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17.姉妹来訪(4)

(姉さん、何があったんだろ……?)

“月下の黒猫亭”の店先。昼間の忙しい時間帯も過ぎ、休憩中に店の外へと出たアリヤは物憂ものうげにうつむいていた。

 考えているのは彼女にとって唯一無二の大切な存在、姉のレナファのことだ。

 ここ数日、姉の様子がおかしい――

 本人は何事もないように振る舞っているらしいが、周りから見ればすぐにそうとわかるほど明らかに落ち込んでいる。そのせいで、仕事中にも失敗を重ねていた。ついさっきも、危うく肉切り包丁で自分の指を切り落とすところだったほどだ。

 理由はよくわからない。

 レナファが一人で出かけて帰ってきたその時から様子がおかしかったから、そこで何かあったのは間違いない。だがアリヤがそれとなく聞いてみても、なんでもないという答えが返ってくるだけだった。

(なんでもないはず、ないのに……)

 心配をかけさせたくないという気持ちから出た言葉だというのはわかっていた。こうなったら詰め寄っても口を閉ざすだけだろう。

 話してくれるまで待つしかないが、その間、姉を気落ちさせたままでいるのはアリヤにとってはもどかしい。

 眉間にしわを寄せて考え込むアリヤの足下に、影が落ちた。

「……?」

 顔を上げると、そこにいたのは艶やかな金髪の女性だった。

 にこやかな笑みを浮かべて女性が口を開く。

「初めまして。アリヤさんですよね?」

「……そうですけど?」

 見知らぬ女性だった。警戒を表に出さないようにしながら、アリヤは不思議そうに首をかしげる。それでいて、相手がどんな人間なのか観察することも忘れない。

(うわあ……綺麗な髪。それに、上流階級っていうのかな? 服も高そうだし、性格も悪くなさそうだけど……なんか、ひっかかるような……?)

 女性――フェリナは両手をあわせて顔をほころばらせた。

「ちょうどよかったわ。あなたにも会いたかったんです」

「あの、どなたですか?」

「私、フェリナっていいます。お姉さんから話は聞いていないかしら? 先日、ご挨拶したのですけれど」

 ピクリ、とアリヤの眉が跳ね上がった。

 内心の動揺をそれだけに押しとどめ、アリヤは笑顔を作る。

「姉さんからですか? いえ、何も聞いていないですけど……。あの、姉さんとはどんな話を?」

「大したことは話していません。少し挨拶と自己紹介をさせていただいただけで」

「それだけですか?」

 抑えきれない気持ちのまま、フェリナへ一歩詰め寄る。

「そうですね。あと……あなたとも関わりの深い、コウイチさんのことを少し。近しくお付き合いさせていただいています、といったようなことを話しました」

「っ……」

「それが、何か?」

「いいえ、なんでも」

 にっこりと笑いながら、アリヤの内心は煮えくり返っていた。

 具体的に表せば、

(余計なこと言って……!)

 というフェリナへの怒りと、

(あの……浮気者!)

 というコウイチに対する嫉妬である。

「ところでお姉さんはお店の中ですか?」

「あ、はい。でも今は忙しそうなので会うことはできないと思いますけど」

「あら、そうですか……」

 少しだけ残念そうな顔をするフェリナへ、心の中で舌を出すアリヤ。さすがに今の姉とフェリナを会わせるつもりはなかった。

「別れてから思ったんですけど、もしかしたらレナファさん、何か誤解されたんでしょうか?」

「誤解ってなんですか?」

「ですからその、私とコウイチさんが特別な関係、というような」

 羞恥しゅうちのせいか、フェリナの頬がわずかに赤らんだ。

「気にしすぎだと思いますけど」

 さすがに抑えきれず、態度がぶっきらぼうになってしまう。

(あんたがそんなこと言うから姉さん落ち込んじゃったじゃないの!)

