2.居候先の姉妹の事情(1)
――四日後。
人間なんて、どんな状況にも慣れるものだ……実感しつつ、コウイチは今日も黙々と薪を割っていた。
(慣れは、偉大だ)
しみじみと思う。
あれほど苦しめられた筋肉痛も気にならなくなり、マメの潰れた手を見てもひるまなくなった。余分な力を使わずに薪を割るコツもつかみ、作業効率も上がっている。
自分がいる場所がどこなのかわからない――そういうわけのわからない状況にも慣れ始めていた。……というよりも、手っとり早く知る手段がないので、とりあえずその問題は棚上げにしている。
慣れたということは、余裕がでてきたということでもあり、寝食と引き替えの労働をこなしながら、コウイチはアリヤやカセドラとたまに会話を交わしていた。
「――ところで」
パカン。
「なに?」
アリヤが切り株の上に薪を立てる。
パカン。
最低限の力だけ使い、斧の重みでコウイチが薪を割る。
「いや……こんなにやる必要があるのかと」
切り株の周りには、散乱した大量の薪。
水は必要量しか汲んでいないのでともかくとして、明らかにこの家で消費する分を上回っているのではないだろうか?
なにしろ、コウイチの労働内容は、水汲み、薪割り、薪割り、薪割り…………。一日のほぼ全てを、薪割りに費やしている。割る薪がなくなり、鉈とノコギリを手に森に伐採に行くこともあった。
アリヤの答えは、そっけないものだった。
「ヨソの家の分もあるのよ」
そのそっけなさに違和感を覚えつつも、なるほど、と納得。
「ヨソの家、とは」
「もっとあっちの開けた場所に小さな村があるのよ。そこにね。あたしたちも一応、そこの村人ってわけ」
薪を立てたアリヤの指が、彼方の方向を指し示していた。
パカン。
「村……?」
薪を二つに割った後、コウイチはその方向を見て首を傾げる。その先には、人家らしき建物は見あたらない。
「あそこが丘みたいに盛り上がってるのよ。そこを登れば見えるわよ」
「なるほど」
どうりでいくら目を凝らしても見つからないはずだ。
「……だが、なんでこの家だけ、こんな外れに?」
他意のない素朴な問いかけだったが、アリヤの答えには一瞬の間があった。
「……森が近いから。それだけだから」
森が近いから、なんだというのか。確かに木材の伐採には便利だが。
というか……あれ? なんか……機嫌が悪い?
なんとなく、それ以上このことについて触れてはいけない気がして、それなら、とばかりに話題を変えることに。
「この近くに、大きな町などは」
「村から続く街道の先に、騎士団も駐在しているような大きな町があるけど?」
……騎士団? なんか微妙にファンタジーっぽい単語を聞いた気がしたが、とりあえずそれは置いておくとして。
どの程度の距離にあるのだろうか。
「話に聞いただけであたしも行ったことはないけど、歩きなら三日はかかるみたい」
……なるほど。となるとこれは、一度、村に行ってみて話を聞いたほうがいいかもしれない。
考えてこんでいると、アリヤが疑問を投げかけてきた。
「もしかして、町に行こうって思ってる?」
「……いや」
微妙に間を置いて答える。
歩いて三日は遠すぎる距離だし、そもそも行ったところで元の場所へ帰る手がかりが掴めるとも限らない。知らないことも多すぎるし、そもそもそこまで行き着くための旅費がない。と、いうかもし途中で怪我でもしたら……などなど。すっかり育まれたネガティブな性格が顔を出して、コウイチの思考は悪い方悪い方にばかり転がっていく。
とはいえこのまま世話になり続けるわけにもいかないので、どうしたものかと悩みながら頭をひねっていると、
「そ。……そっちのほうがいいと思うわよ。あんたなら道の途中でへこたれるに決まってるんだから」
内心を読んだようなアリヤの指摘が、ますます出足を鈍らせる。
「それだけならまだいいけど、もし盗賊とかに襲われたら命も危ないしね」
……盗賊?
