16.白日の下に(1)
傭兵が盗賊に返り討ちにあった事実は、すぐにラストルティア中に知れ渡った。なにしろ三十人ほどの傷を負った傭兵たちが同時に運び込まれてきたのだ。
一時街は騒然となり、避難の準備をしようとする者さえいたが、すぐに騒ぎはおさまった。なにしろ被害にあったのは傭兵たちだけであり、そのほとんどが以前から評判のよくなかった者たちだからだ。
節度があり時には人助けもする盗賊と、厄介者でしかない傭兵。実際に盗賊被害にあった者以外の心情はどちらかというと盗賊寄りだった。
そして彼らが事件を他人事として考え始めたその日の夜、ラストルティアの商会の一つ、ヴェスター商会の商館の一室で、二人の男が向かい合っていた。
「どういうことだ!」
興奮のあまり顔を赤く染めた若い男が、怒鳴りながら机を叩いた。
怒鳴られているのは男より年上の落ち着いた風貌の男だ。動揺する素振りすら見せず、椅子に座って机に肘をのせ顎の前で手を組んでいる。この商館の主にして、ヴェスター商会の若き代表、リオーグである。
「なんで今日のことが俺に知らされていない? あの傭兵たちはあんたの差し金だろう!」
若い男――オーキンは、リオーグに詰め寄り睨みつけた。
「そのことについては謝罪しておきます。しかし、この街で起こるすべてのたくらみごとに私が関与しているとでも? 言っておきますが、この件に関しては私は何も知りません」
リオーグの言葉にオーキンは目を見開いた後、たかぶった気を吐き出すように深々と息をはく。
「仲間たちになんて言えばいいんだ……」
オーキンは盗賊の密偵だった。隊商がいつ、どの程度の規模で山道を通りかかるかを伝える役割を担っている。
そのため、いつもは街で宿暮らしをして、盗賊や商人たちに関する情報を集めていた。その中には、どれだけの傭兵がどの商会に雇われたという話も入っている。
盗賊たちにも死人が出たと聞いたとき、オーキンの目の前が真っ暗になった。事前に情報をつかみ、伝えられれば避けられたかもしれない事態だったからだ。
「知らなかったと正直に言えばいい。傭兵が扮する偽の隊商の情報はあなたが伝えたものではなく、あなたのお仲間が偶然狙ったものなのですから、あなたの失態ではありません。責任をとって命で償わなければならないわけではないのでしょう?」
「……っ、ダメだ。そこまで行かなくても、俺は今の役目を下ろされる」
苦しげな表情を浮かべるオーキンに、リオーグは変わらぬ微笑を向けた。
「ちょうどいいのではないですか?」
「どういうことだ」
「今回のような騒ぎが起これば、最低でもほとぼりが冷めるまでの間は、私たちもあなたを利用することはしません。あなたのお仲間も、しばらくおとなしくしているのではないでしょうか。つまり、あなたがすることはないということですよ」
そこまで考えてはいなかったらしく、言われてオーキンは呆然とした。
リオーグが声をひそめて笑いかける。
「いずれにしろ、ここまできたらあなたたちもそう長くはないでしょうね」
「……何が言いたい?」
「あのような行いが長続きすると思っていたわけではないでしょう? 今回の件がいい例です。あなたたちはそう遠くないうちに破滅する。この地から逃げだし、新たな土地で犯罪とは縁のない生活を送らない限りね。もっとも、そんなことができるかわかりませんが」
動揺にオーキンの瞳が揺れた。苦悩の表情を浮かべ、唇を噛む。
リオーグはさらに声を落とし、オーキンにささやいた。
「どうです? 今のうちに一人で逃げるというのは」
「……仲間を裏切れってのか?」
低く怒りのこもった声に、リオーグは口端をつり上げた。今までとは違う種類の笑顔に、オーキンは毒蛇の嘲笑を連想して顔をこわばらせる。
「今までも裏切っていたでしょう。私たちに都合のいい情報だけを伝え、その代価として大金をもらっていたのですから。そのお金もかなり貯まっているのではないですか?」
オーキンがゴルドーに伝えていた隊商の情報には、リオーグとそれに連なる商会のものは含まれていない。彼らの商売敵の商会か、新しく立ち上げられた商会。リオーグたちにとって都合の悪い商会の情報だけだ。
そしてそのことを知っているのは、オーキンだけだ。ましてや金をもらっていることなど話せるはずもなかった。
弱みを突かれたオーキンは苦々しく歪んだ顔を横に向けた。
リオーグは嘲笑を微笑に変え、とりなすように声をかけた。
