
『御意。それでは至急、兵を募り総攻撃を――』
『待て。そこまで仰々しくするな。お前達は、悪鬼の屋敷を包囲しておけば良い。悪鬼の首は私がとる』
『エディム様、お一人では……差し出がましい意見でございますが、護衛をつける事を進言致します』
『いらぬ。たかが人間如きに遅れをとらん』
『エディム様のお力は理解してます。ですが、相手は悪名高い悪鬼。万が一を考え、せめて一人、一次眷属の誰かを……私かミリオを護衛にお付けください』
『いらぬ』
『しかし……』
『くどい。これ以上の進言は、不敬とみなす』
『は、はっ』
『それではダルフ、お前に包囲網の指揮を委ねる』
『御意。では東西北にミリオ、キャス、ジンの部隊を配置させます。蟻の子一匹這い出ないようにしておきます』
『頼んだぞ』
眷属に指示をしておく。オルティッシオ様には内緒だが、別にいいだろう。包囲は数が多いにこしたことがない。
後は、突入するだけ……。
「オルティッシオ様、そろそろ出発を――」
オルティッシオ様に声をかける。だが、オルティッシオ様は多くの使者に伝令を送っていて私の声に気づかない。
な、何をしているんだ、あの人……?
あまりに飛び交う伝令の数々。オルティシオ様はやはり気合が入りすぎている。たかが人間一匹を始末するために、全部隊を呼び寄せる気か?
遠征中の部隊長を始めとした国外に出ている部隊、さらには捕獲した捕虜まで掻き集め包囲網をしこうとしている。やり過ぎだ。
慌ててオルティッシオ様に近づき進言する。
「あ、あのオルティッシオ様、遠征組まで呼び寄せる必要はないかと。今、ここにいる第二師団の方々だけで十分すぎるぐらいですよ」
「エディム、万一、万が一、打ちもらしたら貴様は責任が取れるのか! 私がティレア様の信頼を損なったらどうしてくれるのだぁ!」
あぁ、取り付く島もない。まぁ、いいか。下手に反論しても時間がもったいないだけである。私がさくっといって奴の首を取ればいいだけの話だ。
私が驚き呆れていると、騒ぎをかきつけドリュアス様が現れた。
「ここにいたか、オルティッシオ! 貴様は何ゆえ兵を勝手に王都に呼び戻しておるのだ!」
怒り心頭のドリュアス様。遠征や兵の配置を組み立てているのは参謀のドリュアス様である。これから先の立案計画もあっただろうにオルティッシオ様の行動によってオジャンになった可能性が高い。
「参謀殿。兵を動かしたのは理由があります」
「それはいかなる理由だ? 私に断り無く兵を動かすとは、事と次第によっては貴様を処分――」
「兵を動かした訳は、ティレア様の密命の為です」
うぁあ、オルティッシオ様がこれでもかっていうぐらいニヤニヤ、ドヤ顔している。比べてドリュアス様の唖然とした顔といったら……。
いつも理知的で冷静なドリュアス様が、これは相当ショックだったのかも。
「そ、そうか。ティレア様が密命を……オルティッシオに……?」
「ふっ、参謀殿が知らぬのは当然ですよ。これはティレア様からの密命ですから」
「う、うむ。きばって任務をこなすのだぞ。そういう事であれば、兵は好きなだけ使え。心配するな。私がなんとかする」
「当たり前です。なんたってこれはティレア様から直々に賜った君命なのです。そう直々の君命です。大事な事なので、二回言いましたぞ」
あぁ、ティレア様の口癖まで真似されて……。
オルティッシオ様、よっぽど嬉しいんですね。このところ会議でオルティッシオ様はドリュアス様にきつくあたられてたから、その鬱憤もはらしたいんでしょう。
「オ、オルティッシオ、何か私にできることはないか? 力を貸すぞ」
「参謀殿、あなたは密命の意味を理解しておられるのか? これはティレア様から信頼された者しか明かせられない内容なのです。あなたには相談できないのです」
「ぐ、ぬぬ……」
「そういう事で私は忙しい身なのでこれで失礼する。これから密命の作戦を立てねばなりませぬからな。あぁ、作戦参謀がいれば、作戦立案などすぐに終わるのですが……その参謀殿が主に信頼されていないのではなんとも……くっあははは!」
オルティッシオ様、なんて挑発を……!
