15.餓狼と群狼(2)
昼のラストルティア――
多くの人々が行き交う目抜き通りを、一人の少女が歩いていた。
肩のあたりで切りそろえられた浅黄色の髪と、無駄な肉のないすらりとした体つき。軽やかな身のこなしで他の通行人にぶつかることなく道を歩いている。
その外見や無駄のない動きに目を奪われた者は、まず少女が腰に下げた剣に驚き、好奇か非難の眼差しを向けた。
それらの視線に気をとられることなく、少女はただ前を向いて足を進めている。彼女には、やらなければならないことがあった。
名前を、リゼという。
コウイチたちが盗賊に連れ去られてすでに十日以上が過ぎている。もう手遅れかもしれない――考えないようにしていても、やはりどうしてもその可能性が脳裏をよぎった。
付き合いはそれほど長いわけではないが、リゼにとっては同時期に従士に取り立てられた同僚で、仲間だ。父親のバーナルに言われて剣を教えた弟子でもある。
またそういった立場を別にしても、一人の人間としても嫌いではなかった。お人好し過ぎるきらいはあるし、恵まれた環境で育ったのか危機感も薄い。それでも努力家なのは間違いないし、その義理堅さや真面目さも認めていた。
それだけに、彼が連れ去られた時、気を失って何もできなかったという自分にふがいなさを感じずにはいられない。
日々募る焦燥感と自責の念が、なんとかコウイチを助け出したいというリゼの思いを駆り立てていた。
コウイチが一人で盗賊たちから逃げ出せるとはとうてい思えない。
一緒に捕まっているはずのレグラスに関してはさほど心配していなかった。あまり信用できる相手ではないが、いざとなれば一人でどうにかするだろうと思っているからだ。捕まったのが不思議なほどだ。
また、一緒にコウイチを助け出すべく動いている騎士のスルトにもリゼは不信感を抱き始めていた。
リゼと同じでコウイチたちを助けるために動いているはずだが、具体的に何をしているのか話そうとしない。それどころかここ数日はスルトとは、ほとんど顔を合わせていない。
当てにしないで、一人でなんとかするしかない――
それがスルトを見切ったリゼの出した結論だった。
とはいえ、まず居場所がわからなければ助けようがない。
なんとか盗賊の根城の場所を知ろうと手がかりを集めているのだが、今まで来たことがなく、馴染みのない街での話だ。
酒場などで傭兵や商人相手に聞き込みをするしかなく、彼らの多くは仲間が捕まっているというリゼの境遇に同情はしても、その居場所に関しては首を横に振るだけだった。
そもそも盗賊たちの根城が特定されているなら、すでに盗賊騒ぎは解決していたはずである。それを知っていながらも、リゼはほんのわずかな可能性を信じるしかなかった。
情報収集はははかどらず、日々焦りだけが募っていく。
リゼは目抜き通りから曲がって細い路地へと入った。少し歩いただけで人の姿がなくなり、途端に荒廃した景観へと変わる。
ラストルティアを歩き回ってわかったことだが、この街はあまり治安はよくないようだった。その原因は、やはり傭兵の多さだ。彼らのすべてがそうだというわけではないが、やはり中にはならず者と変わらない者もいる。傭兵がらみの事件は後を絶たず、路地裏に入った街の住人が、流れ者の傭兵に恐喝や暴行をうけるといった事件も起きているらしい。
とはいえリゼも情報収集のため、そうした場所に行かなければならないこともある。
無用なトラブルは起こさないように気をつけてはいるが、それだけではどうにもならないこともあった。
「盗賊どもに襲われた場所を教えろって? んなこと知ってどうする気だ?」
前日に聞き出した、裏通りにある傭兵たちが集まるという酒場に行ったリゼ。最近では隊商の襲撃場所から盗賊たちのアジトを割り出せないかと探っているのだが、調査はまるではかどっていなかった。自分の失態を話すことが嫌なのか、口をつぐむ者も多い。
多少気落ちしながら路地から目抜き通りに戻ろうとしたところで、リゼは一人の男に道を塞がれた。
「おっと。ここは行き止まりだぜ」
げびた笑みを浮かべながら、男は言い放つ。無理やり通ろうとすれば、言いがかりをつけてくるだろう。溜め息をついてリゼが引き返そうとすると、さっきまで通ってきた道に二人の男が立ちはだかっていた。
「……?」
眉をひそめてリゼが男たちを見つめる。明らかに標的にされていた。
「よお、お嬢ちゃん。探し回ったぜ」
(……誰?)