 と言いたいところだが、さすがに初対面の相手にそれはできない。

「そうですか。よかった」

 フェリナがほっと胸を撫で下ろす。その仕草すら様になっていて、今のアリヤには腹立たしい。

「実はちょっと複雑だったんです。コウイチさんがあなたたちのことをとても大切に思っていると聞いていましたから」

「……それは、コウイチから聞いたんですか?」

「いいえ? 違いますわ」

「そうですか……」

 いくらか落胆しながらも、アリヤは紅潮した顔のまま、

(このことを姉さんに話したら伝えたら喜ぶかな)

 と、考える。

「ですけれど、少し安心しました。あなたたちはコウイチさんと親しいようですけど、特別な関係・・・・・にまではなっていないようですから」

「……は?」

「これなら、私も入り込む余地がありそうですね」

 にこやかに笑いながらとんでもないことを言い出すフェリナに、アリヤは絶句した。

(……こいつ)

 どうやら、ただの育ちのいい女というわけではなさそうだった。

 落ち着きを取り戻したアリヤは、目の前の女を明確に敵認定した。

「お詫びというわけではありませんが、何か困ったことがあれば言ってください。微力ですがお手伝いしますわ」

「けっこうです!」

 猫をかぶるのも忘れて拒絶の言葉を吐き出す。姉にした仕打ちや突然の宣戦布告に怒りを覚えたのも事実だが、それ以上に本能的な嫌悪感がわき起こったからだ。

「……仕事がありますから」

 ごまかすように、無理やり笑顔をつくってから逃げるように背を向ける。店に入る直前、尻目に見るとフェリナは困ったような微笑を浮かべていた。

 その瞬間、フェリナを目にした時に感じた違和感の正体を、アリヤははっきりと理解した。

(この人、なんかヘン――)

 閉鎖的な寒村で猫をかぶりながら暮らしてきたアリヤは、幼い少女とは思えないほど人を見る目が養われている。

 口ではうまいことを言いながら本心では相手を見下している者。口下手ながらも誠実な人格の持ち主。周囲の環境に合わせて自分を殺し、本心を隠してきたアリヤはそれらを鋭く見抜くことができた。

 そしてそのアリヤの目には、周囲には魅力的に映るフェリナの表情が仮面のそれのようにしか見えなかった。


「とりあえず、姉さんをなんとかしなくちゃ……!」

 フェリナのことを棚上げにして、アリヤは唇を噛んだ。

 姉が落ち込んでいる理由はわかった。

 コウイチに興味を寄せるフェリナと自分を比べてしまったのだろう。アリヤから見れば姉には姉の良さがあり、それはフェリナとは比べものにならないと思っているが、姉がどう思ったかは想像がついた。

(なら――自信をつけてもらわなきゃ)

 アリヤには目算があった。前から目星をつけていたものだ。

 考えていたより早くなってしまったが、アリヤは決断するとすぐにある人物の元へ急いだ。


 ここ数日、レナファは気分が晴れない日が続いていた。

 こうなるといつもならなんてこともないことでさえうなくいかなくなり、面倒になっていく。

 それでも持ち前の真面目さと責任感でやり過ごしているが、ところどころほころびができるように失敗を重ねていた。

「はぁ……」

 重いため息を吐き、自室へつながる階段をあがる。

 足が、ひどく重い。

 のろのろと部屋へ入ったレナファは、待ちかまえるようにして部屋の真ん中で立っていた少女を見て首を傾げた。

「えっへへ。姉さーん」

 後ろ手に何かを持っているアリヤは、なぜかとても機嫌が良さそうだった。

 いくらか気分を和ませながら、問いかける。

「アリヤ? 何かいいことでも――」

「じゃーん」

 アリヤがさっと両手を前に出した。その手に乗っていたものを見て、レナファは目を丸くした。

「それって……」

「姉さんに似合うと思って。どうかな?」

 それは、アリヤにプレゼントしようと思っていたあの髪紐だった。

「え……え? な、なんで?」

「前に市場で見かけてね。姉さんにならすっごく似合うと思ってたんだ」

(自分じゃなくて、わたしに……?)

