12.乱戦、そして……
口に入れる黒パンは固い。強引に咀嚼し、薄い果実水で流し込む。
支給品なので味に文句を言う気はないが、この固さだけはなんとかならないかと思う。
眉間に軽くシワを寄せながら、リゼは周囲にそれとなく視線を向けた。
街道脇に止められた馬車は三台。幌付きで馬二頭立ての中型の物だ。中には今回の依頼で守るべき商品が乗せられている。それに御者を含めて商人が十人ほど。護衛の傭兵の人数も同じくらいだった。
リゼの見立てでは、その中にレグラスほどの実力者はいない。
見張りをしている傭兵や馬の世話をしている商人をのぞいて、一行は馬車の周りに座って休んでいた。
早朝に隊商はラストルティアを発ち、すでに時刻は昼にさしかかろうとしている。ピスネイ山脈に入って数刻。中腹はすでに通り過ぎていた。
前後の道をのぞいて、周囲は木々に囲まれた山の中。休憩ということで、比較的木々の密集していない開けた場所を選んでいるが、それでも見晴らしの良さなど望むべくもなく。状況が状況だけに、いつ何が起こってもおかしくはない。
それを知っているからか、一行の間には張りつめたような空気が流れていた。
リゼも見張りの当番ではなかったが、気は緩めていない。
同時に彼女は、離れた場所で座っているコウイチを視界の端に入れていた。
パンにも手をつけず、何かを考え込んでいる。初対面の相手にはわかりづらいだろうが、少し沈んでいるように見えた。
コウイチが口下手なのはすでに知っていたが、あまり問題にはしていない。出会った時は何を考えているかもわからなかったが、すぐに表情から言いたいことがわかるようになっていた。
だからわかっていた。
自分が傭兵たちにからまれた時、コウイチが怒りにかられて動こうとしてくれたことを。もちろん動いたとしても臆病で弱気なところのあるコウイチのことだ。その後すぐに自分の行動を後悔していただろうけど。
リゼにとってコウイチは、年上ではあるが手のかかる弟のような存在だった。彼女に弟はいないので、あくまでそういう気がする、としかいえないが。
父親のバーナルに半ば押しつけられた形とはいえ、今まで手をかけて指導してきた相手だけに、情がわくのは当たり前だと思っている。またそのことに抵抗もない。
少なくとも、他の同年代の兵士たちより親近感を抱いているのは確かだった。バーナルを除いて、もっとも親しい異性といえる。
それだけに、最近避けられている理由が気になった。心当たりはない。嫌われているわけでもなさそうなので、あまり問題視はしていなかったが。
ラストルティアについてからのコウイチは、さらに沈んだようにも見えた。街に着いた当日の夜、スルトと二人で出かけたことは知っているので、その時に何かあったと思っている。
「気になるみたいだな」
「っ……」
声をかけてきたのはスルトだった。いつの間に近づいたのか、まるで気づかなかった。周囲を警戒してたはずなのに。
「何がですか?」
自然と素っ気ない声が出た。このスルトという男は、何を考えているかわからない上に、実力もわからない。騎士である以上弱くはないはずだが、普段の言動が軽すぎてあまり敬意を払う気にはなれなかった。
「コウイチのことさ。さっきから見ていただろう?」
「……そうですけど」
言外に、それがあなたに関係ありますか? という意味をこめて、リゼは言葉をつむぐ。
スルトが肩をすくめた。
「これから命を預け合うかもしれないんだ。わだかまりを残しておくのはよくないな」
「足を引っ張るつもりはありません」
いつも以上の愛想のなさで答える。愛想がないとよくいわれるが。自分でも無愛想だとわかる受け答えだった。
