11.実地試験(1)
この世界、街から街の間にはほとんど建物がない。所々に旅人相手の休憩所のような小屋や、兵士の詰め所はあるものの、少し道から離れればほとんど人の手が入っていない自然が広がっているようだった。
天気は雲一つなく、暑くもなく寒くもない、そんなうららかな日よりである。
(……ピクニックなどには。……いいかも、しれない)
できるだけそれらの自然に目を向けながら、コウイチはそんなことを考えていた。
クレイファレルの街から外に出たのは今回が初めてのことだ。なので少しぐらいは高揚感があってもいいのかもしれない……のだが、なぜか少しもそんな気分にならない。
いや、実のところ、なぜか、などと考えるまでもなく、理由はわかりきっているのだが。
顔は手つかずの自然に向けたまま、コウイチはそっと傍らを行く同行者を視界に入れた。
すぐ前を歩いているのは、自分より年下だが自分などより圧倒的に強い少女、リゼ。
前を向いているから顔は見えないが、たぶんいつも通りの無愛想な表情で黙々と足を動かしているのだと思う。
少し前ならすっかり慣れたはずのその表情も、今では緊張する要因の一つでしかない。
“だからさっさと渡したほうがいいって、あれほど言ったじゃないッスか”
頭の中に響くカセドラの声は、呆れを通り越してうんざりしたような響きだった。
(それは……その、通りなのだが……)
カセドラが言っているのは、行商人のアグサからアイーシャに手伝ってもらってまで買ったリゼへのプレゼントのことだ。
言われるとおり、今日までの間にいくらでも渡すチャンスはあった。……のだが、なんだかんだでずるずると先延ばしにしていまだに渡せていない。
結果、こちらから話しかけられないという状況はいまだ継続中なわけで。
懐に手を当てれば、そこには意を決して買ったあるものの感触が伝わってくる。
いっそ、思い切って今この場で渡す、という手は――
“無理ッスよね。二人きりの時にも渡せてないんだから、他に人がいる今の状況じゃあ”
(……まあ)
カセドラの言葉に否定できる根拠が思いつかず、視線をリゼのさらに前に向ける。
先頭を歩く茶色の髪を短く逆立てた青年が、コウイチの視線に気づいたのか目を合わせてニヤリと笑った。
(……っ)
反射的に慌てて目をそらしたコウイチだが、青年は気を悪くした様子もなく、
「ああ、それでどこまで話したっけ? ……そうだ、うちの団員の奴らのことだったか。グレイセン団長には右腕って言われるほどの凄腕の部下がいるんだが、これがまた美人でな。ただ厳格って言うか、半端じゃないくらい厳しいんだよな、これが。美人なのにもったいないってみんな言うんだが、正面きって言った猛者は今のところいない……っつーか言ったら多分次の日の朝日は拝めないね、ほんとに。おまえら騎士団入りしたら、そこらへん挑戦して見る気ないか? ああ、ないよなやっぱり」
こちらが返事をするまでもなく、話し続けている。
さっきからしきりに話しかけてくるのだが、どうやら特に答えを求めているわけではないらしい。途中から一人で喋りっぱなしになっていた。
口下手なコウイチには、よくあれほど話が続くものだと思わず関心してしまうほどだ。
さっきからどうでもいい雑談を続けているのは、態度からは想像できないが、グレイセンの騎士団に所属する騎士の一人だという。名前はスルトというらしい。
話好きなのか、歩きながらもほとんど口を閉じることがない。騎士団の面々や、これから行く街の見所などを延々と口にしている。
気さくで明るく――見方によっては軽薄にすら見えるような青年であり、言われなければ騎士だとは想像もつかない。あのグレイセンの部下なので、多分それだけというわけではないだろうが。
そして……以前にも一度だけ、コウイチはスルトに声をかけられたことがあった。
