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幕間.知ることと、知らないこと

 兵舎の中の一室。その部屋のベッドの上で横になるのがコウイチの日課になっていた。

 久々の休日である。とはいえ昼間から寝ているわけではなく、その証拠に目は開けている。その瞳には石材の地肌がむき出しの天井を映していた。

 あの夜――

 コウイチが目を覚ましたのは、直前までいたガークス医師の診療所のベッドの上だった。

「この短い間に三度もここに来るとはな。よっぽどついとらんらしいな、おまえも」

 目覚めた後にかけられたガークスの声は、同情的な言葉のわりにはその声音にとげがあった。

「……なぜ、ここに」

「覚えとらんか? リゼといったな。あの娘がおまえをかついできたのだぞ。とはいえ、これといった外傷はなし。これならあの娘の傷の方がほうがひどい。本来なら担がれるのは逆にはずだがな」

 ぎろりと鋭い眼差しを向けてからガークスは部屋を出る。それと入れ替わるように入ってきたのはリゼだった。

 申し訳ない気持ちのまま謝ろうとしたコウイチを止めて、リゼが話したことをまとめれば――

 あのとき襲ってきた男を、彼女がレグラスと協力して倒したこと。

 その後、なぜか騎士たちが駆けつけてきて男――グレンの死体やレグラスの身柄を引き取っていったこと。

 グレンが倒れた直後に気絶した自分を連れて、診療所まで逆戻りしたこと。

「……騎士?」

「たぶん、あの男を追ってきたんだろうね。てっきりその場でいろいろ聞かれると思ったんだけど」

 あとで詳しいことを聞くので、それまでこのことは誰にも話さないようにと言われたらしい。本来なら所属の違うリゼがその言葉に従う理由はないのだが、その後で現れたある人物の言葉で考えを変えた。

「いったい、誰が」

「……グレイセン騎士団長」

 ――私の言うことを聞く義務はないだろうから、個人的な頼みとして聞いてもらいたい。この場で起こったことは、伏してくれないだろうか。

 その言葉と真摯しんしな態度に、リゼは思わず頷いていたという。

「なんであの人まで出てきたのかわからないけど……たぶん近いうちを話をすることになると思う。そのときに何を話すか、考えておいてほうがいいよ」

 リゼの忠告に頷いてから数日……予想に反して、騎士団の誰かが二人を訪ねてくることもなければ、グレイセンに呼び出されることもなかった。すぐにでも反応があると思っていただけに拍子抜けである。

 そうなると気が抜けるというか、別のことに気を取られてしまう。コウイチが最近考えているのは、あの夜に体験した不可思議な現象のことだった。

 途中で意識が途切とぎれているからか、はっきりと思い出せないのだが。全身を襲う、黒い奔流ほんりゅう――あれだけは、はっきりと覚えていた。

 だが。

 冷静になってみれば、人の心の中に入るとは……ありえるのだろうか。第一、心の中ってなんだ?

 あのときはここがそうだ・・・・・・と直感したが、今考えれば気絶した後で見た夢だと思う方が、よっぽど現実的な気がする。とはいえ、あのとき感じた痛みが夢の一部だったとは思えない。

 あれを見ていたはずのカセドラに聞いても、

「……さあ?」

 とかいかにも意味深な顔をして言うだけだし。

 そのカセドラはと言えば、あの後から一回しか会えていなかった。少しだけ話した後に大あくびをして、

「めちゃくちゃ眠いんで……」

 それ以来、呼びかけても姿を見せることはおろか、返事もない。ここ最近は出てくる頻度ひんどが少なくなっていたが、それにしても……と、少し心配になってしまう。

「……はぁ」

 思わずため息が口をついて出る。何もかも中途半端で、もやもやした思いが晴れなかった。なにか娯楽ごらくでもあれば、それで気分を晴らすということもできたかもしれないが……いや、今の自分ならむしろ悩みに気を取られて楽しめるものも楽しめないかもしれない。一人で考えていると、思考がどんどんネガティブな方へ転がってしまう。カセドラのありがたみを、この時ほど感じたことはなかった。

 不意に、人の気配を感じて顔を動かす。半開きのドアにもたれて立っていたのはリゼだった。

「ノックしても返事がなかったから。寝てた?」

「……いや」

 どうやら自分の世界に没頭して、ノックの音にも気付かなかったらしい。ばつが悪い思いを隠すようにゆっくりと体を起こす。リゼはそれをかすでもなく、それでも立ち上がったコウイチに短く用件を告げた。

