14.へたれのお悩み相談室(3)
「ったく……なんで俺がこんなこと……」
奥深い山の中で、一人の男がぼやきながら歩いていた。
言葉とは裏腹に、その動作はなめらかで隙がない。体を使いこなしている者の動きだ。
道など見あたらないので、進むのは当然、枝や藪をかき分けながらだが、大きな音は立てない。ぼやきも口の中でだけだった。
そしてその目は、鋭く前を見つめている。そこにいるのは、この山を根城とする盗賊だ。後をつける男――レグラスに気づいた様子はなかった。
打ち捨てられ、今は盗賊たちに利用されている砦から盗賊の一人が密かに砦から出ていこうとしていたのにレグラスが気づいたのは、つい先ほどのことである。
その盗賊の挙動に警戒したものはあっても、後ろめたさは感じられなかった。今まで同じように砦から出ていっては、いつの間にか戻ってきた盗賊たちもだ。
そしてレグラスがその後をつけて砦から抜け出すのは、思っていたよりも簡単だった。盗賊たちと毎晩のように酒を飲みかわし表面上は親しく振舞っていたからか、最近では監視が名目上の存在になっていたが、それでも拍子抜けするほどだ。
こんなんでいいのかと思いながらも、わざわざ砦から抜け出してまで尾行を始めたのは、いざという時に備えてのためだった。
砦に連れてこられて十日以上経っているが、レグラスにはいまだにここがどこかはわからないでいる。
気絶していたコウイチと違い、レグラスは武器を捨てて投降したのでここに連れてこられるまでの間、目隠しされていた。
砦の生活で、盗賊たちが日常的に入れ替わっていることはレグラスも気づいている。どこに行っているか突き止めれば、逃げ出すための足がかりになるんじゃないか――そう考えてのことだった。
人が良さそうに見えても盗賊は盗賊。いつかは解放してやるなどという言葉を、レグラスは根っこから信じているわけではない。
「クソが……いったいなんでこんなことやってんだか……」
尾行などという回りくどい真似は好きではない。自然と不満がこぼれたが、その理由は単純でわかりやすいものだった。
「――そういうわけですので、あなたには秘密裏に彼の護衛をおこなっていただきます」
初対面ならほとんどの者がが好感を抱かない、斜に構えた態度を崩して、レグラスは口を半開きにしながら話を聞いていた。
内容を理解した後――理解したくもなかったが――忌々しげに顔を歪めて、頭をガシガシと掻く。
「なんで俺がんなこと……。他の奴らに行かせればいいだろうが」
「あなたを見込んでのことです。……何か問題でも?」
「ハッ、こちとら忙しいんだよ」
同意を求めるように、腹心の部下であるデュルクを見る。
今この場にいるのは、レグラスとその雇い主でクレイファレルの領主代理をしているフェリナ、あとはデュルクの三人のみだ。
レグラスはフェリナの裏の顔を知る、数少ない存在の一人だった。
長く艶のある金髪と、穏やかな微笑が似合う顔立ち。貴族の令嬢という立場にふさわしい外見をしている雇い主だが、フェリナがそれだけの人間でないことをレグラスは知っている。見た目では正反対なのに、ある意味自分よりも性質が悪いと思っていた。
なので、彼女が持ち込んできた問題にも積極的に関わる気はなかったのだが、
「隊長、アンタ暇でしょうが」
ばっさりと切り捨てるデュルクの一言で、あっさりと目論見がはずされた。
「てめ……」
睨みつけると、白い目で見られた。
「仕事ったって見回りくらいしかないのに、アンタそれすらもろくにしてねェじゃないですか。仕事の割り当て考えるだって俺に押しつけてくるし」
「ぐ……」
「ってことで、たまにはしっかり働いてきてくださいよ」
「だがよ、俺らが雇われてるのは農園の警備であってだな――」
「もちろん、別料金をお支払いしますわ。口止め料込みで」
フェリナがすかさず言う。デュルクが笑って口笛を吹いた。
「そいつはすばらしい。それならなんの文句もねェですね。好きなだけこき使ってやってください」
「おいコラデュルク! てめぇどっちの味方だ!」
「そりゃ金払いのいい雇い主様に決まってんでしょうが」
いい笑顔できっぱりと言う。傭兵流の揺るぎない正論に、レグラスはぐっと言葉を詰まらせた。
だがまだ納得できないとばかりに、最後の抵抗を試みる。
「……騎士団の仕事なんだろうが。俺が混じってもいいのかよ」
