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16.白日の下に(4)

「そういうわけで、後は任せた」

 いかにく気軽そうに肩を叩かれ、コウイチはひどく混乱した。

 なにがなんだか、といった困惑顔で見返すと、スルトが耳元に口をよせてきた。

「話は聞いていただろ? おまえが勝てば、ここの連中は俺の言うことに従う。……前に言ったことをおぼえているか?」

「……?」

「盗みは盗み、犯罪は犯罪だ。そいつらもいつかは後悔することになる――ここの連中とずいぶん仲良くなったみたいだが、こいつらがそんな目にあってもいいのか?」

「それは……」

 ラストルティアに着いてすぐのことだ。たしかに言われた気がする。その時は漠然ばくぜんと話を聞いていただけだが、盗賊たちと直に接してみた今となっては、同じような気持ちにはなれなかった。

 だが――

「その……移住先、というのは……?」

「それはまだ言えないな。といってもそれだけじゃ不安だろうから、安心できることを教えてやるよ。この話には、団長も深く関わっている」

 その言葉を聞いて思い浮かべたグレイセンの穏やかな風貌ふうぼうは、さざ波が立っていた心中をいくらか落ち着かせてくれた。

「おいコラちょっと待て」

 怒り肩を割り込ませてきたのはレグラスだった。

「なに勝手に話を進めてやがる。おまえが殺されるのはともかく、コイツに死なれたら俺が困るんだよ」

「ならどうする? ここまできて話を引っ込めるわけにもいかないだろ」

「それは――」

 答えに詰まるレグラスを、スルトがまあまあと引っ張っていく。

(死なれたら困る……?)

 首を傾げるコウイチに、次に声をかけたのはリゼだった。

「コウイチとあの子がどういった関係になったのか知らないけど」

 声の険しさに、コウイチを驚いて振り返る。いつもに増して冷淡に見える表情だった。

「半端な気持ちで戦いに挑んだら死ぬよ」

「それは……わかって、いるんだが」

「わかってない」

 自分でも嘘だとわかっていることを指摘され、コウイチは言葉に詰まった。

「もしそうでもしなければ殺されるっていう状況になったら、コウイチはあの子を殺せる?」

「……」

 突発的な状況ならともかく、狙ってできるかと言われたら、無理だとしか思えそうになかった。

「向こうはその気だよ」

 リゼが横目でティオを見る。つられてコウイチも視線を動かし、思わず息を呑んだ。

 紅髪の少女からは、声をかけるのをためらうほどの戦意が感じられた。

 リゼが声を落としてささやいてくる。

「もしコウイチが覚悟もできていないまま、殺されそうになったら。その時は、割り込むから」

 素っ気ないしぐさでリゼは背を向けた。

 コウイチが呆然とその背を見送っていると、またしても肩を叩かれた。

「レグラスは納得させたから、気兼ねなくしなくていいぞ」

「気安く名前を呼ぶんじゃねェ、クソが! 納得なんざしてねェだろうが」

 笑みを浮かべて親指を立てるスルトの後ろで、しかめ面のレグラスがぶつぶつとぼやいている。

「俺は何も見てねェ。見てねェぞ……」

 どういったやりとりがあったかわからないが、黙認、ということで落ち着いたらしい。

 返してもらった剣とびょう打ちの皮の胸当てを身につける。剣はともかく、胸当てを身につけるのはずいぶん久しぶりな気がした。

「準備はいいな」

 バズが声をかけてくる。ためらいながら頷くと、彼はティオに目で合図を送った。

 両手に刃付きの手甲を装備したティオが、一歩前へ出る。コウイチも背を押され、二人は人の作る輪の中で向き合った。

 戦いが始まった。


 ティオは始めから身軽さを生かして積極的に仕掛けてきた。気迫がこもっているからか、最初に戦ったときよりも速い。

 コウイチ自身も、

(……速い)

 素直にそう感心するほどだ。だが、一度戦った身としては予想の範囲内の速さだし、目で追いきれないほどでない。

 横から突き出された刃を、待ち受けていたように剣で弾いた。一気に攻め込むことなく、ティオは素早く距離を取り後ろへ回り込もうとする。

 背後だけは取られないように、コウイチも体の向きを変えた。体そのものを移動させるのと、向きだけ変えるのでは後者のほうが速い。いくらティオが素早くても、背中を攻撃されることはなかった。