「でも、お金は……?」

「うん。足りなかったから、女将さんに頼み込んでお給料を前借りさせてもらったの」

「前借りって……」

 こともなげに言うアリヤに、レナファは呆気にとられた。

(そこまでして……?)

「はい。受け取って!」

 おずおずと、レナファは髪紐を手に取る。

 信じられない思いで見てみる。その紐は、間違いなく市場に行った時に目にしたものだった。何種類もの色の糸を編み込んでいるらしく、鮮やかでいて派手すぎない、そんな色合いだった。

「あれ? これって……」

 紐の両端に、白桃色の飾り玉がはめられていた。前に見たときにはなかったものだ。

 アリヤがうれしそうに笑った。

「それ、姉さんへのプレゼントだって言ったらオマケにつけてくれたんだ」

「本当に、わたしに……?」

「うん!」


 女将から借りた櫛で、アリヤはレナファの髪を念入りにすいて整える。すっと流れるようになった髪は、たったそれだけで手触りすらも変わっているように思えた。

 姉の茶色がかった黒髪をアリヤが切ったのはだいぶ前のことで、すでに先端が背中の半ばまでに伸びているそれをレナファは麻の紐で無造作にまとめていた。

 それをもったいないなあと思っていたアリヤが、今はその代わりに買ってきた髪紐を首の後ろあたりで結んでくくる。

「うわぁ……」

「どう、かな……?」

 恐る恐るといった様子で振り返った姉の印象は大きく変わっていた。そもそも比較することがあまりない生活を送っていたから本人は気づいていないが、レナファは一般的に美人といえる容姿の持ち主だった。加えて髪を整えた今の彼女が街を歩けば、間違いなく注目を集めるはずだった。

 本人はちっともそう思ってないようだが。身内のひいき目を抜きにしても姉は本当はキレイなのだ。いつも思っていることが証明された気がして、アリヤはにんまりと笑みを浮かべた。

「すっごい似合ってる! 姉さん、ほら!」

 と、はしゃぎながら、これも女将から借りてきた手鏡を差し出す。

 そこに映っていた自分の横顔を見て、レナファが息を呑んだ。驚きの表情を浮かべ、動きを止める。

「……」

 気に入らなかったんだろうか――恐る恐るといった様子で姉の顔をのぞきこもうとしたアリヤは、

「姉さん? ――うぷっ」

 次の瞬間、顔を姉の胸の間に埋めていた。

「……アリヤ」

 驚いて離れようとしたアリヤの頭が、そっとレナファに抱きしめられる。

「ね、姉さん、苦しいってば」

 驚きと照れくささで、思わず声がうわずってしまう。

「ありがとう……アリヤ」

「姉さん……」


 小さな妹の体を抱きしめた。腕の中から聞こえてくる、照れくさそうではあっても、決して嫌そうではないくぐもった声。

 なんでアリヤがこのタイミングで髪紐を送ってくれたのか――その気持ちをレナファははっきりと理解していた。

 周りには隠していたつもりだが、自分が落ち込んでいることなど、アリヤにはあっさりと見抜かれていたのだ。

「ありがとう……アリヤ」

「姉さん……」

 アリヤがごそごそと身じろぎし、胸の間からつぶらな瞳で見上げてくる。不安の混じったその目を見て、レナファは後悔した。

 守るべき妹に、自分はこんな目をさせていた。

(ダメだよね、こんなんじゃ)

「うん……もう、大丈夫だから」

「ほんと……?」

 微笑み、レナファは頷いた。頷きながら、考える。

 今のままじゃ、ダメだから。アリヤが誇れるような姉になるのは。コウイチと再会したとき、胸を張っていられる自分でいるためには。

 ――何をすればいい?