日常会話としては聞き慣れない物騒な単語に、コウイチは勢いよく振り向いた。
「盗賊、とは」
「滅多にないんだけどね。たまに出るみたいなのよ。どこかから流れてきた盗賊に、町に行く途中で襲われて身ぐるみはがされたりとか、下手したらその場で殺されたりなんてこともあったみたい」
「……」
まあ。
実際にどうこうするのは、もう少し落ち着いてからでもいいのでは?
別に盗賊が怖いというわけではないが、いや、怖いと言えば怖いが、ほら、やっぱり命あっての物種っていうし、命がなくなったら帰るどころか何かをすることもできなくなるわけだし――
(と、いうことで)
「もう少しだけ、お世話にならせていただけませんでしょうか」
半ば懇願じみた思いをむき出しにして、コウイチは頭を下げた。
そして薪割りも区切りがつき、ちょうど腕が重くなってきたころ、
「ご苦労様。少し休んだら?」
アリヤの言葉に甘えて、コウイチは日光のもと草の上に横になっていた。
寝ているわけではなく、一人で考えごとをしていた。
――考えてみれば、ここで寝泊まりするようになってから、ここがどんな場所なのか知ろうとしなかった。
とりあえず生きることはできるからだ。元の生活に比べればだいぶ不便だが、不思議と不満は感じない。
人はパンのみに生きるにあらず、と昔の偉い人が言ったようだが、自分はパンだけでも不満を覚えない性質なのかもしれない。
――だからこそ、積極的に何かに関わろうとしなかったわけなのだが。
などと考えていると、洗濯をしていたアリヤの視線に気づいた。
「……なにか」
「前から思ってたけど、あんた覇気がないわねー。どんな生活送ってたのよ」
不意に投げかけられた言葉が悪意もなく、ただ単純に思ったことを口にしただけなのだとすぐにわかった。
だからこそ、胸に刺さった。
(どんな……?)
漠然としか思い出せない――それも道理。学校と家を往復するだけの日々。ただ与えられたものだけを甘受する、目的意識もない惰性だけの生活。
働くということが生きることに直結する今に比べれば、なんと密度の薄いことか。
もっと自分から行動を起こすような性格をしていれば、記憶に残るような毎日になったかもしれない。
が、その踏み出すための気力のようなものが、自分にはどうしても湧いてこなかった。
「――あのねぇ」
苛立ちの混じった声が、塞ぎかけた心を現実に引き戻す。
顔を向けると、アリヤが眉をつり上げていた。
「ちょっと悪く言ったぐらいで落ち込まないでよね。あんたが暗くなると、周りの空気まで一気に重くなるんだから!」
どうやら自分でも気づかないうちに、場の空気を悪くしていたらしい。
「……すまない」
「いいわよもう! それより、その薪、まとめて裏に運んどいて」
憤ったアリヤに言われるまま、束ねた薪を家の裏手に運ぶ。
自己嫌悪のせいか、ずっしりと重く感じられる薪を下ろして顔を上げる。そこにはすっかり見慣れた紫色の球体がいた。
「カセド――」
「うわっ、暗! 暗っ! 暗いッスよ、なんつー暗さッスか! なんかドス黒い感じの負のオーラを放ってるッスよ兄さん!」
「……」
そこまで言わなくても……というか、負のオーラ?