「言っておきますが、この忠告はあなたのためを思ってのことです。今までのお付き合いしていただいた縁があるからこそ、捕まったり殺されるのは忍びないのでね」
そう語る表情と声音は誠実で、いつわりの要素などかけらもなかった。
オーキンが肩を落として出ていった部屋の中で、リオーグは数人の男たちと対峙していた。
「あとをつけ、盗賊たちの居場所を探った後に始末しなさい。一人で逃げ出すようなら放っておいてかまいません」
オーキンを案じたのと同じ表情と声音で、指示を出す。返事の代わりに頷き、男たちは姿を消した。
その後リオーグは、別室へと向かった。そこには数人の男たちが待っていた。全員がリオーグより年上の壮年か老人で、豪勢な身なりをしている。ラストルティアを代表する商会の長たちだ。
それぞれ盗賊被害が極端に少ない商会を運営している。オーキンに流した隊商の情報には、彼らの商会のものは含まれていない。
リオーグは不機嫌な彼らの視線を受けてたまま、計画が失敗に終わったこと、オーキンの後をつけてアジトを探らせていることを報告した。
「その男を締め上げればいいだけだろう。逃げ出したらどうする気だ?」
「その心配は無用です。そんな思い切った真似ができるような男ではありませんのでね。無理やりでは時間も手間もかかりますし、下手をすれば自害される恐れもあります」
「……まあよかろう。だが失敗に終わったときには責任をとってもらうぞ」
「承知しております」
「おお。それなら、盗賊どものアジトの居場所が判明した表向きの理由は、捕らえた盗賊から聞き出したということにしてはどうでしょう。その後、その盗賊は怪我が元で死んでしまったということにすればいいのでは」
「それはいい。なら、盗賊を一人捕らえたという噂を流さなければな」
「それはともかく、盗賊どもを皆殺しにする算段はついているのだろうな? 一人取り逃がしただけでも大事だぞ」
「新しく傭兵を集めているところです。皆様の私兵を貸していただけるなら、それが上策なのですが……」
「それはできん。我々の関与を疑われてはならんからな。次のこともある」
「そうだ。今の盗賊たちの代わりは目星がついているのか?」
「調整中です。効率がいいのは、口の固いまとめ役を用意してその者に人を集めさせる方法なのですが」
「今の盗賊たちでは確実性に欠けるからな。狙われる隊商の偏り具合も不自然に思われてきたところだ。我々の思うままに動かせる盗賊の居場所を用意するにも、何も知らない盗賊どもには消えてもらわねばならん」
「少し喋りすぎだ。どこに耳があるかわからんのだぞ」
リオーグの対面に座る、商人たちの中では長老にあたる男の発言で、騒然としかけた場は静まりかえった。男はリオーグに頷きかける。リオーグも頷いて口を開いた。
「さきほど言ったように傭兵を集めているところですが、集まりは想定よりもはかばかしくないのが現状です」
「なぜだ? 報酬は上乗せしたのだろう」
「ギルドには通せない依頼内容ということもありますが……奇襲に失敗した傭兵たちが盗賊を異様に恐れていることが伝わっているようです。彼らが言うには、盗賊たちが尋常ではなかったと」
「くだらん言い訳だな。失敗した理由を自分たちの無能以外に押しつけたいだけだろう」
「それを理由に依頼料をつり上げてくる者もいますが」
「それを上手く交渉するのが君の役目でもある。とにかく、早急に片づけなくてはならん」
男のその言葉で、その場は解散となった。
商人たちを見送り、一人になったリオーグは決して他人には見せない笑みを浮かべた。
冷笑――それは彼がいつも、心の中で浮かべている笑みだ。
(無能なのは、あなたがたでしょうに。……いや、あの密偵もそうですね)
出会った頃は仲間のことを第一に考える男だったが、金を渡して飼い慣らし、さんざん贅沢を教えてやった結果があれだ。少し前までは民衆にもてはやされる義賊もどきだったかもしれないが、今ではただの金に溺れた俗人だ。金が貯まっているとは言ったが、そのほとんどを浪費していたことも知っていた。
「そうなる過程を見るのは楽しかったのですが……この町も、今の身分もそろそろ飽きてきましたね」
金が集まり、流れ、それに翻弄され人生を踏み外す人間たちの姿も見飽きてきたところだ。
潮時という言葉が頭をよぎる。
今の立場に未練があるわけでなし、いろいろと嗅ぎ回っている輩もいる。
(なにより……十分、楽しめましたからね)