あの時はただ一言、お疲れ、と言われただけなのだが、いまだにどういう意味かわかっていない。単に誰かと間違えただけかもしれないし、それほど気になっているわけでもないからあらためて聞くつもりもないのだが。
「おーい、そこでふてくされてるあんた」
スルトが振り返って声を張り上げた。
「こっち来て話さないか? 黙々と歩いてたんじゃ退屈だろ?」
「うるせェ黙れ話しかけんなクソが」
不機嫌そうな声に、自分が言われたわけでもないのにコウイチの肩がびくりと震える。
苛ついた声を出したのは、一人離れて歩くやさぐれた感じの男だった。
レグラスという名の傭兵で、コウイチやリゼとも少なからず縁がある。……あまり思い出したくない関係ではあったが。
邪険にされたスルトが肩をすくめる。
「つれないねぇ。これからしばらく一緒に行動するんだ。今のうちに打ち解けておいたほうがいいだろ?」
「こっちにはおまえらとなれ合う気はねェんだよ」
レグラスが取りつく島がない様子で吐き捨てた。。
「なれ合う気がないのはあなたの勝手だけど」
冷淡にも聞こえる声で応じたのはリゼだった。振り返って声音と同等の冷たい眼差しをレグラスに向ける。
「あたしもあなたのことはまったく信用していないから。もしまたあたしたちに剣を向けることがあったら、今度こそ斬るよ。それを忘れないでほしいね」
「……ちっ」
リゼの脅しにも似た忠告に、レグラスは舌打ちをして苦々しく押し黙る。
その反応に、スルトが意外そうに首を傾げた。
「なんだ、言われっぱなしか? そうは見えないが、もしかして女性には暴力を振るわない紳士とか?」
「んなわけあるか! ……こっちにはこっちの事情があるんだよ」
声を張り上げておいてから、レグラスは辛うじて聞こえる程度の小声で、なにやら愚痴っぽいことを言い始めた。
その中で、
「……“戦鬼”に喧嘩売るような真似できるわけねェだろ」
(……戦鬼?)
意味深な単語が聞こえてきたが、聞いても答えなど返ってきそうにないので聞き流す程度にしておく。
“聞く度胸がないってのが正しくないッスか?”
……今さらなことを言わないでほしい。
“うわっ。あっさり認めたッスよ、この人”
(と、いうか)
最初から相手にされていないというか、レグラスの視界に自分は入っていないというか……もしかしたら本気で忘れられているのかもしれないが。
それはさておき――
まとめ役のはずのスルトは先頭を行きつつも、相手を選ばず喋りたおし。
自分と同じく従士候補に選ばれたというリゼは、無愛想な表情のまま黙々と歩くだけ。
少し前まで脅威でしかなかったレグラスにいたっては、はっきりと敵意を周囲にまき散らし。
旅は道連れ――なんて言うが、この面々を見ていると先行きは不安でしかない。
こんなんで大丈夫なのだろうか、と思いつつも何ができるわけでもなく。
“オイラにいい考えが!”
(……なにか)
“兄さんががんばってみんなの間を取り持つってのはどうッスか?”
……ハハ、ハハハ。
(おもしろい、冗談だ)
“空笑いされた上に冗談扱いっ!?”
できるわけないと知っていながら無茶振りしてくる相手にはそのぐらいの対応でいいと思う。
そしてコウイチの顔は再び周りの風景に向けられ。
ただ時間稼ぎだけが目的の現実逃避が始まる。
……早く目的地に着いてくれないかなー、などと考えつつも、苦痛の時間は普通よりも長く感じるのもまた定説なわけで。
本来ならもうすでに着いているはずなのだが、途中まで乗ってきた乗り合い馬車の調子が途中で悪くなったせいで、コウイチたちはいまだにこうして歩いていた。
とはいえ馬車の狭い空間の中でのギスギスした感じも、それはそれで居心地が悪いものがあったが。
あの逃げ場のない辛さといったら……!
