2.居候先の姉妹の事情(2)
「ごめんなさい」
「いえ。その……気にしてはいないので」
しおらしく頭を下げられ、コウイチは慌てて手を振った。
「誤解するのも、無理はないかと」
深々と頭を下げる女性。アリヤの姉で、レナファというらしい。
話を聞いたところ、彼女は猟師で、今日まで森の中に入って狩りをしていたという。
そこで狩った獲物を持って村に行った時に、妹のアリヤが知らない男と一緒にいるという話を聞き、急いで戻ってきたらしい。
そこで目にしたのは、怪我をして髪を赤く染めた妹と、そのすぐそばにいる見知らぬ男。誤解しても仕方がないと思う。
「でも――」
「いえ、ですから本当に――」
「そうよ、姉さんは悪くないわ。悪いのはあたしに怪我させた奴らなんだから」
アリヤのフォローに、レナファはようやく頭を上げた。落ち着いた状況で見ると、さすがに姉妹だけあって目鼻立ちがアリヤとよく似ている。黒く見えた髪もうっすらと茶色がかっていた。
「……」
ふと思いつき、アリヤとレナファを交互に見比べる。
こうして外見だけ見ると、精神面では大人びているアリヤもいかにもお子様に見えるわけで。それに比べて姉の方はと言えば――
(……よし、正常)
不快に思われない程度にレナファのそれなりに均整のとれた体を視界に入れつつ、心の中でガッツポーズをとる。
「何がッスか……」
すかさずカセドラにツッコミを入れられ、
「……なんかおもしろくないんだけど」
アリヤに不機嫌な顔を向けられるが、それはそれ。なんでもないふうを装って、明後日のほうを見たりする。
「……へー。もしかしたら自分はロリコンなんじゃないかって疑ってたんスか」
(……)
心が読めるって、卑怯だと思う。
「アリヤ……傷のほうは、大丈夫?」
ジト目のアリヤに、レナファが声をかけた。
「大丈夫よ。そんなにひどい怪我じゃないし」
「でも……」
それでも心配そうなその様子は、さっき矢を向けてきたのと同じ少女には思えない。
姉妹ではあるが、アリヤとはまた違った気性の持ち主らしい。少し話しただけだが、あまり自分から前に出ない性格なのかもしれない。
ああ、そうそう、とアリヤが両手を打ち合わせた。
「それより姉さん。こいつ、困ってたみたいだったから拾ったの。薪割りとか水汲みとかさせてるから、姉さんも用事があったらこきつかってよ」
「拾ったって……」
絶句するレナファ。
説明に釈然としないものを感じつつも、コウイチは頭を下げた。
「コウイチ、と言います」
「あ、はい……」
少し距離を置いたように、よそよそしい反応。
……まあ、自分の知らないうちに、見知らぬ男が家で暮らしていたのだ。当然かもしれない。
(……あれ?)
というか……今の自分の立場って、血縁もないのに居座っている迷惑な居候的なポジションなのでは?
「なのでは、じゃなくて、その通りっすよ。働いてるだけマシっすかね」
(……)
ぐさぐさと遠慮のない物言いで刺してくるカセドラを手で追い払うと、レナファに不思議そうな目で見られた。
「それより姉さん、なんで手ぶらなの?」
「あ……」
しまったという顔になったレナファを、アリヤが眉をひそめて見つめる。
「もしかして……獲物を食べ物とも交換しないまま村に置いてきたとか?」
「えっと……うん」
「はあ、まったく……でも、あたしを心配して急いで戻ってきてくれたんだもんね」
「ごめん……すぐに行って交換してくるから」
「ならついでにあたしも行く。食材が残り少ないし、あたしが行った方がたくさん代えてもらえるしね」
「でも、怪我は」
「これくらいどうってことないわよ。もう血も止まったしね」
「……うん。じゃあ一緒に行こう」
(……)
えーと。
なにやら自分を置いてけぼりで話が進んでいる中、アリヤがくるりと振り向いた。
「では、僕は――」
「あんたは留守番」
あっさりと言い放ち、姉妹は手をつなぐ。
「じゃ、行きましょ」
「うん……」
バタンと、家の扉が閉められた。後にはコウイチが一人、ぽつんと残される。
(……)
まあ。
せっかくの姉妹水入らずを邪魔しても悪いし。
というか、自分が行って何をする、というわけでもないし。手伝うようなことがあったら声をかけられているはずだし。
「兄さん。ひょっとして一人だけとり残されて寂しいとか」
ギクゥッ!