 ティオが体を沈めて攻めてくる。下半身を狙った一撃。近づかれすぎてヒヤリとしたが、ティオの刃は短い。少し離れるだけで空振りさせ、もう一本の刃は冷静に叩き落とした。

 一瞬ティオの体勢が崩れたように見えたが、コウイチは攻め込まない。ティオが慌てて距離をとる。

 ひるんだ様子はない。むしろさらに戦意を駆り立てられたようで、ギラギラとした眼差しを向けてきた。

(……もったいない)

 あれだけの速さがあれば、自分程度の相手ならいくらでも翻弄ほんろうできただろうに。

 例えば、上半身を攻めると見せかけて守りを固めさせ、直前で下半身を攻めるような単純なフェイントをしかけるだけでも効果的だ。

 一直線に近づくと見せかけて回りこまれれば、それだけで簡単に背後がとられそうな気もする。

 だがティオの動きは直線的で、悪く言えば単純だった。ここに来てから知った彼女の直情的な性格そのままだ。

 戦いの最中にそう思えるだけの余裕が、今のコウイチにはあった。

 接近したティオが、両腕の刃を繰り出してきた。距離をとる隙もないほどの猛攻だが、コウイチは剣と体を最小限に動かして対処した。

 防御に限れば、そこそこの自信はある。なにより、ティオの攻撃は速さはあるが重さはないので剣が弾かれることはない。

 焦ったのか、ティオの動きが荒くなる。

 首と胴体を狙って同時に繰り出された左右からの斬撃。コウイチは体を沈めて首への一撃をかわし、胴体への一撃を剣で受け止めた。今のティオは隙だらけだが、コウイチも剣は受けるのに使っている。迷ったあと、コウイチは屈んだ体を起こすようにして肩で体当たりをした。ティオの小柄な体が跳ね飛ばされたように大きく飛ぶ。

 あまりの手応えのなさに、コウイチはティオが自分から飛んだと気づく。体当たりを見越して、というより、始めから後ろへ飛ぶつもりだったのだろう。それでもダメージは消せなかったらしく、軽くせき込んでいた。

 息を整え、再び攻め込んでくる。コウイチは反撃せず、徹底的に防御に専念した。コウイチの表情から余裕を感じたらしく、ティオが悔しそうに歯噛みをする。

 ティオが攻め、コウイチが受けきる。単調なやりとりが続くうちにさすがに攻め疲れたのか、ティオの動きにキレがなくなってきた。息も荒くなっている。

 前回はティオの大振りを弾いて、決着がついた。今回はもっとティオを疲れさせるつもりだった。

 そうすれば、怪我をさせずに勝負を終わらせることができる。それに、ティオに剣を向けること自体に抵抗があった。

 コウイチの考えていることを察したのか、ティオが怒りに目をつり上げた――その時だった。


 ◆


(かなわない……!)

 ティオは唇を噛みしめながらコウイチを見上げた。

 体が熱く、足がふらつく。疲れを見せないようにするつもりだったが、今は肩で息をするほどになっていた。

 これだけ動き回ってなお、傷を負わせることさえできない。

 手加減しているわけではなかった。

 全力でいく。最初から決めていたことだ。全力で戦って、それで負けたら――たとえ死んでも、後悔はしないと思っていた。

 だというのに。

 今のコウイチには、そこまでの意志は感じられなかった。

 防御に専念しているのはいいとしても、反撃の意志が薄いように思えた。今のコウイチから感じられるのは、戸惑いやためらい、仕方なく……といった消極的な感情だけだ。

 そんな気持ちでいる相手とさえ、まともに勝負にならない――あまりに悔しさに、つい禁忌きんきを破りたい衝動にかられた。

 このままじゃ勝てない。だがそれは、命の危機にでもさらされていない限り許されていないことだ。

 そしてコウイチからは、明確な殺意は感じられなかった。

(だけど……)

