10.へたれ長じて従士(候補)となる(4)
「スキあり!」
「あべしっ」
目の前が真っ暗になったと思ったら、
「――おーい。大丈夫か、コウイチ?」
次には視界が晴れ渡った空で埋まっていた。
「……なぜ」
「そりゃこっちのセリフだ。何度呼びかけても返事もしないんだからよ」
「……ああ」
「ああ、じゃねぇって」
体を起こしながら、どうしてこうなったのかを理解する。
どうも、ラヴィスやグレイセンとの会話を思い出してぼうっとしていたらしい。
「訓練中にボサッとしてんなよ。リゼにも言われてるだろ? 訓練でも実戦と同じ気持ちでやれって」
などと言われれば、返す言葉もないわけで。さすがに実戦の最中にぼうっとするなんてことはないだろうが、頭を打たれても文句は言えない。
痛みを訴える頭を抑え、コウイチは恥入るようにうつむいた。
「おまえってさ、たまにそういう時あるよな。そんなんじゃすぐに従士クビになっちまうぞ」
呆れたようなその言葉に、コウイチの肩がピクリと震える。
――グレイセンに従士として騎士団入りを提案されてから知ったことだが、従士というのは、ただの兵士よりも格上の立場らしい。
今日の試合で一勝したとはいえ、兵士としての実力はランディのほうが上なのだ。
比べて自分は一番の新入り。経験も浅く、実績があるわけでもない。
そんな自分が従士に取り立てられたとなれば、周囲の反応が気にならないはずがなかった。
「――こら」
コン、と頭を軽く叩かれる。
ランディが苦笑しながらこちらを見ていた。
「やっかんでるわけじゃないんだからそんな顔すんな」
考えていることがわかるほど、暗い顔をしていたらしい。
「だが」
「だが、じゃないっての。おまえが細かいこと気にする奴だってのは知ってるけどよ。媚び売ってまで上に取り入ろうとする奴だとは思ってないからな。何か理由でもあるんだろ?」
あると言えばあるのだが。
ラヴィスにも言われているし、あまり練操術のことは言えないので口ごもる。
「……ま、本音を言えば、なんでおまえがって気持ちはあるけどな。グレイセンさんのご指名なんだろ? だったら俺がケチつけるようなことじゃないさ」
胸を拳で突いて、ランディがニッと笑う。
「滅多にないチャンスなんだ。途中で尻尾まいて逃げ帰ってきたら承知しねえぞ」
さっぱりした物言いの後、ランディは背中を向けて歩き出す。
その姿に感動しかけたところで、ランディがなぜか立ち止まった。
「あ……あと、な」
途中で振り向き、聞きづらそうな顔で口を開く。
「ホントのところ、おまえとリゼって付き合ってんの?」
「……は?」
どうやら、自分とリゼが付き合っているという噂が流れているらしい。
(……なぜ)
一人で歩きながら、コウイチは噂の原因を考えていた。
彼女との関係は、同僚や仲間、あるいは剣の師弟的なものであって、間違っても噂されるようなものではない。
以前に関わった一件で一緒にいる時間が長かったから、そんな誤解をされたのかもしれないが……。
“そうッスか~?”
含みのある音の響きが頭の内側から聞こえてきた。にやけた笑みが頭に浮かぶ。カセドラの声だ。
最近ではこうして頭の中だけで声をかけてくることが多くなった。本人が言うには、姿を現さないでいい分、こっちのほうが楽だとかなんとか。
(……何か)
“普通の同僚は、裸を見たり見られたりしないと思うッスよ?”
(っ……)
以前に偶然目撃してしまったリゼの水浴び姿を思いだしそうになり、コウイチは慌てて首を横に振った。
(あれは、事故のようなもので)
“ランディとかが知ったらどう思うッスかねー?”
(……いや)
あまり想像したくないことになりそうなので、そういうことを言わないでほしい。
“けどあんなことがあっても嫌われてないってことは、少しは期待してもいいんじゃないスか?”