どこかで見た覚えはあるのだが、はっきりと思い出せない。リゼが怪訝そうにしていることに気づいたらしく、男の一人が憤慨したように自分の首を指さした。そこには二本の線が並んでいる。
「これを見て思い出せないとは言わさねぇぜ」
特徴的なその傷痕には覚えがあった。傭兵ギルドに入るのを妨害して、レグラスに気絶させられたあの傭兵である。
「何か用かな?」
うんざりした気分を隠そうともしないリゼに、男の表情が怒りに染まったが、すぐに小馬鹿にしたようなそれへと変わる。
「あのヤロウ、殺されちまったんだってな。ケッ、いい気味だ」
「殺された?」
ビクリとリゼの肩が震える。そんな話は聞いていない。
「盗賊にとっつかまったんだろうが。今頃はとっくに腐っているだろうよ」
(……なんだ)
どうやら男の勝手な推測だったらしい。
嘲るような物言いに安堵しながらも、リゼは苛立ちを覚えた。
男はレグラスのことを言っているのだろうが、まるでコウイチのことを言われているようで、耳障りだった。
「いい加減にしてくれないかな?」
「あ?」
「それ以上くだらないことを言うつもりなら、何も話せなくするよ?」
嘲るような表情を消して傭兵たちは沈黙する。何を言われたのかわからないといったような表情が、見る見るうちに真っ赤に染まっていった。
「このっ……」
「仲間もいないってのに言いやがるじゃねぇか!」
「殺してくれって思うくらいいたぶってやるぜ……!」
いきり立つ男たちに、リゼは深々と溜め息をついた。
こんなことをしている場合ではないが、どう言ったところで言葉で引き下がるような連中ではなさそうだ。それにリゼが大人しくしていても、元々こうするつもりだったのだろう。
リゼの反応が気に障ったのか、首に傷痕の残る男が雄叫びをあげながらつかみかかってくる。
リゼはとっさにしゃがみこみ、無防備な足下に足払いを放った。
「うおっ!」
大して威力のない牽制の一撃だが、油断していた男はバランスを崩して膝をつく。
地面に手を突いて立ち上がろうとする男が顔を上げて見たのは、自分に頭に迫ってくるリゼの鋭い回し蹴りだった。
こめかみに蹴りをくらった男が目を裏返して崩れ落ちる。その体を飛び越えて、リゼは目抜き通りへと飛び出た。呼吸を整えてから振り返る。
小娘と侮っていた相手に仲間をやられた傭兵たちは、驚愕の表情で倒れた男とリゼを交互に見ていた。
素手での戦い方も、リゼはバーナルに仕込まれている。並の使い手には遅れは取らない程度の実力はあった。
このまま背を向けて立ち去ろうとしていたリゼは、思わず目を見開いた。
表情からさっきまでの余裕を消し、傭兵たちが剣を抜く。ずらりとした音とともに抜き放たれたのは、それなりに使い込まれているように見える真剣だ。
傭兵たちは目抜き通りに出てリゼを挟むように移動する。
「……本気?」
ここは街中で、しかも人の多い目抜き通りだ。騒ぎを起こせばすぐに兵士が駆けつけてくる。今も通行人が抜き身の剣を持つ傭兵たちを見て悲鳴を上げていた。
兵士が出てくるような事態に巻き込まれるようのは、リゼにとっても都合が悪い。
(あまり時間はかけられないかな……)
相手の表情からこれが脅しでないことを感じ取り、リゼも剣を抜いた。さすがに武器持ち二人相手に素手では分が悪い。
