11.実地試験(2)
街を囲う外壁、その出入り口である門の脇に立っていた兵士と一言二言、言葉を交わした後――
見た目からして物騒な雰囲気を放っているレグラスに怪しむような視線を向けられることもなく、四人はラストルティアの街へ何の問題もなく足を踏み入れた。
スルトは何度も来ているらしく、彼の案内ですぐに泊まる宿までたどり着く。
大きくも小さくもなく、高級でも寂れてもいない、どこにでもありそうなごく普通の宿屋だ。
その後、部屋割りをどうするかについて決める際に一悶着あったのだが――男三人とリゼの一人で二部屋とろうと言ったスルトの妥当な提案を、まず最初に頷くはずのリゼが、
「あたしは一緒でもいいです」
なんの躊躇いもなくさらっと拒んだのだ。
「あのなあ、そういうわけにもいかないだろ」
「なんでですか?」
「なんでって……あそこで不満そうにしてる奴に襲われるぞ」
と、スルトはレグラスを指さして言ったのだが、レグラスが文句を言う前に、
「返り討ちにしますから」
リゼは淡々と言い放った。
「……いや、そういうことじゃなくってだな」
言葉に詰まったスルトだが、
「俺はいいけどな、コウイチが寝られなくなったら困るだろ」
なんて言い出した時点で、話の雲行きはおかしくなった。
「ちょ――」
「……なんで寝られなくなるのかな?」
そんな、何の含みもなさそうなリゼの問いかけに答えられるはずもない。
硬直して押し黙っているコウイチに、呆れたのか諦めたのか、
「……まあいいけど」
などと、納得の色合いがまったく感じられない様子ながらも、リゼはスルトの提案を受け入れた。コウイチが心の底からほっとしたのはここだけの話である。
その間、カセドラの笑いを堪えるような気配を感じて殺意を覚えたのがそれはともかく。
(リゼって……)
薄々感づいていたことだが、リゼはどうやら男女間の羞恥心や危機感というものを持ち合わせていないらしい。その手のことに関心がないという以前に、そもそも自分が人並み以上に魅力的な少女ということも自覚していないのかもしれない。
その後、四人は今後のことについて話し合うために一部屋に集まった。
「まずは状況のおさらいだ」
そう前置きをしてからスルトが説明を始める。
センダリア王国の東端にある、要衝の街クレイファレル。その南西にある、交易の中心地として発展してきたラストルティア。
そのラストルティアからは金脈のようにいくつもの交易路が延びているが、問題となっているのはそのうちの一つ、街の西側の彼方に縦断するようにそびえ立っているピスネイ山脈を横切る街道だった。その道を使えば、最短で西域の領地へと行ける重要な街道だ。
何が問題かというと、その街道で隊商を狙った盗賊たちが出没しているのだ。山脈の入り口、ラストルティアからほど近い場所で、何度も積み荷を奪われ、相当な被害がでているらしい。
「で、だ。ここの領主がそいつらをなんとかしてほしいと国のお偉いさんに要請して、その役目を回されたのが俺たちってわけだ」
「……なるほど」
違う領地での盗賊被害をなんとかする、程度にしか話を聞いていなかったので、コウイチはスルトの説明に深々と頷いた。
(……あれ?)
そして部屋を見渡す。今この場にいるのは、自分とリゼ、スルトとレグラスの四人だけ。
(この四人でその問題を解決しろ、と……?)
「それを、あたしたちだけでやるんですか?」
リゼも同じことを思ったらしい。彼女の率直な質問に、スルトは首を横に振った。
「まさか。俺たちの仕事は調査だけだ」
「調査、というと」
「実情を探って、騎士団を派遣するかどうかの調査だ」
コウイチとリゼが二人して首を傾げる。
「なんでそんなことをするんですか?」
「怪しいところがあるからだろうよ」
鼻を鳴らして答えたのはレグラスだ。
「不穏な発言はやめてもらいたいな」
スルトが苦笑しながら返す。といっても、レグラスの発言自体を否定したわけではなさそうだった。
「こういう場合、やましいことを隠して都合のいいことだけ伝えてくることも多いんでな」
以前から盗賊騒ぎはあるのに、なぜ今になって依頼をしてくるのか?
