7.へたれを取り巻くその他諸々(3)
部屋の左右の壁にはベッドが二つ、押しつけられるように置かれている。入り口とは反対側の壁にあるのは、採光だけが目的の開くことのない小さな窓。
それだけだ。机も椅子も、タンスすらない。寝て起きるだけの、なんとも味気ない部屋だった。
片側のベッドにはシーツも毛布もなく、木組みが剥き出しになっている。そしてもう片方のベッドでは、コウイチが一人横になって天井を見上げていた。
場所は兵舎の一室。本来なら二人部屋だが、部屋が余っていたのとコウイチの希望で、一人で使わせてもらっている。
初めはあまりの家具の乏しさに驚いたものだが、今となってはもう慣れている。
聞いた話だと、他の兵士たちは個人的に私物を持ち込んでそれぞれ居心地を良くしているらしいのだが、もちろんコウイチにはそんな私物はない。それに、慣れればこの部屋も悪くないと思っていた。物がない分、余計なことに気をとられる心配もない。
「初めは……フェリナの依頼があって、それで……」
頭の中は、最近かかりきりになっている事件のことで埋まっていた。
きっかけは、夜の街で一人聞き込みをしていたフェリナを偶然助けたことにある。
その翌日、領主のセナードに呼び出され、その時フェリナがセナードの娘であることを知らされた。それだけでも十分驚いたが、さらにその後フェリナの護衛を依頼され、彼女と一緒に夜の街に出向くことになるとは予想もしていなかった。この時、自分はまだフェリナの目的を知らされていない。
そして、数日後。
正体不明の男たちに囲まれ、そのうちのリーダー格の男と戦い……いや、あれは戦った、なんて言えるものでもなかった。適当にあしらわれただけだ。
ともかく、名前もわからない男に、危うく骨を折られそうなほどの怪我を負わされ、その場に現れたリゼに窮地を救われた。
そしてその後、男から逃げて傷の手当てをしてもらってから、フェリナがすべての事情を話してくれた。
フェリナの友人が行方不明になっていること――
友人の立場と事情が理由で、そのことを公にできないこと――
問題が大きくならないうちに友人を見つけるため、一人で夜の街を歩き回っていたこと――
事情を聞かされ、最初はセナードに助けを求めるように主張していたリゼも、最終的には協力してくれることになった。
そして、これまでにわかっていること。
フェリナの友人は姿を消す直前、夜の盛り場で誰かを捜していた。
……それぐらいで、足取りもつかめていない。ここまで情報がないと、逆に不自然に思えるほどだった。
わからないことも多い。というかわからないことだらけだ。
まず最初に襲ってきた、リゼが言うのは傭兵らしい男の正体と目的。
行方不明の友人と関係があるのか、あるいはその問題とは関係なく、フェリナが狙われたのか。領主の娘という立場を考えれば後者の可能性もあるが、時期が時期だ。
そして危害を加えてくるにしては、回りくどいというか、中途半端だったことも気になった。リゼの乱入でそうなっただけで、もしかしたらもっと悲惨なことになる可能性もあったわけだが。
あの時の会話を思い出すと、フェリナに危害を加える気はなかったように思う。少なくともそうしたがっている様子は皆無だった。
――だとしたら、狙いは?
……もしかして脅すつもりだったのでは?
――何を?
フェリナを。すなわち、友人を捜すのをやめろと言うつもりだったのでは。
彼らにとって、フェリナの行為になんらかの不都合があるとするなら、この仮定は納得がいく。
もしこれが当たりだとしたら、友人はあんな物騒な男たちが関わる何かに巻き込まれ、身を隠した――あるいは、誘拐された。
そして、今日の昼にリゼから聞いた、フェリナの友人を捜しているというもうひとつの存在。
そちらは話に聞いただけなのでなんとも言えないが、一つわかっていることがある。捜している、ということは、その連中もまだ友人の行方はつかめていない。
……またややこしくなってきた。とにかく、一度捜してみるのもいいかもしれない。目的が同じなら、接触する機会もあるはずだ。
「……」
なんだか、だんだんことが大きくなってきた気がする。自分たちの手に負える事態じゃなくなってきたような……そんな気すらしてきた。
というか、下手をすれば、この街にもいないのではとも思う。そうだとしたらどうしようもない。
今回の件を公にできない理由は聞いているが、この状況。自分たちでどうにかできるとは思えない。
今まで通り、フェリナが聞き込みを続けて成果があるのだろうか?