 このまま、なにもできないまま負けたくはない。

 そう思った時、

「ティオ!」

 ゴルドーの声が、その場に響いた。

「かまうこたねェ。本気・・でやれ」

 それは思いもよらない言葉だったが、同時に待ち望んでいたものでもあった。

「父ちゃん?」

「そのままで負けても、納得できねえだろ?」

 ゴルドーにニヤリと笑いかけられ、ティオは驚きの表情を引き締め、力強く頷いた。距離を取って、深く深呼吸する。

「ああぁああアアアっ!!」

 絶叫を上げながら、体の芯に力を込めた。がちり、と何かが切り替わる音が聞こえた気がした。

 次いで、ミチリ、と。それは肉が断裂し、再結合していく音だ。自分の体の中からしているとは思えない不快な音だった。

 猛烈な痛みとかゆみにおそわれ、ティオは意志とは関係なく悲鳴をあげた。

 連続して鳴り響く音とティオに声に混じって、ザワザワと細く軽いものが擦れ合う音もした。真っ赤に染まった視界。その中にある両腕が、変質していく。形を変え、紅茶色の体毛が生えてくる。変わっていく自分の姿を見たくなくて、ティオはきつく目を閉じた。

 ミチミチ、ザワリ――一際大きな音を最後に、痛みと痒みは余韻だけとなる。

「グ、ガゥ……」

 自分のものとは思えないくぐもった唸り声。ティオがゆっくりと目を開くと、そこにはすっかり変わり果てた自分の手があった。


「なんだ、ありゃ?」

 レグラスは目を見開いてそれを見ていた。

 さっきまでの赤い髪の少女の面影はどこにもない。そこにいたのは、紅茶色をした奇形の狼の姿だった。全身に体毛を生やし、口には牙を、指先には鋭い爪を生やしている。骨格などは変化していないのか、手足の長さは元のままで、手も人間のものに毛が生えたような見かけをしている。だが、全体的な見かけから連想させる生き物は狼そのものだ。

「おまえら……本当に人間か?」

 呆然と、近くにいたゴルドーにかけた

「さあな」

 ゴルドーの答えは素っ気ないものだった。

「だが、俺たちの先祖が獣人だったってことは聞いている」

「獣人?」

「人と獣が混ざったような種族だ。元からそういう種族がいたのか、人と獣が交わった生まれたのか知らないが、な」

 言葉を失うレグラスに、ゴルドーは冷めた眼差しを向けた。

「おまえは本当に知らなかったみたいだな。どこで聞きつけたのか、あのスルトって奴は知ってたみたいだが」

「……他の奴らもああ・・なのか?」

「先祖返りってのか? たまにその血は色濃く受け継いだ奴が生まれることがある。だがあそこまで血が濃いのはティオだけだ。他の奴らも似たようなところがあるが、せいぜい力が強かったり、感覚が鋭かったりする程度だ」

 言われてレグラスは、尾行していた自分が気づかれずに囲まれていた時のことを思い出した。

「そうかよ」

 短く、吐き捨てる。

「妙に甘っちろい奴らだと思ってたけどよ……いつでもどうにかできたからってことか」

「そんな便利なもんでもねえさ。この体質のせいで、俺たちは日陰暮らしだ」

 ため息とともにこぼしたゴルドーの言葉には、自分たちの力ではどうしようもできないことへの諦観がこめられていた。


 ティオは違和感をごまかすように深々と息を吐きながら、鉤爪付きの手甲を外した。見下ろしたまま手の平を閉じて、また開く。閉じるときに伸びた爪が邪魔だったが、握りしめなければ支障はない。