お抱えの兵士もいるのに、なぜ騎士団を頼るか? 彼らでは手に負えないのか?
どうも、そうした疑問が持ちあがっているようだった。
「それを調べるのが俺たちの仕事ってわけだ。本来なら今回の問題は、その土地を治める領主が解決しなきゃならないものなんでな。それを怠って国に問題を丸投げしてないか、あるいは何か不都合なことを隠していないか、調べる必要があるのさ」
「……その、盗賊が出没するという街道を迂回するわけには」
スルトは苦笑すると、おもむろに立ち上がると木窓を開けて、
「見てみろよ」
言われるままに外に視線を向ければ、はるか彼方……というほどでもないが、街の外には横一面に広がる山の連なりが広がっていた。通り抜けられそうな谷間も見あたらない。
「あれがピスネイ山脈だ。あれを迂回するとなると、相当な大回りをしなきゃならない。そうなると当然、時間も金もかかる。山脈と言ってもそれほど標高があるわけじゃないが、大量の荷物を積んだ荷馬車で行くとなると、整備された街道じゃないと難しいからな。選択の余地はないってことさ」
来るときはこれからの先行きに気を取られてあまり意識していなかったが……というか、
「そんな重要な街道に、盗賊たちが……?」
話を聞いたばかりのコウイチにも、それが重大事だということがわかる。しかも最近になって出没したわけでもないのだから、長い間その問題を解決しなかったことになる。なんでそんなことに……と思わず首を傾げたくなるような問題だった。
「それなんだが、盗賊の存在こそ以前から知られていたがそれほど問題視はされてなかったんだよ」
「どういうことですか?」
「話に聞く限りじゃ、それほど凶悪な連中じゃないってことさ」
話に出てくる盗賊たちは、どうやら盗賊という名から連想するようななんでもありの無法者ではないらしい。荷を奪うのは隊商からのみで、一人旅の旅人や行商人を狙うことはない。手間も考えてのことかもしれないが根こそぎ荷を奪うこともせず、往路に必要な分の食料にも手をつけない。人を殺したという話も滅多に聞かず、逆に道中で足をくじいて立ち往生している旅人を介抱したこともあるらしい。そういうわけで街の住民の一部では妙に人気が出てしまい、山に入る木こりや猟師なども、盗賊たちのことについては口をつぐんでいるとのこと。
それだけ聞くなら、確かにそれほど悪い連中ではない気がするが。
盗賊寄りになりかけたコウイチの心情を察したのか、
「ま、盗みは盗み、犯罪は犯罪だ。今回の件で俺たちが動く動かないに関わらず、そいつらもいつかは後悔することになるだろうさ」
ともかく、とスルトは続ける。
実情はどうあれ、今回の依頼に限らず、よほど緊急でない場合は事前に調査をすることになっているらしい。
「それに選ばれたのが俺たちってわけだ。余計なのも混じってるけどな」
苦笑混じりのスルトの発言に、レグラスが苛立たしげな顔をしてみせた。
「来たくて来たわけじゃねェ。文句があるんならおまえの上司と俺の雇い主に言え」
「そう怒るなよ。あんたが同行するってのは団長から聞いているさ。……どうしてそんなことになったのかまでは聞いてないけどな」
「……騎士サマってのは、もっと腰が重いモンじゃないのか。こんな密偵まがいの真似するなんてな」
からかわれたとだけとわかったらしいレグラスが憮然として口にした皮肉に、スルトは肩をすくめ、
「団長の影響だろうな」
あっさりと言ってのけた。
「あいにくと余所と違って、ウチは腰が軽いのが信条でね。誇りや面子はあまり重視しないのさ」
「そうかよ」
皮肉をあっさり受け流されたレグラスがつまらなそうに吐き捨てる。
「ああ。あとこの調査は表だってやれることじゃないから、俺たちは傭兵を名乗って動くことになる。あまり目立つような真似はしてくれるなよ?」
依頼をしてきた領主にも会わないらしい。調査自体が領主に疑いをかけるような内容だからだ。