「来たよ。呼び出し」

 何の? と一瞬思ってしまったのは、それだけ気が抜けていた証拠かもしれない。


 コウイチたちが呼び出されたのは、騎士たちが生活している兵舎の一室だった。騎士たちが寝泊まりしている兵舎は、通りから見てコウイチたちが使っている兵舎の奥側にある。用がなければ通りかかることもないので、足を踏み入れたのはこれが初めてだった。

 二人して通路を歩いていると、

「おっ」

 前から歩いてきた、茶色い髪を刈り上げた気さくそうな若い男が、こっちを見ていきなり声をあげた。そして近づいてきたかと思うと、いきなり肩をたたかれる。

「よっ、お疲れさん」

「え」

 親しげにそれだけ言うとそのまま行ってしまった。角を曲がって姿が見えなくなったところで、遅いと叱るような女の声が聞こえてきた。それに反論するように男の声が続く。そのまま遠ざかっていく会話を耳にしながら、

「知り合い?」

「……いや」

 顔を合わせた覚えはない……たぶん。だけど向こうはこっちを知っているようだったし……。

 このままここで考え込んでいても仕方ないので、首を傾げながら目的の部屋へ向かう。呼び出しを受けたときに聞いたという、奥まったところにある一室のドアをノックすると、

「どうぞ」

 という落ち着いた声が聞こえてきた。

 その部屋は、元々多くの人間が集まる用途のものなのか、コウイチが兵舎で使っている部屋よりもかなり大きめな造りになっていた。二人が部屋に入ると、立ちながら出迎えたのは騎士団長のグレイセン、コウイチたちを呼び出した張本人だ。そして――その隣で立っていたのは、あの日以来会っていない、フェリナだった。

「フェリナ……さま?」

「お久しぶりです。コウイチさん、リゼさん」

 ……なぜ、彼女がここに? 困惑したままリゼを見ると、彼女もわからないというように首を振った。

 グレイセンが掛けてくれ、と机の前に置かれた二つのイスを勧めてくる。言われるがままに座ると、最初にこう切り出した。

「まず最初に言っておくが、君らに話があるのは私ではない」

「……?」

 グレイセンが話がないということは、まさか……フェリナが? だが、それならなんでここに呼び出されたのだろうか。

 質問を口に出すよりも早く、グレイセンが先に答えを口にした。

「君たちにここに来てもらったのは、これからされる話があまりおおやけにできないものだということが一つ。そして彼女の話が事実であると、私が保証する意味も兼ねている」

 それだけ言うと、グレイセンはフェリナを見て一度頷いた。

 フェリナは微笑むと、一歩前に出て胸に手を当てる。

「順を追って話します。始まりは、私の友人、アイーシャの元に、ある方が懺悔ざんげをしにきたことからでした」

(何を……?)

 おおやけにできないとはなんのことなのか。コウイチの混乱している頭を解きほぐすように、フェリナはゆっくり、静かに語り始めた。

 それはひどくせた男だった。その男は自ら犯罪に手を染めながらも、罪の意識も感じていたらしい。自分が働かされていたという農園での犯罪行為を、教会に来て語ったという。

 神に代わって罪の告白を聞く懺悔だが、あからさまな犯罪であれば、自首するように促す。そういう流れになったところで、男は我に返ったように懺悔室から飛び出し、何かから逃げるように急ぎ足で教会を出ていってしまったという。

 それから数日間、アイーシャは男を捜していたが見あたらず、フェリナを頼ることにした。

 このあたりで男の話に出てくるような農園と言えば、一つしかない。カミシアス種の果実を栽培さいばいしている大農園だ。そして、その農園の管理者の名はレイモン。友人であり領主の娘でもあるフェリナの親戚だった。

 そういった理由もあり、彼女は男から聞いた懺悔の内容をフェリナに伝えた。

「ここまでは、わたしがアイーシャから聞いた話です」

 そこまで話して、フェリナは一息つくように胸に当てていた手をおろした。

「……前に聞かされた話と違いますけど?」

 硬い声で言ったのはリゼだった。

 ここまで聞いて、はっきりとわかったことがある。それは、彼女が自分たちに嘘をついていたことだ。裏切られた、とまではいかないが、複雑な思いが顔に出ていたのだろう。グレイセンが一言、