「ヤッパリ……ナレ、ない」

 言葉を話すのにも違和感があった。喉に引っかかるものを感じるのだ。それでも何度か発声を繰り返すうちに、元の声に近い声が出せるようになった。

「よし……コウ……行くゾ!」

 宣言しながらティオはコウイチを見すえ――体を凍りつかせた。

 コウイチの目が、恐怖に染まっていた。

 それはまるで、化け物を見るような目で。その目に映るのは、まぎれもなく変化した自分の姿だったから。


 ――俺たちは弾かれ者だ。ふつうの人間と深い関わりを持つべきじゃねえ。関わって俺たちの正体を知られれば必ず不幸になるんだ。相手も、俺たちもその両方がな。


 いつか、ゴルドーに言われた言葉が浮かぶ。

 ティオは自分が期待していたことを知った。

 自分がこの姿になっても、コウイチは平然と受け入れてくれるんじゃないかと。

 現実は違った。

 ティオの心の中にあった、ほのかな希望が弾けて消えた。

「み、見る……ナ」

 震える声は絞り出す。

 コウイチがハッとして後ずさった。

 その反応は、ひどくティオの心を傷つけた。

「う、うぅ……」

 変わった自分の姿に、嫌悪感を持っていたわけではない。

 それでも今は、誰の目にも映らない場所に隠れてしまいたい。そう思うのに、足が縛り付けられたように動かない。

 頭の中がひどく混乱して、どうすればいいのか自分でもわからなかった。

「う……あ、あぁああああああっ!!」

 鋭い爪が掌に食い込むのもかまわずに、ティオは拳を握った。

 地面を蹴って、コウイチに突進する。拳を振りかざした。

 怒りとも悲しみともつかない激情を吐き出すように、拳を振り下ろす。

 拳がコウイチの頬にめり込む――その直前、それより一瞬早く飛んできた紫色の物体が、コウイチをはね飛ばした。


 ◆


 人が、人ならざるモノへと変わっていく――

 ティオの肉体が変化していくのを見てコウイチが抱いた感情は、生理的な嫌悪感だった。

 理性では制御できない原始的な感情が、コウイチのティオを見る目を恐怖に彩らせていく。

 変化を終えたティオが声を出す。聞き慣れたものとは違う、しゃがれたような声質だ。喉をさわり頷くと、ティオは顔を上げてこちらを向いた。

「よし……コウ……行くゾ!」

 そう言った時の声は、人間の姿だった時のものにかなり近かったが、それがなおさらコウイチの動揺をあおった。その瞬間ティオが抱いた絶望に気づかないほどに。

 ティオが毛むくじゃらの手で顔を隠した。

「み、見る……ナ」

 指の間からこぼれた、絞り出すようなしゃがれ声。コウイチは本能的に後ずさり――絶望の嘆きを聞いた気がした。

 耳に響く言葉ではなく、心に直接伝わる、ティオの想い。

 異端である自分たちが受け入れられ、何事もなかったかのように今までどおり時間が流れていく未来。

 その願望が、ティオの悲しみで真っ黒に染まっていく。

 本人の意思とは関係なく、コウイチの体から黒い燐光が立ちのぼっていた。その量が増えれば増えるほど、感じられるティオから伝わる絶望は深く、現実味のあるものになってくる。それはまるで、自分のもののような錯覚をもたらした。

 区別が、つかない。いま感じているものが、ティオのものなのか、自分のものなのか。

、け……る……)

“兄さん!”

 大声で呼びかけられ、コウイチは引き戻された。

「カセ……ドラ?」

“ダメッスよ、ぼーっとしちゃ。そんなんじゃ自分が誰だかもわからなくなっちゃうッス”

 カセドラにしては珍しい心配するような声音。

 何が起こったか聞くよりも早く、直感した。

 今のは自分が“力”を使ってた、ティオの本心なのだと。

 だとしたら。

 ――あれがティオの感じていることなのだとしたら、そんなふうに思わせたのは誰だ?

(……カセドラ)

“なんスか?”

 コウイチは唾を飲んだ。ある頼みを、カセドラに伝える。

“……へ? なんでまたそんなこと……いいッスけど、全力でやっちゃってもいいんスか?”

 一瞬のためらいの後、深く頷く。

 ティオが、悲痛な叫びをあげて殴りかかってくる。

 狙ったわけではないが、ちょうどよかったと思った。

 変質したティオの目が、泣きだす直前のように濡れて光っていた。あれだけ姿が変わっても、ティオの瞳の色も、そこから読みとれる直情的な性格も変わっていない。そのことに安心した直後、視界の半分が紫色で染まった。

「ぶべらッ!」

 その瞬間、コウイチは実体化したカセドラの体当たりで突き飛ばされた。


 ティオが拳を振り切った体勢のまま、目を丸くしている。

 クラクラする頭を抱えながら、コウイチは立ち上がった。

(……痛い)

 視界がぼやける。口の中を切ったのか、舌が鉄錆てつさびた味を感じた。

 ちょうどよかったと、あらためて思った。

 今のタイミングなら、周りから見たらティオに殴り飛ばされようにしか見えなかっただろう。自分への罰としての行為だったのだが、真相がわかるのはカセドラが見えるティオだけなはずだ。