外を歩き始めていくらか開放的な気分にはなったのだが、今度は空気の重さ以外に、新しく支給された錨打ちの皮の胸当てと新品の剣の重さがじわじわと効いてきていた。
“金属製の防具じゃ重すぎるからって、それにしてもらったんじゃ……”
(あれは無理)
あんなものを身につけて動ける人間のほうがどうかしている。
“騎士の人たちは平気そうだったッスよ?”
(人は、人。自分は、自分)
“……便利な言葉ッスねー”
それにいくらかマシになったとはいえ、元無気力人間の身体能力の低さを見くびらないでほしい。
“……はあ”
まあそれはいいとして。
いくら景観が良いとは言え、同じ風景が延々と続けばさすがに飽きてくる。
リゼへのプレゼントやこの先のことは考えないことにして――
“まーた棚上げッスかー?”
考えないことにしてっ。
コウイチはラヴィスから教わった“錬成術”について考えを巡らせることにした。
あれから何か進展があったわけではないのだが、一つだけわかったことはある。
それは、“あの力が自分の意志で気軽に使えるものではないらしい”ということだ。
あの感覚を再現しようとしても、自力では取っ掛かりすら掴めない。カセドラに質問しても、気まぐれすぎる上に説明も感覚的すぎて理解できなかった。
それにカセドラ自身も理屈はよくわかっていないようで、時間を費やした後でわかったのは、カセドラにこのことを聞くのは、鳥にどうやって空を飛ぶのかと聞くのと同じ意味でしかないということだけだった。
もっとも、この力があるから従士に取り立てられたということを考えると、このままでいいというわけではない。それでもあまり真剣になれないのは、この力が自分のものとはあまり思えないからかもしれない。
人から期待されるという状況にあまり慣れていないので、いまひとつ切迫感がないだけかもしれないが。
もう少しこう……手ごたえがあれば、やる気が出てくるかも、とあまり意味のないことを考えたり。
(……そういえば、もう調子は)
ふと思いつき、カセドラに聞いてみる。
“もう完璧ッス……って言いたいところなんスけど、まだ元通りにはなっていないッスね”
カセドラの声音が、おちゃらけたものから真剣味を帯びたものへと変わった。一度消えそうになって以来、この手の話題にはいくらか真面目さを見せるようになっている。
“兄さんから力が流れ込んできているのはわかるんスけど、その量がちびちび水を継ぎ足す感じっていうか……とにかくゆっくりなんスよ”
(それは……大丈夫、なのだろうか)
“これでも森から離れた時に比べたらだいぶ楽ッスよ? あの時は逆に少しずつ力が抜けていく感覚だったッスから”
(……なるほど)
ラヴィスの言うとおりだった、ということらしい。
“そうみたいッスね。けどあのお姉さん、おっかないからあんまり近づきたくないッス……”
以前に手玉に取られたことを思い出してか、カセドラの声に怯えたような響きが混じる。
傍から見ている分にはおもしろかったが……確かに怒ったら怖そうな女性だと思った。
などと、ラヴィス本人には決して言えないことを心の中で考えていると、
「……おっと。見えてきたな」
急に足を止めたスルトが大きく声を張り上げた。
(? ……っ)
額に手をかざしてスルトが見ている方向に目をやれば、そこにあるのは待ち望んでいたものだった。
人の高さをゆうに越える外壁。その上には、見張り用のやぐらが突き出している。
歩いている道の先では、外壁に設けられた大きな門が開いていた。そこから人や物を積んだ馬車が間断なく出入りしていた。
「あれが……」
初めて見るらしく、リゼも足を止めてその光景に視線を注いでいた。
「はっ。ようやくかよ」
レグラスはやっと着いたかといった様子で、肩にかけていた荷物を背負い直す。
スルトは振り返ると、腰に手を当ててニッと笑みを浮かべた。
「ひとまずはお疲れさん、ってとこだな。あれが今回の目的地、“金脈の街”ラストルティアだ」