「言いたいことはあるだろうが、まずは彼女の話を最後まで聞いてほしい」

 こう言われれば、二人して頷くしかなかった。

 フェリナが話の続きを始める。

 アイーシャから話を聞いたフェリナだが、男が犯罪の具体的な内容までは話さなかったことから、アイーシャと同じようにまずその男を捜し出そうと考えたのだが。

 秘密裏に調べだしたところ、そんな男が農園にいた形跡けいせきはなかった。ただ、代わりに農園の広さや働いている人間の数、農作物の帳簿の記録などに、何かを隠しているような不自然な点があったらしい。最初から疑いの目で見てようやくわかるような些細ささいなものだが、そうこうしている早急にこの問題を解決しなければならない事情ができたという。

「早急に……?」

「そのことについては、後でお話しします。ですが、その時に一つわかったのは、今回の件はわたし一人では解決できるものでないということでした」

「そこで私が協力することになった。静観していられる状況でもなさそうだったのでな」

 合いの手を打つようにグレイセンが口を挟み、フェリナに目配せをする。

 フェリナは小さくうなずき、それから……と、話し始めた。

「本格的に調べ始める前に、わたしはまずアイーシャを保護することにしました。懺悔をした方の話が事実だとすれば、その話を意図いとせず聞いてしまった彼女の身に危険が及ぶ可能性もあったからです」

 その後、グレイセンと彼の部下の協力を得て調査が始められた。目的は農園で行われているという犯罪行為を探ることと、それに関与している人物の特定。

 そして、一つの可能性にたどり着く。

「それは、タムヒカと呼ばれる麻薬の生産と、その密輸でした」

 そして、その件にレイモンが関わっている可能性が高いということも。それがわかったときのことを思い出したのか、フェリナが表情を曇らせる。

(ちょ……それって、かなり大事じゃ……)

 予想外に大事になってきた話の行方に、コウイチは絶句した。汗ばんだ手を握りしめる。

「これだけ問題が大事になると、軽はずみに行動するわけにもいきません。その可能性がある、ではなく、明確な証拠をつかむ必要がありました」

 とりあえず犯罪の輪郭りんかくをつかんだところで調査はさらに続いたのだが、同時に向こう側からも動きがあった。

 レイモンが話が漏れたことを恐れてか、付き合いのあるタバスタル商会を通じてアイーシャを探しだしたのだ。

 フェリナはその状況を逆手に取ることにした。アイーシャを捜すフリをして自分自身を囮にしたのだ。

 自分に目をつけさせれば、その間にレイモンが行っている犯罪の証拠を集めやすくなる。そして領主の娘である自分が表だってぎ回れば、煙たがったレイモンをいぶりだすことができるかもしれないと考えたのだ。

「それにしたって……」

 あまりに無茶が過ぎると思う。それで危険な目にあったら目も当てられない。

 グレイセンは止めなかったのだろうか。思わず彼のほうを見ると、グレイセンは苦笑を返した。

「もちろん最初は私も止めた。だが“彼女が大丈夫だと言い張る”のでな。身の危険を感じたらすぐに引き返すようにと言い含めて、彼女のしたいようにさせたわけだ」

「……」

 いくらなんでも、寛大かんだいすぎると思う。それと……グレイセンの言葉に何か含みがあったように聞こえたのは気のせいだろうか。

「では……僕たち、は」

「本来なら、関わり合いになることもないはずでした。ですが、護衛の方がいたほうが周囲の目をあざくくことになると考えて……危険に巻き込んでしまい申し訳ありません」

 グレイセンが、それが真実だとばかりに頷いてみせた。

「信じられない部分もあると思うが、彼女の話は事実だ。私が保証しよう」

 ……いま思えば、最初にレグラスと会ったときのフェリナの台詞せりふも不自然だった。

 『――この狼藉ろうぜきは、誰に命じられてのものですか?』

 誰かの命令だと確信しているような言い方だった。しかも、それが誰かも見当がついていたような。

「……一つ、わからないことが」

「なんでしょうか?」

「なぜ、そのことを自分たちに?」

 証拠を見つけるための極秘調査だったなら、秘密にされていることも理解できる。それを自分たちに話す理由は――

「もしかして」

 思い至った可能性に、ハッと顔をあげる。

(じつはもう全部……?)

