13.へたれと愉快な盗賊たち(3)
思わぬ状況でティオの性別を知ってしまった後、コウイチは一度その場から離れ、しばらくたってから小川へと戻ってきた。
「遅い」
険しか感じられない声で出迎えられて、コウイチの足が止まる。
ティオが落ち着いてから服を着るまでの時間を考えて戻ってきたのだが、どうやらずいぶん待たせてしまったらしい。……怖気づいてなかなか足が動かなかったわけではない、けっして。
服を着たティオがぎろりと睨みつけてくる。その小さな体のすべてから殺気が放たれているような気がして、コウイチは思わず情けない悲鳴をあげそうになった。
しかし恐怖はすぐに、罪悪感へととってかわる。
ティオの目が、泣きはらしたようになっているのに気づいたから。
恐る恐る近づいてから、コウイチは深々と頭を下げた。
「あの……本当にすまなかった」
「……」
怒声もなく、頭頂部にちりちりと刺すような視線を感じるだけ。
緊張感に耐えられなくなりかけたところで、ふん、と不機嫌な吐息が聞こえてきた。
「わざとじゃ、ないだろな?」
頭を上げてぶんぶんと頭を縦にふる。
「それは……もちろん。そもそも――」
そもそもティオが女の子だってことすら知らなかったのだ――言いかけ、火に油を注ぎそうな気がしたので慌てて口をつぐむ。
「ならいい」
ティオは不機嫌そうな表情のまま、ぶっきらぼうにそれだけ言った。
「へ?」
「いいって言った! 何か文句あるか?」
「い……いやいやいや」
ボコボコに殴られるくらいですめばマシかも……と覚悟していただけに、思わず気の抜けた反応をしてしまった。
「そのかわり!」
睨みをきかせて詰め寄ってきたティオに見上げられ、コウイチは仰け反りながらその顔を見返した。気のせいか、さっきまでと比べて赤くなっているような気がする。
「あのことも忘れろ!」
「……あのこと?」
「あのことはあのことだ!」
具体的に言うのもイヤなのか、言い切ってそっぽを向くティオ。
(……どのこと?)
裸を見たことだろうか。それともその後の反応……?
どっちかわからなかったが、もちろんどちらも最初から言うつもりはなかったので頷いておく。
「それは、もちろん」
「本当だな。誰かに言ったら殺すからな!」
ギラッと、さっきよりも強い眼差しで睨みつけられた。
言っていることはシャレにならないし、たぶん本気だろうなとは思ったのだが。……なぜか、今のティオには怖さよりも微笑ましさを感じてしまった。もちろん言葉には出さないが。
「なに笑ってるー!?」
なんて思ってたが、顔にはしっかり出ていたらしい。
ティオが両手を突き上げて怒り出す。その仕草からして子供っぽいことに、彼女は気づいているだろうか。
このままティオを見ていたら今度こそ殴られそうな気がしたので、コウイチはさりげなく周囲を見渡した。
「……なんだ? キョロキョロして」
怒りをしぶしぶ収めた様子のティオが、不思議そうに聞いてくる。
「いや……こんなところにも、小川があったのか、と」
いつも水汲みしている場所とは、場所も方向もまるで違う。
そこと比べたら木々が多く密集していて、開放感がないように思えた。だからこそ、直前までティオのことに気づかなかったのだが。
ふん、とつまらなそうにティオが鼻を鳴らす。
「狭いし足場も悪いからな。みんなで何かするには向いてないだけだ。ここはみんなも水浴びしたい時とかに使ってる」
何気なく返された言葉に、コウイチは目を丸くした。
「他の人たちが来るかもしれないのに……その、ここで水浴びを?」
「そうだ。……何か変か?」
だってあなた、さっき裸を見られて泣きそうになっていたじゃないですか。
「いや……裸を見られるかも、しれないのに?」
「オマエ、なに言ってる?」
きょとん、といった表情で、ティオが首を傾げた。心底おかしなことを聞かれたような反応に、コウイチも首を傾げてしまう。
「家族に裸を見られて恥ずかしがるわけないだろ」
今度は逆にコウイチがきょとんとする番だった。
数秒考えて、どうやらティオの中では盗賊たちイコール家族ということになっているらしいことに気づく。
(……まあ。ずっと、同じところで生活していれば)
そんなふうに考えるようになってもおかしくないのかもしれない――と思ったところで、ティオの顔が真っ赤になっていくことに気づいた。
「忘れろって言っただろー!」
「あ……ゴバチッ!」
謝りかけたところで、思いっきり殴られた。きりもみしながら倒れるコウイチに、
「なんだっ? もう言ったこと忘れたのかオマエ! 頭ついてないのか!? もういっそ切り取ってやろうかっ!?」
「ちょっ……それは、勘弁……!」
ガシガシと踏みつけてくるティオに平謝りして、なんとか許してもらえたのは全身が土まみれになってからだった。
心なしか満足したようなティオが、ぼそりと不思議そうに呟いた。
「けど、なんでかオレが水浴びしてる時には誰もここにはこないんだけよな。なんでだろ?」
「……はあ」
質問ではなく独り言のようだったし、これ以上殴られるのもごめんなので何も言わなかったが。
(それって、遠慮されているんじゃ……)
頭領のゴルドーは親バカ呼ばわりされていたくらいだし。当然、自分の娘の裸を見られていい気分なわけはないだろう。
(……あれ?)