「この程度の仕事なら、本来なら俺一人で十分なんだけどな。おまえらを――」
コウイチとリゼを交互に見て、スルトが続ける。
「連れてきたのは試験の一環だ」
「試験……?」
あまりうれしくない単語を耳にして、コウイチは眉を寄せた。
まさか、場合によっては騎士団に入れないとか……。
「と言っても、これでヘマしたからって従士になれないわけじゃない」
思わずホッとしたのもつかの間、
「だが場合によっては、辞退するのも考えたほうがいい。……この程度で躓いてるようじゃ、これから先、命がいくつあっても足りないからな」
向けられた眼差しに一瞬、冷たさが宿った気がして、コウイチは生唾を飲み込む。
リゼと違って実力不足は自覚しているので、不満を覚える以前に不安がわき上がってくる。
「そんな任務に、部外者を関わらせてもいいんですか?」
リゼがレグラスを横目で見ながら聞いた。
「大丈夫だろ」
あっさりとスルトが答える。
「こいつは傭兵だ。つまり雇われている間は、余計なことを漏らしたりしないさ。そうだろう?」
「契約通りの金をもらっている間は、だ」
「だそうだ」
憮然としたまま言葉を返すレグラスだが、リゼの疑いの眼差しは晴れない。
険悪な雰囲気になりかけていたが、コウイチは気づかなかった。目を伏せたまま、別のことに気をとられていた。
スルトの話を聞いて思い出したことがある。この世界に来て、最初に殺されかけた時のことだ。あの時も相手は盗賊だった。
(……いや)
恐怖に心が占められるのも一瞬、あの時とは違うと、コウイチは自分に言い聞かす。
まだ未熟だが、戦い方は覚えた。ただ隠れて逃げ回るしかなかっただけの自分ではない。殺されそうになれば、抗うことだってできるのだ。
もちろん、来るなら来いと思えるほどの自信はなく、できるなら平穏無事に終わってほしいというのが本心なのだが、コウイチはあえてそう思うことで自らを奮い立たせていた。
……その期待が裏切られることを、半ば予想しながら。
「明日から本格的に動き始めるからな。今日中に疲れをとっておけよ」
と、話の終わりをそう締めくくったスルト。その後は言われた通り、さっそく寝ようと思っていたわけなのだが。
(なぜ……?)
なぜかそのスルトに誘われ、コウイチはラストルティアの街の盛り場へと足を踏み入れていた。
なんで自分だけ、などと疑問を浮かべながらも、初めて来る町の風景に目を奪われる。
クレイファレルも国境に近い街だからか多種多様な人種がいたが、ここはそれ以上に雑多な雰囲気だった。
交易の中心地だけあってか、クレイファレルよりも活気があるように思える。道を行き交う人の数も多い。
人種、食べ物、衣服、装飾品。統一感はまるでなく、様々な種類のものが入り交じっていた。すでに時刻は夜に差し掛かっていたが、建物の中から漏れるだけの光が照らす路地でも暗さを感じないのは、その雑多な賑やかさのせいかもしれない。
それらを眺めながら、コウイチは居心地の悪さを感じていた。
こうした騒がしい夜の街は苦手だった。バーナルに何度か連れてかれているし、フェリナとの一件でも足を運んでいるが、自分から行こうとは間違っても思わない。
楽しい楽しくない以前に……居づらいというか、ひどく場違いな気がするから。
“それって単純に人混みが苦手ってことッスよね?
「……」
まあ……そういうこともあるが。
そもそも感情や言いたいことをうまく表に出すのが苦手なのだ。だというのに、酒に飲まれてそれらを吐き出すことになったらどんな醜態をさらすことになるかと思うと……考えるだけでも恐ろしい。
“前科もあることだし、ってことッスか?”
紫色の謎生物が何か言ったような気がするが、何も聞こえなかった。
“……ほう? ほほう? ……そんな態度とっていいんスか? なんならあの時なにがあったか、一から詳しく教えてあげてもいいんスよ?”
(……え?)
