14.へたれのお悩み相談室(2)
理由もわからずにティオに怒りをぶつけられたコウイチは、一人呆然とたたずんでいた。
“……なんでいきなりキレてるッスか、あのチンチクリン”
ティオの行動で呆気にとられたのはカセドラも同じようで。意味がわからないといった感じの、気の抜けた声が頭の中で響く。
「気にすんなよ」
立ち尽くすコウイチの肩が、ポンと叩かれる。振り返ると、同情のこもった眼差しをバズが向けていた。
「あんたが悪いわけじゃないぜ」
「……何か、怒らせることを、言ったでしょうか?」
言いづらそうに目をそらした後、バズは外壁の端へとコウイチを連れていった。ティオと外套の男が話しているのを見かけた場所だ。しばらく迷った素振りを見せてから、
「本当ならこんなこと話す気はなかったんだけどよ」
と前置きしてから、バズは気の進まない様子で話し始めた。
「あいつはな、自分が女だってことに、劣等感をもってるんだよ」
――バズが言うには。
ティオがそう思うようになったのは、盗賊として襲撃に参加するようになってから。およそ、一年ほど前かららしい。そうするようなった切っ掛けは、思っていたよりも重いものだった。
「その前の襲撃で、仲間の一人が欠けちまってな。それで、ティオはそいつと親しかったからかね。えらく意気込んで、自分がそいつの代わりになるって言い出したのさ」
「……欠け、た?」
(仲間の、一人が?)
予想もしていなかった深刻な理由に、コウイチは言葉を失った。
一度話すと決めたからか、バズは頷いてから口ごもることなく話を続ける。
「俺たちがやってるのは遊びじゃないからな。最初はさすがの頭領も俺たちも止めたんだが、聞く耳持たなくってよ」
その時のことを思い出してか、バズが疲れた顔を見せる。
「そのうち一人でも突っ込んじまいそうだったからな。頭領も仕方なく認めるしかなかったのさ」
「それで……」
やはり人に言われたからとかではなく、自分の意志で参加していたようだった。むしろ、ゴルドーやバズたちは反対の立場だったらしい。
「それでティオも納得するかと思ったんだが、どうもそれじゃ足りなかったみたいでな」
バズは頭を押さえてから、深々とため息をついた。
「最初はおとなしく言うことを聞いていたんだけどよ、そのうちにむやみに突っ込んでいくようになっちまった」
「それは、また……なんで、ですか……?」
「その欠けた奴の役回りだったんだよ。真っ先に突っ込んでかき回すのが」
「では……本当に、その人の代わりになろうと……?」
「そうなんだろうな」
バズの口調は暗い。ティオのことを本気で心配しているのが伝わってくる態度と表情だった。
「その、欠けたという人は……強かったんですか?」
「ああ。頭領ほどじゃないが、俺たちの中でも一目置かれてたぜ。……ティオも足手まといってわけじゃないんだけどな」
だが本人はそれで満足していなかったらしい。
「で、だ。なんでだかそのうちあいつは、自分が満足できない理由を、どうやっても覆しようがないことだと決めつけちまった」
すなわち、女だから、と。女だから、体格にも恵まれない。女だから、力も足りない。代わりになれない。
「そのうち襲撃の時にも顔に布を巻いて正体を隠したりしてな。子どもみたいな奴が一人混じってれば狙われるから、それ自体は良かったんだが……」
そのころからティオは自分のことをオレと呼び始め、女であることを隠し始めたという。
「そんなことしてもなんの意味もないってのにな。そこまで思い詰めてたってことだろうよ」
最近は少しはマシになってたんだけどな――バズは肩をすくめて話を終えた。
ティオの怒りの理由はわかったが、それとは別の疑問にコウイチは首を傾げた。
「ですが……なんで、その話を自分に?」
バズが話したことは、どう考えてもいつ縁が切れるかわからない部外者相手にする話ではなかったように思う。
「そりゃあ、怒鳴られて理由もわからないままじゃムカつくだろ?」
バズは笑みを見せてコウイチの肩を叩いた。
「手遅れかもしれないけどよ。ティオのことを本気で嫌わないでやってくれよな」
「……」
(そう、か……)
ティオの言っていたように、彼らは仲間であり家族なのだ。そう思わせるだけの――そう感じさせるだけの思いやりが、その言葉には込められていた。
(……だけど)
ふと疑問に思う。
その中でも、特に親しかったという人を失ったティオの悲しみはどれぐほどのものだったんだろうか、と。
「その……亡くなったという、仲間の人の名前は――」