「その通りだ。この件はすでに解決している。残念ながら、レイモンを捕られることはかなわなかったが……」

「……?」

「彼は死体で見つかった。状況からして、彼が雇っていた傭兵に殺された可能性が高い。君たちが戦った、あの男だ」

 黙って話を聞いていたリゼの肩がピクリと震える。明らかに瀕死の状態でなお戦ったあの男を思いだしているのか、瞳にさっきまでなかった鋭い光が宿っている。

「あの男は、最初から傷だらけでした」

「私の部下がやったものだろう。取り逃がしたが、レイモン捕縛ほばくに動いた際に傷を与えたと聞いている」

「……そう、ですか」

 なにやら納得のいかない表情でリゼが押し黙る。

「ともあれ、タムヒカの件に関わった者たちはすでに捕らえている。これ以上、君たちが巻き込まれることもない」

「それにしては、何も話を聞きませんけど」

「さっきも言ったとおり、この件が公になることはない。君たちをここに呼んだのもそれが理由だ」

「……どういう、ことですか?」

「もしレイモンのしていたことが表沙汰おもてざたになったら、セナード卿にまで罰が及ぶことになる」

 フェリナの父であり、この地の領主でもある男の名がグレイセンの口から出た意味がわからず、コウイチは首を傾げた。

「え……ですが。そんな、共犯者でもないのに」

「彼が特筆とくひつすべきところのない平民ならその通りだ。だが彼はこの街とその周辺一帯を治める領主で、加えてレイモンは彼の親戚で、行っていた犯罪行為はその領地で行われていた。もちろん裁かれるべきはレイモンだが、あの男の犯している罪も把握もできずにいた領主にも責任はある。そう言い出す者もいるだろう」

「そんな……」

「もみ消す、ということですか?」

 リゼが非難するような眼差しをグレイセンに向ける。

「いや、あくまで表沙汰にしないだけで罪には罰をもってむくいる。それにすでに、誰かとは言えないが外部にもこのことを知っている方がいる」

「実は……わたしたちが調べ始めようとしたときにあちら側から接触がありました。この農園でなんらかの犯罪が行われている可能性があると。そのことが公になれば、父を処罰せざるを得ない。ただし、話が大事にならないうちに内々で解決するなら、その限りではないとも。……これがさっき言った、早急にこの問題を解決しなければならなかった事情です」

 内容やグレイセンの呼び方から察するに、その人物はかなりの影響力を持った人間なのだろう。グレイセンが正体を隠すのも、そのへんが理由なのかもしれない。

「なら……そのため、に?」

 危険をかえりみず、自分で動いたのか。

「お父様が処罰されるところなど、見たくありません」

 強い口調で言いきったフェリナの表情には、思わずたじろぐほどの強い意志がこめられているように見えた。

「そういえば、そのセナード様は」

 今まで話にしか出てこなかったが、本来ならフェリナより彼が関わる問題だろう。

 フェリナが微笑した。

「お父様は、善人過ぎますから」

 人を疑わず、悪いところよりも良いところを信じるような、そんな性格だ。フェリナの見たところ、レイモンのしていることにも気づきかけていたらしい。だが、彼は信じた。

「周りの人間がすべてお父様を支え、敬うような方ばかりなら問題はありませんでしたけれど……」

 そんな人間だからレイモンの犯罪を知っても、話し合いで説得して解決しようとしただろう。しかしそれでレイモンが心変わりするとは思えない。自棄やけになってセナードを害そうとすらするかもしれない。

「だからお父様には話さず、わたしがやることにしました。お父様が窮地きゅうちに立たされるのを見過ごすわけにはいきませんでしたし……それに、この地を総べる者の娘として、あの方の、レイモンのしていたことを許すわけにはいきませんでした」

 なぜかはわからないが。いつものように微笑んで話すフェリナが、今だけコウイチには別人のように思えた。いつもの親しみやすさが今の彼女にはなく、威厳いげん、とでもいうのだろうか。代わりにそういった元の世界ではあまり縁のなかった近寄りがたさがは感じられた。

「私もその考えには賛同した。彼は平時には理想的な領主なのだろうが、こういった事態では少々理想家すぎると思ってな。とはいえ彼女一人では手に余ることなので、私も協力することにしたのだが」

 グレイセンの補足ほそくを半ば聞き流しながら、慌てて話題を変える。

「では……あの、レグラス、は?」

「あの男はいま牢屋の中だ。タムヒカのことまでは関与していなかったようだが、それでもいくつか罪が発覚したのでな」

「では……、その、アイーシャさんは、いま……?」

「ある場所でかくまっています。今回の件の後始末がすべて終わったら、できるだけ今後のことに差し支えないように彼女の日常へ戻っていただく予定です」

「婚約がどうの、とかいう話は」

「……申し訳ありません。それも嘘です。そう言えば、同情してもらえると……」

 思わず息をついた。そう話したときのフェリナがいつもの彼女に戻っていたのも理由だが、単純に行方不明だと思っていた人が無事で、そうなっていたことでこの後の立場が悪くなるわけでもないとわかったからだ。