「それを心配するとしたらコウイチのほうだな。俺たちの中では間違いなくあいつが一番弱いだろうさ」
「それは……」
言葉を濁したが、スルトの言うことは事実だった。
だが、護衛の傭兵たちの中でコウイチが極端に弱いというわけではない。あまり実力差がなさそうな傭兵もいる。
それにいざというときは自分が助けるつもりでいた。もっともそのことを口に出す気はなかったが。
「聞きたいことがあります」
「ん?」
「この仕事を選んだ理由――盗賊たちに襲われた隊商の共通点を考えてみました」
話題をそらしたわけではなく、機会があったら聞こうと思ったことだった。
「……それで?」
「積み荷です」
「積み荷?」
「あくまで推測ですが。盗賊が襲われた隊商は、何か共通の積み荷を運んでいたんじゃないですか?」
調べるだけの時間も材料もなかったので、これは単なる鎌かけである。スルトの反応から、答えを引きだすつもりだった。
わずかな変化も見逃さないようにスルトを見つめる。スルトは笑みを浮かべたままの表情で、目を細めた。
「それを答えていいかどうか悩みどころだが――あいにくと、招かれざる客が来たみたいだ。答えるとしても後回しだな」
気取った言い方に眉をひそめたリゼは、かすかな物音を耳にした。同時に、肌がひりつくような感覚に襲われる。リゼは立ち上がって素早く周囲を見渡した。
静寂が打ち破られた。
右側の木々の間から、武器を持った盗賊たちが姿を現した。蛮声をあげながらそのまま突進してくる。
「矢を放ってこないな。殺しはやらないっていうのは、どうも本当みたいだ」
「……返り討ちにしても?」
「いや、それほど凶悪な連中でもなさそうだからな。できるだけ生け捕りにしてくれ」
リゼが頷いたのを見ると、スルトはなぜかコウイチのそばにいたレグラスに近づいていった。
リゼは剣を抜きながら、コウイチに視線を向ける。浮き足だってはいるようだったが、あの様子ならすぐに落ち着きを取り戻すだろう。
剣を構え、盗賊たちを見据える。もうすぐそこまで近づいていた。
戦いを前に軽い緊張を覚えながら、リゼは意識を切り替える。人のことだけ心配していられるほど、自惚れてはいなかった。
◆
――あの時の感覚がどうしても忘れられなかった。
スルトが選んだ護衛の依頼は、傭兵ギルドで受けてから二日後のものだった。
当日、街を出てから山道に入り、しばらく歩いてから初めての休憩になった。半日は歩き通しだったわりには、あまり疲れていない。体力がついたなと思ったが、抱いた感想はそれだけだ。
少し考える時間ができると、どうしてもリオーグと握手をした時の感覚が脳裏をよぎった。
思い出しながら首をひねる。
丁寧な口調で、物腰もやわらかい。外観も見苦しくはない。反感を抱く余地はないはずなのに、コウイチはリオーグにどうしても拭いきれない違和感を覚えていた。
理由はわかりきっている。あの握手の時に感じた得体の知れない感覚が引っかかっているのだ。
“その気持ち、オイラにもわかるッスよ”
(カセドラ?)
“見た目も性格もなーんも非の打ち所のない奴って、見てておもしろくないッスよねー”
ガックリと肩を落とすコウイチ。
(……いや……言いたいことはわかるが、そういうことではなく)
なんか、こう……なんとなく……嫌な感じがする、としか……。
“兄さん……自分がどれだけ曖昧なこと言ってるかわかってるッスか?”
呆れきった反応だったが。自分がもし聞く側だったら同じような反応をするだろうだけに返す言葉もなく。根拠もなく人を悪く思うのもどうかと思うし。
とはいえ、あんな感覚は今まで味わったことがない。……なんだったんだろうか、あれは?
“って考え事してる場合じゃなさそうッスよ”
(……?)
――オオオッ!!