「それなら一緒に行きたいとか言えばよかったじゃないッスか」
「いや、まさか。そんな。それこそ誤解と言うものであって、まさかそんな寂しがり屋の子供のようなことを考えては」
「そっスか」
最後まで聞かずに、また姿を消すカセドラ。
「……」
後には、ぽつんと立ち尽くすコウイチだけが残された。 屋内にも関わらず。ヒュルララ~と、木枯らしが吹いた気がした。
――夜。
森が近いせいか、夜行性の動物たちの遠吠えや鳴き声などが嫌でも耳に入る。
それでも静けさのほうが勝っている家の中、そこの住人達が出す音は鍋の中身が煮立つコトコトというものぐらい。
家を仕切る唯一の壁の奥では、アリヤが夕飯の支度をしていた。何度か手伝おうとしたのだが、アリヤいわく、台所が狭いので一人でやったほうがいいらしい。
必然的に、コウイチはテーブルを挟んでレナファと向かい合うことになる。
「……」
「……」
沈黙。会話もなく、ただただ時間が過ぎていく。
「……」
いや、わかってはいるのだ。ここはなんらかの話題を振って、会話を交わして親しくなっておくべきだということは。わかってはいるのだが。
(……無理)
そもそもよく知らない他人と、盛り上がることのできるような会話スキルなど持っていない。
(……と、いうか)
さっきから同じように、黙り込んだまま顔を伏せているアリヤを見る。
矢を向けられた時はじっくり見る余裕はなかったのだが、どちらかといえば……いや、はっきりと整っている顔つき。
猟師ということらしいが、軽く日に焼けた肌と少し引き締まった体以外は、普通の女の子となんら変わらない。
そんな相手と一つ屋根の下で、なぜか同じ食卓を囲っている。
(……無理)
そっち方面でも意識してしまって、アリヤの時以上に言葉が出てこない。
大人しい性格なのか、最初の出会いの引け目でも感じているのか、向こうから話題を振ってくる様子もないし。
状況によっては、静寂とはこんなに痛いものなのかと思いつつ、それとなく周囲に視線を走らせる。
こんな時に限ってカセドラは姿を現さないし。黙り込んだまま、せめて早くこの時間が終わってほしいと、切実に願っていたのだが。
「……あーもう! なんなのよ、この重たい空気は!」
食事を運んできたアリヤに怒られた。
「……アリヤ」
「姉さんは人見知りするタイプなんだから、そっちから話題とかふってあげないとダメじゃない、コウイチ」
「いや、だが」
だってそんなキャラじゃないし。
目で訴えると、アリヤががくっと肩を落とす。
「……って無理かぁ。コウイチ、そんなタイプじゃないもん」
わかっているなら、ムチャ振りはしないでほしい。
ぶつぶつ言いながら食事を並べるアリヤ。いつもと同じような、野草と豆入りのスープ、それにパン。すっかり飽きた品ぞろえだが、食べさせてもらっている身としては文句はいえない。
――コト。
「……これは」
さらに一品。大皿に盛られた品にコウイチは目を奪われた。