そんな疑問まで脳裏をよぎりはしたが、同時にセナードとの会話を思い出した。
自分が考える程度のことをフェリナが思いつかないはずがない。何か考えがあるのでは、とも思えた。
――ダメだ。
わからないことが多すぎる。
思いついた推論がそもそも仮定頼りで、単なる想像の範疇を出そうにない。
つくづく自分が事件のほんの一端に触れているだけの存在でしかないことを思い知らされた気がして、コウイチは深々と息を吐いた。
このまま一人で考えていても、何も思いつきそうにない。なので、
「……カセドラ」
久々にこっちから呼びかけてみる。が、反応がない。
「……? カセドラ?」
「……うい~」
しんどそうな声が、足下から聞こえてきた。
「う~、なんスか?」
見下ろしてみれば、カセドラは床に触れるか触れないかのところで宙に浮いていた。体を横に倒し、翼も羽ばたかせていない。
「……体調、でも」
「最近、なんかダルいんスよね~。こうやって顔見せするだけでもしんどい、みたいな? ふひ~……」
言いつつ、ごろんと仰向けになる。
どうやら姿を見せる、ということ自体にもなんらかのエネルギーを使うらしい。いや、そんなことよりも。
「ダルい……?」
言われてみれば、最近は軽く茶々を入れてくる程度で、以前ほど頻繁に出てくることはなくなった。こうして面と向かって話すのもずいぶん久しぶりな気がする。
「大丈夫、なのか?」
精霊にも、体調不良というものがあるのだろうか。
だが見るからに辛そうだし、これが人間なら医者に診てもらうところだが、相手は謎生物。
(……動物、病院?)
そんなものがこの世界にあるかは知らないが。
「今なんか失礼なこと考えなかったッスか~」
首をぶんぶんと振って否定。
自分、落ち着け。
そもそもカセドラの姿は他人に見えない。これでもし医者にでも診せようものなら、こっちが変な目で見られるだけなわけで。
「? もしかしてオイラのこと、心配でもしてくれてるんスか~?」
「ああ、当たり前だろう」
聞かれるまでもない問いに頷いて返すと、なぜかカセドラが目をぱちくり。そのまましばらく固まったかと思いきや、背中を向けて翼でポリポリと頭(?)のあたりを掻き始めた。
「……カセドラ?」
「まあそのうち元に戻るッスよ。今までこんなことなかったし」
くるりと空中で一回転してみせた頃には、いつものカセドラへと戻っていた。
(……まあ、本人が、そう言うのなら)
「ところで――フェリナは何を考えていると思う?」
「さあ? そんなこと知らないッスよ」
「……」
それはそうなのだろうが。考える素振りくらい見せてくれてもいいんじゃないかと不満に思ったり。
「今のままで不安なら、別のやり方を考えてみてもいいんじゃないッスか?」
「やり方……」
一度だけ姿が見えないカセドラに探ってもらおうと思ったことはある。だが、明らかに悪いことを企んでいるとかならともかく、そうでないのにそれをやるのは覗き見みたいで気が引けた。
「不安、というわけではないが」
「そうは思えないんスけどね~。わざわざそんなこと聞いてくるなんて不安に思ってる証拠ッスよ」
言われてみると、そうなのかもしれない。
しかし他にいいアイデアも思いつかないし。
「下手の考え休むに似たり、とかいうし」
「いや、自分で下手とか……ともかく、あまり人任せなのもどうかと」
それはその通りなのだが。……まあともかく。やはりフェリナのやっている通り、地道な聞き込みを続けるしか――
「ところで――ゴチャゴチャ悩んでるみたいッスけど、別格に怪しいのを忘れてないッスか?」
「怪しい……?」
「え~と……なんて言ったか忘れたッスけど。ほら、一度だけ会ったことのある嫌味なおっさん」
「あ……」
一瞬で顔が浮かんだ。
フェリナを送って屋敷へと戻った時、たまたま鉢合わせした彼女の親戚。たしか名前は……レイモン、とか言ったか。たしかにフェリナのしていることを知っていて、それをよく思っていない人物の一人だ。
会ったのは一度きりだが、かなりわかりやすい人物だったように思う。それこそ、元の世界のマンガやドラマの登場人物なら問答無用で悪役に分類されるような。
(……まさか)
いくらなんでも、そこまでわかりやすくはないだろう。先入観やイメージでの決め付けはよくないし、なにより失礼だ。
だが……もしレイモンが見た目通りの悪役だとしたら――
脳裏に浮かんだのは、レイモンと一緒にいた、息の詰まりそうな雰囲気のあの男。思い返せば、後で会った傭兵の男と似たような雰囲気だった気がする。ただあっちのほうが、明らかにヤバそうだった。
レイモンが行方不明事件に関わっているとしたら、あの男はどういう役回りなのだろうか?