唐突に現れた、こちらに攻め寄せる武装集団の荒々しい雄叫びに、コウイチの体がビクリと震える。
盗賊の襲来――予想していた事態だったが、頭はすぐにその現実を受け止めようとはしなかった。
「おいっ、ボサッとしてんじゃねェ!」
呆然と立ち尽くしているコウイチに、レグラスの怒鳴り声がかけられる。驚いて振り向いたコウイチに、レグラスは不機嫌そうに吐き捨てた。
「あの野郎の伝言だ。『できるだけ殺すな』だとよ。――クソが。ふざけやがって」
“あの野郎”というのは、スルトのことだろう。その内容に首を傾げつつも、すぐに疑問に感じている余裕はなくなった。
盗賊たちから守るように、護衛の傭兵たちが馬車の前に並ぶ。商人たちは巻き込まれないようにするため、固まって反対側へと移動した。
盗賊たちが殺到する。乱戦が始まった。
――頭の中は終始真っ白だった。
集団戦での戦い方は教わっている。戦いが始まる前にはほんのわずかだが、自信もあった。にも関わらず、何を教わったのかさっぱり思い出せない。
思い出しながら動こうとしても、めまぐるしく変わる周囲の風景に、思考が空回りをしていた。
飛び交う怒声や悲鳴。刃が噛み合い、肉が切り裂かれる音。何十人分のむき出しの殺意がさらに思考を鈍化させる。
実際にはそれほど凄惨な光景が広がっているわけではないが、コウイチの経験の少なさが、目に映る現実を誇張されたものに変えていた。
いったん距離を置いて落ち着こうにも、守る側にそんな余裕などあるはずも――
『まずは相手をする敵を減らすんだな』
閃くように脳裏に浮かんだ言葉に、コウイチはハッとして馬車の幌に背中をつける。たったそれだけのことで、背中から攻撃されることはなくなるのだ。
『相手側が自分たちより多くても、できるだけ一対一の状況を作り出せ。地形や道具、その場にあるものはなんでも使え』
思い出したのはバーナルの声だ。痛みに悶えながら。あるいは気絶寸前で朦朧とした意識の中で聞いたあの声だ。
『味方のことは考えるな。自分一人の面倒だけ見ればいい。最初から期待されてる奴なんざいねェ。足手まといにならないことだけ考えろ』
従士になると決まった時から、こんなこともあるだろ、と事も無げに言いきって彼が提案したのは、他の兵士たちも巻きこんでの実戦形式の訓練だった。
敵か味方かを分けるのは、体のどこかに巻いた布の色だけ。最初はわけがわからないうちにやられていた。青あざで全身がおおわれるかと思うほど打ち身だらけだった気がする。
盗賊の一人が切りかかってきた。雄叫びをあげながら振り下ろされた剣を受け止める。力尽くで押し込んでこようとするが、体を斜めにして受け流した。盗賊は体勢を崩したが、すぐに立て直した。たったそれだけの攻防だが、盗賊の表情には焦りの色が浮かんでいた。
防御にはランディにも言われた通り自信がある。そして盗賊の敵の嫌疑は彼よりは荒削りに思えた。再び繰り出された振りの隙をついて、がら空きの胴体を剣の腹で叩く。
「ぐぅ……!」
盗賊は苦悶の表情で剣を落とし、その場に倒れた。
「……え?」
あっけない決着に、思わず現実を疑った。
(まさか……一撃で?)
“おー……成長したッスね、兄さん”
感心したカセドラの声に、自分が間違いなく強くなっていることを実感する。
遅れてこみ上げてきた興奮に、思わず剣から手を離して拳を握りそうになった。
(……よし!)
――まだ終わっていない。気を引き締め、周囲の状況を確認する。襲ってきた盗賊は二十人ほど。こちらの倍の人数だが、味方は守りに徹して盗賊たちをよせつけない。
さすがというべきか、レグラスの近くではすでに二人の盗賊が倒れている。
リゼは――
さらに視線を巡らせた瞬間、盗賊たちが飛び出してきた逆側から雄叫びがあがった。
「っ!?」
驚いて振り向くと、十人ほどの盗賊たちが飛び出してくるところだった。そちら側に避難している商人たちから悲鳴があがる。
(まずい……っ!)
慌てて駆け出そうとしたところで、小柄な人影が突進してきた。新手の敵はコウイチと馬車の間の隙間に割り込むと、駆け抜けざまに腕を横薙ぎにする。手の先には刃の鈍い輝き。いきなりのことに、コウイチは場の有利も忘れて飛び退いた。
初撃をかわされた敵は舌打ちしたが、息つく暇もなく追撃を仕掛けてくる。
「は――」
――速い。
両手の甲に仕込んだ短剣のようなものを、間を置かずに繰り出してくる。しかも足を使って回り込み、こちらの死角を突きながらだ。受けるだけでは間に合わず、時には大きく下がりながらなんとか攻撃をしのぐしかなかった。
敵の武器は短い。せいぜいが短剣ほどの長さだ。だが距離を置いて有利な間合いにしようとしても、しつこく食いついて離れない。そのせいで周りを見る余裕もない。
(カセドラ……!)
助けを求めようと心の中で相棒に呼びかけるも、
“ういうい。兄さん、がんばるッスよー”
(ちょっ!?)
