16.白日の下に(3)
「名乗り遅れたが、俺はスルトだ。よろしくな」
コウイチたちと盗賊、その双方に囲まれながら、スルトはゴルドーにこれから戦うとは思えない調子で言った。
ゴルドーは無言のまま、両手に握りしめた斧を持ち上げる。
スルトは肩をすくめて剣を抜いた。長さも形もとりたてて特徴のない、コウイチやリゼが使っているのと同じものだ。
あまりに緊張感が感じられない態度に、逆に見ている側が不安になってくる。もしスルトが負けたら――そう思うと、自然とコウイチの胸に不安がこみあげてきた。賭けられているのが、自分たちの自由だと思えばなおさらだ。
(勝てる……のだろうか?)
疑問だった。
そもそも見た目からして迫力が違う。禿頭の巨漢であるゴルドーと比較すると、スルトは平均的な体格の持ち主だ。コウイチもスルトの実力を知っているわけではないが、見た目からどちらが強いかと聞かれれば間違いなくゴルドーを選ぶ。
(……そういえば)
コウイチは内心で首を傾げた。
スルトが無茶苦茶な提案をした時、リゼやレグラスは何も言わなかった。リゼはともかく、レグラスなど真っ先に文句を言ってもおかしくないと思うだが。
横に立つレグラスの顔を見ると、不満そうな顔はしていたが、それ以外に何か感じているようには思えなかった。強いて言えば、巻き込まれた怒り、ぐらいだろうか。
「なんだよ?」
ぎろりと睨まれる。
「いえ……」
怒りの矛先を向けられた気がして、コウイチは慌てて眼をそらした。
ふん、とつまらなそうにレグラスは鼻を鳴らした。
「おおかた、あの野郎が負けた時のことを心配してんだろうが」
言い当てられ、コウイチは気まずげにうつむいた。
「なんで俺が、あの野郎に言われっぱなしだったか、わかるか?」
「……?」
言われてみれば、レグラスとスルトが揃っていた時、何度かレグラスはからかうようなことを言われていた。コウイチなどは、レグラスがいつ怒るかとハラハラしたものだが。
「気に入らないってだけで喧嘩を売るには、割に合わねェって思ったからだよ」
「それは――」
どういう意味、と続けようとした途端、バキン、と何かが割れた音が響いた。
慌てて目を向ける。視界に入ってきた絶望的な光景に、コウイチの口からうめき声がこぼれた。
スルトの剣が、半ばからへし折られていた。その前には、斧を振りきった体勢のゴルドーがたたずんでいる。
「……あん?」
間の抜けた声を漏らすレグラス。その足下に、トス、と折られた剣の切っ先が地面に突き立った。
「割に合わないって……何が?」
反対側にいたリゼに冷たい眼差しを向けられ、レグラスの口元がひきつった。
「……っとと」
後ろに跳んでスルトが折れた剣を見下ろした。
「安物じゃなかったんだけどなあ」
ぽりぽりと頭を掻く。この期に及んでなお、切迫感が感じられない。
(……?)
コウイチは違和感を覚えた。勝負が終わったように思えたのに、向かい合うゴルドーは鋭い眼差しのまま斧を構えたままだ。
「ま、それだけあんたが強いってことだな。……やりあいたくない相手だったよ、あんた」
にやりと笑い、
「……これじゃなかったら、な」
折れた剣を見せるように持ち上げ、スルトは投げ捨てた。
背中に手を回す。ゆったりとした上着の中に、腰から手を差し入れた。
「っ!?」
引き抜いた時には、スルトの手には、二本の短剣があった。短剣といっても肘から指先ほどの長さもない、かなり短めのものだ。反りもない両刃のそれを、スルトは両手に逆手持ちで構えてみせた。
「同じかよ……」
同じく二刀使いのレグラスが不機嫌そうに吐き捨てた。
ゴルドーが目つきを険しくする。
「さあて」
スルトが身をかがめる。
トン、と軽やかな跳躍音。十歩ほどあった距離が、ただの一足でなくなっていた。
「ッフン!」
ゴルドーが斧を振り下ろした。スルトの体を縦に割る一撃だ。
傍から見たらそうとしか思えない勢いだったが、スルトの血がまき散らされることはなかった。振り下ろされた斧のすぐ横に、無傷のスルトが立っていた。
「あの野郎……ギリギリでかわしやがった」
レグラスがうなるように漏らした。
振り下ろした体勢から、ゴルドーがもう一本の斧を斜め上に振り上げる。それもかがんでかわし、再び跳躍音。
気がつくと、スルトがゴルドーの背後に立っていた。
「こんなもんだ」
