7.へたれを取り巻くその他諸々(1)
「すまないね。急に呼び出して」
勧められてソファに座るなり、対面に座っていたセナードがそう切り出した。
「いえ……」
歯切れ悪く、首を振る。
やりとりは以前と変わらないが、コウイチだけが気まずさを感じて顔をうつむかせていた。
背中をひっきりなしに冷や汗が伝う。
セナードになにやら近況を聞かれるが、あまり頭には入ってこない。目の前におかれたお茶に伸びそうになった手をはっとして押さえる。動揺を表に出さない自信がなかった。
こうして呼び出されるのは三回目。そろそろ慣れてもいいのではと思いつつも、今回が一番緊張しているのは事実なわけで。
意識しなければ泳ぎそうになる視線をテーブルの一点に固定し、じっと押し黙る。
(迂闊……)
呼び出された理由については見当がついている。フェリナと一緒にいて襲われたあの日。結果的にフェリナは約束した時刻を破って帰宅した。その件についてのことだ。
セナードの立場を考えれば、コウイチが怪我をしたことも知っていてもおかしくはない。同日に、遅く帰ってきた娘。普通に考えれば関連づけるのが当たり前だった。
なら、こうして呼ばれるのも当然の流れなのだが。
(考えてもいなかった……)
それだけでも十分ダメだが、当然、うまい言い訳も考えていないわけで。
「右手はもう大丈夫なのかね?」
「ええ、その……はい」
腫れはすっかりひいて、動かすと少し違和感がある程度。今日からまたフェリナと、そしてリゼと聞き込みを再開する予定だった。
「そうか……それはよかった」
その声音は、言葉が上っ面だけのものでないことを教えていた。本当に心配してくれていたらしい。
(……気まずい)
良心が痛んで胸がチクチクする。一人だったらそこらの壁に頭を打ちつけているところだ。
「ところで、その怪我の理由を聞いてもいいかね?」
――きた。
「いえ……これは、あの転んで……」
「転んで?」
迷ったあげく口をついて出たのは、嘘の言い訳としては最悪の言葉だった。
「兄さん……」
呆れを通りこしてため息混じりのカセドラの声が聞こえてくる。言われなくてもわかっている自分のダメさ加減にもの悲しくなってくるが、一度吐いた言葉を引っ込めるわけにもいかず、
「フェリナ様も、それで遅れて……すいません」
二階の部屋の窓から飛び降りたい衝動をこらえて、なんとか言葉をつなぐ。
コウイチにしてみれば、思わず叫びだしたくなりそうな沈黙の後、
「なるほど……」
セナードは一つ頷き、
「確かにあの娘なら、知り合いが怪我をしたのを知って一人で帰ってくるような性格をしていないだろうな。むしろ、そんな薄情な真似をしていたら私が叱っているところだ」
(……え?)
はっと顔を上げると、セナードの笑いを含んで目で見返された。
「どうしたのかね? 不思議そうな顔をして。……当ててみせようか? 君は、わたしが君の話を嘘だと思わないことを意外に思っている、違うかね?」
「それ、は……」
その通りだが、ここで素直にハイそうですと言えるほど剛胆でもなく。ただうろたえるように視線をさまよわせるだけ。
「で、嘘なのかね?」
首をぶんぶんと、横に振る。
「ならこの話はこれで終わりだ。そうだろう?」
「はあ……」
何を考えているのかわからず、この程度しか言葉が出てこない。
「それに……」
一拍の間を置いて、
「よしんばこれが嘘だとしても、悪意からくる嘘ではない。私はそう思っているよ」
そう言い終えた時のセナードの顔は、すべてを許容するような大人の笑みを浮かべていた。
「どうやら、娘は君のことを信頼しているようなのでね。これからも娘をよろしく頼むよ」
「――では、今日からまたよろしくお願いします」
言いながら深々と頭を下げるフェリナ。長い髪は目深にかぶった帽子に隠されて、垂れることはない。
「あ、いえ。……こちらこそ」
その日、コウイチは三日ぶりに屋敷の裏口からほど近い場所でフェリナと待ち合わせをしていた。
予想外のことはあったが、予定通り、聞き込みを再開するためだ。
すでにフェリナにはリゼが別行動することを伝えてある。残念そうな顔をしたのも一瞬、フェリナは理由も聞かずにわかりました、と頷いて見せた。
信頼されているのか、それとも、わけを聞くまでもなく理解しているのか。たぶん、後者のような気がする。
二人並んで歩きだし、街でも酒場などの盛り場が密集している区画へたどり着く。
「今日は、この通りの店に行きます」
交通の要所にあるクレイファレルの町には、旅人や行商人用に酒場や宿屋が多い。フェリナが示した通りにも、そこだけで数軒の店が門扉を開いていた。