ドリュアス様――って、うぉおお、こ、怖い。ドリュアス様、相当怒っている。その微笑がこわい。ティレア様がらみで嫌味を言うなんて絶対に恨まれているよ。参謀様を怒らせるなんて、後でどれだけ仕返しをされるか……。
「エディム」
「は、はい」
「ティレア様からの密命、しっかり励めよ」
「ぎ、御意」
「参謀殿、それは当然です。何せ私とエディムはティレア様にそれだけ信頼されておられるのですから」
やめてください。オルティッシオ様、私を巻き込まないで。そんなに挑発しないで。ひぃ。ドリュアス様の額に青筋が浮かびあがっている。
やばい。もう話を切り上げよう。
「あ、あのオルティッシオ様、時間も無いですし、急ぎましょう」
「うむ、我らは崇高なる使命があるからな。あ~どこぞに主に信頼された参謀がいれば作戦が楽になるというのに……」
オルティッシオ様は、高らかに笑いながらその場を後にする。私も後を追って小走りに追従する。オルティッシオ様、頼みますから巻き込まないでください。ドリュアス様、どんな顔をしているやら、振り返るのが怖い。
走りながらドリュアス様がいなくなったであろう頃合を見て、オルティッシオ様に尋ねる。
「あの、オルティッシオ様、あまりドリュアス様を挑発しないほうが宜しいかと」
あとあと困るのはご自身ですよ。
「エディム。私はな、カミーラ様の母君、マミラ様から数えてティレア様に至る三代にわたりお仕えしている。所謂古参の重鎮なのだ」
「は、はい」
「それがいくらカミーラ様直属の眷属とはいえ、まだ一年も仕えてない若造に舐められてたまるかぁあ――っ!」
オルティッシオ様が、憤怒の叫びを上げる。よっぽど腹に据えかねていたんだろうな。声色全てに怒りが充満しているのがわかる。
確かにドリュアス様は誕生されてまだ一年も経っていない。カミーラ様とティレア様の強力な後押しがあって今の地位に上り詰めておられる。オルティッシオ様のように古参の方々は不満を持っておられるのかな?
オルティッシオ様は、なおもドリュアス様への不満を露わにする。私も適当に相槌を打ちながら走った。
そうして、しばらくオルティッシオ様の愚痴に付き合いながら走っていると、悪鬼の屋敷前に到着した。オルティッシオ様率いる第二師団の方々も、私がひそかに呼び寄せた眷属達も包囲網を形成しているようだ。
準備は万端ね。
「それではオルティッシオ様、屋敷に突入を――」
「エディム、待て」
「はっ」
オルティッシオ様が私を呼び止める。
な、なんか嫌な予感がする。オルティッシオ様は誰かに指示をし、配下の方々が何かを運んできた。
人? く、臭い。何かすえた匂いがする。
うぅ、吸血鬼の鋭敏な嗅覚には辛すぎるよ。
「あ、あのこれって……?」
「王都の食い詰め者だ。軍神に祀ろうと思うてな。はは、掃除がてらに引っ捕えてきた。エディム、景気づけに一気に飲み干せ!」
「えっ!? あ、あの、それってこいつを吸血しろって言っておられるのですか?」
「当然だ。これから討ち入る前に、エディム、お前には万全の態勢で取り組んでもらわねば困る。吸血しパワーアップして行くのだ」
パ、パワーアップって……。
オルティッシオ様が用意した人間を見る。髪の毛は脂でねっとり、ふけも垢も大量に付着していて、服もぼろぼろである。おそらく洗濯なんて一度もしてないのだろう。もうなんて言ったらいいかわからない得体の知れない臭いがしている。見るからにまずそうな血だ。こんな粗悪品、吸血部隊の四次、五次、いや、最下級の眷属ですら吸わない代物だろう。
「あ、あのオルティッシオ様、落ち着いてください。たかが人間の始末、簡単な案件ですよ。そこまでしなくても……」
「黙れ! お前はティレア様の君命をなんと心得る。失敗したらどうするのだ。私にまた恥辱の目にあわせる気なのか!」
「い、いえ、そんなことはありません」
「だったら吸え。万全の状態で挑むのだ!」
あぁ、もうめんどくさい。さっさと吸ったほうが早そうだ。見るからにまずそうだが、これも任務の為だ。
「わ、わかりました。それではせっかくなので頂きます」
覚悟を決め、吐き気の催すその物体に牙を突き刺す。
うぅ、臭い。不味い!