 安心した様子のコウイチを見て、フェリナが不思議そうな顔をする。

「……怒っていないんですか?」

「え? ……ああ、いえ、特には」

 確かにフェリナにはだまされた形だが、別にそれくらい、というのが本音だった。……まあ怪我をしたし、死にそうな目にもあったが、死なずにすんだわけだし。

 正直、怒るよりも先に虚脱感きょだつかんのほうがあった。気が抜けた、とでもいうのだろうか。フェリナに言われて怒ってもいいところだと気付いたぐらいだ。

「話は終わりですか?」

 空気が張りつめたような気がした。言いながら立ち上がったのはリゼだ。

「ええ。ですが……このことは」

「心配しなくても、誰にも言いません。フェリナ様・・・・・。……失礼します」

 表情こそ変わらないが、コウイチにもそうとわかるほど突き放した態度と言い方だった。声をかける暇もなく、リゼは部屋を出ていく。

「……嫌われてしまったようですね」

 閉められた扉を悲しそうに見つめるフェリナがぽつりとこぼす。

 気まずい空気のなか、何を言ったらいいかわからず、内心おろおろしていると、グレイセンが声をかけてきた。

「このことを知っているのは、我々の中でもほんの一握りの者だけだ。言うまでもないだろうが、君もこの部屋で聞いたことを誰にも言わないでほしい」

「……わかりました」

 頷いて退室しようとし――気落ちしているように見えるフェリナを振り返る。

「あの……」

「……はい?」

「自分は、本当に気にしていないので」

 言えたのはそれだけだった。


 ◆


コウイチとリゼが出ていったその部屋で、

「正直に言えば、耳を疑った」

 長い沈黙を挟んだ後、重々しく口を開いたのはグレイセンだった。

「グレンというあの男を追う必要がないと聞かされた時には、な。追えば余計な犠牲が出ると聞かされたので、君の言うとおりに部下たちを止めたが、まさか彼らが決着をつけるとは」

 椅子ごと体の向きを変え、フェリナと向き合う。

「そこまで読めていたのか?」

「いいえ。わたしがえたのは、すでに亡くなっているグレンという方の遺体を騎士の方々が運んでいるところと、彼が逃げる途中で誰にも手をかけていないということだけです。そうなるためには、彼を追撃しようとする動きを止めなければならないということはわかりましたが、なぜそのことが無事な決着に繋がるかまではわかりませんでした」

「結果は知れども経緯けいいは見えず、か」

「ええ。私の“力”は予知といえるほど明確なものではありません。“改変された未来と、そうさせるためには何をするべきか”ということがわかる程度のものですから。“なぜそうなるのか”という途中経過までは知ることはできません」

 フェリナの笑みに、自嘲じちょうめいたものが混じる。

「それに、自分の意志で自由に使えるというわけでもありませんから。そういった意味では使い勝手の悪い“力”です」

「難しいところだな……。あるとき突然、正解につながる道筋が思いつく。閃きのようなものか」

「近いかもしれません。……ですが最近、その境が曖昧あいまいになってきていますけれど」

「区切れるようにしておいたほうがいい。思いつきを信じて無謀むぼうな行動に出れば命取りになる」

「わかっています。ところで」

 笑みを浮かべていた表情が一転、物憂ものうげなものへと変わる。

「彼を、どうされるつもりですか?」

 それが誰か、二人の間では確認する必要もない明確なものだった。

「引き入れるつもりだったのではないですか? 彼が私と“同じ”存在だとわかった時から」

「……見たのか?」

 それが答えだった。知っていたのだ。グレイセンは、初めからコウイチが“力”ある存在だと。

「はい、この目ではっきりと」

「一つ、忠告しておこう」

 グレイセンがフェリナの目をまっすぐに見つめる。心にやましいところのある者なら思わず目をそらしてしまうような眼差しだった。

「君の力は確かに異能のものだが、それで自らを超越者とおごったり、化け物だと卑下ひげするのは止したほうがいい。聖封教会の考えは間違っている。君も、私も、そして彼も、あくまで一個の人間だ。少しばかり変わったところのある程度の、ただの人間だよ。……君には、人の命を磐上ばんじょうの駒としてしか見れないような人間にはなってほしくない」

 その目と、かけられた言葉に、フェリナは向き合うように動かない。二人の視線が絡み合う。

「……そうですね。申し訳ありません。自惚れが過ぎたようです」

 しばらくして、先に目をそらしたのはフェリナだった。それを見てようやくグレイセンも視線を外す。ふっと息を吐くように笑みを浮かべた。

「こちらこそ謝らせてもらいたい。君には不要な忠告だったようだな」

「いえ。ご忠告感謝いたします。ですけれど……大丈夫ですわ。リゼさんに嫌われたとき、わたし悲しかったですし。それに、お父様に顔向けできなくなるようなことをするつもりはありません」