事情をすべて聞かされた今、店の外で待っている必要もなく。店内には二人で入り、フェリナが聞き込みをする横で立つ。
そうして気づいたのが、フェリナの注目度の高さ。男女の比率が圧倒的に男側に偏っているせいもあるが、それ以上に、人目を引く品の良さがあるのだろう。自然と注目が集まる。
必然、一緒にいるコウイチにも無遠慮な視線が注がれる。視線の元のまなざしのほとんどが、どんな関係だと探るようなものになっていた。
(……これは……)
ただでさえ注目を集めるのに慣れてない身。その上向けられる視線のほとんどが友好的とはいいがたい。
注目を集めるという、人によっては快楽を感じるこの状況も、コウイチにとっては居心地が悪いだけでしかなく。
聞き込みのほうも、はかばかしくはなかった。時間帯からか店員や女給は話を聞けるほど暇そうではなく、客も酔っている者が多い。
そうでない客もいるが、酔客しかいない場合はどうしようもなく、まだマシと思える相手を選んで声をかけている、らしいのだが。
フェリナと最初に会った時の酔っぱらいほどタチの悪い相手はいなくても、からまれる確率はやはり高い。
「へぇ、そいつはあんたの知り合いかい?」
「ええ、友人です」
「ふぅん……言われてみりゃ、そんな女を見た憶えがあるような……」
「それは、どこで」
思わず、フェリナより先に食いついていた。
その客は勢いに押されたようにのけぞり、目を白黒させる
「んー。そうだなあ」
顎をなでながら、フェリナの頭からつま先までじっくりと目をくれる。
「お嬢ちゃんも座れよ。一緒に飲んでくれたら教えてやるから」
なまじ美人なためか、こういう誘いも今までに何度かあったらしい。
特に驚くようなことなく、
「あら、申し訳ありません。私にはすでにお付き合いしている殿方がいるので、そうしたお誘いは断るようにしているんです」
「ぶっ」
思わず吹き出していた。
言いながらのフェリナのまなざしが自分に向けられていたから。知らない人間が見れば、明らかに誤解を誘う行為だ。
気のせいか、フェリナの頬が赤くなっているように見えた。さらには、面食らった様子の男にかまわず、そっと寄り添うように体を近づけてくる。
(な……なにを……?)
混乱し、それをまともに表情に出すコウイチに気づかず、男がやってらんねぇやといった顔を横を向ける。そうしていたのも束の間、
「それじゃあ、しょうがねえなあ」
何かを思いついたように、男はニヤリと笑ってみせた。
「オイそこのボウズ。ちょっと付き合いな……って、聞いてんのか?」
「……え?」
動揺が収まらないまま、コウイチは自分を指さした。
「僕が、ですか」
「ああ、飲み比べでどうだ。俺に勝てたら、知ってること全部教えてやるよ」
「え」
(飲み……比べ?)
「やらなくてもいいけどよ。それだったら話を聞くのは諦めろや」
「……わかりました。やります」
考えるよりも先に、言葉が口をついて出た。
「コウイチさん? 無理はしなくても」
「いえ……大丈夫、です」
はっきりいって、自信はない。酒を初めて飲んだのもバーナルにつきあってからで、それほど強くはないらしい。限界まで飲んだこともなかった。
だが――
護衛として今日までフェリナにつきあっているが、役に立った憶えはない。少なくとも自分ではそう思っている。
襲われた時も為すすべもなくやられていた。リゼがいなければそのまま、無様な姿をさらすところだった。もしフェリナが狙われていたら、どうしようもなかったに違いない。
期待され、信頼されている以上、一つぐらいは役に立ったという実感がほしい。
にわかにざわめき始めた周囲をよそに、コウイチは席に着く。同時に目の前の杯になみなみと酒を注がれた。
「……では」
見慣れない色の酒。鼻につんとくるきつい臭い。飲んだことのない酒に、ためらいが生まれる。
(……いや)
どんな酒であろうと、胃に流し込めばすべて同じ。味など二の次。
「いきます」
言い終えるや否や、杯を手に取り、中身を一気に喉に流し込む。喉が焼けるような感覚。店にいた客から歓声があがった。
――コウイチにとって誤算だったのは、杯の中身が麦酒や葡萄酒ではなく。アルコール度数がそれらよりもはるかに高い蒸留酒だったことだ。もちろん、一気に飲むような酒ではない。
初めに感じたのは、頭の後ろの柔らかい感触。
「……う」
うっすらと目を開けば、ぼやけた視界を占めるのは見覚えのある顔だった。
「あら」
「目、覚めましたか?」
「ええ、そうみたいです」
(……暖かく……冷たい?)
