8.脇役の終幕(1)
「何をやらかしたかしらねェが、あきらめな。殺しゃしねェよ」
レグラスの目の前でうずくまる男は息も絶え絶えといった様子だった。
薄汚れた服に、やけこけた体。まだ若そうこそ見えるものの、まるで覇気が感じられない。唾を飛ばしながら、怯えた顔で懇願してきた。
「た、頼む……! こ、ころ、殺さないでくれ!」
「……だから、殺さねェって。聞いてるか、人の話?」
呆れが混じった声も、男の耳には届いていないようで。レグラスはもどかしげにがしがしと頭を掻いた。
ことの起こりは今朝のことだ。外見の特徴だけ教えられ、この男を捕まえろ――代理の人間を通して、雇い主からのそう命令がきたのは。
積極的に捜す必要はない、目にとまったらでいい、あまり目立つ真似はするな。そんなことも言われたような気がするが、暇を持て余し、さらには報酬も上乗せされるとあっては言われるままにする理由もない。
予想通りと言うべきか、追われる立場からか、男はレグラスたちが寝泊まりしているような“まっとうな人間なら足を踏み入れることすら躊躇する”ような裏路地の一角に潜んでいた。ここ数日で築いた糸のように頼りない人脈でも男はあっけなく見つかった。あとは逃げ出した男を追いかけ、だが捕まえるまでもなく勝手に転び――
「出来心だったんだ……! 誰にも何も言ってない! 信じてくれっ、殺さないでくれぇ!!」
「だーかーら! 殺さないっつってんだろが! いい加減人の話聞けよ!」
泣きわめく男に苛立ちをぶつける、今にいたる。
(……っと、いけね)
感情的になっている相手に感情をむき出しにしても時間の無駄だ。
ふぅ、とため息一つ。気分を落ち着かせて、怯えながら見上げてくる男に男にゆっくりと話しかけた。
「あのなぁ、俺はおまえが何をしたか知らねェし、興味もねェ。言われたのはおまえを捕まえろってことだけだ。痛めつけろとも言われてねェんだよ」
「……本当に? 本当に何も知らないのか?」
「そう言ってんだろが。いいから早く立て。大人しくするなら痛い目見ずにすむぞ」
「ま、待ってくれ! あんた、何も知らないであの男の言うこと聞いてるのか!? あの……レイモンの!」
(……レイモン?)
誰のことかわからなかったが、すぐに小物臭をただよわせた中年男の顔を思い浮かべる。
「ああ。……へェ、そういう名前なのか、あのオッサン。だがあいにくだな。傭兵が雇い主の選り好みなんてしてたらすぐに干からびちまうんだよ。いいから早く来いって」
「あの男が何をしているのかも知らないのか……」
考え込むように顔を伏せた男を、レグラスが腕をつかんで引き起こそうとすると、男は慌てたように声を張り上げた。
「な、なあ。ちょっとでいいんだ。話を聞いてくれないか?」
「あァ?」
「あんた、何も聞かされてないんだろ? あんただって騙されてるかもしれないんだ。それに……もうすぐあの男は破滅だ。巻き込まれたくはないだろ?」
男の言い分を信じる気にはならなかったが、話を聞くだけならタダだ。
「……口からデタラメだったらぶん殴るぞ?」
レイモン、という男の外見を聞いたところ、やはり依頼主のあの男のことだというのがわかった。同時に、ここら辺一帯を治める領主の親戚で、領地にある広大な農園を運営しているとということも。
(……バカか?)