 ティオは唖然としたあと、

「オ……オマエ、なにやっテる!?」

 そう詰め寄ってきた。ちなみにカセドラはもう姿を消している。

「……なに、とは?」

「だッて……いま、いま」

「キミが、殴りかかり。僕が、避け損ねた。ただ、それだけのことだろう」

「そうじゃなくッテ! ……っ」

 ティオが慌てて口をつぐむ。カセドラのことを秘密にする約束を、こんな時にまで思い出したらしい。

「キミが。何を気にしているのか知らないが」

 律儀だなと思いつつも、コウイチはボロがでないうちにティオに言葉を投げかけた。

「僕はもう、キミが何者であっても。気にしないと決めた。だから……」

 一言一言区切るように。カセドラのことも含めて、言いたいことがちゃんと伝わるように。

「初めて会った時みたいに、遠慮せずに、かかってくればいい」

 ティオは大口をあけてぽかんとしていた。

 反応のないまま数秒、柄にもないことを言った気分になり、急に恥ずかしさがこみ上げてくる。

「あ、いや、まあ……気にしないとはいっても……少しは驚いたり、したんだが……」

「く……くははっ、はーはっはっは!」

 おどおどしたコウイチの言葉を遮るように、ゴルドーの大笑いが響いた。

 何事かといった視線が集まるなか、

「ティオ。そいつは気にしないって言ってんだ。思う存分にやっちまえ」

「! ……うンっ!」

 呆然とした顔から一転。ティオの顔に、笑みが宿ったようにコウイチには思えた。

 ティオが戦意をみなぎらせ、腰を落とす。本番はこれからだとで言いたげに。

 その姿に殺伐とした感じはない。ただ、全力で戦う――その意志だけが、込められていた。


 コウイチは思う。

 マンガでもドラマでもなんだっていい。そういった物語でいえば、自分は事件の核心からはほど遠い位置にいる端役のような存在でしかないはずだ。

 今だって、わけのわからないことばかり。それが何の因果か、いきなり事件の中心に放り込まれ、あきらかに不相応な重荷を背負わされ、やり直しのきかない状況に追い込まれた。それも、明らかに説明不足のまま。

 この期に及んでさっぱりわけがわからない――わからないが、わかっていることは一つ。

 自分がここでしくじれば、たぶん納得のいかない結末が待っているということ。

 それがわかっているからといってうまくこなせる自信があるわけではない。だが、自信がないのは今に始まったことじゃない。元の世界では、何にしても自信が持てたことなんてなかった。

 ネガティブ思考の果てにわき上がってきたのは、コウイチにしては珍しいたぐいの感情。ふつふつと沸き立つ怒りの感情だった。

 口の中の鉄さびた味を飲み下し、拳を握る。

 不相応すぎる大役に、気持ちを奮い立たせたわけではない。

 心の中で言い訳を繰り返した挙げ句、少しでも心を寄せてくれた相手を傷つけた自分に怒りを覚えただけだ。

 そもそも強くなりたいと思ったきっかけはなんだった?

 自分の無力を痛感したから――

 誰かを守りたいと思ったから――

 そう思って鍛えてきた。だが、いくら体を鍛えて剣の扱いがちょっと上手くなっても、それだけで誰かを守れるのか?

 言い訳を考えるのは止めにする――少なくとも、今だけは。

 でないと、未来を決める相手に自分を選んでティオに失礼だ。

 わけがわからない? 

 それならそれでいい。事情を聞くのは後でだってできる。

 とにかく今は。目の前のことに、全力を注ぐだけだ。


 腰を落とし、極端な前傾姿勢になったティオを見据える。

 変わったのは姿形だけではない、そう直感するものがあった。

 まずは様子身をと剣を握り直すコウイチの目前で、ティオの姿がかき消えた。少なくとも、コウイチの目にはそう映った。理由を考える間もなく、直感の命じるままに左に飛んだ。

「っ!?」

 バヒュッ、と素振りをした時のそれを何倍も大きくしたような音。コウイチの右肩を熱さが通り過ぎる。

(なにが……!?)

 衝撃でコマのように回りながら、コウイチはその場に倒れた。

 倒れる直前に見たのは、両手両足を地面に突き立て、土煙を上げながら急制動をかけるティオの姿。

 遠巻きにしていた盗賊たちが左右に分かれ、その姿は人の輪の外に出たところでようやく止まった。

 フラフラしながら立ち上がるコウイチを見て振り返ると、ティオは胸を張ってみせた。

「どうダ!」

「……」

 言葉が出てこない。

 何が起こったのか――そのことに理解が追いついてなお、いま起こったことが信じられなかった。

 ティオは、ただ突進してきただけだ。

 ただし、信じられないほどの速度で。

 唖然とするコウイチを見て、ティオはしてやったりといった表情を浮かべると、もう一度前屈みの体勢になった。慌てて横に移動するコウイチを見ながら向きを変える。

 その時、一度目の攻撃の衝撃が残っているコウイチの足がもつれた。慌てて体勢を立て直そうとしたコウイチは、ティオが一際深く息を吸うのが見えた。ティオが立っていたあたりの地面が爆ぜる。