(期待、というか)
逆に、裸を見られて反応がなかった時点で、眼中にないということではないだろうか。
“あー……”
納得の様子で黙り込むカセドラ。自分で言っておいてなんだが、そこで納得されるとせつないものがあるのだが。
まあそれにしてもリゼの反応は無さ過ぎだったから、そもそも男とか恋愛に興味がないのかもしれない。
それならそれで意識せずに、前までと同じように接すればいいのだが――
「……はあ」
今は好き嫌い以前に、まともに会話を交わすこともできていなかった。
フェリナに真相を知らされた時からだ。リゼが今までないほどに怒り、その姿を見てからなんとなく声をかけづらくなってしまったのだ。
不機嫌だったリゼのことをバーナルに頼まれたこともあり、このままじゃダメだなぁ、と思いつつも、どうしたらいいのかまるでわからない。
他人のご機嫌取りがうまくいったことなど、記憶にある限り一度もないわけで。というか機嫌の悪い相手には自分から近づこうともしなかったわけで。当然のことながら対処法も知らず、時間が経てば経つほど声をかけづらくなるわけで――
(……はぁ)
“兄さんの気にしすぎじゃないッスか? 話してないのだって、兄さんから避けてるからじゃないッスか”
それはそう……なのだが。なんかこう、一度悪いほうに考えると、不安がどんどん膨らんで動きにくくなるのが、なんとも。
こんな時ほど、小心で自虐的な自分の性格を恨めしく思う。
(何か、きっかけでもあれば……)
「よう、あんた。久しぶりだな」
考え込みながら歩いているコウイチに声をかけてきたのは、以前にも話したこともある行商人の若い男だった。
商売の最中らしく、兵舎のすぐそばで地べたに座って商品を広げている。
「騎士団の従士に取り立てられたんだって? すごいじゃないか。あんた、才能あったんだな」
まぶしいものを見るような目をされ、兵士としての才能をかわれたわけではないコウイチは微妙な顔をした。
男が右手を差し出し、
「まだ名乗ってなかったかな。アグサっていうんだ。覚えておいてくれよ」
(……アグサ?)
握手を交わしながら、なんとなく音の響きがここらへんの住人と違うことに気づく。そんな反応に慣れているのか、アグサは気にした様子もなく、
「変な名前だろ。記憶にもないんだが、片親が遠くの国の出身らしいんでね」
アグサの視線がコウイチの髪に向けられ、
「あんたも見た目からしてそんな感じだろ? もしくは生まれからしてよその国とか」
「……ええ、まあ」
まさか異世界出身ですなどとは言えず、曖昧に頷いておく。
「やっぱりな。どうりでこの国のこととか知りたがったわけだ」
ひとしきり頷いてから、
「で、今日は何か買っていってくれるのかい?」
アグサは手の平で敷布の上の商品を示した。
「当然、給料は上がったんだろ? それとも給金はまだもらってないか?」
「……いえ」
ちょうど、支度金としていくらかもらっているので、懐は今までにないほど温かい。
敷布の上の商品をざっと見る。ほとんどが小さな生活雑貨や装飾品らしきものだった。
“せっかくだから、ここで贈り物でも買ったらいいんじゃないッスか?”
(……なるほど)
それはいい考えかもしれない。
リゼにはいろいろお世話になってるし、贈り物をしてもさほど不自然ではないはず。
「少し、見てもいいですか?」
「どうぞどうぞ。好きなだけ見てってくれ」
一応断ってから、その場にしゃがみ込む。
お世話になっている名目でとなると、変に意識されず、それでいて喜ばれる何か……なのだが、なぜか脳裏にはリゼの無愛想な顔ばかりが浮かぶ。
(……あれ?)