“それは冗談で……というか、あんなふうに動き回られたら手の出しようがないッスよ。オイラの命もかかってるんで、ここは死なないように健闘を期待するッス”
そんなん知るか、と怒鳴りかけ、コウイチは慌てて上半身をそらした。首もとスレスレを刃が通り過ぎていく。
「っ……!」
冷や汗が頬を伝う。その冷たさが、逆に冷静さを取り戻させてくれた。
――落ち着け。周りのことより、まず目の前の相手に集中しろ。
自分に言い聞かせ、焦りはじめた気持ちを落ち着かせる。攻撃を受けながら、その動きに注目した。
新手の敵は、かなりの小柄だ。リゼよりも背が低い。そのせいで攻撃も下からくるのでやりにくい。
だが、何もかもが優れているわけではない。
力が弱いからなのか、一撃の重さはない。攻撃のリズムも単調だし、狙ってくる場所も首や顔ばかりだ。なにより、あれだけ動き回って長くもつとは思えなかった。
ならば、このまま受けに徹すれば。
確信はなかったが、他に打つ手は思いつかなかった。そこから先はただ防ぐことだけに意識を集中する。
突き出された刃を弾き、横薙ぎにされれば受け、どちらも間に合わなければ体ごと退いた。相手が動き回るのでコウイチの運動量も増えていたが、攻める側ほどではない。攻撃が単調なので呼吸が乱されることもなく、確実に攻撃を防いでいく。ランディやその他の兵士たちとの模擬戦での、勝ちにつながる戦い方だった。
そのうちに、相手の動きが鈍くなり始めた。動き回っていた足が止まり、攻撃も鋭さを失っていく。
(――ここっ!)
相手の大振りに合わせて、剣を振り上げた。刃同士がぶつかり合い、衝撃で相手の腕が跳ね上がる。体勢を立て直すより速く、その喉元に切っ先が突きつけた。
「くっ……!」
悔しそうな声をあげて、盗賊が動きを止める。
追い詰めた側のコウイチの額から、どっと汗が噴き出してきた。
(……か、勝った……?)
一つ間違えれば、死んでいたかもしれない。そう思うと、今さらながらに恐ろしくなってくる。
(というかこの人……)
当たれば死ぬようなところばかり狙ってたし。
“――で、これからどうするんスか?”
(……えーと)
カセドラの質問に、言葉を濁すコウイチ。
なんとかなったのはいいが、これからどうするかまでは考えていなかった。
硬直状態になり、どうすればいいかわからないままコウイチは戦っていた相手の外見に注目する。
やはり、かなりの小柄だ。自分の胸ぐらいまでしか身長がないように思える。
覆面のように頭に巻き付けられた布のせいで顔は見えないが、隙間からのぞける赤い目は鋭くこちらを睨みつけている。こんな状況でなければ間違いなく目をそらしている険しさだった。
ふと、気づいた。さっきまで騒がしいほど響いていた戦いの音がやけに小さくなっていることに。
(……あれ?)
戦いに集中しすぎてコウイチは気づいていなかったが、時間差の挟み撃ちを受けて護衛の傭兵たちは総崩れになっていた。
すでに何人かは倒され、逃げ始める者まで出ている。よほどのことがない限り、ここからの逆転はないところまで状況は変わっていたのだ。
幸いというべきか、いつの間にか混戦の中心地から離れた場所にまで来ていたので、すぐに盗賊たちに取り囲まれることはなさそうだが、のんびりとしていられる余裕はなさそうだった。
(ど、どうすれば……)
現状を知ったコウイチは、
(いっそ、人質にでもして……!?)