 ドンッ、と大砲を撃ったような音を立てて、それこそ砲弾のような勢いのティオの突撃がコウイチを直撃した。

 でたらめに回転しながらコウイチの体が宙を舞う。受け身も取らず、そもそも取る余裕もないままコウイチは地面に叩きつけられた。

「カッ! ……ハッ……」

 絞り出されるように、息を吐く。全身が痛みと痺れを訴えている。だがまだ生きている。自分でも信じられない。

 だが痛い。痛いというか熱い。特に左腕が。呆然と見下ろすと、肘から先がありえない角度に曲がっていた。

「あ、ぐ――」

 悲鳴をあげかけた口を結び、慌てて目をそらした。見ていれば、今以上に痛みが増しそうだった。

(……負け、た?)

 痛みが、奮起した心をへし折ろうとする。

 腕が折れた状態で、戦えるわけがなかった。ここまでされれば、もう負けを認めたって誰も文句は言わないだろう――そんな言い訳が頭に浮かぶ。それにだ、ここまでされて続ける意味があるのか? そもそもこんなこと、やらなければ――

 発作的に、コウイチは折れた腕で地面を叩いた。

「~~っ!」

 悶絶する。歯を食いしばり、口から出そうになった情けない悲鳴をかみ殺した。

 死ぬほど痛い……死んだことはないが。

 それでも、死を連想させる怪我なら前にも負ったことがある。それなら、

(……耐えられる、はずだ)

 額を地面に押しつけて考える。言い訳や後悔を思考から排除して、現状を打破する方法を。

(言い訳は、考えるな。まだ、終わってない)

 自分に言い聞かせるように、頭の中で繰り返す。

 一つ、思い出したことがあった。ほんの些細なひらめき。合っているかどうかもわからない。

 それでもコウイチはのろのろと。痛みと熱さで休みを求める体を無視して立ち上がる。腕の痛みは麻痺しかけていたが、かえってありがたい。

 体を起こすと、自分が腕を折られたような顔をしているティオと目が合った。すでに体勢を整え、戸惑うように立ち尽くしている。どうやら待っていてくれたらしい。やっぱり律儀だなと思う。

「コウ……」

 ためらうような声が、まだやる気かと問いかけているようで、コウイチは意志を示すために右腕一本で剣を構えてみせた。

「……ま、だ……」

 それでもためらいは捨てきれないようだったが、ティオは落ち着かない様子で周りにいた盗賊たちを見る。それで何かしら思うところがあったのか、フッと息を吐いたその顔に迷いはななくなっていた。

 前傾姿勢をとり、今度はさほど間を空けずに突進してきた。

(もう一度だけでも、くらえば)

 十分に体勢はととのっていなかったが、ありがたいことに手加減しているのか、今度はその姿が見えた。コウイチは転がるように突進をさける。

「あがくナ……!」

 ティオが舌打ちをして向きを変えた。今度は本気でくる。溜めている様子を見て、その予感があった。

 ティオが深く息を吸った。

 コウイチはできる限りの力で横に跳ぶ。ティオの姿が消えた。ほとんど同時と思えるタイミングで、すぐ横を一陣の風が通り過ぎる。

 ぶあっと風圧に押されて着地に失敗し、コウイチは膝をついた。もたつきながら体を起こして振り返ると、ティオが眉をひそめて首を傾げていた。なんで避けられたのかわからない、と言いたげに。

(思った、通り)

 コウイチは自分の考えが当たっていたことを知った。

 ティオの突進は、おそろしく速い。見てかわせない、どころではなく、そもそも見えないほどに。

 ただ救いがあるのは、ティオもその速さを扱いきれていないということだった。だから大きく行き過ぎる。突進する前に向きを変えておかないと、途中で曲がることもできない。

 そして、姿が消える前の呼吸。ティオは息を深く吸っていた。そうしなければならないのか、単なるクセなのか知らないが。そこさえ見ていれば、ティオがいつしかけてくるのかタイミングがわかる。

 とはいえ、少しでも読み間違えればまたはね飛ばされることはかわらない。それに、かわしていただけでは勝てない。

 痛みと疲労と緊張で息が荒くなる。

 前傾姿勢をとったティオが、コウイチをまっすぐ見すえて深く息を吸った。

(来る……!)

