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6.へたれとやさぐれ(3)

 コウイチが傭兵らしき男に怪我を負わされ、フェリナから彼女の抱えている問題を聞かされたその翌日。コウイチは練兵場の片隅で、一人黙々と素振りをしていた。

 骨折寸前の怪我をしていても、兵士としての訓練が休みになるわけでもない。それでも軽く体を動かす程度でかまわない、とも言われたのだが、コウイチは訓練用の剣を手に取っていた。

「左手は使えるんだろ? なら片手での剣の扱い方を覚えるチャンスだな」

 などとバーナルに言われたから、というだけではない。初めての実戦らしい実戦――剣は抜かなかったが――を経て、あらためて自分の弱さを突きつけられた気がしたからだ。

(……未熟みじゅく

 昨日の男に勝てなかったのはまだいい。リゼが言うには、実力が違いすぎたらしいのだから。問題は、右手が使えなくなった時点で戦うのを諦めたことだ。左手も両足も満足に動くのに、それであがくという発想すら思いつかなかった。

 左手で剣を握り、包帯の巻かれた右手はだらりと下げたまま。正面に構えた状態から、突き上げ、右から左に横薙よこなぎにして、左上から斬りおろす。勢いを止められず、切っ先が地面を叩いて腕にしびれが走った。

「っ……!」

 ガラン、と剣が地面に倒れる。何度も教わった通りの型を繰り返して、握力がすっかりなくなっていた。

 いつもなら両腕に分散している負荷ふかを一手に引き受けた左腕は、すっかり熱をもってパンパンになっていた。

「……」

 思わずため息をつく。まだ一連の動作を、二百回もできていない。

 固くなった左腕を揉みほぐしていると、ざわめきが聞こえてきた。気になって振り向くと、兵士たちの視線が一点に注がれている。

 フェリナが、豊かな金髪をなびかせながら歩いていた。ここでは正体を隠す必要がないからか、今日はいかにも令嬢れいじょうというような白いドレスを身にまとっている。似合ってはいるが、兵舎に隣接する練兵場れんぺいじょうでは場違いな格好だった。

(なんで、ここに……?)

 不思議に思って見ていると、こっちに気づいたフェリナが驚いた顔で駆け寄ってきた。

「コウイチさん、こんにちは。……あの、もう大丈夫なのですか?」

「ええ、まあ」

 不安そうな眼差しが怪我をした右手に注がれている。

「安静にしているようにと言われたのでは?」

「問題があるのは、右手だけなので」

「そう、ですか……」

 納得してなさそうな声で言うフェリナに向かいつつも、コウイチの視線は、自分たちを驚いた様子で見ている周囲の兵士たちを気にしていた。

 落ち着かなくなって、会話を急ぐように口を開く。

「ところでフェリナ様は、何か用事でも」

「え? いえ、その……」

 なぜか困ったような顔をされてしまった。

 はあ、とため息。最近では姿を現すのも面倒なのか、カセドラの呆れた声がどこからか聞こえてきた。

「兄さんの様子を心配して見にきたに決まってるじゃないッスか」

(……ああ)

 まあ、たしかに。ちょっと考えればわかることで。

 とはいえ、今さらどうフォローすればいいかも思いつかず、気まずい沈黙の中でコウイチは視線を泳がせる。

「その、呼び方のことなんですが」

 沈黙を破ったのはフェリナだった。

「は?」

「様、をつけて呼ぶのを、やめていただけませんか? せっかくお知り合いになれたのに、それだとよそよそしい感じがして……」

 思わぬ要望に、コウイチは目を丸くする。周囲からはどよめきが起こった。

「ですが」

 立場的には雇い主の娘さんだし、他のみんなもそう呼んでいる。自分だけ変えるのは抵抗があった。

「ダメ、でしょうか……?」

 上目つかいで見つめられ、うっと言葉に詰まる。

「ダメ、というわけでは」

 考えてみれば、元の世界では誰かを様付けで呼んだことなどなかった。初めて口にする時も、違和感があったし。向こうがそう言ってくれるなら、断る理由もない。

「では。……フェリナ、さんで」

「さん、だなんて。呼び捨てでかまいませんよ?」

「……さすがに、それは」

「気にすることありません。殿方とのがたなのですから」

 そういう問題でもなく。そもそも、この世界では割と一般的な男尊女卑だんそんじょひの考え方は好きではない。

 それに、様付けから呼び捨てだなんて、いくらなんでもスキップし過ぎじゃなかろうか?