「そうか……。それで、セナードきょうはまだ……?」

「ええ、それほど親しくなかったとはいえ、親族が私欲で犯罪を犯していたわけですから。表面上はなんともないように振る舞っていますが、やはりまだ気落ちしていますわ」

「彼ならそうだろうな。私からはなんとも言えないが、そばにいて励ましてやってくれ」

「ええ、わかっています……それでは」

 フェリナが身を翻す。優雅な足どりで扉の前に立ち、振り向いた。

「もし彼があなたの誘いを断った場合は、わたしが勧誘してもよろしいですか?」

「……それは私の許しが必要なことではないな」


 ◆


 結局のところ、なんだったんだろうな、と思う。

 通路を歩きながら、コウイチは考える。

 全部を知れる立場になかったとはいえ、わけがわからないうちに終わってしまったような印象だった。

 なんのことはない。自分が関わった時点で、すでに事件は佳境かきょうにさしかかっていただけだ。……最初から関わっていたとしても、何かできたとも限らないが。自分は最後の最後に、後片付けをしているところを見ただけなんだろう。

 ようするに自分の立場は、事件の本筋には関わらない脇役のようなものだったのだろう。

(……なんだかそのまんまな気が……)

 すっきりしない気持ちを抱えながら騎士たちのいる兵舎から出ると、見知った顔に声をかけられた。

「よう。疲れた顔だな」

 腕を組んで兵舎の壁に背中を預けたバーナルだ。こうして話すのもずいぶんひさしぶりな気がした。

「何かあったか?」

「……いえ、特に」

 思わずついさっき聞いたことを話しそうになり、慌てて口をつぐむ。なぜかバーナルがニヤニヤと笑みを浮かべた。

「隠すなよ。団長殿とフェリナ嬢さんから真相を聞かされた……ってとこだろ?」

 驚いて顔を向けると、バーナルは笑みを深くして壁から体を離した。

「もしかして……聞いて?」

「はっきり教えられたわけじゃないさ。ただあの団長殿とは古い付き合いでな」

(……え?)

「ついでに言えば、ガークスもそうだ。おまえもリゼも、今回の件では世話になったんだろ?」

「ガークス、とは……あの医師の?」

「他におまえ、ガークスっていう知り合いでもいるのか?」

 開いた口がふさがらない、といった顔をしたコウイチの肩を、近寄ってきたバーナルが叩く。

「だから言っただろ。『そもそも無茶な話なんだ』ってな」

 からかうようにクク、と笑いながら、バーナルはそのまま歩いていった。

 なんのことはない。わかるわけがない、ということだ。

 呆然と振り返ると、バーナルが背中越しに手を振る姿が目に入った。と、いきなり立ち止まって顔をこちらに向ける。

「そうだ。おまえ、最近リゼとよく一緒にいるよな」

「……ええ、それが、なにか」

「あいつ、いまえらく不機嫌そうに出てきたけどな。あいつのことはおまえに任せるから。じゃあな」

「……は?」

 いきなり頼まれて困惑している間に、バーナルの姿は見えなくなっていた。心なしか、最後のほう早足だった気が……。

 その後、厄介事やっかいごとを押しつけられたことに気付いたコウイチはその場で頭を抱え、声をかけられるまでその状態でいることになった。


 ◆


 暗く、湿気しけった臭いのする階段を下る。降りた先には長い通路があり、両脇にはいくつもの部屋が並んでいた。あまり衛生的でない面を除けば、特筆的な点はない。それらの部屋が、鉄の棒で区切られていることを除けば。そこは、牢屋だった。

「こちらです」

 案内役の兵士に促され、通路の奥へと向かう。あまりに場違いな人物の来訪に中に押し込められている罪人たちが戸惑うが、それが女であるとわかるとすぐに興奮したように卑猥ひわいな言葉を投げかけ始めた。

 それらに表情ひとつ変えることなく、少女――フェリナ・リース・クレイファレルは目的の人物の元へと向かっていた。

 ここです、と兵士が鉄扉で区切られた独房を示す。

「ご苦労様。あとはわたし一人で結構です」

「ですが」

「中も区切られているのでしょう? それに何かあったときは声をかけますから」

「……わかりました」

 その兵士は渋々しぶしぶ引き下がった。元々、罪人に便宜べんぎをはかる代わりに金銭を得ていた男だ。それほど職務に熱心なわけではない。だからこそ、部外者であるフェリナもここまで来ることができたわけなのだが。