振り返る。同時にゴルドーの腕から血が吹き出した。太い腕に四本の赤い直線が走っていた。
「え……いつ?」
「すり抜ける時だよ。あたしには、斬撃が二回にしか見えなかったけど」
リゼが半ば呆然としたように説明をする。悔しそうにこぼした。
「あんなに強かったなんて……」
今度はゴルドーが仕掛ける。突進しながら、斧を縦横無尽を振り回す。
ゴルドーの斬撃は、一つ一つが人間を両断するほどの威力を秘めていた。一振りごとに、空気が切り裂かれる音が鳴る。
向かい合っているのが自分だったら、などという想像をしてコウイチの背筋を悪寒が駆け抜けた。
“あっさりミンチッスよね~”
(……だからっ)
なぜカセドラはそういうことを楽しげに言うのかと。
コウイチが自分だったら一撃もかわせないと思うそれを、スルトは顔色ひとつ変えず、むしろ余裕がありそうな態度でスルスルとかわしていく。
上から下への斬撃は横に一歩だけ動いてかわす。
斜めの斬撃は二歩か三歩、あるいは軽くしゃがむか上体をそらしてやりすごす。
真横への振り払うような一撃の後には、ゴルドーの横か後ろに立っているスルトの姿があった。
あまりに最低限の素早い動きでかわすので、コウイチなどは何度も殺られたと錯覚したほどだったが、スルトの体にはかすり傷一つついていない。
そして驚いたことに、スルトは防御に武器をまったく使っていなかった。すべて体さばきだけでよけているのだ。
武器を使うのは、攻撃する時だけだ。二人の立ち位置が変わったと思った時には、ゴルドーの体に傷が増え、新しく血が流れた。
あまりにも一方的な戦いに、盗賊たちはすっかり静まりかえっている。青ざめ、目をそらす者もいた。
「ぐ……」
激しい応酬の後、ゴルドーがとうとう膝をついた。満身創痍で、それまで立っていたのが不思議なほどだ。
スルトが距離をあけて問いかける。
「まだ、やるかい?」
沈黙――
そのまま終わるかと思われたが、くっくっくとゴルドーは低い笑い声を発してみせた。
「……思った通りってとこか」
「へえ……」
なぜかスルトが感心したような声をあげる。
ゴルドーが斧を杖代わりに立ち上がった。
「俺じゃ、おまえには勝てねえかもしれねえな」
「そう言うわりにはまだやる気に見えるな」
「やられっぱなしじゃあな。仲間を前に不甲斐ないところだけ見せて終わりってわけにもいかねえ」
言うと、ゴルドーが息を整え、カッと目を見開いた。
「ガッアァアアアアア!!」
獣のような咆哮が、あたりに響いた。
「なんだありゃ……?」
レグラスが、呆然とした呟く。リゼも驚きに目を見張っている。
叫び続けるゴルドーの身に変化が起こっていた。ミチミチと音を立てて胸の厚みが増し、両腕が太くなっていく。
(錯覚……?)
そう思ったが、他にも目に見えてわかりやすい変化はあった。体毛が濃くなっていく。特に太くなった腕の毛などは、まるで毛皮をかぶったようだ。
変化がおさまった時には、ゴルドーの体型はひどくバランスの悪いものになっていた。下半身と胸から下は変わらないのに、胸と腕だけが筋肉を倍増したかのように厚く、太くなっている。腕などはいくらか長くなっているようにすら思えた。
息を荒くしてゴルドーがスルトをにらみつけ、
「ガアッ!」
斧を振り下ろした。さっきまでより速い。コウイチの目にはとまらない速さだ。
どんっ。
爆音とともに、地面が割れた。局所的な地震が起こったかのような振動に、コウイチはよろめいた。
振動は一回きりだった。
スルトが斧の届かない位置に飛び退いたからだ。斧の届く距離ではない。つまりそれは、今までのように紙一重ではかわせなかったということだ。
「……おいおい」
地面にできた断裂を見て、レグラスは呆れたような声をあげる。顔がひきつっていた。
「これがあんたの本気ってことか?」
驚いた様子もなく、スルトは笑みを浮かべた。ただし、その表情からはいつもの軽薄な感じがなくなっている。
ゴルドーは返事の代わりに、両腕を交差させるように斧を構えた。その体勢のまま突進し、スルトに迫る。
間合いに入った直後、二本の斧が同時に牙をむいた。上から下へ、左右対称の軌道を描くように斜めに振り下ろされる。
さすがにこれは後ろへ避けるしかない。スルトが後ろに跳んでかわすと、ヒュボッ、というとても空振りとは思えない音がした。
斧を振り切った体勢のゴルドーに、スルトが飛び込もうとした。