そもそもリゼはどんな物をもらって喜ぶのか、ちっとも思いつかなかった。
それ以前に他人の、しかも女性に贈り物をしたことがないので、何を買ったらいいのかまるでわからない。
(……カセドラ。少しだけ、相談を)
「そういうのはー、自分で選ぶことにー、意味があるんじゃないッスかー」
なんか妙に間延びした声と共に姿を現したカセドラは、意地悪そうにニヤニヤと笑みを浮かべていた。
(おっしゃることはごもっともなのですが)
「わかってるならがんばるッスー」
(そこをなんとか。自分で選んでもロクなことにならなそうなのです)
「それも経験ってことでー」
(……まあ待ってほしい)
そもそもだ。
もし変なものを選んで、事態が悪化でもしたらどうするのか。
リゼには冷めた目で見られ、バーナルの期待を裏切り、ひいてはフェリナとの関係までこじらせたりしたら。
ただでさえ人付き合いが苦手なのに、それでもなんとか話せる彼らにさえ見放されたら。
今までにない重圧を感じ、悲惨な結果を想像したコウイチの背中を冷や汗がだらだらと流れる。
(もし、そんなことになったら――)
死ぬしか、ないのでは……?
少なくともそれくらい落ち込むのは間違いなさそうだ。
「……兄さん、ちょっと考えすぎじゃないッスか……?」
カセドラのにやけた笑みが、引き気味のひきつったものに変わっていた。
(いや、まあ……)
悪いほうに考えることに関しては自信があるので。
「自慢にもならないッスよ……」
疲れたようにうなだれるカセドラ。
それはともかく――
カセドラとのやり取りなど知るはずもないアグサは、ニコニコしながら商品が手に取られるのを待っていた。
ここまできて、今さら選べないので買いませんとは言い出せず。商品に端から端まで目を通すが、どれを選んでもダメな気がして。
(……どうしよう?)
「どうしようって言われても……どれがいいかなんて、オイラにもわかんないッスよ」
頼みの綱だったカセドラまでも匙を投げて姿を消す始末。いよいよどうしたらいいかわからなくなる。
期待がこめられたアグサの笑顔にいたたまれなくなり、コウイチはひきつった表情のまま硬直した。
(やはり、慣れないことをするものでは)
そんなわけはないのだが、周囲の視線が自分に集まっている気がしてなんだか罰ゲームを受けているような気持ちになってくる。
いよいよ進退きわまり、いっそ土下座でもして許しを請おうかと考え始めた時、
「あの~」
「っ、なにか!」
差し伸べられた救いの手に、コウイチはいつもの倍の声量で勢いよく振り向いた。
その勢いにたじろぐ様子も見せず、声の主が口を開いた。
「あなたがコウイチさん……ですか?」
「そう、ですが」
声の主は、おっとりした雰囲気の美人だった。糸目に近い細い目をコウイチに向け、口元には微笑を浮かべている。若そうだが、いまひとつ年齢が予想しにくい容姿の持ち主だった。
街中では違和感のある、首から足首までを覆うゆったりとした白い服を身につけている。
(……誰?)
内心で首を傾げていると、女性は笑みを深くした。
「初めまして~。わたし、アイーシャといいます」
(アイーシャ……?)
どこかで聞いた覚えが――
“ほら。兄さん、話にだけ出てきたフェリナの友達ッスよ”
(……ああ)
言われて思い出す。
確か、前の事件でフェリナが匿っていた友人の女性。それがアイーシャという名前だった。
「……あなた、が」
話にしか聞いていないので、こうして面と向かって話すとなんだか変な気分になる。
「はい~。アイーシャといいます」
「……」
それはついさっき聞いたような……。
“なんつーか、ぽわぽわした人ッスね”
同意。なんというか……独特なテンポの持ち主だった。ラヴィスとは対照的な、ずいぶんのんびりした口調である。
「それで……何か?」
アグサに断りを入れたから、少し離れた場所でコウイチは問いかけた。
「あの~、この前は、色々とご迷惑をかけたみたいで~。どうもありがとうございました~」
「……ああ、いえ」
どうやらフェリナと関わった一件のことを、わざわざお礼を言いに来てくれたらしい。
「自分は、特に何もしていないので」