緊迫した空気が張りつめる中、二人の傭兵がじりじりと間合いを詰めてくる。その目が一際強く殺意を帯びた。
気合いの声を発しながら、両側から傭兵たちが斬りかかってくる。そのタイミングを読んでいたかのように、リゼも全く同時に後ろへと飛んだ。
攻撃を見てから避けたのでは間に合わない攻撃だったが、リゼの素早い動きに二本の剣は空を切る。
傭兵たちは驚きながらも、素早くリゼへ向き直ろうとする。
その直前、構えなおした傭兵たちの間にリゼは飛び込んだ。同士討ちを恐れて傭兵たちの動きが止まる。
男たちには近すぎる距離でも、リゼの身長ならちょうどいい間合いだ。一人の胸めがけて、剣を横薙ぎにした。体に届く直前、傭兵が引き戻した剣がリゼの剣を受け止める。甲高い音が鳴り響き、刃が噛み合った。
傭兵が歯を食いしばり剣を握る腕に力をこめた。ぐぐぐ、と強い力で剣が押し戻される。
「力比べをする気はないよ」
ぼそりと呟いてからリゼは絡み合った剣をあっさりと外した。傭兵の腕を掴み、その体を軸に反対側に回り込んだ。もう一人の傭兵に対して、腕を掴んだ傭兵を盾にする位置に立った。振り回される形で傭兵が体勢を崩した。
慌てて重心を戻そうとする傭兵の動きに、リゼはあえて乗った。上体を戻す男を、それほど強くない力で押す。それで腕を掴まれたままの傭兵は、今度は大きく仰け反る形になった。踏み込み、ほとんど体が密着するほど距離を詰める。目を白黒させる傭兵の頭めがけて、リゼは剣を振った。
「……はっ!」
ガッ、と鈍い音を立てて傭兵の頭にめり込んだのは、剣の柄頭の部分だった。まともに剣を振れない至近距離でも、これなら問題はない。
大きく痙攣したあと、糸が切れた操り人形のように傭兵は倒れる。
残った一人が、焦りの表情を浮かべた。
リゼは一気に距離を詰め、畳みかけるような連撃を浴びせる。浮足立ち受けに回っていた傭兵だが、受ける度に剣が弾かれた。五回目の斬撃で、手から弾き飛ばされる。
「まだやる?」
問いかけに、顔面蒼白になった傭兵は首を横に振った。リゼはゆっくりと剣を下げる。
「行きなよ。……次は、容赦しないけど」
慌てて傭兵は首に傷痕の残る傭兵を揺り起こし、まだ気を失ったままの傭兵を担いでその場を逃げるように去っていった。
拍手と歓声が巻き起こる。驚いたリゼが見渡すと、周囲には大勢の野次馬がいた。喝采を浴びてリゼは複雑そうな表情をする。
感じているのは、照れや焦りなどではない。終わるまで彼らに気づかなかったことに、自分の未熟さを痛感しただけだ。
ともかく、この場にいては面倒になりそうだった。
興奮混じり質問してくる野次馬をかき分け、その場から離れようとした。
足を止めたのは、聞き覚えのある声を耳にしたからだ。
「あれぇ……ひょっとして、リゼさんですか?」
野次馬の中でもよく目立つ、白の法衣をまとった糸目の女性がそこにいた。
リゼはその女性と一度だけ会ったことがある。
名前はアイーシャといったはずだ。
法衣姿なのは、彼女がクレイファレルの聖封教会で働いている神官だからである。以前のとある事件に巻き込まれたせいでしばらく姿を隠していたが、その後は教会で働き始めたはずだが――
(なんで彼女がここに?)