 その兵士に扉から離れた位置で待っているように伝え、フェリナはなんの気負いもなくその独房どくぼうへと足を踏み入れた。

「……あァ?」

 独房の奥、鉄格子で区切られた空間に、一人の男が寝そべっていた。

「お久しぶりです」

「あんたは……」

 男が目を瞬かせながら体を起こす。背中と肩の包帯はまだとれていないようだった。

「こんな場所に何の用だ? もしかして釈放しゃくほうかよ」

「あるいはそうなるかもしれませんよ。レグラスさん」

 双剣使いの傭兵は笑い飛ばそうとしたのか、体を丸め――微笑みの中でそこだけ笑っていないフェリナの目を見て居住まいを変えた。

 石造りの寝台の上に片膝を立てて座り、その膝に腕を乗せて鋭い眼差しをフェリナに注ぐ。

「……話を聞かせな。まずはそれからだ」

「言ったとおりです。あなたと、あなたの仲間を釈放します」

「まさかただで、ってわけじゃないよな。条件は?」

「わたしに雇われること、です。……名目上は、今回の件の贖罪しょくざい、ということで。もちろん、表だって報酬は渡せませんが」

 つまりは、表向きは罪を帳消ちょうけしにする代わりのただ働きだが、裏ではなんらかの手段を使って金を払う準備があるということだ。

 レグラスが鼻を鳴らして皮肉めいた笑みを浮かべた。

「ふん。なるほどな。貴族のご令嬢にしちゃきもがすわってんなと思ったが、それがあんたの本性か? だがいいのかよ俺に見せて? 俺の口から広まるかもしれんぜ」

「あなたの言ったことが信じられるとは思えませんし……それにそんなことして、あなたに何か得でもありますか?」

「……話を聞いたふりをして、ここから出られたらとっとと逃げ出すかもしれないぜ?」

「そうなれば、あなた方には追っ手が差し向けられることになるでしょうね。その後は一生を牢獄の中で……嫌でしょう?」

「脅しか?」

「取引です」

 レグラスの目つきが険しさを増す。フェリナは相変わらず笑っていない目でその視線を受け止めた。

 先に視線をそらせたのはレグラスだ。頭をかきむしりながら、

「俺らを雇うって言ったな。その金はどこから出すつもりだ」

「あなた方の元依頼人の管理していた農園を、今度はわたしが引き継ぐことになりました。あなた方が不満に思わない程度の金額は払えるつもりです。もちろん、お金を払う以上、相応の働きをしてもらいますが」

「……断ればどうなる?」

「わたしがここに来たことがなかったことになるだけですわ。あなた方にはこの地で犯した罪を償ってもらうことになります。この中で」

「ちっ……」

 かきむしる手に力が込められる。その様子を何の感情も感じさせない瞳で見つめ続けた。彼女にとってそれは交渉ですらない。なぜなら――すでに結果はわかっていたから。

 長く待つまでもなく、予想通りの答えが返ってきた。


 もし――彼が、自分のしたことを知ったらどう思うだろうか。

 レグラスのいた独房から離れながら、フェリナは思う。

 当然、怒るだろう。殺そうとさえするかもしれない。仮にそうなっても、不思議には思わなかった。

『君には、人の命を磐上の駒としてしか見れないような人間にはなってほしくない』

 つい先ほどグレイセンに言われたばかりの言葉が胸に刺さった。尊敬している人間からの言葉と思えばなおさらだ。

 レグラスが、この街から出ようとしていたことは聞いていた。レイモンのしていることについていけなかったからということも、そして彼と意を同じくした仲間たちが合流場所で奇襲を受けたことも。

 その話を聞く前から、フェリナはそのことを“知って”いた。なぜなら、グレンの部下にその場所のことが伝わるようにしたのは彼女だったから。

 そうすれば、今回の事件の解決が早まること、彼女にとって私兵というべき傭兵たちを雇うことができるとわかったからだ。これからのことを考えれば、彼女の意のままに動く戦力は絶対に必要だった。

 結果として傭兵たちに死人が出ようと、それは仕方のないこととフェリナは割り切っていた。

 ただ、リゼにはっきりと嫌われたことだけは残念だった。彼女はもう自分を呼び捨てで呼んではくれないだろう。仕方のないことと思いつつも、それだけで割り切れるほど彼女の心は凍りついていない。