食べやすいサイズに切り分けられた、油のしたたる獣肉。鼻孔をくすぐる匂いに、思わず喉を鳴らす。
「姉さんが獲ってきた鹿のお肉よ。どう? おいしそうでしょ!」
まるで我がことのように、アリヤは誇らしげに胸を張った。
「ほとんど豆や野菜と交換しちゃうから、姉さんの狩りから帰ってきた時ぐらいにしか食べられないんだけどね」
「……いいのか? 僕も食べても」
「遠慮しなくてもいいわよ。あんただって働いてるんだから」
アリヤが嬉しそうに頷く。
対照的に、レナファは少しばかり冷めた視線をコウイチに向けていたが、肉に目が釘付けになっているコウイチはそれに気づかなかった。
「じゃ、食べましょ!」
その言葉が終わるや否や――コウイチは何日ぶりかの肉に、むしゃぶりついた。
夕飯後、いつもだったらすぐに寝るところだが、姉が帰ってきたのが嬉しいのか、アリヤはすぐ寝ようとは言い出さなかった。
「それで? どうだったの?」
「今回は運がよかった……かな? 雨も降らなかったし、わりとすぐに鹿の痕跡を見つけることができたから」
アリヤにせがまれて、レナファは狩りの経緯を話し始める。その様子はいかにも仲のいい姉妹の団欒といったふうで、コウイチは少しだけ距離をおいて見ていたのだが。
「コウイチも聞く!」
「いや、なぜ」
「姉さんがとってきたお肉を食べたんだから、姉さんの苦労話を聞くのは当然でしょ?」
「……」
レナファが話したがっているというよりも。アリヤが聞かせたがっているだけのような気がするのだが。
とはいえ、実際の狩猟というものがどういうものなのか興味もあったので、黙って言われるとおりにする。
最初はぼんやりと耳を傾けていたコウイチだが、ぽつぽつとした口調で話すレナファと、所々で入るアリヤの説明に次第に話に引き込まれていった。
(……なるほど)
狩猟というものは、一度森に入れば何日もかけて獲物を追うことや、一日中じっと同じ場所で身を潜めていることも珍しくないという。
獲物を見つけても、場所は遮蔽物の多い森の中。木々に邪魔されて弓矢でしとめることは難しく、ある程度近づかなればならない。
かといって野生の獣は鼻が利くので、考えなしに近づけばすぐに逃げられる。
だから、耐える。野生の獣になったように五感を研ぎすませ、チャンスを待つ。
「……すごい」
我知らず、コウイチは呟いた。
話を聞いただけだが、猟師と言うのが技術以外にも、獲物に対する相当な執着と我慢強さを必要としていることがわかる。
それでいて、レナファはきっちりと獲物をしとめてきた。つまりは彼女は、それを備えているということだ。自分と変わらない年頃の少女だというのに。
「どう? 姉さんはすごいでしょ!?」
一通り話が終わると、アリヤは興奮した口調で問いかけてきた。
「ああ。その……本当に、すごいと思う」
本心からの言葉に、アリヤが満足そうに鼻をならした。よほど姉が誇らしいのだろう。
レナファは顔を伏せていたが、その耳がほんの少し赤くなっている。
(ひょっとして……照れてる?)