「もちろん許可は頂いていますわ」
逃げ道はあっさり絶たれた。
「それではコウイチさんの護衛、よろしくお願いしますね」
見ほれるような笑顔のフェリナの言葉だが、今のレグラスにはまったく好感が持てなかった。
(なんであんな奴のこと気にするんだか。あの腹黒いお嬢ちゃんがなに考えてんだか、いまいちわからねェな)
コウイチという青年のことを思い浮かべて、レグラスは首をひねった。
レグラスから見れば取るに足らない存在である。従士とかいう立場らしいが、その気になれば一瞬で殺せる自信がある。意味がないのでやらないが。それ以外でも、特に見るべきところがあるとは思えない。
そんな取るに足らない相手のせいでこんなやりたくもない仕事を押しつけられる破目になったかと思えば、腹立たしいことこの上ない。
(腹が立つと言えば、だ。あのリゼとか言う小娘もそうだよな)
今回の依頼で同行している、少女のことを思い出す。
彼女の父親があの『戦鬼』だと知ったら、その時点で逃げ出していただろう。
いや、そもそもクレイファレルに『戦鬼』がいると知っていれば、あの街での仕事を引き受けることもなかったのだ。
(傭兵はやめたって聞いちゃいたが、まさかあの街にいやがるとはな。……ああ、そういやヘマこいた時、あの小娘の家に連れていかれるところだったな)
その後に起こったいざこざのせいでその話は流れたが、もしそうなっていた時のことを思ってレグラスは身震いした。
(ついでに、あのスルトとかいうあの口数がやたらと多いあの野郎も……っと)
「ちっ……」
意識が思考に傾きすぎたのに気づき、レグラスは舌打ちした。
「ま……仕事は仕事だ」
腹立たしさを抑えながら自分に言い聞かす。雇い主に殺されそうになった前回の件に比べれば、ずいぶんマシだと自分をなぐさめながら。
尾行に思考を切り替え、前を行く盗賊を注視する。あいかわらず尾行に気づいた様子はない。振り返る素振りも見せないのだから気楽なものだ。
後をつけながら、レグラスは抱えていた違和感を思い出した。
盗賊にしろ山賊にしろ、そうしたならず者といえば、食い詰めたか罪を犯して居場所をなくした者の集まりと相場が決まっている。だが、ここの盗賊たちからはそんな連中特有のすさんだ感じはしなかった。
女子供がいないだけで――例外も一人いるが――そこらの集落や村と変わらない雰囲気の場所だった。
(こいつら、何かを隠してやがる……。ついでにそれも探ってみるか)
「――やめとけ」
「っ!」
内心を読んでいたかのようなタイミングでかけられた声に、レグラスは反射的に飛び退りながら向き直った。いつの間にか、近くの木の幹に体を預けるようにした人影があった。
(油断しすぎかよ)
尾行に集中しすぎていたかと、自分の失態を呪うように舌打ちをする。立場が立場なだけに、こんな事態も想定しておくべきだった。
「やけにあっさり抜け出せたのは、てめェがついてたからか」
いまさらとぼけても仕方ない。レグラスは声の主――ゴルドーに忌々しげに睨みつけた。
相手は一人。尾行していた盗賊の姿は先に行ったのか、もう見えなくなっていた。
目の前の禿頭の大男は手強い相手だが、武器を持ってはいない。それは双剣を取りあげられているレグラスも同じだが、条件が対等なら打ち倒せる自信があった。その場合は騒がれる前に終わらせなければならない。
「いいや」
膝を曲げ、いつでも飛びかかれる体勢に入ったレグラスを押し止めるようにゴルドーが手の平を突き出す。
「俺だけじゃねぇさ」
ガササと茂みをかき分ける音とともに、数人の見知った顔が姿を現した。盗賊たちである。
いつもの親しげな様子は微塵もなく、警戒心をむき出しにして武器を構えている。
(こいつら……いつの間に)
ゴルドー一人ならともかく、これだけの人数相手に囲まれてはどうにもならない。そもそも囲まれていることに気づかなかった時点で状況は詰んでいる。
「……クソが」
吐き捨て、体から力を抜いた。深々と息を吐いてから、ゴルドーを見上げる。
「ずいぶん甘い扱いだと思っちゃいたがな。いつでもどうにでもできたからってことかよ」
「そこまで自惚れちゃいねえさ」
ゴルドーだけは、砦で酒を飲んでいる時となんら変わらない様子だった。
「だがな、ここらは俺たちの庭みたいなもんだ。すんなり思い通りにいくとは思わんほうがいいぜ」
「そうらしいな」