それだけの立場があるなら、自分たちのような雇われ傭兵相手に姿を見せることはない。代わりの人間に交渉なり命令なりさせるのが普通だ。
それをしないということは、徹底的に飼い殺す自信があるか、それとも自分でやらないと気がすまないか――どうも後者のような気がする。
それはともかく、レイモンが任されている農園。そこでは、カミシアス種の果実を主に栽培しているらしい。
「ああ、食ったことはねェが知ってる。とんでもなく高ェ果物だろ?」
話を聞きながら相づちを打つ。
濃厚な甘みが特徴の人気のある果実だが、いかんせん栽培が難しく高値で売られている品だ。庶民向けの市場でも売られてはいるが、それ一つで三日分の食費が賄えるということもあり、なかなか手が出せる代物でもなかった。
ちなみにレグラスがこの果物のことを知っているのは、以前だまされるような形で買わされたことがあるからなのだが、それはさておき。
だからこそ、その農園から得られる収入はこの地にとって大きな収入源となっているのだが――
「っ……それだけじゃない。あそこじゃ、それ以外のものも育てているんだ」
男の声が震える。その反応から、レグラスは男の言おうとしていることに察しがついた。
「煙草か?」
男が驚いたように顔を上げる。当たりだ。
煙草――いわゆる麻薬の一種だが、その中でも乾燥させ擦り潰してから火をつけてその煙を味わう草のことを指す。当然違法だし、育てていることが発覚すれば牢屋に入れられる破目になる。
(同業の連中にも使ってる奴はけっこういたな。けどあれって長く使ってるとぶっ壊れちまうんだよな)
「そ……それは……」
言いよどみ、男はがっくりと肩を落とした。
「……育てているのはタムヒカだ。知っているか?」
「そいつぁ……」
一瞬レグラスは言葉を失った。
それは煙草の中でも特に性質の悪いもので、その中毒性の高さから一度使用すればほぼ間違いなく廃人になるとまで言われている代物だった。
タムヒカを栽培しているのは、農園の中でも限られた人間しか入れない場所だという。
そこに貧乏な家の子供や、借金などで行き場のなくなった者を集めて働かせているらしい。柵で囲まれた畑は監視が常に目を光らせ、一度入れられたら死ぬまで出られない。
「俺はつい最近あそこに入れられたんだが……あそこは地獄だ」
震える体を抱き、男が声を詰まらせる。
「……それで? 俺の雇い主がもうすぐ破滅するって言ってたな。そりゃどういうことだ?」
「たぶん、もうすぐタムヒカのことが知れ渡る」
「なんでそう思う?」
「俺より前に逃げ出した奴がいるんだ。俺があそこから逃げ出せたのも、そいつと同じ方法を使ったからだ。きっとそいつの口からだ……! あの最悪の場所のことが全部バラされたのは」
「よくわからんが、なんでそいつが農園のことを話したって思うんだ? 途中で捕まって殺されたってこともあるぞ」
「いや、それはない。六日前の夜なんだ。いつもみたいに疲れきっている俺のすぐそばにそいつが立ってたのは。明かりもなかったし、顔もよく見えなかったが、ここではまずいってことで外に連れ出された。いつもは外から鍵がかかって閉じこめられてるはずなのに」
「誰だそいつは」
「わからない。若い男だったとは思うが。……ただ、そいつは俺からいろいろ話を聞いてきた。裏で栽培しているタムヒカのことも、そこで働かされてる俺たちのことも。最初から全部知っているみたいな口振りだった」
「なるほどな。その最初に逃げ出した奴から聞いたってわけか」
男の唇がゆがみ、ほの暗い笑みを浮かべる。
「わかるだろ? こうなったらあそこはもう長くはない。レイモンだって……あんたの雇い主だってすぐに捕まるはずだ。俺をここで捕まえても意味なんてない」
男が口を閉ざし、レグラスの顔色をうかがうような表情をした。
レグラスが眉を寄せる。男の話はこの場限りのでたらめにしてはよくできている。
もし、本当だとしたら……。
思考に没頭していたのはほんの一瞬。視線を外していたのも同じぐらいのはずだった。
こびるようにレグラスを見ていた男の瞳から急に光が失せた。目を見開いたままの頭が地面に落ち、後から体がゆっくりと前のめりになった。
「あ……?」
噴き出す血を飛んでかわし、手は反射的に腰の剣へ。
首のなくなった体のすぐ後ろに、長剣を手にした男の姿があった。伸ばした髪が鼻までその顔を覆い隠していた。見覚えのある――できれば関わりたくないと思っていた男の顔だ。
「てめェ……何のつもりだ」
レグラスの双眸が鋭さを増して長剣の剣士――グレンを睨みつけた。
「仕事だ」
ぽつりと。初めて聞くグレンの声は、淡々としたものだった。
どうやらグレンも同じようなことを依頼されていたらしい。むしろ行動が制限されているレグラスと比べると、こっちが本命と見るべきか。
「おまえこそ、この男から何を聞いた?」
「……ちっ」
いくら感情を抑えようと、髪の奥から覗く眼光がその意志を露わにしている。
(くそっ……マジかよ)
慣れ親しんだ、総毛立つような空気。むき出しの隠す気もない殺意。