追求したい衝動にかられたが、それほど親しい仲でもないのであえてそこは抑えることに。
「あの、アリヤ……そろそろ寝ないと」
「えー、いいじゃない。もうちょっとだけ」
まだ楽しい時間を終わらせたくないらしい。唇を尖らせたアリヤがくるりと振り向いた。
「コウイチ、あんたも何か聞きたいこととかないの?」
「……そういえば。いや、狩猟のことではないんだが」
ふと気になっていたことを口にする。
「さっき、肉を交換と言っていたが」
姉の話題でないからか、アリヤは急に拍子抜けした顔になった。
「言ってたけど、それが何?」
「ここでは、それが基本なのか? その、お金とかは」
「お金? ……ああ、あの丸くて小さいヤツ。使うのは行商人が来たときくらいよ。村内でのやりとりは基本的に物と物だから」
なんとまあ。
ここでは通貨での売買よりも、物々交換のほうが主流らしい。となると、ここでは村という共同体だけでほとんどの生活が成り立っているのかもしれない。
「その、村といったがどのくらいの人がいるんだ」
「二百人くらいね。ホントにちっちゃな村よ。……興味あるの? でもあんたは行かないほうがいいわ」
「……?」
アリヤはあまりいい顔をしていない。何が問題なのだろう。
「閉鎖的なのよ、うちの村は」
つまらなそうに、アリヤはぽつりと呟いた。
「かといって身内に優しいってわけでもないんだけどね。母さんが病気で死んで、父さんが事故で死んで。姉さんが猟師の父さんから狩りの仕方を教わっていなかった、私たちも役立たずだからって村八分にされていたかもね」
まあ今も似たようなものだけど、とアリヤは少女らしからぬ仕草で肩をすくめてみせた。
「ならなんで薪を」
昼間、薪をヨソの家に分けていると言った件を掘り返してみる。
「ああ、あれ? ああしてご機嫌とっとけば、煙たがれることもないし。少しだけど、食料と引き替えでもあるしね」
……なるほど。
アリヤのしたたかさというか、ご近所さんのご機嫌をとるという抜け目のなさをに感心しつつも、
コウイチは密かに違和感も覚えていた。
今に始まったことではないが、その考え方があまりにアリヤぐらいの年齢の少女らしくない気がするのだ。
(だけど……まあ、そんなものかもしれない)
両親の庇護の元、ぬるま湯に浸かるような生活が当たり前の現代っ子な自分だからこそそう思うだけで、アリヤやレナファのように両親を失い、早くに自活する必要がある環境に育てば、感情よりも打算が優先されるようになるということなのだろうか――などと一人自問しながらも、コウイチはこの時、ただ姉妹のたくましさに感心するだけだった。
ひとしきり話を終えると、まだ不満そうなアリヤをレナファがなだめて、姉妹はようやくベッドへと入った。
「姉さんが美人だからって襲うんじゃないわよ」
「……」
アリヤの忠告のげんなりしつつも、毛布にくるまり黙って目を閉じる。
最近では目をつむればすぐに寝られるようになってきた。それは住人が一人増えた今夜も変わることなく――そばにいる姉妹を意識する間もなく、コウイチはあっさりと眠りについた。
――深夜。
「……?」
ふと目を覚ましたコウイチは、違和感に気づいた。
一つのベッドを一緒に使っていた姉妹がいない。かわりに、外から話し声のようなものが聞こえた。
こんな夜中に……?
疑問に思い、体を起こしてそっと扉を押し開く。
「――しょうがないじゃない、姉さん。あいつ、ここまで来た記憶がないって言うんだから」
そう言ったのはアリヤの声だった。
「それは……そうだけど」
「そりゃあいつを家に置いとけば、村の奴らが嫌な顔するのはわかるわよ。昼間行ったときも嫌みを言われたし。けど今追い出したら、間違いなくそこらへんで倒れることになるもん」
何を……?
どうやら自分のことを話しているらしい。コウイチは外の会話に意識を集中した。
「……私はいいけど。家に残るアリヤは――」
「大丈夫よ。あたしがちょっと猫かぶってればみんな騙されてくれるもん。あたしたちを本当に嫌ってるのは村長ぐらいだし。適当にあしらってみせるわよ」
「アリヤ……」
「そんな顔しないでよ。姉さんが狩りに出てくれるおかげで、私も毎日のご飯が食べられるんだから」
「足りてるの? その……食材とか。今までも余裕があったわけじゃないのに」
「一人分増えたのは確かに痛いけど、足りなくなるってほどじゃないし。それにほら、あいつってああ見えて釣りが得意なのよ。いざとなったらそれで食料調達するから」
「……ん、わかった。けど、無理はしないでね」
「わかってるわよ。たった二人の“家族”なんだもんね」
話を終えた二人が戻ってくる。
コウイチは無言のまま扉を閉め、そっと横になって毛布に身を包んだ。