◆
大きなベッドが、広い部屋の一角に置かれていた。庭側の壁には、大きな出窓が二つ。今は夜のため閉じられているが、光の射す時間帯には大きく開け放たれている。
床には毛足の長い絨毯が敷かれ、タンスや机など、一式そろった家具はすべて彫刻のほどこされた高級品。配置もバランスよく整えられている。ようするに、慣れない人間なら足を踏み入れるのもためらうような部屋だった。
とはいえ華美な装飾品などは少なく、成金的な悪趣味さは感じられない。
そして部屋を彩る家具の数々も、この部屋の主が集めたものではなかった。
元からあったものや、他人からの贈り物。そしてもっとも割合が高いのが、毎年の誕生日に父親から贈られたものだ。そのせいか、この屋敷で一番豪華なのはこの部屋だった。
この部屋の持ち主の少女――フェリナ・リース・クレイファレルは自分が遅れて帰宅した日のことを思い出す。立場上ありえない行為をしている自分に課せられた門限、それを破ってしまった日のことだ。
深々と頭を下げる彼女を、父親――セナードは責めるまでもなく、
「何か事情があるのだろう?」
理解のある父親の表情で、そう言っただけだった。
さすがに次に同じことがあったら、罰を考えなければならない、とは言っていたが、それだけだ。それでその日のことはあっさりと許された。
「優しすぎますわ……お父様」
うっすらとフェリナは微笑む。コウイチに見せたのとは違う、それは妖しさを湛えた笑みだった。その表情から何を考えているかは読みとれない。
「――少し、無理が過ぎやしませんかね」
フェリナしかいないはずの部屋に、誰かの声が響きわたる。若い男の声だった。
フェリナは驚かず、声の主を捜す様子もない。
「あら」
ただおかしそうに笑うだけ。その表情はすでにコウイチたちにも見せたことのある、年齢にしては大人びた程度の微笑へと変わっている。
「運が悪ければ死んでいてもおかしくなかったですよ」
「そういった時のためのあなただとうかがっていますけれど」
「それはそうですけどね」
声の主がこの場にいたら、きっと肩をすくめていただろう。そんな声音だった。
「さすがに酔っぱらいを相手にしゃしゃり出るわけにもいかないですよ」
「あれぐらいだったら、なんとでもなりましたよ?」
「お嬢様は護身術の心得でもあるんですか?」
問いかけにも、フェリナは薄く笑うだけ。どちらともとれるような反応に、声の調子が同情めいたものへと変わった。
「そうだとしたら、あのボウズはくたびれ儲けだったってことになりますね」
「そうでもありませんよ。彼のおかげで今の状況があるわけですから」
「その分、危ない目にもあってるんですが。ま、それをどうこう言うつもりはありませんがね。とにかく、俺が表に出るような事態はない方がいいとは聞いてますよね?」
「ええ、もちろんです。目立たないように、可能な限り存在を感づかれないように、ですね。……リゼさんは気づいていたようですけれど」
男の声が、痛いところをつかれたというように、苦々しいものへと変わる。
「あれは……俺も予想外でした。まったく、さすがは“戦鬼”の娘ってところですかね。……まあ、二度目はありませんよ」
「あら、頼もしいですわ。その調子で私の方がどうにもならないというときは、お願いいたしますね」
声の主に、深々と頭を下げるフェリナ。
「止めてくださいよ。そんなことされなくてもやりますって。団長の命令なんですから」
「今回の件、私が礼を言っているとお伝えくださいな」
「ええ、わかりました。それとですね、お嬢様たちに手を出してきた例の傭兵のことなんですが」
顔を上げたフェリナの目が、すっと細まった。
「何かわかりましたか?」
「あの後、尾行をしてみましたが、予想通り例の豪商の屋敷に行きました」
「なら、今回の件に関わりがあると?」
「間違いないでしょうね。おそらく雇われているだけでしょうが。あそこはこの街でのあの男の一番の根城ですから。それなりに隠してはいるようですが、今も滞在してることは把握済みです」
「会いにいったと?」
「そうだと思います。直接か、間の人間を通してかわかりませんが。お嬢様たちに接触してきたのもあの男の命令でしょうね」
「あら、どんな命令だったんでしょうね?」
「さあ? ろくなものじゃあないでしょうが。なんにしても命令を果たせなかったのは間違いないですね」
「ならあの人もさぞご立腹だったでしょうね」
「ですが、契約を切られた様子もありません。まだしばらくの間は障害になると考えたほうがいいでしょうね」
「あなたにとっても、ですか?」
「相当荒事に慣れていそうな奴です。正面きって相手取りたいとは思いませんね」
「そうですか」
「それと、本命の調査も進んでいるみたいです。あと少しで引っ立てることができるそうで。ですが……」
「何か気になることでも?」
「……いえ、気になることはありますが、さし当たってお嬢様には関係ないですね。ともかく、計画は予定通り進んでいます。お嬢様には今まで通り、“目障りになる振る舞い”をお願いします。あの男にとっての、ですがね」
「わかりました。一刻も早く、今回の一件が終わるよう願っています。……お父様のためにも」
「なんとかご期待に応えるように努めますよ……では」
男の声が途絶えると同時、ドアをノックする控えめな音が聞こえてきた。
ご夕食の支度ができました、とメイドが部屋の外から伝えてくる。
「わかりました。すぐに行きます」
そう答える口調も、声音も。すべてが他人と接する時のフェリナのものだった。事実、フェリナと付き合いの長いそのメイドは何の違和感も覚えず、返事を聞くとその場から立ち去っていた。もし、彼女が今のフェリナを見ていたら。
見たこともない主の表情を前に、自身の目を疑っていただろう。
「フフ……」
フェリナが声を出して笑う。
それは、およそ一切の感情が抜け落ちたかのような笑みだった。