15.餓狼と群狼(3)
アイーシャから事情を聞いたルークはその後、リゼをある場所へ案内すると言った。アイーシャは自分もついていこうとしたが、ルークにおまえが来るような場所ではないと諭され、残念そうにあきらめた。
なのでその場所に向かう前に、リゼとルークはアイーシャを教会に送ることになった。
その間、リゼはルークのことをアイーシャに聞いてみた。
それによるとルークとは同じ孤児院の出身だという。アイーシャが先に今の養父母に引き取られ、数年後に傭兵になったルークと再会したらしい。
リゼだけに聞こえるほどの小声で話した後、アイーシャは前を歩くルークに信頼しきった目を向けてみせた。
「昔っからルークは頼りになりますからぁ。何かいい考えを出してくれるかもしれませんよぉ?」
アイーシャが元は孤児だったということにリゼは驚いたが、そのアイーシャは心の底からルークを信じているようだった。
別れ際、
「ところでぇ……コウイチさんから何かいただきませんでしたか?」
などと聞かれたが、リゼにはなんのことかわからない。
首を横に振ると、アイーシャは不思議そうな顔をした。リゼは意味がわからず首を傾げたが、教会前でアイーシャに別れを告げると彼女と別れた。
二人きりになり、会話もなく前をいくルークにリゼはついていく。
アイーシャは信頼しているようだが、初対面のルークをどこまで信じていいのかリゼにはわからないままだ。
不信感を抱くリゼに気づいたのか、ルークは急に立ち止まり、
「おまえに手を貸すのはアイーシャの頼みだからだ。気に入らないのなら、ついてこなくてもいい」
そう無表情で言い放った。
たしかに助けてもらう相手に向けていい感情ではなかったかもしれない。
他に頼る当てもなく、素直にあやまったリゼを見下ろすと、ルークは無言で歩みを再開した。
連れていかれたのは路地の奥まった場所にある酒場だった。商売になるのかと思うような場所にあったが、中は人であふれかえっていた。
それも、ただの酔客ではない。見た目や雰囲気から、彼らが傭兵なのだと知れた。
店内はどんなに鈍い者でもわかるような物騒な雰囲気で満ちている。
ルークは入り口近くの壁にもたれた。その横に同じようにリゼも立つ。席が空いていなかったからだが、そうでなくてもここに腰を落ち着けようとは思わない。
「彼らは?」
「盗賊どもに出し抜かれて仕事にあぶれた傭兵たちだ」
新たな来客、しかも一人は女ということで、二人は視線を集めている。彼らに聞こえないように二人は小さく声を交わした。
その話によると、彼らは護衛の依頼で盗賊に襲われて荷を奪われ、信用をなくした傭兵たちだという。
「なんでこんなところに……」
どういうことか、と聞くまでもなく。
息まいている傭兵たちの会話の断片をつなぎ合わせるだけで、答えはわかった。
彼らは、盗賊をはめるつもりなのだ。
さらに耳を傾けると、傭兵たちが隊商に偽装して盗賊をおびき寄せる作戦を立てていることがわかった。
(そういうことか)
ルークが自分をここに連れてきた理由がリゼにはわかった。この作戦に参加しろということなのだ。うまくいけば、コウイチたちを助けることにつながるかもしれない。
(だけど――)
「狙い通りにいったとして……彼らは盗賊たちをどうするつもりなのかな?」
「……」
無言だった。答えるまでもないということらしい。
集まっている傭兵たちの表情を見るだけで、彼らが盗賊に抱く深い憎しみが伝わってくる。
今からでもうまくいった時のことを想像しているのか、酒を飲みながら盗賊たちに行う仕打ちについて語っていた。
いわく、四肢を切り落として口に詰める。
内臓を引きずり出してそれで首を絞める。
体をしばりつけて生きたまま火にかける。
「……」
思わず耳を塞ぎたくなるような、そしてお互いの残虐さを競いあうような内容にリゼは閉口した。