 コウイチの困惑こんわくする様子を見てか、フェリナは眉をよせて、

「申し訳ありません。困らせてしまったようですね」

 そう謝ってきた。

「いえ、そんな……では、さん付けで」

「はいっ」

 弾むような返事と、笑顔。何度も見ているはずなのに、より親しみがこめられているように思えて、コウイチは思わずたじろいだ。

(……え?)

 なにこの表情?

 聞き耳を立てている兵士たちから悲鳴のような声があがったが、それにも気づかないほど混乱する。

 今は一緒にいる時間も長いが、それも一時的な話。立場もあるし、とりあえず線を引いた付き合いをしておこうと思うのだが、なぜか向こうはその線を軽々と越えてきてしまう。

「ひょっとして……兄さんに気があるんじゃないッスか?」

 いやらしい響きのカセドラの発言に、コウイチは目を伏せた。

(……はは)

 いや、そんな、まさか。

 自分みたいな無気力人間がですよ? 同じクラスの女子に、好き嫌いどころか名前も覚えられていなかった空気君が? あんなお嬢様的な美人に好かれるなんて? そんなことあるわけないない。

 ……はあ。

 否定するうちに色々と嫌な思い出がよみがえってきて、コウイチはズーンと肩を落とした。

「兄さんって……面倒くさい奴ッスね」

 ……ほっといてください。


 その後帰るフェリナの姿は、なぜか上機嫌に見えた。

 その姿が見えなくなると同時、コウイチは兵士たちに囲まれた。

「さ~てと……コウイチ?」

 含みのある声で話しかけてきたのは、特に親しい若い兵士だった。

「あの……なに、か?」

「なにか、じゃないだろ! いつの間にフェリナお嬢様と親しくなったんだよ!?」

「いや、それは……」

「俺たちの誰もが憧れながら、身分の違いに軽々しく言葉を交わすこともできなかったあのフェリナ様と……しかもフェリナ『さん』だとっ? それになんなんだ、あの笑顔は!?」

「いや……あの……」

 よく見れば、自分を囲んでいるのは皆若い兵士ばかりで。

「いえ、その……誤解ごかい――」

「「「「「ハァ!?」」」」」

 まるで魔女裁判のような、こっちの言い分など聞く気もない、というか即刻死刑と言わんばかりの糾弾きゅうだんの嵐。下手すればこのまま火あぶりにされてもおかしくない勢いである。事情が事情だけに、本当のことも言えない。

 嫉妬しっと羨望せんぼうに端を発した怒りがこれほど恐ろしいものだと、コウイチは初めて思い知らされた。

(知りたくなかったし……誤解だし……たぶん)

 逃げようにも、周りは敵だらけ。すぐに回り込まれそうだった。

(そうだ……!)

 思いついたのは、カセドラになんとか道を開けてもらうという手。今までも、ぎりぎりまで追い詰められた時にはカセドラが助けてくれていた。

 救いを求めてカセドラの姿を探し――絶望した。

 こっちを見ているカセドラの表情は、口元を引き結んだ真面目なものに見える。ただし、その目尻と口。その部分が、笑いをこらえるようにピクピクと震えていた。

(……はは)

 まあ、うん。わかっていたとも。カセドラに期待した自分がバカだったってことくらい。

 追いつめられ、うつろな笑みさえ浮かべ始めたコウイチに、救いの手がさしのべられたのはその時だった。

「コウイチ」

 熱狂ねっきょうに冷水を浴びせるような涼やかな声。

 訓練を終えたばかりなのか、汗に濡れた髪を拭きながら、リゼが姿を現した。

「リゼ……? 悪いが、今取り込み中――」

「ちょっとコウイチと話したいから、二人にさせてもらえるかな?」

「!!!!!!!」

 その瞬間、周囲の空気が凍りついた。

(ちょっ……!)