はっきり目覚めていない意識で思ったのは、相反する二つの感想。
後頭部は暖かい。にも関わらず、首からは下は冷たく、硬質だった。
水の音に気づいて視線を巡らせる。おぼえのある光景が広がっていた。
大通りの交差する広場。その中心にある、噴水。
(えーと……)
……うん、そこまでは理解した。だが、この頭の後ろの暖かいような柔らかいような感触はなんだろう?
「コウイチ、いつまでフェリナ様の膝に頭を乗せてるの?」
リゼの冷めた、氷を思わせる声。反射のように体が急な覚醒を促す。
(膝……? ひ……ざ――)
「っ! す、すいません……!」
慌てて跳ね起きた。すぐにふらつき、噴水の水面に落ちそうになる。あ――と思った直後には腕を捕まれ、ずぶ濡れになるのはなんとかまぬがれた。
「あ、ありが――」
振り返れば、そこにあるのは見る者を凍らせるような凍てついた双眸。
リゼの極寒な目にさらされ、背筋を寒気が突き抜けた。それほど寒くもないのに、ぷつぷつと鳥肌が浮き上がる。
護衛する相手の前で酔いつぶれたばかりか、そのうえ介抱までされる。
(……ひどすぎる)
というかありえない。弁解の余地もない。
「いえ、あの……リゼ、さん?」
「何?」
あくまでも声は淡々としている。ただし、表情は感情が抜け落ちたかのような無。それがまた恐怖を誘う。
「いえ……なんでも」
そう、と一息。リゼが背を向けた。
「じゃ、あたしはまた離れるから」
(ちょ、まっ……!)
こんな状況で、二人きりにされるとか。なんの罰ゲーム? いや、今のリゼと一緒にいるのとどっちがマシなんだろうか、とあまり意味のないことを考えられる程度には頭も働いていたわけで。
微笑んでいるフェリナに、ギギギと錆びたロボットのような動作で振り返り。
「えー……と、フェリナ様」
「呼び方」
途端にフェリナの目から笑みが消えた。
「間違ってますよ?」
「あ、はい……フェリナ……さん」
「はい、なんですか?」
「あれから、いったい」
困ったように、フェリナが笑う。
話を聞くと、相手が先に音をあげたらしい。酔いつぶれたという意味ではなく、
「俺の負けでいいからこいつをつれて帰ってくれ。酒がまずくなってたまらねえ」
そう言ってリタイアしたという。
「それは、な――」
なぜ、と言いかけ、途中で言葉を止める。なんとなく知ったら死にたくなるような気がする。
そして耳元では、自称精霊で本性は小悪魔な謎生物の囁き。
「後でオイラが教えてあげるッスよ」
(……本気でやめてください)
心の中で懇願し、ごくりと喉を慣らして、話題を変える。
「と、いうことは。話を……?」
「それが――」
話は聞けたが、結論から言えば男の勘違いだったらしい。話に出てきた女性はフェリナの友人ではなく、他の客の知り合いで今も普通に暮らしているという。
がっかりと肩を落とした。
酔いつぶれた意味が、まるでない。
「……はぁ」
落胆を隠しきれずにため息を吐いて空を見上げる。
幸い、酔いつぶれていた時間はそう長くなかったらしい。夕日はまだ沈みきっておらず、今からなら門限に間に合いそうだった。
ふらつく足で立ち上がると、近寄ってきたフェリナにそっと肩を支えられた。
その瞬間、酒場で寄り添われたことを思いだし、あわてて離れる。
「あ……」
小さく声を漏らし、フェリナが寂しそうな顔をした。
「すいません、コウイチさん。なれなれしくして……。あの場合は、ああするのが一番だと思ったものですから」
ああ、やっぱり演技ですか、そうですか。……そうですよね、はあ。
「いえ、あの……別に、気にしてはいないので」
「期待してた、の間違いじゃないッスか~?」
これは無視。
まあ、演技だとしても。少なくとも、嫌っている相手にああした行動には出ないだろうと思う。思うのだが。というかぜひそうであってほしい。
……本心は、どうなんだろう? それに膝枕って、彼女的にはかなり大胆な行為だと思うのだが。
つい、さっきの酔っぱらいのように全身をまじまじと見つめてしまう。
「あの……なんでしょうか?」