しかもそれを嬉々として話していることが理解できない。
欲望を剥き出しにして、他者を痛めつけようとするその様子を見るうちに、
――血に飢えた、餓狼の集団。
そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
「悪いけど、ここでの話は聞かなかったことにさせてもらうよ」
盗賊たちの身を心配したわけではない。
一時でも彼らと肩を並べたくはなかった。
「そうか」
意外にも、ルークはあっさりと頷いた。どちらでもよかったのだろう。立ち去ろうとするリゼに、
「盗賊の密偵がこの街に紛れ込んでいる可能性がある。ここで見聞きしたことは口にするな」
密偵、という言葉に多少驚きはしたものの、元から人に話すつもりなどない。
「わかってる」
短く答え、外に出た。こもっている陰鬱とした空気から解放された気がして、リゼは深々と息を吐いた。
同時に違和感を覚えた。ルークにだ。彼だけは、ここにいた傭兵たちと違うように思えた。欲望をむき出しにするのではなく、復讐心にとりつかれるでもない。淡々とやるべきことをやっているだけのような、そんな印象を受けた。
(……気にしている場合じゃないかな)
ルークへの違和感は振り払い、リゼはこれからのことを考える。
傭兵たちの思惑につき合う気はないが、利用はさせてもらうつもりだった。
この話をスルトに伝えようとしたが、それから数日、スルトが泊まっている宿に帰ってくることはなかった。
そしてスルトと話す機会もなく、その日はおとずれた。
ある隊商が街を出ていくのを、リゼは隠れて見ていた。全員が門から出ると、リゼも距離をおいて後をつけ始める。
街道を歩く隊商――彼らは商人に見せかけているが、傭兵だった。バレないようにするためだろうか。何人か本物も混じっているようだが、あの酒場で見かけた顔が何人もいることにリゼは気づいていた。
なぜリゼが彼らをつけているのか。それは、盗賊たちのアジトを突き止めるためである。
傭兵たちの作戦がうまくいくかどうかはわからない。だが自分たちが罠にはめられたことに気づけば、盗賊たちは引き上げようとするだろう。姿を隠してこっそり後をつけるつもりだった。
目の前で繰り広げられるかもしれない惨劇を見逃して――わき上がる自己嫌悪を抑えつけ、歩き続ける。
街道から少し外れた場所を歩きながら、リゼは観察し、疑問を覚えた。
一見ふつうの隊商に見える。馬車の横を歩く商人やその徒弟。手綱を握る御者。その周りを囲む護衛の傭兵。
不要の警戒を抱かせないためだろうか、護衛の数は多すぎず、少なすぎない。商人に変装した傭兵も、見た目ではそれとわかりにくいような者を選んでいるようだった。
そして、二頭立ての馬車が四台。その中にはおそらく、積み荷の代わりに武装した傭兵たちがひそんでいるはずだ。でなければ不意をつくにしても、見えている傭兵の数では盗賊たちに対抗できない。
だが、あれだけの準備をどうやって整えたのだろう。
特に馬車だ。自前でそろえるにしても金がかかるし、仕事にあぶれた傭兵に用意できるものだろうか。
リゼが考えているうちに、一行は見晴らしのいい場所へと来ていた。山道を登っているところなので、後をつける身としてはやりづらい。隠れるところも少なく、仕方なくリゼは傭兵たちから離れることにした。一本道なので、最低でも見失うことはない。
一人で歩きながら、
(長くなるかもしれないかな)
と思った。
盗賊が必ずあの一行を襲うとは限らない。見逃す可能性だってある。もちろん傭兵たちもそれは覚悟しているだろうから、何往復もするつもりだろうが。
覚悟を決めたところで、前方の異変に気づいた。
雄叫びと怒号。大勢が走る音。さらには鉄や鋼がぶつかり合う音に続き、驚愕と悲鳴、複数の絶叫が聞こえてきた。
「まさか――」
(もう襲われてる!?)