 そして――もう一人、フェリナは怒らなかった青年のことを思い出す。騙されていたことを大して気にもしていないようだった。

 理由は想像できる。

 おそらくコウイチは、自分を、自分の命を軽視しているのだろう。人とのつながりがなかったら、あっさりと投げ出してしまいそうなほどに。

 自分には価値などない――自覚しているかどうかはわからないが、おそらく彼は根底でそう思っている。

(……気に入らない)

 ふと、コウイチに自分自身の価値を認めさせたいと思う衝動が沸き起こった。

 理由は、自分でもよくわからない。

 あるいは同じ“力”を持つ存在だからだろうか。そのコウイチが自分自身を軽視しているということを、自分を軽視されているように感じるからかもしれない。もちろん、彼はそんなことを考えていないだろうが。

(気に、入らない……)

 微笑みを浮かべたままフェリナは歩き続ける。

 その表情とは裏腹に、彼女の心は深い海の底のような暗い思いにとらわれていた。


 グレイセンの執務室――フェリナがついさっきまで立っていた位置に、今では別の女性が立っていた。

「ご苦労だったな」

「まったくだね。あっちこっちで働かされて……少しは休ませてもらいたいもんだよ」

 さばけた口調の女性に、グレイセンは苦笑した。フェリナよりいくらか年上だろうか。話し方といい、その浅黒い肌に灰色の髪という見た目といい、フェリナとはあらゆる意味で対照的な女性だった。

「そう言うな、ラヴィス。おまえのおかげでずいぶん助かっている」

「……ったく。これで働くのが当然だって顔されてたら、ぶん殴ってるところだけどね」

 口では過激なことを言いながら、ラヴィスと呼ばれた女がグレイセンを見る目には親愛がこめられていた。久しぶりにあった父親に冗談混じりに無茶を言うような、そんな態度だ。グレイセンもラヴィスの言葉に腹を立てることなく、苦笑を浮かべてその顔を見上げている。

「それで? ここに呼んだってことは、何か話でもあるの?」

「彼をこちら側に引き込もうと思う」

「彼……?」

 指をあごに当て、ラヴィスは首を傾げる。すぐに誰のことかわかったのか、大きく頷いた。

「ああ。あのあたしがぎりぎりのところで助けたボウヤのこと? そんなこと言い出すなんて、何か進展でもあったの?」

「“力”を使ったらしい」

 ラヴィスの表情が硬直した。ふぅん、と一言もらし、目を伏せる。

「見立て通りだったってわけか……それで、何か問題でもある?」

「人格的には問題なしだ。むしろ、無自覚に悪用される可能のほうが高い」

「なるほどね……そういう性格か。なら早いほうがいいね」

「彼への説明はおまえに任せたいが……頼めるか?」

「断るわけがないってわかっててのその質問は卑怯ひきょうじゃない? まあわかったよ。任せといて……。他には何かある?」

「……そうだな。彼の“力”を目撃したのは、フェリナだ」

 グレイセンがその名を出した途端、ラヴィスの表情が苦々しいものへと変わった。

「あの女か……」

「相変わらず嫌っているようだな」

「どうも、ね。どうやったってああいった裏表のある女は好きになれそうにないよ」

「そのフェリナだが、どうやら彼に関心を抱いているようだ」

「……それはあのボウヤ本人に? それとも、“力”の方にかい? ……まあどっちでもいいけどね。やることは変わらないから」

 そう言いながらも、その心の内を表したようにラヴィスの視線は泳いでいた。気にしないようにと思っていても、つい意識してしまう――彼女にとってフェリナはそんな存在なのだろう。

「数日中に彼の意志を確認するつもりだ。そのときまでゆっくり体を休めていてくれ」

「わかったよ。それじゃあ、久々にちゃんとした寝床で寝かせてもらおうかな」

「ああ、帰ってきたばかりですまなかったな」

 労いの言葉にラヴィスは微笑を返し、部屋を出ていった。

 扉は閉まるのを見届けてから、グレイセンは目を閉じて深々と嘆息たんそくした。

「……“力”が発現しなければ、あるいは、余人の知らぬところで発現していれば違う未来もありえただろうが」

 開いたその目は、コウイチの未来をうれうようになげきをたたえていた。


話はこれで一区切り。主人公、脇役になるの巻でした。……どうしてこうなったorz。

 次の話ではちゃんと主人公らしく活躍させる予定…………です。精神面での成長は三歩進んで二歩下がるが基本ですが。生暖かい目で見守っていただければ幸いです。

 次話開始にはしばらく間が空きます。気が向いたら覗いてみてください。ではこれにて。


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