「は?」
バズがきょとんとした顔をした後、少し考える素振りを見せてから納得したように頷いた。
「……ああ! まぎらわしい言い方だったか? 悪い悪い、そいつ、死んでないぞ」
「……は?」
◆
与えられた砦の一室で、ティオは膝を抱えながらベッドの上に座っていた。
力のない眼差しが床に向けられているが、その表情には生気がない。昼間に言われた言葉が、頭の中で反響しているかのように居座っていた。
女がでしゃばるな――
兄妹のように仲が良かった相手から言われた言葉は、少女の心を深く抉っていた。
(……いつだって、味方してくれたのに)
初めて強く反対されたのは、ティオが彼の代わりに盗賊として働くこと決めた時だ。それでも、あそこまで強い言い方をされたのは今日が初めてだった。
その言葉を吐き出したときの彼の憎々しげな表情は、思い出したくもないのに思い出してしまう。
何より衝撃的だったのは、それが今まで見たことのないほど歪んだ顔であり、暗い眸だったことだ。
「……オーキン」
ティオはそっと兄代わりだった男の名前を呟く。
昔、一緒に遊んだ頃の彼の笑顔を思いだそうとしたが、うまくいかなかった。思い出せるのは重傷を負い、戦うことができなくなってからの彼のことだけだ。
「……っ!」
あまりうれしくない記憶ばかりが流れるように脳裏を駆けめぐり、ティオは頭を振ってそれらを追い払う。
代わりに浮かんだのは、呆然と、それでいてどこか悲しそうな目を向ける青年の姿だった。ここ数日、ずっとそばにいる相手のことだ。
(……悪いこと、言ったかな)
彼の言葉を聞いて、一気に頭に血が上った。落ち着きかけていた気持ちが急に揺さぶられたように思えた。
気がついたら怒鳴っていた。
今にして思えば、バカにするようなことは言ってなかった気がするのに。
(アタシ……最低だ)
家族ではないし、好きでもない――むしろ嫌っているが、だからといって八つ当たりで怒鳴っていいわけではないと思う。そんなことをする自分は、嫌いだ。
沈み込む気持ちが自己嫌悪へと代わり、ティオは丸めていた体をさらに小さくした。今は、何をする気にもなれない。
ドアが、ノックされる。
「……ティオ?」
外から聞き覚えのある、自信なさげな声がかけられた。
◆
「その……すまない」
砦のとある部屋の前に、コウイチはいた。
「傷つけるようなことを……言って、しまって」
バズに教わった通り、ティオは部屋の中にいるようだった。返事はないが、声をかけた時に中で物音がした。
あんたが悪いんじゃないから、謝らなくたっていい――バズにはそう言われたのだが。
自分に少しでも非があると思えば、つい謝ってしまう性格の持ち主であり。そして事情を聞いてしまえば、知らなかったとはいえひどく無神経なことを言ったように思えたのだ。
反応はない。
「兄さんが謝る必要なんかないッスよ」
カセドラだった。
ティオにも聞こえるようにか、わざわざ姿を現して不満げに言葉をぶつけてくる。
「あのチンチクリンが勝手に怒ってるだけなんスから」
「ちょっ……!」
火に油を注ぐようなことを言われ、慌ててコウイチはカセドラを押さえようとする。
伸ばしかけた手がぴたりと止まった。ティオの怒りがコウイチに向くのを狙ってかと思いきや、カセドラが本当におもしろくなさそうな顔をしていたからだ。
「あの……カセドラ、さん?」
「なんスかっ!?」
「……いえ」
ぎらりとにらまれ、コウイチはそろそろと手を下ろした。なぜかわからないが、こっちはこっちで機嫌が悪そうだ。
しばらくの沈黙。それが拒絶の意味にとれて、うなだれて立ち去ろうとしたところでドアが勢いよく開かれた。
「うえっ」
カセドラが慌てて姿を消す。
表情の消えた顔のティオが、目の前に立っていた。
「……入れ」
(えーと……)
コウイチはドアの近くで居心地悪そうにしていた。部屋にいるのはベッドに腰掛けた黙りこくっているティオだけ。
つまり二人きりなのだが、とてつもなく居心地が悪い。ティオが一言も話さないのでなおさらだ。
(なんで、自分を部屋に……)
ちらちらとティオの表情をうかがう。
いつもは直情型で考えていることが丸わかりなのに、今は様子がおかしい。また怒られるのかと思ったが、今の彼女は沈み込んでいてそれどころではないように思えた。
何か元気づけるようなことでも言った方がいいのかもしれない――と思ったが、当然のように何を言ったらいいのかなど思いつかず。
(えーと……カセドラ、さん?)