となると、裸を見られたことを言われて困るのはティオだけではないのでは。
(というか、もしこれが、ゴルドーさんに知られたら……!)
背後になんかオーラのようなものを背負って、指と首をゴキゴキ鳴らしながら歩み寄ってくる巨漢の姿を想像して、コウイチの顔から血の気がサーッと引いていく。
よくも娘を泣かしてくれたなこのヤロウいえすいません決してわざとではあばへぼぐわはっはばへべれけオラオラオラオラ――
「お……おい?」
戸惑い気味の声に我に返ると、ティオがなんか不気味そうに見ていた。
「なんで急に震えるんだ? ……ヘンだぞオマエ。なにかの病気か?」
「あ……いや、別に。そういうわけでは」
たしかに傍から見たらそう思われても仕方ないかもしれない。
慌ててとりつくろったが、変にひきつった顔にしかならなかったと思う。
その顔をじっと見つめたまま、ティオは何かを考え込むように眉根を寄せていた。
「……何か?」
「オマエ、名前なんだっけ?」
「……コウイチ、と言います」
「コウ、いち? なんか呼びにくいな。コウでいいや」
「はあ……」
勝手に短くされたが、別に珍しい呼ばれ方でもないのでここは流しておく。
「コウ、オマエいくつだ?」
「は? ……十九、だけど」
「そっか、十九か」
どことなくほっとしたような、それでもやや納得のいってなさそうな表情でティオは頷いた。
「それが、なにか」
「いいか! オレに勝てたのは、オマエが四つも早く生まれてきたからだ。オレがあと四年……いーや、一年だけ早く生まれてたら、買ってたのはオレなんだからな! もし同い年だったらおまえなんて相手にもならないんだからな!」
「……はあ」
どうやら、負けたのは自分が年下だからだと言いたいらしい。
なんとも子供らしい言い訳――
「なんだよその顔……ってっ、か、勘違いすんなよ! 負けたのは年下だからって言いたいわけじゃないんだからな!」
だったら何が言いたかったのかと突っ込みたくなったが。
(って、ちょっと待った……?)
「いや、それはいいんだけど……四つ違い……って言った?」
「言ったぞ」
なぜか胸を張って答えるティオ。
「……」
(ええと……ということは……この子、十五才?)
身長からして、てっきり十二、三ぐらいだと思っていたのだが。というか、この世界の十五にしては言動からして、こど――
「おまえ今、心の中でバカにしただろ」
どれだけ勘が鋭いのか、ジト目でこっちを見やるティオに、首を振って全力否定する。
フンッ、とティオがつまらなそうに鼻を鳴らした。
……もしかして、本人も気にしているのかもしれない。
「もう終わりッスか」
(カセドラ……)
なーんだ、とでも言いたげに。不満げに諸悪の根元が姿を現す。
言動を振り返るに、最初から確信犯だったのだろう。
なんら悪びれた様子のないカセドラを見て、さすがに文句を言い掛けたが、ティオの前ということでなんとかこらえた。
ティオと遭遇してから姿が見えないのできっとどこかで覗き見していると思っていたが、どうもその通りだったらしい。
「いやッスねー。そんな恨みがましい目で見ないでほしいッス。もちろん、危なくなったらちゃーんと助けるつもりだったッスよ?」
その前に、危ない目におちいらせるような行いをつつしんでいただきたいのですが。
「なっ……」
驚いたような声に意識を戻すと、ティオはなぜか目を丸くして口をあんぐりと開けていた。
その視線はコウイチではなく、すぐ隣に浮かぶカセドラへと向けられている。
開いた口から、絶叫がこだました。
「なんだそれぇーーーッ!!?」
「……え?」
(まさか……見えて、る?)
ラヴィスが見える人間もいると言っていたが。よりにもよってこんな状況で出会わなくても、というのが本音だった。
まさかしっかりにらみつけておいて知らないフリをするわけにもいかない。できるだけよけいなことは話さないように気をつけて、カセドラの簡単な説明と紹介をする。
「へー……ふーん……」
カセドラが守護精霊だという説明に特別な感想を抱くでもなく、ティオは興味津々といった様子だった。素質はあっても実際に見るのは初めてらしい。
自分を見える人間ということで、カセドラのほうも同じく興味深そうにティオを見ていた。ただしこっちは、ラヴィスを思い出しているのか少し腰が引けている。
(あ――)
コウイチはふと、面倒なことに気づいた。
ここでティオが、カセドラのことを誰かに話したら、ますますややこしいことになるのでは、と。
(それは……まずいのでは……!)