巻き込まれただけで、事件の解決に役立った覚えもない。礼を言われるようなことはしていないので、そう言っておくと、アイーシャはなぜか笑みを深くした。
「聞いていたとおり~、謙虚な方なんですね~」
「いえ……別に、謙虚というわけではなく」
本当のことを言っているのだが。
「あなたのおかげで~、とても助かったと、フェリナは言っていました~。それに~、何もしなかったのは、むしろ私のほうですし~」
アイーシャの口元から微笑が消えた。眉間にしわを寄せ、表情を暗くする。
「……どうか、しましたか?」
「一つだけ~、お願いがあります~」
「お願い、ですか?」
「あの事件で、私はただフェリナの言うとおりにしていただけでした~。狙われているのは自分なのに、何もせずにただ彼女に助けられただけだったんです~」
彼女が表情を暗くした理由が、コウイチにはわかった気がした。彼女は自分の無力を責めているのだろう。
「それは、仕方のないことかと」
「そうかもしれませんけど~。そのせいでフェリナに危ないことをやらせて、皆さんにご迷惑をかけて……それに~」
上目遣いに、アイーシャはコウイチを見た。
「たくさんの方が、怪我をしたと聞きました~。コウイチさんも、怪我をしたんですよね?」
アイーシャが、頭を深々と下げた。
「お願いです~。フェリナを、嫌わないであげてください~。あの子を責めるなら、代わりに私を……」
間延びしたしゃべり方とは裏腹の、必死さを感じられる表情だった。少し話しただけのコウイチにも、アイーシャのフェリナを想う気持ちが伝わってくる。同時に、自身を責めるその姿に共感を覚えた。
「あの、これはフェリナ様にも言いましたが……自分は別に気にしていませんから」
「本当ですか~?」
「ええ」
フェリナに関しては責める気は元からないし、アイーシャはそもそも被害者なのだ。誰からも責められるいわれはない。
アイーシャの表情から、張りつめていたものがなくなっていく。
「よかった~」
しゃべり方に合った、ほっとしたような安堵の表情を浮かべた。見ている側も、つい口元がほころんでしまうような表情だ。
なのだが――
「あの」
自分なんかよりも、よっぽどその話をしたほうがいい相手がいることを思い出して、コウイチは躊躇いがちに口を開いた。
「リゼの、ところには」
「リゼさんですか~。あ、あはは~。話してはみたんですけど~」
アイーシャが困った顔をする。あまりいい反応ではなかったことが容易に想像できた。あの一件での怒りは、彼女の中ではまだくすぶっているらしい。
「で、では――」
また場が暗くなり始めたのを察して、コウイチは慌てて話題を変えた。
「今では、もう元の生活に?」
「はい~。すっかり元通りですよ~。教会のほうは~、急な仕事で留守にしなければいけなかったと、そういうふうに説明しておきました~」
「それで……何も、言われなかったんですか?」
「優しい方たちばかりですから~。皆さんにとても心配していただいたみたいで~、ありがたいような申し訳ないような……そんな気持ちになりました~」
「そう、ですか……」
(よかった……)
何も問題もなく、彼女は元の生活に戻れているらしい。
思わず安堵の息を吐くコウイチだったが、アイーシャに話しかけられるまで自分がどういう状況に置かれていたのかすっかり忘れていた。
「あー、話に区切りはついたかい?」
話が途切れたのを狙ってか、申し訳なさそうにアグサが口を挟んでくる。
「それで、こっちはどうする? もうそろそろ引き上げようと思ってところなんだが」
「あ、あら~、すいませ――」
苦笑するアグサに頭を下げようとしたアイーシャの動きが途中で止まる。アグサと商品、コウイチを見ながら、
「ひょっとして~、買い物の途中でしたか~?」
「ええ、まあ……っ」
その瞬間、閃くものがあった。
「あの」
考えるよりも先に、アイーシャに声をかけていた。
「はい~?」
「贈り物を。……買おうと考えているのですが」
「贈り物ですか~」
「はい。それで……相談に、乗っていただけたらと」
アイーシャが、指を顎に添える。「ん~」と言いながら首を傾げ、考える素振りを見せたので、思わず、
「あ、いえ。無理にとは言わないので――」