 深く考えるまでもなく、道筋は見えている。後は、進むだけだ。

 レナファは最初の一歩を踏み出す決意を固めた。


 手入れを欠かさなかったおかげで使い込んでいた頃と状態の変わらない弓を握りしめ、レナファは兵舎へ向かっていた。

 髪紐は、つけていない。アリヤの次にあれをつけた自分を見せる相手は決まっていたから。

『これならコウイチの目だって釘付けにできるよ』

 アリヤにそんなことを言われた時には顔が熱くなったが、だからといってレナファはそこの言葉をそのまま信じたわけではなかった。

 本当にそんなことになると思うほど自惚れてはいないし、髪紐が良いものでも、それを身につけるのが自分じゃ――と自虐的なことさえ考えていた。

 それでも、やはり見せる相手は選びたいと思っている。なんといっても、妹からの大切な贈り物なのだ。

 バーナルは前と変わらず、笑いながらレナファを迎えた。

「それを持って来たってことは、あの話は引き受けるってことでいいのか?」

「はい」

 はっきりと頷いたレナファに、バーナルは驚いた顔をした。

 レナファの前に会った時とはあまりにも違う様子に、感心したように息をつく。

「ですが、条件があります」

「条件?」

「狩人の流儀を守ってほしいんです」

 つまりは、森を不要に傷つけないこと。幼い子供やそれを育てる母親、はらんだ雌などは狙わないことなどだ。

「わかったよ。嬢ちゃんの言うことは守るように伝えておく」

 バーナルはレナファが拍子抜けするほどあっさりと話を受け入れた。

「いいんですか?」

「なに。兵士でも傭兵でも狩人でも、守らなきゃならねェ流儀ってのはあらァな。じゃ、ついてきな。うちの兵士どもに紹介する」

 バーナルの後について、練兵場へ足を踏み入れた。

 集められた兵士たちに、バーナルがレナファの紹介とこれから弓を教えることになるということを説明すると、反応は二つに分かれた。

 意外そうな顔をしながら頷く兵士たちと、明らかに不満そうにする兵士たちだ。

「おいおい、ふざけてんのか。女なんかに教わって上達するわけねェだろうが」

 不満そうにしている兵士たちは少数で、あからさまにレナファを馬鹿にした言葉に周囲の兵士たちが露骨にうんざりした顔になった。

 少数派の兵士は他の兵士たちとあきらかに様子が違うように見えた。荒々しいというか、乱暴そうな感じだ。

 いつの間にか近づいていたランディが、不愉快そうな顔で耳打ちをしてくる。

「あいつら、いつもあんな感じなんだよ。元傭兵らしいんだけど、やたらと威張りたがって俺たちも困ってんだよな」

 それだけ言ってから、文句を並べ立てる兵士に近寄った。向かい合って険しい顔でにらみつける。

「ちょっと待てよ。男か女かで弓の上手下手が決まるわけじゃないだろ?」

「あァ?」

「それにおまえ、リゼにだって勝ったことないだろうが」

 多数派の兵士たちから失笑がこぼれる。先頭にいて声を張り上げていた男が顔を真っ赤にした。

「う、うるせぇ! とにかく俺たちはそいつには教わらねェからな!」

「はァ? なんだそれ?」

 にらみ合う二人を中心に、雰囲気が険悪なものになっていく。それこそ次の瞬間に殴り合いを始めてもおかしくないほどだ。