今でさえ捕まっている立場なのだ。これ以上問題を増やしたくはない。
(なんとか……口封じを)
「あの……ティオ、さん」
「ん?」
「……その、精霊……カセドラと言うんだが、他の人には……話さないようにしてもらいたいんだが」
「なんで?」
不思議そうな問いかけに、言葉が詰まった。本当のことを話しても納得してもらえるかわからない。といっても今すぐ納得させられる理由など思いつかず。
きょとんとしていたティオだが、なにかを思いついた様子でポンと手を打ち合わせた。
「黙っててもいいぞ」
「本当に……!?」
「ああ、けどタダじゃない」
「え……でも今、持ち合わせが」
「交換だから大丈夫だ」
(交換……?)
ティオはカセドラに視線を戻すと、無邪気にけっこうひどいことを口にした。
「カセドラって名前なのか、このヘンなの」
ピキ――カセドラの顔がひきつったような気がした。
ティオはそれには気づかない様子で、目をキラーンと光らせながらニンマリと不敵な笑みを浮かべ、
「その代わり――」
カセドラをビシッと指さした。
「こいつをよこせ!」
(……)
「は? いきなり何を――」
「喜んで」
気づいたら即答していた。
「ちょっ……兄さんなに言ってんスかアンタ!?」
「あ……いや、つい反射的に」
「反射的に!? “つい”でオイラを売ったんスかっ!? しかも喜んでって!!? ヒドいッスよ!!」
興奮のあまりぐるぐる回りながら猛抗議するカセドラ。目は回らないのだろうかと、つい見当違いな心配をしてしまう。
「よしっ、じゃあ今からオマエはオレのだからな」
ピタッ、と動きが止まった。ゆっくりと振り返り、器用に片翼で片眼をいっぱいに開き、舌をんべっと出す。
「ぜぇーたい、いやッス! なんでこんなチンチクリンなんかに!!」
「ち……っ、なんだってコノー!!」
途端に顔を真っ赤にして怒り出すティオ。
「チンチクリンなのはオマエだろー! そんなへんてこな見た目してるくせに!」
「また変って言った! 変って言ったッスねー!? ドチビのくせに生意気ッスよ!!」
「ド……!?」
(……)
ぎゃーすか罵り合う一人と一匹を前に、どうしようかと途方に暮れるコウイチ。とばっちりが来るとイヤなので、下手な口出しもできない。
「このっ!」
カセドラを捕まえようとティオが手を伸ばすが、
「へん! 遅いッスよ~」
カセドラはするりとそれをかわすと、ティオの手が届かないぎりぎりの高さに逃げて、意地の悪そうな笑いをあげた。
ティオはそれを悔しそうに睨みつけ、
「おい! なんなんだアイツは!?」
なぜかコウイチに文句をつけはじめる。
「いや……だから、精霊と」
「そうじゃなくって! なんだあの人を小馬鹿にした態度は! アタシをバカにしてるのか!?」
自分相手にも似たようなもんです、と言うより早く、襟をつかまれ揺らされていた。よっぽど興奮しているのか、まるで手加減が感じられない。
(八つ、当た……り……)
ぐらぐら揺らされているうちにいい加減意識が遠くなってきたところで、懐から何かがこぼれ落ちた。
「あ……」
それは、懐に入れておいたままコウイチがすっかり忘れていたもの――何かの生き物を象った、鈍く光る金属製の細工物だ。
「なんだそれ?」
ぴたりと動きを止め、ティオが落ちたそれを見つめた。
さりげなくその手を払ってから、コウイチは半ばふらつきながら拾い上げる。指でつまめるほどのそれをティオの顔の前にかざした。
「……竜、という生き物……らしい」
平面的な作りのものだが、大きさの割には精巧に出来ている。簡略化されてはいるものの、爪や鱗といった特徴もちゃんとおさえていた。
「竜? なんだそれ?」
「……僕も、見たことはないんだが」
これを買った時に行商人のアグサから聞いた話では、元の世界のファンタジーなどによく出てくる同名の生物と同じ存在らしいそうだ。翼を生やした大トカゲというべき生物で、その牙はなんでも噛み砕き、爪は鉄をも切り裂き、その鱗は強靱で刃物を通さない、世界で最強の生物だという。
ただし、この世界に実在するかといえばそういうわけでもなく、未確認生物扱いされているとのこと。アグサもその目で見たことはないという話なのだが、国旗や軍旗などに象徴的な意味合いで使われることは多いらしい。
たどたどしく説明するコウイチに、ティオはカセドラのことを忘れた様子で聞き入っていた。
「ふーん……初めて見るぞ。強いのか、これ?」
「まあ……話どおり、なら」
ファンタジーでは、かなりの強敵というか、ボス的ポジションなのがお約束だし。
「へー」
なぜか、そのことを聞いてから急にティオは目を輝かせた。
「あの……?」
かと思ったら、
「えい!」
「え……?」
指でつまんでいたそれを、あっさりと奪われていた。
「あのヘンなのはいい。代わりにこっちをもらうぞ」
「ちょ、ま――」
「黙っていてほしいんだよな?」
取り返そうと伸ばそうとした手は、その一言でピタリと止められてしまった。
「ふっふーん」
(どうしよう……?)
目の前に竜の細工をかざしてご機嫌に笑うティオを前に、コウイチはただただ呆然とするしかなかった。