 コウイチは横向きに跳ぶと同時に、自分がいたあたりを狙って剣を地面に突きだした。直後、ティオの姿が消えて右腕がもげそうなほどの衝撃におそわれた。錐揉みするように地面に倒れる。

「くあぁっ!」

 ティオの悲鳴と、派手に転がる音が聞こえた。

 左腕の感覚はなく、こちらも半ば麻痺している右腕でなんとか体を起こすと、ティオが倒れながら足を押さえていた。太股のあたりから、血が流れている。

「ぐ……コウ……ッ!」

 立ち上がる。命にかかわるほどではないが、浅くもない。少なくとも、さっきまでの動きは不可能だと思った。

 自前の爪を前に突き出すように、ティオがじりじりと距離を詰めてくる。やはり傷を負った足では、あの馬鹿げた突進はできないらしい。

 冷や汗がコウイチのこめかみから流れる。

(マズい……!)

 本当なら、今の一撃で決めるつもりだった。もう体が限界なのだ。まともに歩けるかどうかすら怪しい。

 剣を手放さなかったのは我ながら誉めてやりたいと思うが、これもまともに振れるかどうかわからない。にじりよるティオに接近戦を挑まれたら、太刀打ちできないだろう。

(どう、すれば……!)

 考えている間にも、ティオはすぐそばまで来ている。この状態では、離れながら考えをまとめることもできそうにない。

 二人の距離は、腕を伸ばせば届くほどになっていた。

「……コウ!」

 ティオが腕を振り上げ、同時に振り下ろした・・・・・・・・・

 少女の姿だった時よりも鋭く、速い一撃。刃のような五指の爪が、コウイチの体に襲いかかる。避けようとするが、間に合わない。

 ティオの爪は、コウイチに胸を深々と切り裂く……こともなくそのまま素通りした。

(っ……?)

 何が起こったかわからず、目を見張るコウイチの目前で、ティオがさっきまでの動きをなぞるように爪を振り下ろしていた。すでにその軌道上から逃れていたコウイチのは、かすりもしない。

 さらに追撃。左手の爪がまっすぐ突き出された。避ける……が、これも間に合わない。かわそうとひねったコウイチの腹をえぐるような一撃。ティオの爪が、コウイチの腹に当たり、そのまま深々とめり込んでいく。

 目を背けたくなるような光景だったが、コウイチは理解できない現象に味わっていた。

 痛みが、ない。それどころか、爪が当たっている感触も。確かにティオの爪は、自分の体の中に入っているはずなのに。

 意味がわからず注視していたコウイチは、あることに気づいた。ティオの手の下の地面が見える。透けているのだ。

「っ!」

 次の瞬間、その腕がふっと消えた。

 驚くコウイチに、ティオが攻撃をしかけてくる。左手を突き出す形で。上半身をひねっていたコウイチは、ティオの腕がさっきまで透けていた腕に重ねるように伸ばされたのを目にした。

(もしかして……)

 ちらりと自分の手を見る。予想通り、黒い燐光がにじみ出ていた。どういった理屈かわからないが、この“力”でティオの動きを先読みしていたらしい。

(どう動くかの、イメージを、読んでいる……?)

 そのイメージが、実像をもって自分の目に映っているのか。

 半信半疑でいると、半透明のティオが回り込んでから攻撃してくるのが視えた。

 試しにティオが動いた方向に剣を突き出す。実体のティオが、つんのめるように体の動きを止めた。

 しゃがんで足を狙ってくるのが視えた。

 先手をとって剣を突き出すと、しゃがみかけたティオが慌てて後ろに跳んだ。

(……視える)

 ティオがどう足を動かし、どこに移動しようとするのか。

 どの角度から、左右どちらの爪で攻撃してくるのか。

 うっすらと透けて見えるティオのイメージが、次の瞬間にティオ本人がどう動くかを教えてくれた。

 ティオの攻撃が勢いを増す。それらをことごとくかわしていくコウイチ。先読みができれば、今の体でもなんとかかわすことができる。

「チッ!」

 ティオが苛立たしげに地面を蹴って、距離をあけた。その距離のまま前傾姿勢をとる。

(まさか……)