こ、これは想像以上だ。牙を通してくる感覚が……。
ぐほっ。おぇ、思わず、むせ返す。と、とりあえず我慢して何も考えずに無理やり飲み込む。ゴクリ、ゴクリとえもしれない不愉快な感触が身体に浸透していく。
こ、これって確実にパワーダウンしているよ。
不愉快な感触に涙を流しながら、なんとか飲み干すことができた。
「げぷっ。はぁ、はぁ、はぁ。そ、それでは行ってまいり――」
「待て、エディム」
「こ、今度はなんなんですか!」
「かけつけ三体だ」
オルティッシオ様はそう言って同じような食い詰め浮浪者を三体、私に向かって放り投げる。そんな酒のノリで言われても一体、どうしろと……?
「あ、あのオルティッシオ様、もういいです。うぷっ。も、もう十分ですので」
「うぬぅ、私が用意した血が飲めんと言うのか! エディム、もしやお前までもが私を馬鹿にしておるのか!」
「あ、あのもう本当にけっこうなんです。というか食傷気味で体調が悪くなってきまして――」
「なに!? 貴様、このような大事な任務で体調が悪いだと! やはり私が代わりに突入する」
あぁ、まずい。また前の問答が始まっちゃう。なんとか取り繕わないと。
「いえいえ、誤解です。オルティッシオ様がご用意した血のおかげで体調が悪くなりようがないと言ったのです」
「そうか、そうか。では三体、景気よくいけ。ぐぐっと飲み干せ!」
三体……。
これまたさらに酷い。先ほどよりフケや垢もさらに付着している。ところどころ斑点があり風土病に犯されているのかも。
こいつなんて最悪、もう腐っているんじゃないか? もう死体だよ。私はネクロマンサーじゃない。
うぅ、不潔すぎる。どこを噛めばよいか。まだましな個所はないか? 死体三体を観察するが、絶望的だ。
くっ、眺めていても時間の無駄か。覚悟を決めてがぶりと吸う。
ん!? お、おぇえ――っ!
うぅ、ひ、ひどい。ワーストスリーに入るぐらいの衝撃。こ、こいつ病気だよ。
まずい。毒だ、はぁ、はぁ、こ、これ全部、飲み干すの? 洒落にならないよ。
うぅ、カ、カミーラ様、お助けください。
だが、私の心情を無視して時間は過ぎても、オルティッシオ様は残すことを許してくださらない。鬼め! せめてカミーラ様に頂いた血を思い浮かべながら、五感をごまかそう。
そうして吐き気を我慢しながら、ようやく三体を飲み干すことに成功した。
や、やっと終わった。じ、自分で自分を褒めてあげたい。
「エディム、お代わりは良いのか?」
「くっ。げほっ、はぁ、はぁ。だ、大ジョブで……す。そ、それより時間が押してますので」
「むっ! エディム、お前ふらついているぞ。任務に支障はないのだろうな?」
「は、は、うぷっ。す、少し血を吸いすぎましたかね」
「まったく、調子にのるからだ」
はぁ、はぁ、言いたい。あんたが用意したくそまずい血のせいで体調が悪くなったと。だが、言ったら任務を変えられる。それに、一言文句を言ったら罵詈雑言が抑えられそうにない。楯突けば、逆上して殺される。こんな人だが、戦闘力だけは確かなのだ。こ、こんな馬鹿な行為で死にたくはない。
はぁ、はぁ、なんて理不尽極まりないのだ。こ、こういうことか。ティレア様、ようやく意味がわかりました。これが「ぱわはら」というものなのですね? 上の者の横暴で下が馬鹿を見る。ティレア様が「ぱわはら」はダメって言ってた意味がわかりました。あぁ、待てよ「あるはら」だったか……。
い、いけない。何かトリップしている。に、任務に集中しないと。
「はぁ、はぁ。そ、それではエディム行ってまいります」
「うむ、一時間経っても首を取ってこなければ、我が隊が突入する。よいな」
「は、はっ」
一時間か……制圧できるだろうか? 激しい眩暈に足元がふらつく。吐き気に悪寒、こんな体調、吸血鬼になって初めての経験だ。
こ、こんな状態で悪鬼を討ち取れるの?
当初の自信はとうにない。ティレア様さすがです。こんな危険な任務になろうとは予想外でした。敵は身内にありですね。
ティレア様のご指摘どおりだった。生きるか死ぬか、生存率五パーセントの任務が開始された。