そう言いかけた時。
「もしかして~、女の子への贈り物ですか~?」
……なんでわかったのだろうか。
なんとなく答えづらいものがあったので沈黙すると、それが答えになったらしく、アイーシャが胸をぽんと叩いた。
「わかりました~。どーんと任せちゃってください~」
さっそくアイーシャは敷布の商品を吟味し始める。その目は真剣そのもので、とても他人の頼みで贈り物を選んでいるようには見えない。
……なんだろう。頼んだこっちが、思わずそこまで真剣にならなくても……と言いたくなるほどの。この食いつき方は。
「ところで~」
ふと気づけば、アイーシャが顔を寄せていた。その目が期待に輝いている。
「お相手は~、どんな子なんですか~?」
コウイチが答えに窮したのは、言うまでもない。
◆
「もう行くのか」
街の出口が見えたところで、ラヴィスは呼び止められた。
振り返るまでもなく、誰かはわかっている。わからないはずがない。
「やることが山積みなんでね。あまりゆっくりしてもいられないのさ」
振り返りながら、ついいつもの皮肉が口をついて出る。口元は自然とほころんでいた。
「で、わざわざ見送り? 騎士団ってのはそんなに暇なのかい?」
「なに、少し聞きたいことがあってな」
グレイセンは皮肉に微笑を返すだけで、その大きな体を寄せてくる。
「聞きたいこと……?」
「彼のことだ。どういう人間に見えた? おまえの印象を聞かせてくれ」
彼というのが誰のことなのかすぐに理解し、ラヴィスは肩をすくめる。
「どうもこうも。どこにでもいる普通の男だね。ちょっと色気のある話をするだけで体を硬くするような奥手だけどさ」
「そうか」
後半部分を聞き流した様子で、グレイセンが頷く。
ラヴィスに嘘を言ったつもりはなかった。
精霊や練操術のことを除けば、それほど印象に残らない男だ。今回の件がなければ関わろうとすら思わなかったはずだ。
むしろそれよりも、カセドラと呼ばれる個性の強い精霊の方に興味を引かれたぐらいだ。
「ああ、けど――」
「なんだ」
「精霊を道具として見ていないって点は好感が持てるかな。あと驚くほど野心がないね。自分から悪巧みしそうもないし。放っとく限り無害だろうね。……そそのかされて口車に乗らないだけの芯があるかは微妙なとこだけど」
「そうか。……他にはあるか?」
「これは勘だけどね。何かまだ秘密がありそうだよ。わたしの専門分野じゃなさそうだから聞かなかったけど」
「ふむ……」
思案するように、グレイセンは黙り込む。
その表情を見ていると、胸がざわつくような感覚がラヴィスは覚えた。
それが子供じみた嫉妬から来るものだと理解しているので、決して口に出すことはしないが。
長くもない沈黙の後、答えが出たのか出ないのか、グレイセンはラヴィスを見て表情を和らげた。
「ご苦労だったな。想定外のこともあったようだが、おまえに任せて正解だった」
「本当にそう思っているんなら、もうちょっと労ってほしいもんだけどね」
内心とは裏腹の素っ気ない態度を見せながら、ラヴィスは一つ言い忘れていたことを思い出した。
「そうだ。これは不確実な話なんだけど……聖封教会が変わった動きを見せているみたい」
「変わった動き?」
「詳しいことはわからないよ。小耳に挟んだだけだし。けど、今まで以上に用心したほうがいいかもね」
あまり重要ではないと思っていたことを伝えてから、ラヴィスはグレイセンに背を向けた。
「話は終わり。それじゃ、もう行くよ」
「ああ。……無理はするな」
「わかってるさ」
言った時にはもう歩き出していた。未練がましいのは好きではない。
実際、やることもいくらでもあるのだ。
手を抜こうと思えば抜けるのだが、そうすることをラヴィスはよしとしない。というより、手を抜く、ということがどうにも苦手な性分だった。
しばらくはグレイセンと会うこともない。そう思うと少し寂しさを覚えたが、それを表に出すことも性に合わなかった。
背中に注がれる視線を振り切って、ラヴィスは歩き続ける。
その頃にはこれから先のことで思考は埋まっていて、少し話しただけの男のことなど、彼女の記憶の片隅に追いやられていた。