 傷ついた足で、と疑問に思ったが、実像化したイメージはティオが突進してくることを教えていた。傷を負っているから、目にとまらないというほどではないが、今の自分にかわせるかは微妙なところだ。

 それなら――と、コウイチは地面に右膝をつけた。

 ティオが深く息を吸う。同時にコウイチは剣を逆手に持ち替え、切っ先を地面に突き刺した。斜めに倒した剣の柄頭を、まっすぐティオに向ける。さっきまで視えていたイメージの、ちょうど胸のあたりに重なるように。

 ティオの姿がかき消えた。

 衝撃とともに、バキンッ、という音が鳴って剣が半ばからへし折れた。

「っ!」

 横倒れになりながらも、かろうじて剣は手放さない。握っていた右手が、震えるほどに痺れていた。

 体を起こす。すぐ近くで、ティオが胸を押さえて苦しんでいた。コウイチが構えた剣の柄頭で、胸を打ったのだ。剣が折れるほどの勢いである。相当な痛みなはずだ。

 コウイチは時間をかけて近づくと、折れた剣を倒れるティオに突きつけた。

「……僕の、勝ちだ」


 コウイチはティオと二人で、砦の外壁にもたれるようにして座っていた。これからのことを話しているのだろうか、スルトとゴルドーは離れた場所で何かを話し合っている。

 気になるのは、なぜか誰も近づいてこないことで。それがとても不自然なことだ・・・・・・・・・・と理性は訴えていたが、深く考える余裕もなく。……それよりも、あえて二人きりにされているようで、どうも落ち着かない気分だった。

「なんで、最後に手加減した」

 手当てを受け、ようやく喋れるようになったティオが、睨みながら聞いてきた。その姿はもう人間のものに戻っている。

「手加減……?」

 気怠げに首を傾げてから、ティオの言いたいことに思い当たった。

 わざわざ剣を逆手に持ち替えた理由を聞いているのだ。柄頭ではなく、切っ先を向けて構えていれば、ティオは串刺しになっていただろう。

「……そこまで。やる、意味がない」

「なんでだ」

「それは……」

 言いたいことをうまく言葉にできずにもたついていると、ティオの目つきが険しくなってきた。

「殺すまでもなかったってことか? やっぱりオマエ、アタシをバカにしてるのか?」

「い、いや……! そういうわけではなく。キミを――」

「キミが好きだから……ッス」

「……は?」

 ティオの目が点になった。背後から聞こえてきたとんでもない言葉に、コウイチは慌てて振り返る。

 いつの間にか、カセドラが背中に隠れていた。

「ちょっ……カセドラ、何を……!」

「んー? 何がッスかー?」

「違う、今のは……これが、勝手に言ったことで……!」

 ニヤニヤ笑うカセドラをひっつかんで、慌てて弁解する。なぜか顔を真っ赤にしていたティオが、カセドラのにやけ顔を見て目をつり上げる。

「こ、この……っ!」

「そんじゃ、さよならッス」

 逃げるように、カセドラが姿を消した。

「あ、コラ!」

 怒りのぶつけどころに逃げられ、ティオが悔しそうに歯噛みしてからコウイチをぎろりと睨んでくる。

「フン! ……それで、キミを、の続きはなんだ?」

「いや、そ、それは……」

 あたふたしながらコウイチは、ようやく言葉を絞り出した。

「キミを、死なせたくなかったから、だと……思う」

 しばしの沈黙。

 ふっとティオの体から力が抜け、呆れたような顔をした。口元には笑みさえ浮かべている。

「あの状況で、そんなふうに思って戦ってたのか? そんなの死んでもおかしくなかったぞ」

「それは……まあ」

 というか、そもそもあの戦いの目的は、ティオたち盗賊を助けるためであり、それで相手を死なせてしまったら本末転倒だし……とか思ったが、口に出しては言わなかった。

 言ったことが嘘だったというわけでもないし、面倒だし、何より、もう――

「あ――」

 前触れもなく、全身の力が抜けた。そのまま横倒れになる。頬に当たっているはずの地面の感触がなぜかなかった。

(痛い……熱い……っていうか、疲れ、た……)

「コウ? コウ!」

 ティオの切迫した声を最後に、コウイチの意識は、急速に闇に包まれた。


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