などと考え始めていた。
――視界の端で、倒れてぴくりともしないリゼを目にするまでは。
「なっ……?」
視線の先にいるのは、間違いなくリゼだ。うつぶせで顔は見えないが、気を失っているのか動く様子がない。
コウイチの視線が倒れているリゼに釘付けになる。動揺が表に出て、盗賊の喉に突きつけていた切っ先が震えた。そんな隙だらけの状況を相手が見逃すはずもない。
「りゃあっ!」
剣を弾かれた。その拍子に切っ先が覆面にひっかかっり――そのまま覆面をはぎ取った。盗賊の素顔があらわになる。
コウイチは自分の失敗を悔やむ暇もなく、それを見て衝撃に襲われた。
小柄すぎるから、ある程度は予感はしていた。だが、本当にそうだったとは。
「……子ども?」
「誰が子どもだっ!」
さっきまで戦っていたはずの相手が、怒りをむき出しにして怒鳴ってくる。
燃えるような赤い髪も目を引くが、その顔立ちは間違いなく子どものものだ。眉間にしわを寄せているが、幼い表情のせいであまり迫力はない。
その目が、驚きに見開かれた。
「後ろだ!」
レグラスの声に反応して振り返る。見上げるような人影が映った気がした。それがなんなのか確かめるよりも早く、コウイチは首に衝撃を感じた。
「あ……」
全身の力が抜けていく。ゆっくりと意識が遠ざかっていく。
ドサ――
抗うすべもなく、コウイチの体は力なく地面に横たわった。
「っざけんな! てめェに死なれたら困るのはこっちなんだよ!」
盗賊たちを打ち倒し、怒りを露わにレグラスが駆け寄ってくる。
「なんで手を出した!? アタシの獲物だぞ!」
すぐ近くで怒鳴り声が聞こえた気がした。
そして狭まっていく視界の中で、最後にコウイチが目にしたのは。
リゼを肩に担ぎ、こちらを冷たく見据えてから背を向けるスルトの姿だった。
◆
体を揺さぶられて瞼を開くと、目の前にはスルトがいた。
「……ここは」
「大丈夫か?」
「なに、が……? ……あ……っ」
何があったのかを思いだし、リゼは俯いて唇を噛んだ。
思い出したのだ。自分が誰と戦って――言い訳のしようもないほど惨めな負け方をしたのを。
『オイオイ、まだやんのかい?』
禿頭の大男だった。二振りの斧を両手に、その男は困ったような顔をしていた。
『止めときな嬢ちゃん。おまえじゃ無理だ、わかってんだろう?』
戦い始めてリゼはすぐに気づいた。この男は、自分よりも強いと。
それでも背を向ける気はなかった。相手がどれだけ強くても、これは守る戦いだ。男との戦いから逃げるのは、最後まであがいてからにするつもりだった。
無言で挑みかかった。男はため息をついて、剣を振りかぶったリゼの腕を捕んだ。
『頭からは落ちるなよ!』
肩と腕に痛みが走り、視界が何回転もした。気がついたら梢の上にでもいるような高さから地面を見下ろしていた。上空に放り投げられたと気づくと、考えるよりも先に体を丸めた。その後、全身に強い衝撃を受けた気がする。
肩と背中が、痛んだ。
「やられたな。まさかあそこまで手強いとは思ってもいなかった」
気絶した自分を、スルトが担いで運んでくれたという。足を引っ張らないどころか、完全な足手まといだった。
言葉を発する気力もなく、リゼは顔を伏せていた。敗北の余韻で、何も考える気力がなくなっていた。
沈黙の後、気だるげに疑問を口にした。
「……コウイチはどこですか?」
大して考えず口にした言葉に、スルトは顔をしかめた。都合の悪いことを聞かれたような反応だった。リゼの胸中に嫌な予感が広がっていく。
「ここにはいない。逃げ出す奴らの中にも混じっていなかった。レグラスもな。……最悪の可能性もある」
「えっ……!?」
慌てて立ち上がった。肩に激しい痛みが走ったが、歯を食いしばって耐える。
急いで襲撃を受けた場所へと戻った。さすがにこの状況で喋る気はないのか、無言のままスルトはついてきた。
戻った場所では、盗賊たちはすでにいなかった。代わりに逃げ遅れた商人と怪我をして動けない傭兵たちがいた。奪われたらしく、馬車の積み荷が少なくなっている。商人たちに怪我をしている者はいなかったが、コウイチとレグラスの姿も見あたらなかった。
座り込んで呆然としていた商人の一人が、リゼとスルトに気づいた。
「あんたら……」
表情を険しくして立ち上がり、二人に詰め寄る。
「護衛なのに逃げるってのはどういうことだ?」
「……」
返す言葉もなかった。
黙りこんだリゼに、面倒になったのか商人は不機嫌な表情で座り込んだ。
「すまないが――」
スルトがコウイチとレグラスのことを聞くと、
「ああ」
商人は疲れたような声を出した。
「そいつらかどうかは知らんが、二人、盗賊たちに連れてかれたよ。その後は知らん。殺されたかもな」
商人が素っ気なく口にしたその言葉が、虚ろに響き――リゼは言葉を失って立ち尽くした。