不快さはなく、照れたような声音に我に返った。
「あ、いえ……少し、考え事を」
「考え事ですか? もしかして……先日、お父様に呼び出されたことについて、ですか?」
驚いて見ると、硬い声音と同様、フェリナは真剣な表情をしていた。
「私が帰るのが遅れたことについて、ですよね?」
ためらいはあったが、嘘をつく理由もなく、おずおずと頷いた。
「ええ。ですが、本当のことは話さずに、なんとか」
「父にはなんと説明したのですか?」
「自分が勝手に転んで怪我をして、心配してくれたフェリナさんが遅れてしまった、と」
「それではっ……責められたのではないですか?」
「いえ。これからも、娘をよろしくたのむと」
「そうですか……ありがとうございます」
ほっとした様子で頭を下げられ、コウイチは複雑な顔をした。
嘘をついたわけでないが、フェリナに話していないこともあったから。
セナードの部屋に呼び出され、もっと問いつめられるかと思った話が拍子抜けするぐらいにあっさりと終わって息をついた直後、
「ところで、一つ聞きたいのだが」
その問いかけは、タイミング的にも、内容的にも不意打ちに近いものだった。
「娘のことを、どう思っているかね?」
「……は?」
え……? なにこの質問?
相手が相手なだけあって、意味深にもとれる質問だった。一人の男として、という意味だとしたら、なんとも答えようがない。
硬直しているコウイチを見て気づいたのか、
「ああ、君が思っているような意味の質問ではないよ」
自分の問いかけのまぎらわしさを笑うようにセナードは苦笑した。
「そうだな……。年頃の娘としてではなく、人間としてどう思うか、という意味なのだが、わかるかね?」
「ああ、はい」
それなら普通に答えられる。
「尊敬できる、人かと」
「そうか」
おべっかを言ったつもりではない。セナードもうれしそうに顔をほころばせた。
「あの娘は時々、親の理解を超えた賢さを示す時があるのでね。それが他人の目には、不気味に映るのではないかと不安に思ったのだよ」
「……」
リゼとの話を思い出した。彼女も不気味とまではいかないが、引っかかるようなものを覚えていたのは事実だ。
「将来に備えて、何度か領主としての仕事をあの娘に手伝ってもらったことがあるのでね。立場上仕方のないことだが、それが原因で同じ年頃の若者たちと考え方がずれてしまっては不憫ではないかと常々思っていたところだ」
「それは。まあ」
同意しながら納得していた。彼女の妙に落ち着いた性格は、そこから来ていたのか……。
ふと、疑問が浮かんだ。セナードやフェリナ以外にあともう一人、必ずいるはずの人物に会っていない。
「ところで。奥さまは」
「ああ……」
セナードは不意にさびしげな表情を浮かべ、
「死んだよ。かなり前の話だ」
「っ……それは」
「気にしなくていい。なにぶん昔のことだ。あの娘がどう思っているかはわからないが」
言葉を挟む隙もない早口でセナードが言葉を継ぐ。
「ともあれ、まだ年若い娘に、などと言われることもあるが、あの娘は賢い。領地や領民への愛情もある。あの娘の示した考えに誤りはあっても、そこに私欲を感じたことはなかった。将来はきっと立派にこの地を治めてくれるだろう。もちろん、君たちのような支えてくれる者がいてこそ、の話だが」
いえ、そんな……と首を左右。セナードのフェリナへの過剰とも思える信頼は、そうした経緯からきているのだろうか。
漠然とそう考えていると、セナードが身を乗り出してきた。
「だから、あの娘が私に隠れて何かをやっているとしても、それが結果的に悪影響をもたらすものではない、と信じているよ」
「っ……」
(この人は……)
フェリナが、何をしているのか気づいているではないだろうか。もしかすると、知っていてあえて黙認しているのかもしれない。
「今の話はフェリナには内緒にしておいてほしい。さすがに照れくさいのでね」
口元をほころばせ、セナードは照れたように笑ってみせる。穏やかな大人のような仕草から感じる印象は、今日話す以前とはまったく違って感じた気がした。