視線を外していたのはほんの一瞬のはずだった。その間にも、さっきまで話していた男はもの言わない肉の塊になっていた。頭と胴体を切り離され、虚ろな瞳が空を見上げている。自分が殺されたという実感すらなかったに違いない。
少しでも気を抜いたら、今度は自分がこうなる。
「何も。何か話そうとしてたが、その前にこうなっちまったからな」
「……ほう」
つい、とグレンの口端がつり上がる。すべてを知ったような笑みだった。
(……イヤな顔だ)
「けっ、こっちが先に見つけたってのに……」
獲物を横取りされたふうを装いつつ、グレンから慎重に距離を取る。充分に離れてから背中を向けて歩きだした。グレンが追ってくる様子はなかった。
殺意混じりの視線は、最後まで外されることもなかったが。
「この街から出るぞ」
「へ? また急な……何かあったんですかい?」
部屋に戻るなりそう切り出したレグラスに、腹心の部下のデュルクは目を丸くした。
宿に戻りながら考えて出した結論だ。
男から聞いた話を振り返ってみても、不自然な点はなかったように思う。
そして、直後に見せられたグレンの過激な反応。問答無用で男を切り捨て、何を聞いたか問いつめてきた。
雇い主であるレイモンの行っている犯罪行為。それが露見しそうになっているという推測。グレンの過剰な行為は、それらの裏付けのように思えた。つまりは、そうした事実を隠すための口封じだ。
(そんなことをするってェのは、相当追いつめられてるってことだよな)
そしてもしそれが当たりなら、自分たちもかなりマズい立場にいることになる。
(オイオイ……ヤバいんじゃねェか、これ)
まるで、攻め落とされる寸前の砦にいるような、どうしようもないきな臭さを感じていた。
(……潮時だな)
その結論は直感に近いものだったが、ためらいはなかった。
唯一思い残すことがあるとすれば、不意打ちを喰らわせたあの女に借りを返せないことだが……それに執着して引き際を間違える気はさらさらなかった。
「悪どそうなそうなオッサンが、正真正銘の悪人だってのがわかっただけだ。いいから他の奴らにも伝えとけ。泥船が沈まねェうちに尻まくって逃げ出すってな」
「はいよ。ま、準備はもう終わらせてますから。合流場所は前に決めたところで?」
「ああ。まとまって動くんじゃねェぞ。バレるからな」
「そんなヘマはしませんて」
雇い主からこういった形で離れるのは初めてではない。散歩にでも行くような口調で気軽に言うデュルクを見て、レグラスはあることを思いついた。
「それとな、俺は少し遅れるぞ」
「? ……ああ、はいはい。あんたこそ最後にヘマをうたないでくださいよ」
「バーカ。そんなわけあるかよ」
月も隠れ、その場所は暗闇に包まれていた。
いつもなら動物の鳴き声しかしない夜の森。その入り口に、三十近い数の人影があった。
レグラスの指定した合流場所に集まった傭兵たちだ。
(いい夜だな……俺らにしてみたら)
全員が揃っていることを確認しながらデュルクは思う。
普通の感性の持ち主なら、闇の中にいもしない化け物の姿を連想するような夜である。だが、こうして密かに姿をくらます予定の彼らにとっては都合がいいだけだ。
「しっかし暇だったよな。戦場じゃ考えられねェくらいだ」
一人の男が沈黙に声を上げた。それを皮切りに、他の男たちもそれぞれ声を張り上げる。
「寝るのもベッドの上だったしな。……ああクソッ! また野宿の毎日かよ」
「不満なら残ってくか? 誰も引き留めやしねえぞ」
「ああ? ふざけろオイ! おまえなんざ俺がいなかったら真っ先におっ死ぬだろうが」
「……なあおまえら、自分たちの状況わかってる?」
デュルクの呆れた声にも関わらず始まった罵りあいは、何も知らない者が見れば今にも殺し合いに変わってもおかしくない声音と内容だった。
今から雇い主を裏切って逃げだそうとしているのに、緊張感や後ろめたさはまるで感じられない。
デュルク自身もそうした感情はなかったし、罵り合いを止めようとも思わなかった。これが殴りあいに発展したら話はまた別だが。
「デュルク、隊長はまだかよ」
傭兵の一人が期待混じりの声をかけてきた。彼らはレグラスが何をしているか知っている。
「さあなあ……こればっかりはあの人の気分と運次第だからな。ま、そんなに遅くはならんだろ」
投げやりに答える。ヘマはするなと言っておいたが、大して心配はしていなかった。
彼らは元々、ある傭兵団の一員だった。その中でもレグラスを隊長とした、一部隊の傭兵たちだ。その頃の名残からか、今でも彼らはレグラスのことを隊長と呼ぶ。
長い付き合いなだけに、お互いに戦場で背中を預けられるだけの信頼関係があった。それは仲間というより、身内に近い感覚である。
「しかし珍しいよな、あの人が下手踏むなんて」
「ああ、あのいいとこの嬢ちゃんとボウズを取り逃がしたってアレか? どうせよけいなことでも考えてたんだろうよ。時々ぬけてるからなあ、隊長」
悪意のない笑いが起こる。身内のちょっとした失敗を笑うような、他愛のない笑いだった。
その笑いの中でも、全員が風を切る聞き覚えのある音に反応していた。とっさに頭をかばい、地面に伏せる。
悲鳴。怒声。肉と土に何かの刺さる音。
それらは降り注ぐ矢から発生した音だった。
(何が起こった?)