 このタイミングで、そんな誤解されるような!

「こ、コウイチと話したいことって、な、なんだ?」

「ごめん。ちょっとそれは言えない」

 そこかしこで絶望の呻きがあがる。

 嫉妬を通り越して、殺意すら感じられる荒んだ目になりながらも、兵士たちは解散した。

(おのれ、リゼまでも……)

(男臭い中での唯一のうるおいだったのに……)

(大人しそうなフリして、二股か? 二股なのか?)

 そんな、誤解に満ちあふれた心の声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。気のせいだと信じたい。

「……はぁ」

 どっと疲れた。こうなったら早く切り上げよう。後のことは……あまり考えない方向で。

「それで……話とは」

「これからのことなんだけど」

 自分の怪我が治ってからの話だ。そう気づいて背筋を伸ばした。

「三人で固まって動くのは止めた方がいいと思うんだ」

「? それは、どういう」

「三人でまとまって動くより、一人は離れた場所にいたほうがいいと思う。いざという時、助けを呼べるように」

(……なるほど)

 二人が三人に増えても、確かにどうにもならないこともあるだろう。たとえば、あの男の仲間全員に囲まれるようなことになったら、抵抗するどころではなくなる。

「では、その割り振りは」

 リゼと自分、どっちがフェリナにつくかという疑問には、

「それはコウイチにしてもらうつもり」

「……妥当だとう、かと」

 あの傭兵(らしき男)の発言を聞く限り、あの時は自分だけが狙われていた。かといってフェリナも無関係というわけではなく、むしろ彼女と一緒にいたから、という感じだった気がする。

 ともかく、自分ははっきりと顔を覚えられた。フェリナと一緒にいたことも知られているし、他人のフリをして後をつけるなどできそうにない。

 それなら顔を知られていないリゼに後をついてきてもらったほうがいい。あの時は不意打ちだったし、たぶん顔までは見られていないはずだ。

 ここは心細いが、一網打尽いちもうだじんにならないためにも、

「なら、僕がフェリナ……様、と一緒に行動すると」

 なんとなく抵抗を感じて、以前通りの呼び方をする。

 微妙な間を気にしたふうもなく、リゼはあっさりと頷いた。

「うん。よろしく」

 ふと、リゼが何かを考えているように黙り込む。

「……なにか」

「そのフェリナ様のことだけど、コウイチはどういう人だと思ってる?」

(……どういう、人?)

 親切で、礼儀正しい。深窓しんそうの令嬢っぽい見た目に反して行動的。あと意外に度胸もあって、友達思い。自分に対しても……ほんとどう思ってるんだろう?

 いや、それはさておき。

 思っているままの印象を述べると、リゼは納得いかない表情になった。

「コウイチよりずっと前から知ってるし、女同士だからかけっこう話すこともあるけど……自分を偽っているとかじゃなくて、全部見せてないって感じがする」

 意味がわからず首を傾げる。どんな人間にだって、隠したいことの一つや二つあるだろう。

「兄さんはそれどころじゃないッスけどね」

 うっさい。

「なんで、そう思うように?」

 リゼが途端に顔をしかめた。言葉を探すというより、はっきりとした根拠が思いつかないような反応だった。

 それでもよほど引っかかるのか、リゼは黙って目を泳がせた。

「なんていうのかな……腰がわりすぎてる気がするんだ」

(……まあ)

 言いたいことはなんとなくわかる。自分だったら動揺どうようして冷静さを失う事態であっても、フェリナは落ち着き払っていた。単純にすごい人だなとしか思っていなかったが。