“飲んでても全然見た目が変わらないと思ったら、いきなりあれッスからねェ? 周りの人たちも思いっきり引いてたッスよ”
(いや、あの……)
“いきなり自分の頭を打ち付けたかと思ったら、急に変な声で笑いだすんスから。その後――”
(すいません自分が悪かったんでほんと勘弁してください)
と、土下座する勢いで謝り倒す。
“最初っからそう言えばいいんスよ”
(まったくもってその通りで)
偉そうな口調から、ふんぞり返ってニヤついているカセドラの姿は簡単に想像できたのだが。
フェリナの護衛をしていた頃、一回だけ限界を超えて酒を飲み、何かをやらかした身としては、カセドラの脅迫に黙って屈するしかない。
それはさておき――
そんなことを考えながら飲んでいても、当然ながら気分は盛り上がらず……こんな自分と飲むバーナルも、きっとあまり楽しくはなかっただろうなあと考えたり。
そんな後ろ向きなことを考えている間にも、一件の酒場へ入っていくスルト。コウイチも置いていかれそうになりながらも、慌てて後に続く。
その店はそれなりに人気があるようで、ほぼ満席だった。目ざとくちょうど空いた席を見つけ、スルトがそこに陣取る。
よどみなく酒を二杯注文がてら、給仕の女性と楽しそうに話し始めた。
イメージ通りというかなんというか……相手もまんざらじゃなさそう様子である。
“うらやましいんスか?”
(……いや、別に)
“微妙な間があったッスよ”
……ハハ、ハハハハハ。
それはもちろん、まったくうらやましくないと言えば嘘かもと言えるかもしれないと言うわけであってそんなことないわけがないというか――
「……何やってんの、おまえ」
気が付けば、いつの間にか話を終えていたスルトがこっちを見て怪訝そうに眉をひそめていた。
「……いえ、別に」
「そうか? いきなりきょどきょどし始めたから、途中から気味悪そうに見られてたぞ」
「……」
えーと。
ここは速やかに自殺を図るべきなんでしょうか?
“そんなことしたらオイラも消えちゃうんでやめるッス”
「こういう場所に慣れてないってことはないよな。バーナルのオッサンに何度か連れられてるんだろ?」
言いながら運ばれてきた酒を飲み干し、早くも追加を注文するスルト。
「? そう、ですが」
何でそれを知っているのかと、顔に出ていたのだろう。スルトが肩をすくめた。
「あのオッサンが目をかけている新入りの兵士がいるとは聞いてたからな。少しばかり調べさせてもらったのさ」
と言いつつも、二杯目も一気に喉に流し込む
なるほど、と思いつつも、コウイチも酒に口をつける。苦さのある風味が口の中に広がった。
……というかあの人、強い強いとは思っていたが、騎士団の人たちにも注目されるほどだったのか。
「実力から言えば、騎士団入りしていても不思議じゃないしな。だから注目されてたぞ。あのオッサンが鍛えてるっていう新入りが、どれほどの実力者かってな」
そしてその実物は大したことがなかったという……別に自分から目立つようにしたわけではないのだが、なんとなく申し訳なさを感じたコウイチは下を向いた。
それをおもしろそうに眺めながらも、次々に酒を注文しては飲み干していくスルト。
「期待されたほどじゃないってだけの話なんだから、そう気にするなよ」
「それは……そう、ですが」
言われたとおりなのだが、そこでそうやって割り切れるなら苦労はしないわけで――
(……だめだな)
自分の中で並べ立てそうになった情けない言い訳を振り払い、コウイチは顔を上げた。
このまま黙っていたら、どんどん落ち込んでいきそうなので、
「あの」
「ん?」
「なぜ自分と……ここに?」
「そりゃおまえ、これから一緒に一つの目的のために取り組むわけなんだから、こうして酒でも飲み交わして親睦を深めようとだな……」
言葉を途中で区切ると、スルトは髪を掻きながら溜め息をついた。
「なんて建前で入って、酔ってから話をしようと思ったが無駄みたいだな」
スルトがそう言い終えた瞬間。
なぜか周囲の空気がぴんと張りつめた気がした。
「一つ、聞かせてもらいたいんだが――」
そう話すスルトの声音と表情はまったく変わらないのに、さっきまではなかった“何か”が、その体からにじみ出る。
「おまえ、何者だ?」
「っ……な……何者、とは」
質問の内容以上に、スルトの様子に妙な圧迫感を感じて、コウイチは声をつまらせた。
「少しばかり調べさせてもらった、と言ったよな。そうしたら、どうしてもわからないことがあった」
「わからない、こと……?」
「記憶がないっていうおまえの過去を調べるために、おまえの記憶が始まっている場所を中心に、探りを入れてみた。で、不思議なことなんだが――」
「……」
「周辺の村や町、街道で、痕跡がまったく見あたらなかった。……変だろ? 普通ならそういった場所を通っているはずなのに」
(……っ!)