“……”
アドバイスを求めても何の反応もない。いや、不機嫌な感情は伝わってくるから、いつも以上に期待できそうになかった。
(こんな時に、相手の考えていることがわかれば……。いや、まあ。そんなことわかったら、苦労しな――)
『同調能力、とでもいう奴だろうね。おそらく、対象の相手の思考や感情に使用者が干渉できるような、精神系の練操術だろう』
あきらめかけ、不意に思い出したのはラヴィスに聞かされた話だった。
練操術――いわゆる魔法みたいなものなのだろうが。
干渉できる、ということは。
うまく使えば、相手の考えていることがわかるかもしれない。
(いや、でも……)
疑問に思う。それができたとしても、果たしてそんな人の心を覗き込むようなことをしてもいいのだろうかと。
そもそもがだ。気まずさから逃れるために思いつきを、実行する必要などあるのだろうか。
このまま黙っていたらやり過ごせるのでは、とも思う。
そうしたって何も問題はないのだ。彼女たちの問題に深入りする気はないし、その義理もない。そもそもその程度の関係だ。一回は謝ったから……それで十分じゃないか?
そんなことを考えながら思い出していたのは、怒鳴った時のティオの顔。
あの時の彼女は目に涙を浮かべ、心からの声で叫んでいたように思う。
理屈ではない。なぜ、という理由を考える余地もなく。
知りたい、と思った。悲痛な叫びをあげた彼女がいま、何を求めているのかを。自分が何をできるのかを。
強く思った。
“知りたい”と――
コウイチの体から、かすかに黒い燐光が零れ出る。ほんのわずかな量なので、それが“見える”者でも気づかなかっただろう。
向けられた眼差しに気づいたのか、ティオが伏せていた顔をあげる。動揺したようにその目が揺れる。
そしてティオはゆっくりと口を開き――
「……じろじろ見るな」
――え?
嫌そうに顔をしかめて、容赦なく言葉の刃を繰り出す。
「気持ち悪い」
「……」
がーん、がーん、がーん……。
ショックに打ちのめされるコウイチ。何気に怒鳴られた時よりショックだった。
気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪いキモチワルイ気持ち悪いきもちわるい。
“に、兄さん……?”
は、はは、ははハハハ……はぁ。
――OK理解した。
やはり世の中には分相応という言葉があるわけで。自分のような無気力人間は、人になにかしてあげたいなんて偉ぶったことを考えることすらイケナイことなのだ。路傍の石ころのごとく、誰にも気にとめられることなく生きていかないといけないということで。たまに自己主張しようとすれば道行く人をひっかけて転ばせたあげく、苛立ちまぎれに思い切り蹴飛ばされる運命にあるのだ。うん、今度からなるべくひっそりと生きていこう。それくらいは……イイヨネ? アハ、アハハハハハハハ――
“兄さん!? 兄さーーーん!!?”
さっきまでの不機嫌さはどこへやら、カセドラのせっぱ詰まった声が脳裏に響く。
「……はっ!」
いけないいけない。ついネガティブ思考が螺旋のごとく渦巻いて死にたくなるところだった。
“だ、大丈夫ッスか?”