「冗談っスよ」
「……冗談に、聞こえなかったんだが……」
けろりと前言を撤回する自称精霊、もとい謎生物。コウイチは一瞬、その口をつまんでどこまで横に伸びるか試したくなった。
それを察したのか、カセドラはくるりと回りつつ距離をとる。
「それはともかく、あの子とすっかり仲良くなったみたいッスね」
「仲良く……?」
そうなのだろうか? 今も不機嫌にさせてしまったし。そりゃまあ、少しは普通に話せるようになったとは思うが。
「これだけ馴染めば、もうオイラは用済みッスかね~」
はっとして顔を上げると、カセドラが意地の悪そうな笑みを浮かべて浮いていた。
「冗談ッスよ。兄さん一人にさせるのも心配ッスから、もうちょっとだけ一緒にいてあげるッス」
「……」
そんな。小さな子供を相手にするような。
「んん~? なんか不満そうな顔ッスね。お邪魔なら消えてもいいんスよ」
ぱたぱたと、相変わらず飾りにしか見えない羽を動かして飛んでいくカセドラ。
――ぎゅむ。
その尻尾を慌ててつかむ。
「なんスか?」
「いや……その……僕個人としては、もう少しいてくれたほうが……」
しどろもどろ。カセドラはくるりと一回転して、いかにも仕方なさそうな表情を浮かべた。
「しょうがないッスね~」
ほっと安堵の息を吐く、と同時に不安もこみあげてきた。
そばにいるのが当たり前のように感じていたが、カセドラがいつまでもつきあってくれる理由はない。今まで一緒にいたのも、気まぐれのようなものなのだから。
そう考えると、心細さと同時に寂しさのような感情が沸き上がってくるわけで。
「あ、さっそくアドバイスッスけど、今は戻らない方がいいっすよ?」
「……? それは、いったい」
「覗いてみりゃわかるッス」
言われるままに、小屋の陰から顔を出してみる。
アリヤに、彼女と同年代の数人の子供たちが近づいてくるところだった。
「あれは……」
「村の子供たちッスね」
なるほど。それならここにいてもおかしくはない。ないのだが……なんだろう。子供たちの表情が、ちょっとひっかかるような……。
だがその違和感も、次の瞬間吹っ飛んだ。
「こんにちわ、エシトー、ブランシュ、ライナ。どうしたんですか?」
年齢不相応な和やかな笑みを浮かべ、丁寧に頭を下げるアリヤ。
「いい天気だろ。みんなで森に行って、野苺でも集めようってことになってな」
「そうですか。いっぱい摘めるといいですね」
「――あれは、いったい」
……誰だ。
誰だあれは。
だらだらと冷や汗をたらしながら、コウイチはうめいた。
子供たちに笑顔を向けるあの少女、見た目はアリヤだ。だがあれがアリヤであるはずがない。
アリヤといえば、その容赦のない物言いと凍りつくような眼差し、眼光をもつて、我が道を阻むものを許さず、立ちふさがるものすべてをなぎ倒すような存在だというのに。
「……いや、大げさすぎやしないッスか?」
それなのに今自分が目にしているアリヤは、今まで見たことのない丁寧な物腰。そして同年代を相手にしているのに敬語。なぜか敬語。自分はついぞ敬語など使われたことなどないのに……!
「そりゃあ第一印象がアレだったっスからねぇ」
「それはともかく」
「流された!?」
何やらショックを受けているカセドラを無視して、じっとアリヤ似の少女を観察する。
……そういえば、アリヤは家族がいると言っていた。あそこにいる少女はまさしくそれではなかろうか。
「双子、とか」
「……兄さんも素でひどいっスね」
ジト目のカセドラ。
などというやりとりを交わしている間に、子供のうちの一人がアリヤに詰め寄っていた。
「おまえも暇だろ。つきあえよ」
そう声をかけられたアリヤの足下には、洗濯中の服が入った水桶。アリヤは困ったようにそれを見下ろす。
「え……でも」
「そんなもん後でいいだろ? せっかく誘ってやってんだからこいよ」
「……ごめんなさい。先にこっちを終わらせないと」
しらけたような顔で子供の一人が口を尖らせた。
「なんだよ。せっかく誘ってやってんのに」
「ごめんなさい」
申し訳なさそうに頭を下げるアリヤ。しつこく誘い続ける子供たち。
あー、なんか平和な光景だなあ、と、半ば現実逃避に陥っていたコウイチだったが。
「――なんだよ、そんなもん!」