 レナファはバーナルに目を向けた。

 本来なら事態を収める立場のバーナルは、なぜか笑いながら傍観ぼうかんしていた――いや、その視線は、兵たちを通り過ぎてその先に向けられている。

 レナファが視線の先をたどると同時だった。

「何をしている?」

 熱くなりかけた場の空気を冷ますような、凛とした声が兵たちの耳に届いたのは。


 歩み寄ってくるその女性に、誰もが目を奪われた。

 凛とした顔つきのまま、女性は迫力のある鋭い眼差しで騒ぎの中心を見据えている。艶のある黒髪は腰の後ろで束ねられ、女性が歩みを進めるたびに踊るように揺れた。

 異様なのは、身につけている衣装だ。その体を覆うのはまるで戦場にいるかのような全身を隙間なく覆う鎧だ。

 この場に現れた――たったそれだけでさっきまで威勢良く叫んでいた男たちが口を閉ざした。それだけのモノが、その女性にはあった。

「女がどうとか、聞こえたが」

 睨んでいるわけではない。その瞳に込められた凍りつきそうな迫力に、ランディとにらみ合っていた兵士が顔面蒼白にして息を呑んだ。

「よお、キリカ」

「バーナルか。何があった?」

「なに、こいつらがこの嬢ちゃんに弓のやり方を教わるのが嫌だって言い出してな。俺も困ってたところなんだ」

 それまで黙っていたバーナルが、レナファを見ながらわざとらしそうな口振りで言う。ランディその他の兵士がうんざりした目でバーナルに向けたが、本人はまったく気にした素振りは見せない。

「あの……あの人は?」

 キリカと呼ばれた女性に目を奪われていたレナファが、小声でランディに問いかけた。

「あ、ああ。キリカさんだよ。この街に駐留している騎士の一人だ」

(騎士……?)

 クレイファレルに騎士団がいることは知っているし、何度か見かけたこともある。けれど目の前の女性騎士を見たのは初めてだった。

「なるほどな」

 頷いてキリカが一歩前へ出る。

「彼女に教わるのが不満という者は前に出るがいい」

 さっきまでレナファを侮るような声を発していた兵士たちが尻込みするようにお互いを見た。

 それでももしここで行かなかったら後で立場がない、という思いが働いたのだろう。意地を見せるように何人かが進み出る。

「四人か」

 キリカは、レナファのほうを振り返り、

「名前は?」

 そう聞いてきた。

「……レナファです」

「そうか。ならレナファ」

 キリカが手で兵士たちを示した。

「おまえはいまから、この四人と弓の腕を競い合え」

「え?」

 思いもよらない言葉に、レナファは目を丸くした。

 その場にいる兵士たちの反応もレナファと同じか、あるいは納得したように頷いているかの二つに分かれた。

「自分より腕の劣る者に教わるを拒むのは当然のことだ。なら、そうでないことを示せばいい。この者たちも、おまえがただ女であるという理由だけで教えを請うのを嫌がっていたわけではあるまい」

 鋭い眼光を向けられ、前へ出た兵士たちが顔を強ばらせる。

 本来なら兵士たちの問題に、騎士である彼女が口を挟んでいいものではない。だが、それを面と向かってキリカに言える者はこの場にはいなかった。ただ一人、異を唱えられそうなバーナルもおもしろそうにことの成り行きを見守っているだけだ。