「考えられることは二つある」
スルトが左手を突き出し、人差し指を立ててみせる。
「おまえがそういった人目につく場所をさけていた可能性」
次に、中指をピンと立てた。
「あるいはいきなりその場に現れた可能性。……空から降ってきたりとかな」
左手を下ろし、スルトが苦笑を浮かべる。
「二つ目の予想はいくらなんでも突飛すぎるとしてもだ。人目をさけるような真似をしていたとしたら、なんでそんなことをしていたかっていうのが問題になってくるよな?」
「……え、ええ」
確認のような問いかけに、コウイチは絞り出すように答えた。
(……まずい)
背中に冷や汗を浮かべながら、コウイチは確信する。
どうやら、自分は何かを疑われているらしい。
記憶がないと誤魔化してきたが、スルトの順を追うような推論を聞かされれば、自分のことながら怪しすぎることこの上ない。
(……まさか二つ目が正解なんて言えるわけもないし)
こんな時にこそ助言がほしいカセドラの存在は、なぜかまったく感じられなかった。
いや、そもそもカセドラはなんで――
「どうした? 顔がこわばってるぞ」
からかい口調のスルトの指摘に、一瞬飛びかけた思考が引き戻される。
このまま黙っていたら疑いが深くなるだけだ。
(ここは、何もわからないということで押し通すしか……)
口を開こうとして、気づいた。スルトの顔は笑っているが、目は笑っていないことに。
本当は記憶をなくしているなんて嘘じゃないのか――その目がそう物語っていた。
「っ……」
コウイチの半分開いた口が、その形で止まった。
何も言えず、何も言われない時間が過ぎ。
スルトの問いつめるような眼差しが、不意に一変した。
「……なんてな」
その瞬間、空気までも変質した気がした。
「……は?」
「本音を言わせてもらえば、おまえの過去のことなんてどうでもいい。男の昔話なんて興味もないしな。だからおまえが何をやっていたかとか、実は何かを隠していてそのために記憶をなくしているなんて嘘をついていたとしても、それを追求する気はないさ」
問題は今だ――スルトは言う。
「使えるかどうか。いざっていう時、背中を預けられるかどうかのほうが重要だからな」
そして続けて、
「だからおまえが今回の仕事で足を引っ張る程度の奴だったら――」
なんでもないことを話すような口調で。
「俺は何のためらいもなく――」
それで死んでも知ったことじゃないとばかりに。
「おまえを見捨てるだろうけどな」
スルトは言い放った。
“うわ、キツ……”
いつの間にか戻ってきたカセドラの気配。その呆気にとられたような呟きが、いつもより遠くから聞こえた気がした。
唖然として、コウイチは言葉を失う。
さっきまでの、どこか異様な雰囲気を感じさせるスルトが言っていたら、これほど驚かなかっただろう。
昼間の、人当たりのよさそうな青年の顔で言ったからこそ、その言葉にはどうしようもない違和感が伴っていた。だというのに、その言葉を性質の悪い冗談と受け取ることはできない。それほど自然な話し方だった。
どれだけ唖然としていたのか――
気づいた時には、スルトは目の前からいなくなっていた。テーブルの上には、空になった酒杯が積み重なっていた。
手の中の酒は、半分も減っていなかった。