子供たちのうちの一人が痺れを切らしたように桶を蹴りとばした。中の水が流れ出て、洗っている最中の服が地面に落ちる。
「あ……」
「これでやることなくなっただろ?」
「……」
言葉を失って顔を伏せるアリヤを見て、コウイチもまた驚きに目を疑っていた。
「あれ……は」
いくら遊びの誘いを断られたとしてもやりすぎだろう。だというのに他の子供もそれを責めようとはせず、むしろ当然のように笑っている。
その表情には見覚えがあった。
小さい頃、その性格からかコウイチにはいじめられていた時期がある。幸い長続きはしなかったが、その時のいじめっ子たちが浮かべていた表情。
自分よりも弱い者をいたぶる、幼さゆえの加減のきかない残虐さ。それが表ににじみ出て、妙に口元の歪んだ嫌らしい笑みとなって浮き出る――そうした表情だった。
アリヤと重なる過去の自分。自分など、決して彼女と重なるものはないと思っていたのに。
不意に足下がぐらついた。
「う……」
支えを求めて伸ばした手は何も掴めず。
かわりに、カセドラの尻尾が足に絡まってコウイチを転倒を防ぐ。
「カセ、ドラ……」
「大丈夫っスか?」
初めて聞く、カセドラのおちゃらけのない声。引きずり込まれるようだった暗い思考から、現実に立ち返る。
「あ、ああ……」
呻くように言葉を返しながら、再びアリヤに視線を向け――コウイチは絶句した。
「……っ」
少女は、笑っていた。
それはどこか、困ったような、どこか遠慮がちな笑顔で――あの年齢の子供が浮かべるには、あきらかに違うもの。
その笑顔から、アリヤがこうした事態に慣れきっていることがわかった。
立ち尽くすコウイチをよそに、さっきまでしきりに誘いをかけていた子供たちの態度は変わっていた。
「あ、でももう人数足りてるよね?」
「あー、そういえばそうだった」
棒読みでそう言葉をかわす。
「ってわけで、やっぱおまえいらないや。じゃあな」
けらけらと笑いながら、彼らは立ち去っていく。
気づかないうちに握りしめていた手が、汗に濡れていた。
……要するに、最初から誘う気などなかったのだ。
嫌がらせがしたかっただけなのだ。ちょっとした刺激を求めて。あるいは暇つぶしのために。
なんでアリヤがそんな仕打ちを受けるのか、されるがままを許しているのかはわからない。
遊びは終わりとばかりに、さも満足げに談笑しながら子供たちは遠ざかっていく。安堵にも似た思いが、深い息となってコウイチの口からこぼれる。
(終わり、か)
見ていて気分の悪くなるような一幕が終わったことに対する、安堵のため息。
これ以上続きを見なくてすむことに、コウイチは心底ほっとしていた。
と、子供の一人が急に振り向いた。無造作に、腕を振る。そこから飛来する何か。
「キャッ!」
アリヤが悲鳴をあげてよろめいた。
「なっ……?」
はっきりと狙ったわけではないのだろう。適当に、当てるつもりもなく投げられた石は、しかし運悪くアリヤの頭を直撃していた。
「――!」
「あ、ちょ、兄さん!」
背後からのカセドラの声。
なんで、と思う暇もなく。
走り出していた。
わけのわからない衝動のままに駆け出し、頭を押さえてよろめくアリヤを支える。
「……アリヤ」
「バカ……な……んで、出てきたのよ」
痛みをこらえるようなくぐもった声に、力はない。
「な……なんで、って……」
なぜ非難されるのか、意味が分からないまま、石を投げた子供に目を向ける。
子供たちはいきなり現れたコウイチに驚いた様子だったが、すぐに背中を向けて走り出した。
追うべきか、いや、怪我をしたアリヤを放っておくわけには――
考えている間にも、子供たちの姿ははるか遠くで見えなくなる。
腕の中にはぐったりとしたアリヤ。顎から、ぽたりと赤い滴がしたたれ落ちた。
「……とりあえず、手当てを」
包帯や消毒薬など望むべくもなく。傷を拭いて、清潔な布を巻きつけるだけが精一杯だった。
幸いなのは、思っていたよりも傷が小さいことか。頭の傷なので出血が多かったのだろう。
「それで……」
「何よ」
不機嫌そうでいて、噛みつくような声。やはり彼女はアリヤなのだと、こんな状況にも関わらず再認識した。
「いや……できれば、理由を知らせてもらえれば、と」
「今のあたしにそれを聞くわけ?」
「……」
やはり、もう少し落ち着いてからのほうがよかっただろうか?