驚きはしたものの、体はすぐに動き始めていた。山道へ出ることなく、全力で走り始める。
少し下ったところで起こっているのか、何が起こっているのかまだ視界には入ってこない。だが戦いが繰り広げられているのは確かだった。
用心し過ぎて、距離をとりすぎたかもしれない――
戦いの音を耳にしながら、リゼは舌打ちした気持ちを抑え込んだ。
それでも、そう離れているわけではない。急いで駆けつければ、十分間に合うはずだった。
だが、もう少しというところで音がぱたりと止んだ。嫌な予感に襲われたリゼは、姿を見られるのを覚悟して山道へ出た。
そして、言葉を失った。
「……!」
駆けつけたリゼが見たのは、血を流して倒れ伏す三十人ほどの傭兵たちの姿だった。
慌てて周囲を見渡すと、木々の切れ目から離れていく盗賊たちが見えた。
(まさか、もう?)
返り討ちにされたのだろうが、いくらなんでも、早すぎる。
戦慄し、その場に立ち尽くしたのは一瞬、盗賊たちを追うべくリゼは走り始めた。
その足を誰かに掴まれた。
「なっ!?」
驚いて見下ろすと、倒れた傭兵の一人だった。
意識が朦朧としているのか、瞳の焦点が合っていない。足を掴んだのも反射的なものだろう。
急いで振り払おうとしたリゼは、傭兵の様子がおかしいことに気づいた。
怪我は大したことはない。見たところ足を切っているだけで、命にかかわるようなものでもなさそうだった。
だがその傭兵の顔は、得体の知れない化け物を見たときのような驚愕と恐怖で彩られていた。歯を打ち鳴らし、顔色を真っ青にしてぶつぶつと何かを呟いている。
気になったリゼは、傭兵の口元に耳を寄せた。
「うまくいった……。うまくいったはずだったんだ」
「なにを――」
「何人かしとめた。あと一押しでケリがついたのに。なのに……なのに!」
突然大声をあげた傭兵に、リゼは思わず目を向けた。傭兵と目が合う。
強ばった表情のまま、傭兵は気絶した。
盗賊たちがいた方向を見ると、もうその姿は見えなくなっていた。
それを残念に思う余裕は、今のリゼにはない。
傭兵の震える唇が最後にもらした言葉が、リゼの頭の中で何度も再生されていた。
『――あいつら……人間、じゃねェ』
リゼが傭兵から話を聞いていたその時、その場から離れる人影があった。腕の傷を押さえ、苦しげな表情を浮かべながら走っている。
ルークだ。
「ぐ……」
傷が痛むのか、額にはびっしりと汗を浮かべている。手当ても雑で、ただ布を巻いているだけだ。血止め以上の効果はなく、すでにその布も赤々と染まっていた。
それでも走る速度を落とすことはない。
「早く……早く伝えなければ……」
ぶつぶつと呟くその様子は、不気味でもあった。
「封ずべきモノがこの地にあると……早く……早く!」
虚ろに呟くその口調とは裏腹に、その目は強い使命感を帯びていた。人によっては狂的に思えるほどの輝きを放ちながら。
傭兵たちの手当てをしたリゼが、足取りも重く宿屋に帰ったのはすでに夜になってからだった。
重傷な者もいたが、幸い街からの救援は早く、運がよければ死者は少なくてすむかもしれない、とのことだった。
少なくてすむ――何人かはリゼが見たときにはすでに死んでいたのだ。人を殺すのを忌避しているのではと言われていた、盗賊たちの手で。
盗賊と思われる死体は、一体もなかった。おそらく、連れ帰ったのだろう。
宿の一階にある食堂では、スルトが椅子に座ってリゼを待っていた。
「よっ、お疲れさん……と、本当に疲れているみたいだな」
いつもと変わらない軽薄な態度に、今ほど苛立ちを覚えたことはない。
今までどこに行っていたのかと詰め寄ろうとするリゼを押しとどめ、スルトはこともなげに言った。
「明日、行きたいところがある。つき合ってもらうぞ」
「今さら、どこへ行くんですか?」
怒りを押し殺したような態度は、長くは続かなかった。
「コウイチたちに会いに。それと、話したい奴らもいるからな」
絶句するリゼに、スルトはいたずらっ子のような笑みを浮かべてみせた。