ぎりっ、と歯を噛みしめて、ゴルドーが両手首を返した。今度は開いた体を折り畳むように、斧を交差させる。さっきとは逆の軌道を描いて、飛び込みかけたスルトの胸元を、斧の刃が通り過ぎた。風圧でスルトの体がわずかに浮いた。
交差させた斧の刃を返して、ゴルドーがスルトをにらみつける。追撃をかけられる前に、スルトは大きく距離をとった。
「なるほど。これじゃうかつに近づけないな」
スルトが他人事のように呟いた。
二本の斧での内から外、外から内への連撃である。
一撃の速さ、強さからして尋常ではない。さらに驚くのは、切り返しの速さだ。振り終えて腕が伸びきった直後とは思えない。あれでは大振りの後の隙を狙うことができそうになかった。
「……リゼ」
コウイチは、一瞬の攻防も見逃さないとばかりに目を見張っていたリゼに声をかけた。
「君なら……どう、あれを?」
「動き回って、隙ができるのを待つぐらいしか思いつかないかな」
彼女にしては珍しく消極的な意見だが、それほどゴルドーが強敵ということなのだろう。
「はっ」
あざ笑うような声は、レグラスだった。リゼが鋭い眼差しをむける。
「何もあんな化けモンに馬鹿正直に近づいて斬り合う必要はねェだろうが」
「それは――」
リゼが何か言いかけ、口をつぐんだ。スルトが動いたからだ。
その場で軽く跳ね始めたかと思うと、背中に両手を回す。次に手を出した時には、三本ずつ短剣が握られていた。さっきまで物よりさらに小さいそれは、投擲用のものだ。
ニッと笑うと、スルトの両腕が素早く振られる。片手で三本、合計六本の短剣が、ゴルドーめがけて放たれた。
六本すべてが同じ速度で別の場所を狙っている。斧で打ち払うにしても、片手で二本、両手で四本の短剣を打ち落とすのが限界だ。
さらに、自ら投げた短剣を追いかけるようにスルトが疾走していた。その手にはいつの間にか、斬り合いに使っていた短剣が握られている。
ゴルドーは投擲された短剣六本と、その後に続くスルトをにらみつけた。
交差させていた腕を開き、斧を振るう。けたたましい衝突音とともに、斧の軌道上にあった四本の短剣が打ち落とされた。
残りは二本の短剣。それを、こともあろうにゴルドーは受け止めていた――己の体で。
ドスと重なった音を立てて、ゴルドーの分厚い胸に短剣が突き刺さる。ゴルドーの反応は、くふっ、と軽く吐息を漏らしただけだった。手首を返し、短剣にも劣らぬ速度で迫るスルトを迎え撃つ。
スルトは笑みを浮かべたまま、走る速度をゆるめなかった。それどころか、ゴルドーの斧の間合いに入る直前、その体が地面に触れるのではと思えるほどの前傾姿勢をとる。
ゴルドーが刃の角度を深く変え、股をくぐり抜けるような低さで迫るスルトに叩きつけた。
斧がスルトの背中に振り下ろされる。その刃が、スルトの体に触れた――
破砕音と、それに続く巻き上がった土砂が、戦いを見守っていた者たちの視界を遮った。
彼らはとっさに腕や手で目を守った。悲鳴やうめき声があちこちであがった。
もうもうとした土埃が収まり、こわごわと目を開いた彼らが見たのは、背後から首と脇に短剣を突きつけているスルトと、突きつけられて立ち尽くすゴルドーの姿だった。
「あんた相手に遊んでいる余裕はなさそうだったんでね、本気を出させてもらった」
「え……何、が……?」
コウイチはその光景を唖然としながら見ていた。
実のところ、途中からさっぱり理解できていない。スルトが短剣を投げたところまでは見ていたが、その後にスルト自身が走り始めたことに気づいていなかった。だから短剣を体で受けたゴルドーが、そのあとなんで斧を振り下ろしたのかもわかっていなかった。
説明を求めるようにリゼを見ても、彼女もレグラスもなぜか複雑な顔をしている。
最後の瞬間、たしかにゴルドーの斧がスルトの体を叩き割ったように見えたのだ。いや、そこまではいかなくとも、斧がスルトの背中に接触したようには思えた。だからなぜ、スルトが無事でいるのかわからないでいた。
「わかった。……俺の負けだ」
深々と息を吐いてから、ゴルドーは斧から手を離す。
スルトも短剣を背中に収めると、平然とした様子でコウイチたちの近くまで歩いてきた。
「おい……てめえ、最後になにしやがった」
「特別なことはしていないさ。本気で走っただけで」
詰め寄るレグラスに、スルトはあっさりと応えた。