「わかりました」

「良い覚悟だ」

 真っ先に承諾したレナファに、キリカがうっすらとした笑みを浮かべた。


 勝負の方法は、決められた位置から時間内にどれだけ的に矢が命中させられるか、というものに決まった。

 ただし的は複数あり、小さく遠い的ほど命中した時の得点が高い。

「もしこれで点数がそこの四人のうち一人でもレナファより高ければ、そちら側の勝ちとする。異論ないな?」

 つまり、レナファは四人の兵士たちの誰よりも高い点数で終わらなければならない。

 レナファはあっさりとうなずいた。それくらいでなければ納得しないだろうと思ったからだ。兵士たちも、自分も。

 指定された位置に立ち、弦に矢をかける。長い呼吸を繰り返し、レナファは自分が勝たなければならない理由を思い浮かべた。

 たった一人の家族である妹――

 再会が待ち遠しい青年――

 ただそれだけで、雑念が消えていく。

 緊張で頭が働かない、体がうまく動かない。そうなってもおかしくない状況だというのに。

 レナファの心は、波紋一つなく澄み切って穏やかだった。


「始め!」

 ヒュッ、タン。

 矢を放つ直前、狙う的が大きく思える時間がある。

 その時間が一瞬か、あるいはそれ以上か。また、どのぐらい大きく見えるかはその時の心の状態によって違っていた。

 平穏であればあるほど集中力は増し、狙いを外す要素はなくなっていく。

 ヒュッ、タン。ヒュッ、タン。、

 今のレナファにとって、小指の先ほどにしか見えない的でもすぐ近くにあるように感じられた。

 一定のリズムで音が鳴り、的に矢が突き刺さっていく。驚嘆の声が周囲からあがるが、レナファには自分がそんな驚かれるようなことをしているつもりはない。

 時には角を立てて迫ってくる猛獣相手に矢を向けることに比べたら、動かず、なんの驚異もない的を狙うなど楽なものだった。

 とはいえ、レナファは気づいていない。

 自分が、もっとも小さく遠い的に、矢を一本も外すことなく命中させ続けていることの異常さに。しかも、ほぼすべてが的の中心に近い場所に的中していた。

 今のレナファは弓こそ体の一部であり、研ぎ澄まされた集中力は視界を狭めることなく周囲が驚いていることも知っている。だが弓の腕を競い合うということをしたことがなかったレナファは、なぜ彼らが驚いているのか理解できていなかった。

 初めは表情に余裕を浮かべていた相手の兵士たちも、次第に焦り始めていた。そのせいで狙いも荒くなり、外れる矢が増えていく。

「おい……あれ」

「あ、ああ」

 一矢も外さず的を射抜いていくレナファの姿に、最初は歓声をあげていた兵士たちも今では静まりかえっていた。

 視線は弓矢を構えるレナファに釘付けになり、息を呑んで繰り返される反復動作を見守っている。

 その心境は、神聖な儀式を邪魔してはいけないと思いつつも目を離せない時のそれに近い。

 ヒュッ、タン。ヒュッ、タン。ヒュッ、タン。

 いつの間にか相手をしていた兵士たちも、弓を構えるのも忘れて呆然とレナファを見つめていた。

 レナファは静まりかえった練兵場で、弓と一体化したように矢を射続ける。

 結局、レナファの矢は、終了の合図がされるまで一本も外れることはなかった。


 終了の合図の後、深くため息をついて力を抜いたレナファに、兵士たちは群がるように駆け寄った。

「うおお! すげえ、あんたホントに人間か?」

「全部命中とか……ありえねえ」

「嬢ちゃんほどの弓の使い手、見たことないぞ!」

「え、いえ、その……」

「どうやったらあんなことできるんだ!? 今度教えてくれよ」

「っつーか頼まなくても教わるようになるんだよな!」

「姉さん!」

「いえ、ですから……え?」

 兵士たちの誉めたたえる声に混じった聞き覚えのある高い声に、レナファは耳を疑った。


 レナファを屈辱の眼差しで見てから、身を隠すようにその場を後にする兵士たちの姿があった。レナファに弓を教わるのを拒んだ兵士たちだ。

 彼らの前に、ふらりと人影が立ちふさがる。

「よォ。コソコソしやがって、いったいどこ行く気だ?」

 口端をつり上げて彼らの前に現れたのはバーナルだ。

「っ!? ど、どこだっていいじゃねえかっ!」

「そうはいかねェなあ。元同業者のよしみで、とりあえず口は利いてやってはみたが……おまえらはその性根から鍛え直す必要があるみたいだってわかったからな」

「鍛え直す……?」

「俺が直々にんでやるっつってんだ。死なない程度に、な」

「な、なんでそんなこと」

「なに、理由なんざ気にすんな。ま、万が一にもありえねェたァ思うが――」

 バーナルが壮絶な笑みを浮かべる。

「あの嬢ちゃんに逆恨みして仕返ししてやろうなんて考えられても困るからなあ」

 荒事に慣れているはずの元傭兵たちの顔から血の気が失われ、彼らはその場にへたれこんだ。


 自分に駆け寄ってくる小柄な姿を見て、レナファは目を丸くした。

「ア、アリヤ……? どうしてここに」

「姉さんが弓を持って出かけるのが見えたからついてきたの」

「そ、そうなんだ……」

「それで――これって、どういうこと?」

 責めるような目でアリヤに見上げられ、レナファはたじろいだ。

「う……」

「いきなり弓を持ち出したかと思えば、なんで腕比べなんてしてるのよ?」

「その、それは……」

(なんて説明したら……)