いや、でも。タイミングを外すとますます聞きづらくなるし。
オロオロして視線をさまよわせるコウイチ。呆れた眼差しを向けていたアリヤだったが、その様子がおもしろかったのか、いきなりぷっと微笑した。
「……いいわよ。話したげる」
「え……だが」
「隠すようなことじゃないしね――両親がいないのよ。うち」
「……な」
絶句した。あまりにさらりと言われたので、理解するのに時間がかかった。
「いない、というのは」
「そのままの意味よ。あたしがちっちゃい頃に、死んじゃったの。村の中でそういう家はうちだけ。で、あいつら自分と少しでも違ったり、弱い者を見ると、突っつきたくなる年頃ってわけ。わかったでしょ?」
言葉が出てこない。あっさり言うが、被害にあってるのがそのアリヤ自身だというのに。
「なんで……そんな……」
「同情はいらないわよ。お腹がふくれるわけでもないし、うっとおしいから。あたしだってことさら自分を可哀想だなんて思ってないし。あいつらだって、そのうちどうでもよくなって近寄ってもこなくなるわよ」
さばさばした口調で言い切るアリヤを前に、コウイチは何も言うことができなかった。
とてもではないが、十才そこそこの子供が話すような内容ではない。
「君、は……」
「なんて言っても、こっそりバレないように仕返しはするけどね」
……。
「……は?」
「ブランシュの奴……乙女の柔肌を傷つけたこと、たっぷり後悔させてやるんだから……」
ククククク、と、とても乙女とは思えない暗い嘲笑を漏らすアリヤ。
さっきまでとは別の意味で唖然とするコウイチ。
つい先ほど交わしていた会話が嘘のような光景だった。
「いや……あの?」
「なによ、バカみたいな顔して。あたしがあんなことされて泣き寝入りするわけないでしょ」
まるでそれが自然の摂理だとでも言うように。アリヤはあっさりと言い放った。
(……なんというか)
さっきまで抱えていたもやもやした思いは、あっさり霧散していた。
今までの重い話はいったい……というか、本当に堪えてない……?
落差に戸惑い、頭を抱えるコウイチ。
そういえば、初めて会った時も、靴の中にミミズがどうとか言っていたような……。
子供たちにはなぜか丁寧な態度で接していたから、バレないように何かするつもりだろう、たぶん。
なんとも言えない気分になり、コウイチは肩を落としていたのだが、
――バンッ!
「アリヤ!」
大きな音を立てて飛び込んできた人影に、驚いて飛び上がった。
「なっ……?」
小屋に入ってきたのは、コウイチと同じぐらいの年齢の黒髪の少女だった。
息を切らしている少女は、なぜか険しい目つきで、家の中に視線を走らせる。
「あの……」
誰なのか、と問いかける間もなく、
「っ……」
少女の視線が、ぴたりと止まった。その先にある血で汚れたアリヤの髪を見て、少女の顔から血の気が引いていく。
と同時に、少女は片手に持っていた弓に矢をつがえ、コウイチに狙いをつけた。
「って、ちょ――」
「アリヤから……離れて!」
少女が弓を引き絞る。いきなり矢を向けられて、コウイチの頭が真っ白になった。
――なんだ?
なんだこれは?
キリリ、と弦を引く音だけが、鮮明に耳に届く。完全に引き絞られた弦が、きれいな弧を描いた。
ああ、死んだ――他人事のように、漠然と思う。
思った時だった。
人影が視界の端から飛び出したのは。
「止めて、姉さん!」
コウイチを庇うように飛び出したのはアリヤだった。
「っ!」
驚きで放たれた矢は、アリヤの頭のすぐ横を通り過ぎて壁に突き立つ。
「あ……ご、ごめ――」
見ているこっちが気の毒になるほど、おろおろと狼狽する少女。赤く染まっていた顔が、今度は青白く変わっていく。アリヤはそっと歩み寄り、その腰に抱きついた。
「落ち着いて姉さん。あたしは大丈夫だから」
(……ねえ、さん?)
呆然とするコウイチをよそに、アリヤは黒髪の少女に身を寄せていた。