「……考えすぎでは、ないかと」

 自分からみれば、フェリナは裏のありそうな人物には見えそうにない。何か隠していることがあるかもしれないが、気にするほどでもないと思う。

「そうだね。ごめん、忘れて」

 さすがに無理があると思ったのか、リゼはあっさりと話を打ち切った。

「リゼこそ」

 ついでとばかりに、こっちからも質問してみる。

「なんで僕らを……手伝うことに?」

「納得がいかなかったから」

 答えはあっさりと帰ってきた。

「あの傭兵……かなり強いって言ったよね。あの時は急だったから不意打ちをしたけど、真正面からも戦ったらどうなるのか、どこまで渡り合えるのか知りたいと思ったから」

「渡り合える、というか……リゼよりも強いんじゃ?」

 たしか、自分でそう言っていた気がする。

「今は、多分ね。だからさっきまで、父さんに鍛えてもらってたの」

 そう言うリゼの目に、自分との訓練では見せることのない熱のようなものが宿った気がした。

 よく見れば、リゼのむき出しの腕に、打ち身のようなあとがあった。服もびっしょりと汗で濡れている。

 コウイチは彼女の意外な一面を見た気がした。もっとクールな性格だと思ってたのだが、こと戦いのことに関しては譲れないものがあるのかもしれない。

「もちろん、フェリナ様の友人の事情も考えてだけどね。このことはセナード様に知らせたほうがいいって、今も思ってるし。……もし次に誰かが怪我をするようなことになったら、迷いなくそうするつもり」

 反論する理由もなく頷く。

「とにかく、怪我が治ってから三人で行動するわけだけど、無理はしないように。今度は怪我じゃすまないかもしれないからね」


 訓練の後、兵舎のわきにある井戸へと向かう。

 運良く、今は誰かが使っているということもなく、コウイチは麻でできたポケットもついていないシンプルな服を脱いだ。元の世界から着てきた服がダメになってしまい、その後、支給品として渡されたものだ。

 み上げた水で汗を流し、一息つく。

 行水のたびに、風呂に入りたいと思う。一応兵舎の中に浴槽よくそうはあるのだが、水を運んで火をおこして……と、手間も面倒だし、後かたづけで結局は汗をかいてしまうので、今まで一回しか熱い湯にかったことがなかった。

 さっぱりしてから、リゼの勧めで怪我の経過を見てもらいに診療所へと向かう。

 その道中。行ったこともある食堂の前で、人だかりができていることに気づいた。

(……?)

 一階が食堂で二階が宿屋という、この世界では一般的な形態の店だ。気になって中を覗くと、店内の床には料理が散乱していた。

「あんた、たしか兵士の……」

 店主がコウイチに気づき、近づいてくる。

「なにか、あったんですか?」

「よくあることさ。ろくでもない連中が暴れただけだ。もう終わったけどな」

 指さした先には、数人のいかにも悪そうな男たちが伸びていた。

「……誰が?」

「店にいたお客さんがやっつけてくれたんです! すごかったですよ!」

 興奮した様子で言ったのは、店員の一人だったと思う。

「その、人は?」

「ああ、もう行っちまったよ。名前も言わずにな」

(……なんと)

 いいことをしておいて、名前も言わずに立ち去るとか……どれだけかっこいいんだ。

 コウイチが感動していると、見知った同僚どうりょうの兵士が店に入ってきて、伸びた男たちを縛り上げていく。こうなったらできることは何もない。

 邪魔にならないようにひっそりと退散たいさんし、診療所へと向かう。

 その道のりで、ふと思いついたことがあった。

 もしかして……名前を言わなかったのではなく、言えないような、後ろめたい事情があった、とか?