 そう頭を悩ませるレナファの様子を見て、アリヤは表情を一転させ笑顔になった。

「なーんて、ね」

「え?」

「事情ならさっきバーナルさんに教えてもらったよ」

 慌てて周囲を見渡すと、バーナルはうなだれた兵士数人を引き連れて練兵場から出ていくところだった。

(いつの間に……?)

「で、姉さん」

「な、なに?」

「言いたいことはいろいろあるけど……とりあえず一つだけ」

「……う、うん」

(黙っていたことを怒っているのかな? でも、理由を聞かれても話すわけにもいかなかったし――)

 アリヤの怒りを想像し、レナファは締め付けられたような不安にかられた。アリヤがうつむく。

「す――」

 暗い表情をするレナファの前で、アリヤは両手を軽く握り、顎のあたりにもっていく。

「すっっっごい、かっこよかったよ!」

「……え?」

 聞き間違いかと見てみれば、きらきらした眼差しがまっすぐ向けられていて。

「すごいすごい! そりゃあ姉さんがすごいってのは知ってたけど、あんなにすごいなんて思ってなかったよ」

「そんな、たまたまだよ」

謙遜けんそんすることはない。おまえの弓の腕は、実に見事なものだった」

 いつの間にかキリカが近くに立っていた。

 一点の隙もなさそうなたたずまいに、その場にいた兵士たちが無意識のうちに背筋を伸ばす。

 キリカはアリヤに視線を移し、口を開いた。

「妹か?」

「は、はい」

「そうか。いいを姉を持ったな」

 その瞬間だけ、レナファにはキリカが張りつめた表情をゆるめ、微笑んだように見えた。

「はい!」

 アリヤがうれしそうに頷いた。

「姉さんは昔っからあたしの自慢なんです!」

「ア、アリヤ……」

 照れくささと恥ずかしさで顔を赤くするレナファ。それを見たランディをはじめとする兵士たちの視線にそろって熱いものが混じった。

 レナファは注目されていることに気づき、慌てて首を横に振る。

「で、でも、わたしなんてこれくらいしか取り柄がない、ただの世間知らずで――」

「自分で自分をさげすむようなことを言わないほうがいい。特に、尊敬されている相手の前では」

 その言葉を残すと、キリカは背を向けた。あとは後ろも見ずにその場を立ち去っていく。

 お礼を言う間もなくレナファが呆然とその背を見送っていると、アリヤが軽い調子で声をかけてきた。

「それにしても、さっきの姉さんかっこよかったしキレイだったなー。さっきの姉さんを見たら、コウイチだってほっとかないよ~」

「ア、アリヤなにを」

 唐突に出された青年の名前に驚いて振り返るレナファだが、半ば確信的なアリヤの言葉を聞いた兵士たちの殺意がこの場にいない青年に向けられたことなど知る由もない。

 顔を真っ赤にする姉を見てアリヤが笑う。からかわれていることに気づき、さすがに文句を言おうとしたレナファだが、

「でもね、かっこよかったってのはホントだよ」

 耳元でアリヤにほんの少し照れの混じった声音でそうささやかれ、からかわれた不満は心の内に巣食っていた自分への不信感もろとも一瞬で吹き飛んだ。

「じゃああたしはお店に戻るねー」

 大きく手を振ってから、アリヤは弾むような足取りで駆け出す。

「……もう」

 言葉だけは不満げにそうこぼしつつも、アリヤの一言で今までになかった誇らしさが芽生えたことをレナファは感じていた。

 だからだろうか、

(早く、会いたいな……)

 その想いがさらに強まったことを自覚しながら、そっと胸に手を当てる。内の鼓動は、服越しでもはっきりとわかるほど強く脈打っていた。


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