「走った……? そんなんでアレをかわしたってのか」
「本当だぞ? あとは、最後に刺さった短剣のせいで、いくらか動きが鈍くなっていたから、ってとこだな。そうじゃなかったら危なかったかもな」
ほら、と背中を向けてみせる。
ゆったりとした上着は切り裂かれ、その下の皮鎧まで裂け目が入っている。
「うおっ……なんだこりゃ?」
その皮鎧の背中側には、帯や鞘のようなものがいくつも取り付けられていた。そのうちにいくつかには短剣が収められている。どうやらここから短剣を取り出していたらしい。
「特注品なんだけどな。折られた剣といい、高くついた」
「おま……」
下手をすれば命を失っていたかもしれない戦いの後で呑気なことを言うスルトに、さすがに呆れたのかレグラスが言葉を失う。
「こんなに強かったなら、最初の襲撃の時に逃げる必要なんてなかったたんじゃないですか?」
代わりに詰め寄ったのはリゼだった。
スルトが痛いところを突かれた、といったように頭を掻く。
「あー……それはちょっと、こっちにも複雑な事情があってだな」
「どんな事情ですか」
「それは……ここで話すのは、な」
怒りをあらわにするリゼから、スルトは困ったように目をそらした。
何かが弧を描いてスルトの目の前に落ちてきた。スルトの右手が蛇のようにしなり、止まった時には短剣が二本、手中にあった。
「それで、俺たちはどうすればいい?」
手当てを受けたゴルドーが近づいてきた。ほぼ全身に巻かれた布が赤々と染めっているのだが、負けたことにこだわりはないのか表情はさばさばとしたものだった。
(あれって……死んでも、おかしくないんじゃ……)
“でもピンピンしてるッスよ”
コウイチはカセドラと一緒に首を傾げた。
短剣も深々と刺さっていた気がするが、痛みを感じているようにも見えない。
(あれ……?)
いま気づいたが、肥大化していた胸や腕は元に戻っており、あれほど濃かった体毛も薄くなっている。
(……引っ込んだんだろうか?)
そんな益体もない疑問が浮かんだ。が、それより気になったのは、盗賊たちの中には不満げな顔をした者がいることだった。
「認めないぞ!」
聞き慣れた高い声がした。
人垣を割って、紅髪の少女が前へ出る。ティオだった。いつの間にか目を覚ましていたらしい。
事情は聞いているらしく、ティオは激情で顔を真っ赤に染めている。その目は、泣きはらした後のように赤い。
「強いからって! それだけしかわからない奴の言いなりになんてなれるか!」
ティオが声を張り上げると、盗賊たちからもそうだと同調する声があがった。
「今さらかよ」
レグラスが悪態をつきながら目つきを険しくする。
さらに大きくなりかけた盗賊たちの声を、遮ったものがあった。
「やめとけ」
それは決して大きな声ではない。だがゴルドーのその声には、逆らいがたい迫力が込められていた。
「俺がこいつの馬鹿げた提案を受け入れたのはな、一目見て思ったからだ」
ゴルドーがスルトを一瞥する。スルトを見るその目には、理解できないものを見る恐れがあった。
「その気になれば、こいつはたった一人で俺たち全員を皆殺しにできるってな。……戦って確信したぜ」
「……」
盗賊たちが息を呑んで静まりかえる。
「おいおい。今はそんな物騒なことはするつもりはないぞ」
「へっ、今は、かよ」
スルトの心外そうな声に、レグラスが皮肉で混ぜっ返す。冗談のようなゴルドーの言葉だが、確信をもって嘘だと言える者はこの場にはいなかった。
「でも……だからって……」
悔しそうにティオが唇を噛む。
「お嬢ちゃんが納得できないのももっともだ」
「え?」
スルトだった。納得できない提案を持ちかけてきた本人に頷かれ、ティオは目を丸くする。
「ならお嬢ちゃん、どうすれば納得できる?」
「納得……? アタシが……」
唐突な質問に、意表をつかれたティオは驚き、うつむいて考え込んだ。
「……うん」
顔をあげ、スルトをにらみつけたかと思うと、ティオはある一点を指さした。
「アイツと――コウと戦わせろ」
(……へ?)
急に名指しされ、コウイチは驚いて自分を指さした。
「へえ」
「アイツがアタシに勝ったら、オマエの言うとおりにしてやる」
「してやる、ときたか」
おもしろそうに笑いながら、スルトは周りをぐるりと見渡した。
「あんたたちもそれでいいかい?」
反対する声は、あがらなかった。