デュルクは答えを求めつつも、全く違うことを口走っていた。
「テメェら、散れ! 固まってたら矢のいい的だ!」
その声に反応したように灯される松明の明かり。暗闇に慣れた目でも、それらが自分たちを囲んでいることがわかる。
「クソッ、いつの間に!」
「どうなってんだこりゃあ!」
わけがわからないが、とにかく今は走るしかない。
声を張り上げながら、降り注ぐ矢の中を駆け抜ける。運悪く致命傷を負って倒れている仲間の姿が目に入ったが、今はどうしようもない。
デュルクはこの奇襲の影響が、自分たちの隊長にも及んでないと考えられるほど楽観的ではなかった。
(隊長……アンタ無事でいてくださいよ!)
抜きはなった剣を振りかざす。罠にはめられたまま終わるつもりはさらさらなかった。
タイミングが悪かった。
定期的に依頼料は入ってくるが、次に金が懐に入るのはちょうど明日だったのだ。つまり、いま逃げ出せば前に金をもらってから今日までの分がただ働きになる。
レグラスが屋敷に忍び込んだ理由は、つまりはそういうことだった。
ま、ろくに仕事をしなかったわけだがな――笑いながら思う。
「さて……こうなったらできるだけ高価そうなモンを、と……」
いつもと違って招かれて来ているわけではない。自然、忍ぶような歩き方になる。
高級で、かさばらない何か――金貨、宝石、装飾品。そうした依頼料に代わる何かを求めて、屋敷の中を歩き回る。慣れているので、見つかる不安はない。……傭兵なのに、こそ泥みたいな真似が慣れているのはどうかと思ったが、いざ依頼料を支払う段階になって渋る依頼主は珍しくない。そうなった場合は長々と交渉するより、こうしたほうが手っ取り早いのだ。
それに大きな戦がなくなって久しい昨今、傭兵稼業も多少あくどいこともしないとやっていけないと思っている。
(さて、次は……東方にでも行ってみるか。あっちでくすぶってた火種がそろそろ燃え上がりそうだって聞いてるしな)
などと次の仕事のことを考えつつも、背後からにじりよってきた気配に気づいたのは、偶然ではない。
「――っ!」
強烈な殺意。考えるよりも速く、振り向きざまに腰の二刀を抜いていた。
交差した剣が振り下ろされた長剣を止める。背後からの一撃を完全に防ぐことはできず、長剣の刃はレグラスの肩に食い込んでいた。
「テメェ……」
顔半分を覆い隠す髪の奥には、爛々と輝く喜悦を滲ませた瞳。昼間会ったばかりの男が今度は、レグラスに牙を剥いていた。
「なに……しやがるっ……」
かみしめた歯の間から言葉を絞り出す。昼間の一件を考えればありえた状況だが、想定していたよりも早い。
――いや、そんなことは今はどうでもいい。ここで斬りかかってくるようなら……こいつは、敵だ。
「く……クフフフフ」
「なにが……おかしい」
「こらえきれんからだろうなァ……ずっと殺したかったオマエを……やっと殺せるんだからなァ!!」
腹を蹴られる。とっさに後ろに飛んだので痛みはないが、息が詰まった。
背後で足音が重なる。振り返ると、通路の反対側は武器を持った男たちで塞がれていた。
「チッ……なんだそりゃ。俺ァおまえに何か恨まれるような真似でもしたか?」
「恨み? どうでもいいことだなァ。殺し合いをするのに理由とかいらんだろ?」
「……戦狂いかよ」
吐き捨てる。生死の境に立つのが日常で、殺すのが手段ではなく目的になりかけている。こうなると狂人と変わらない。
じりじりと後ずさりながら、レグラスは逃げ道を探した。
「逃げる気かァ? 一人でェ?」
「テメェみたいなのと関わりたくないんでな」
「先に逝った仲間が寂しがるぞ」
「……なんて言った?」
問い返しながらも、言葉の意味は一瞬で理解していた。
俺がここでこんなことになっているなら、あいつらが見逃されてるはずがない。
だが――
「バカかおまえ」
「……なに?」
グレンが虚を突かれたような声をあげる。
何を期待してた? もっと怒りだすか、絶望にくれるとでも思ったか?
「あいにくだな。あいつらはそう簡単にくたばるようなタマじゃねェんだ……よっと!」
「っ!」
グレンに背を向けて駆けだす。肩の傷は浅くなく、止血をしないと長く保ちそうにない。無理に動かせばなおさらだ。
もちろん今は、そんな悠長な真似をしている暇はなかった。
抜き身の二刀が銀閃を生み出す。二人、四人、六人――そこまで斬ったところで、背中に熱を感じた。
構わずこじ開けた通路を駆け抜ける。その勢いのままレグラスの体は窓を突き破り、夜の街へと飛び出していった。