あ、どうも、カセドラさん。引き戻してくれてありがとうございます。
“……はぁ。それより兄さん、チンチクリンが何か言いたそうッスよ”
は?
なぜかどっと疲れたようになっているカセドラの声に顔をあげると、ティオがこっちをまっすぐに見つめていた。さっきまでのしかめ面ではない。
コウイチが地の底に沈み込むような気分を味わっている間、どんよりとした表情で体をふらつかせているコウイチを見てティオの心には疑問がわいていた。
いつもの彼女なら、思うだけでわざわざ聞くことまではしない。その程度の疑問だ。だがなぜか今は、“知りたい”と思う気持ちが強くあった。
「なあ」
「……なにか」
「なんで傭兵なんかやってるんだ、オマエ」
唐突すぎる質問に、コウイチは面食らったようにティオを見つめ返す。
「なんで……とは」
「だって、全然らしくないし。腕は……まあそこそこだけど」
らしくない。似合っていない。性格的にも、見た目も。
兵士をやっていて散々言われてきたことなので、傭兵ならなおさらそう思われるかもしれない。
からかい混じりの質問ではなさそうだった。そんな状況でもない。真面目に聞いているらしいティオにごまかすのも悪い気がして、コウイチは素直に兵士になった理由を話すことにした。今まであまり話したことがなかったのは、それこそ分不相応な理由な気がするからだ。
「傭兵、というか。……とにかく、強くなりたかった、から……だと思う」
「なんで?」
そこから先を話すのは、苦い記憶を掘り起こすようであまり愉快ではなかったが。
「その、へ……傭兵になる前に……お世話になった人たちがいた、んだが……」
その姉妹は生まれ育った村で孤立しながらも、縁もゆかりもない自分を助けてくれた。だがある事件で姉のほうは大怪我を負い、その時の自分は助けを呼びに行くことしかできなかった。
「その時、力があれば……もしかしたら、彼女も怪我をしないですんだかもしれない」
無力な自分はそうなることも防げず、助けが間に合わなければ彼女も死んでいたかもしれない。あの時のことは苦々しい思い出でしかない。同じような思いは、二度と味わいたくない。
「だから……強くなりたい、と。そう……思った」
「誰かのため、なのか……?」
ティオが、驚いたように目を見張る。目をそらしてぼそっと呟いた。
「同じなんだ……」
「は……今、なにか……?」
「な、なんでもない! なんでもないぞ!」
慌てたように言いながら、ティオは手をパタパタと振る。
なんでもないようには見えないが、心なしかその表情が生気を取り戻したように見えた。
(……はて?)
何か元気を取り戻すようなことでもあったのだろうか?
(……まあ、いいか)
理由はわからないが、少しでもいつもの調子に戻ったのは良いことだと思う。
「あ……そうだ」
「ん?」
「いや、あの……知り合いに、リゼ、という女性がいるんだが」
「は? なんだ急に」
「彼女は、その……僕よりも、ずっと強い。それに、話したことはないけど、そのリゼよりも、強い女性も……いる」
「? ……?」
「だから……女性でも……女性だから強くなれないってことじゃ、ないと……そう、思う」
何が言いたいのかわからないといった様子で目を瞬かせていたティオだったが、その言葉を聞いて驚いたように目を見開いた。
「オマエ……」
驚きは呆れに変わり、口元が微笑を刻む。自分に向けられた初めての笑顔に、コウイチは硬直した。
そのままどこか気恥ずかしいような、心地よいような時間が続く――のかと思いきや、何かに気づいたようにティオがハッと息を呑み、その顔が真っ赤に染まっていく。
「オ、オマエ……それ、誰に聞いたっ!?」
「え? ……あ゛」
別れ際に、バズに話したことを内緒にしてくれよと言われたことをすっかり忘れていた。
おろおろとうろたえるコウイチに詰め寄り、胸ぐらをつかんで吐かせようとするティオ。
“あーあ……”
呆れ返ったような、それでいてどこか楽しそうなカセドラの声が響く。
「誰に聞いた! 言えーっ!!」
「ちょ、ま……い、息が……」
結局それは、さんざん揺さぶられたコウイチが意識を手放し、様子を見に来たバズに引き離されるまで続いた、らしい。