「それにこれはおめェらのためでもあるんだぜ。あまり知られすぎたらただで帰すわけにもいかんくなるからな」
「帰さないで、どうする気だ?」
「最悪の場合、おまえらを殺さなきゃならんことになる」
その言葉は、隠していることはあるがそれを教えることは絶対にないと暗に示していた。
目の前の大男の口調はほがらかだが、言っていることは単なる脅しではなさそうだった。顔は笑っていても、その目はこちらの内心を読みとろうとしている。
レグラスは本能的に、ゴルドーからフェリナと同じ底知れないものを感じとっていた。
(ここはまだ、賭けに出るところじゃねぇな)
囲みを破って逃げ出すことも思いついたが、うまくいく可能性は低そうだ。なにより、そうすれば依頼が果たせなくなる。
「もし俺がここで言われたとおり引き返したら、どうする気だ?」
「どうもこうもねえわな。今までどおり、適当に過ごしてくれりゃあいいさ」
「見逃すってェのか?」
閉じこめられる以上のことも考えていただけに、意外すぎるゴルドーの答えにレグラスは拍子抜けした。
「信用してくれとは言わねえが、こっちだってあまり血生臭いのは好きじゃねえんだ」
「アホか」
呆れかえった、といった調子でレグラスが反応した。
「だったら盗賊なんかやってる意味がわからねェだろうがよ」
「耳が痛ェなあ」
ゴルドーは苦笑で応じる。
「だが止むに止まれぬって事情ってのもある。そこらへんはまあ、察してくれや」
(どういう事情だよ?)
思ったが、聞いても答えが返ってこないことはわかっている。レグラスは眉間にしわを寄せ、
「……仕方ねェか」
深々と息を吐いてから呟いた。それを耳にして、今度はゴルドーが驚いたような声を上げる。
「素直に引き返してくれるのか?」
レグラスが思っていたよりも素直な反応を見せたので、逆に疑問を覚えたらしい。眉を持ち上げたゴルドーに、レグラスは肩をすくめてみせた。
「そこまで言われて知りたいと思うことじゃねェからな。それにだ、逆に言うならおとなしくしてりゃ、殺される心配もねェってことだろ?」
「……なんでそう思う?」
「おまえらが甘いからだよ」
小馬鹿にしたような口調でレグラスが断じる。
「あの時、おまえらハナっから殺る気なかったろ? そうでなかったら誰が大人しく捕まってるかよ」
襲撃時、盗賊側に殺意がなかったのをレグラスはすぐに気づいていた。そうでなかったら、スルトの指示があったとはいえ反撃で殺していたかもしれない。
「……それだけじゃねえだろ?」
感心した表情を、ゴルドーがからかうようなものに変えた。
「おめェほどの実力があれば、あのとき一人で逃げることだってできただろうに。なんで逃げなかった?」
「ッ……うるせェな。こっちにはこっちの事情があるんだよ」
顔をそらして吐き捨てる。それ以上聞くなという意味をこめたつもりだったが、ゴルドーは気にした様子もなく核心をついてきた。
「あのボウズのためか?」
「――おい」
殺気をこめた目を向けると、ゴルドーは禿頭を掻いてから首を横に振った。
「悪かった。別にそれを知ってどうこうする気はねェんだ。ただこっちはいつおめェが暴れ出すのかってヒヤヒヤしてたんだが……取り越し苦労だったみたいだな」
「……好きに言ってろ」
殺意を収めながらレグラスは吐き捨てる。
そのレグラスにゴルドーが無造作に歩いて距離を詰めてきた。身構えたレグラスを気にした様子もなく、痛くなるほどの力で肩を叩かれる。
「そんじゃ仕切り直しといくか。今日ここであったことを忘れるためにもな」
「あァ?」
「まだ酒が残ってたはずだ。パーっとやろうぜ!」
「ハッ、毎日飲んでるだろうが」
飲み交わして水に流す、ということらしい。
実は砦に連れ戻されたとたんに牢屋のような場所に入れられるのではと考えていたのだが、そんなこともなさそうだった。周りを見てみると、囲んでいた盗賊たちも警戒こそ解いていないが、武器は収めている。
馴れ馴れしく肩を組もうとするゴルドーの手を振り払い、レグラスは歩き出した。
本来の目的こそ果たせなかったが、収穫はあった。
行こうとした先に、盗賊たちにとって重要な何かがあること。そして――
(こいつら……俺にまったく気づかせないうちに囲んでやがった)
その点を考えても、彼らが考えていた以上に厄介な存在だということは間違いなさそうだった。