驚きはしたが、ここにとどまって話をするわけにもいかない。リゼはアイーシャを連れてその場を離れ、人目のつかなさそうな路地へと入った。
「アイーシャさん、だよね。なんでラストルティアに?」
「この街の教会でお務めをなさっている司祭様が、病気にかかってしまいましてぇ。良くなるまでの間ぁ、お手伝いをしにきていたんです」
「でも、クレイファレルの教会は?」
「特に行事の予定もありませんしねぇ。事情を説明して、信頼できる方に留守をお任せしました」
「へぇ……」
間延びした口調に気が抜けながらも、リゼは思わぬ偶然に目を丸くした。
「それに、わたしが教会を留守にするのは初めてじゃありませんからぁ」
誉められたことじゃないですけどねぇ――困ったような笑みを浮かべながらのアイーシャの言葉に、リゼはなんとも言えず曖昧な表情を浮かべた。
そのアイーシャが教会を留守にするようになった事件に、リゼも深く関わっているからだ。正確には、巻き込まれたといったほうがいいかもしれない。
その巻き込んだ張本人が、フェリナという名のアイーシャの友人でもあるため、そのことがなければアイーシャと知り合うこともなかった。
命を失う危険もあった事件だったが、リゼはアイーシャにわだかまりがあるわけではない。
なんといっても彼女は被害者であり、リゼたちが巻き込まれたことに関しても何も知らなかったからだ。それに事件の解決後、リゼたちのことを知った彼女はわざわざ出向いて謝罪をしてくれた。加えて事件に巻き込んだフェリナのことを庇うことさえしてみせた。
巻き込まれたことに関しては複雑な気持ちは捨てきれないにせよ、アイーシャ当人のことは敬意すら覚えていた。
「ところでぇ、なんでリゼさんはここに?」
「詳しくは言えないけど……あたしたちはここでは傭兵っていうことになっているんだ。だからあなたも、他の人たちにはあたしたちの正体をバラさないでほしい」
「? ええ、それはいいですけどぉ――」
アイーシャは、何かを探すようにあたりをキョロキョロを見回した。
「コウイチさんは、一緒じゃないんですかぁ?」
痛いところを突かれて、リゼは言葉に詰まった。
ここでごまかすのは簡単だ。最初からこの街には来ていないことにしてしまえばいい。嘘をつくのに抵抗はあるが、話さなければならないということでもなかった。
一度はアイーシャには嘘で通すと決め、けれどもそれを口に出す前にリゼはためらいを覚えた。
コウイチの手がかりを求めて歩き回っているものの、まるで成果はあがらない。先の見通しもない。
アイーシャ当人に手助けを求めても当てがあるとは思えないが、彼女は聖封教会の神官である。闇雲に探すより、可能性があるかもしれない。そう思ったのだ。
迷った末に、リゼは事情を話すことにした。詳細を話すと感情が抑える自信がなかったので、できるだけ簡潔にだ。
アイーシャは話を聞き終え、表情を曇らせた。
「そんなことがあったんですか……」
「コウイチを捕まえている盗賊たちがどこにいるか調べているところなんだ。だけど、今のところ何も手がかりがつかめていない。だから何か知っていることがあるなら教えてほしい」
深々と頭を下げるリゼを、アイーシャは慌てたように制止した。
難しい顔をしてみせた後、ぽんと手の平を打ち合わせる。
「それならひょっとしたら、力になれるかもしれませんねぇ」
「どういうこと?」
「いえ~、わたしではないんですが――」
思いがけない言葉にリゼが身を乗り出した時、
「アイーシャ、ここにいたか」
見知らぬ男が、リゼたちのいる路地に入ってきた。
「あ、ルーク。こっちですよ~」
「一人で路地に入るなとあれほど――」
リゼに気づいた男が口をつぐんだ。
艶のない金髪に、黄土色の瞳といった一見映えない外見である。だが鋭いまなざしや、ただ立っているだけなのに感じとれる凄みを持つ男だった。
男がアイーシャに誰だと目で問いかける。少し見ただけでわかる身のこなしには隙がなく、リゼは軽く緊張を覚えた。
「彼女はぁ、リゼさんです。それで彼は」
対照的におっとりとした声で、アイーシャがリゼを示した手を男に向けた。
「ルークっていいます。わたしの幼なじみで、傭兵をしているんです。すっごく頼りになるんですよぉ」