早朝、いつも体を洗っているのに使う小川の近くにティオはいた。石に腰掛けて、川の流れをたいして興味のなさそうな眼差しで見ている。 傍から見れば、置いてけぼりにされた子供のような雰囲気を漂わせていた。
ゴルドーたちがいつものように隊商を襲撃しに出かけた昨日、ティオは、コウイチたちのこともあって居残りを命じられていた。
不満を覚えたが、少し文句を言っただけでティオは言われたとおりにした。少し前なら猛然と食ってかかったはずだ。娘の意外な反応に、ゴルドーは複雑そうな顔をした。
そして、いつも通り出かけていった仲間たちが帰ってきた。
血まみれの姿で。大小いくつもの怪我を負って。信じられない思いで見つめるティオの前で、彼らは痛みに顔を歪めながら重傷者の治療をし始めた。
「ティオ」
声をかけてきたのは、滅多にない険しい顔をしたゴルドーだった。彼自身に目立った傷はなさそうだが、その顔も、服も返り血で染まっている。
「父ちゃん! いったい、何が……」
「はめられた」
短くゴルドーは答えた。
「はめられたって……」
「襲ったのが傭兵どもの仕組んだ偽モノの隊商だったんだよ。奴ら、待ってましたってな感じで反撃してきやがった。クソッ」
「で、でも……みんな、怪我だけで済んだんだろ?」
「キルバとガスートが死んだ。死んじまった」
「そんな!」
悲鳴を上げるティオの肩をつかみ、ゴルドーは顔を寄せた。
「それだけじゃねェ。ティオ、よく聞け。近いうちに、ここを捨てるぞ」
ティオは口を半開きにした。言っていることをすぐに理解できなかったからだ。
「な、なんで……。だって、まだここが見つかったわけじゃないのに」
「そういう問題じゃねェんだ。見られちまったからな」
何を、とは言わない。だがその言葉の秘められた意味を、ティオははき違えなかった。
「で、でも……」
「悪いな。だがこればっかりは前から決めてたことだ」
いきなりの話に混乱するティオを、ゴルドーは哀れみの目で見た。
「言ったはずだぜ、俺たちはそういうふうにしか生きられないんだってな。……手当てを手伝ってやってくれ」
背を向けたゴルドーの言葉は、厳しく揺るぎない。
岩狼を退治した直後のことだ。
ティオは、ゴルドーに諭されていた。
――俺たちは弾かれ者だ。ふつうの人間と深い関わりを持つべきじゃねえ。関わって俺たちの正体を知られれば必ず不幸になるんだ。相手も、俺たちもその両方がな。
何度も聞かされた話だった。ティオには実感のともなわない話だ。またかと、うんざりしたような顔をするティオに、ゴルドーは初めて聞く話をしてみせた。
――俺たちがここに住処を移したのだって、原因はそれだ。もっと前にはまともな暮らしをしていた時だってある。だがそれはほんのささいな出来事で終わっちまった。おまえがまだ生まれてないころのことだな。
驚いたが、納得はできなかった。前はそうだったかもしれない。その前も。だけど今度だってうまくいかないと決まったわけじゃない。
――納得できないって顔だな。ま、いいさ。いつかわかる時がくる。そんな時は、こないほうがいいんだけどよ。
大人たちは、夜通し深刻な顔で話し合いをしていた。
ここから離れるかどうか、ではなく、これからどこへ向かうかの議論だった。この場所を捨てることを反対する者はいなかった。
あまり眠れずに朝を迎えたが、話し合いはまだ続いていた。だが話し合いに加わる気にもなれず、場から離れたティオを呼び止める者もいなかった。
一人になりたかったので、小川に向かった。
いまだに納得はできていない。だが、仲間が死んだと聞かされれば強く反対する気にはなれなかった。もしまだここにいることになれば、さらに死人がでるかもしれないと思ったからだ。
納得はできないが、反対することもできない。わき上がるのは苛立ちではなく、陰鬱とした感情だ。
少し前なら、こんなに感情は抱かなかったと思う。住み慣れた山を、土地を出ていくのは寂しいが、仲間たちも一緒だ。抱く不満はささやかなもので、嫌な顔をしても反対はしなかっただろう。
今は違う。ここを捨てることになったら、別れることになる相手がいる。
ティオはその青年のことを思い浮かべる。
元々、いつかは別れなければならなかった。そうとはわかっていても、予想より早く訪れそうな別れにチクリと胸を刺されたような気がした。
「……ティオ」
呼ばれた声に、ティオは驚いて顔を上げた。顔が一瞬で赤く染まる。直後に眉をひそめた。
そこにいたのは、予想とは違った人物だった。
「オーキン?」