 ◆


「あー……だる」

「どうしたんですかい? 死んだような声出して」

「退屈なんだよ」

 シーツも枕も薄汚れたベッドから起きあがり、レグラスは気だるそうな声を出した。

 狭苦しく、窓もない部屋ははっきり言ってぼろい。

 裏通りにあるこの宿屋は、すべてが古びている割には宿賃が高かった。一般客なら選択にも入れないような宿屋だ。

 もちろん、料金が高いなりの理由がある。

 客の素性は聞かないし、トラブルを持ち込まない限りうるさい口を挟んでくることもない。

(要するに、俺たちみたいなのにはぴったりってことだな)

 こんなうらぶれた宿屋に泊まっている理由は、あまり人目につかないようにと雇い主に言われているからだ。さびれた裏通りなら人の往来も少ないし、少しくらい怪しくても目立つこともない。

 どうせならもっといい宿にしてくれよと思うが、野宿に比べれば、壁と屋根があれば十分という気もした。

 ただ、何もせずに雇い主に呼び出されるのを待つという退屈さだけは慣れそうになかった。

「それならあいつらと一緒に行けばよかったじゃないですか」

「あー……気分じゃねェ」

 部下の傭兵たちは、酒場へ行くか、娼館しょうかんへ行くか、賭事に精を出すか。なんにしてもろくでもない毎日を送っている。

「……腐りそうだ」

 のっそりと起き上がり、

「メシでも食ってくる」

 そう言って部屋を出る。

 愛想のかけらもない主人に一瞥いちべつをくれると、裏通りを出てぶらつく。出るなと言われているが、そこまで聞く気ははなからない。

「なんかなあ……」

 街を歩きながら、どうにも慣れない違和感を感じていた。

 一歩裏通りを出れば、そこには平和な光景が広がっていた。

 子供が元気よく石畳の上を駆け回り、通りの両側に並んだ露店からは威勢のいい呼び込みの声がする。

 噴水の近くでは行商人が地べたに広げた布の上の商品について客と値段の交渉をしており、そのすぐそばでは隠居いんきょ老人がうつらうつらと船をいでいた。

 少しあたりを見回しても、物乞いも獲物を探すひったくりの姿も見あたらない。

 平和で、彼らにとっては当たり前の日常。

 いちいち背後を警戒しなければいけないようなピリピリとした剣呑けんのんさなど気配もなく、思わずあくびをしてしまいそうなほどゆったりとした空気が漂っていた。

(いい街ってことなんだろうがなあ……)

 最低限の緊張感もぎ落とされそうだ。

(ま、こういうのもたまにはいいか)

 何より、メシが合う。

 ふらふらと歩いているうちに、食欲をそそられる匂いにつられて、一軒の食堂に入った。

 見た目は泊まっているところと同じくらいに古びているが、中は客で混雑していた。これだけ混んでいるなら外れはない。適当な椅子に座り、周囲を見渡す。うまそうな肉料理を見つけて、

「あれと同じモン頼む。量は多めにな」

 店員にそう注文した。

 期待して待ちながら、店を見渡す。途端に嫌なものが目に入った。

 三人組の、荒くれ者らしき男たち。同業ではない。街の中だけで幅をきかすタイプのならず者だ。

 顔をしかめていると、

「はい、お待たせ」

「おおっ」

 皿にこんもりと盛られた肉料理が運ばれてきた。

 肉のかたまりをそのまま素焼きしたもので、周りには数種の野菜が添えられている。

 シンプルだが味付けに工夫があるのか、口に入れると思わずニヤケてしまいそうな味わいが口の中に広がった。


 ――ダン!


 そんな幸せな時間を遮るような、大きな物音。その直後、男の怒鳴り声が聞こえてレグラスの眉がピクリと跳ね上がった。

「……あァ?」

 見ると、さっき目にしたならず者が立ち上がってお互いを罵り合っていた。

 すぐに店員が駆け寄り、外でやってくれと訴える。が、男の一人が顔も見ずに突き飛ばし、一気に店の雰囲気が悪くなった。

 元凶である男たちは、関係ないとばかりに喧嘩を始めそうになっている。

 ――ブチ。

「っのヤロウ……!」

 考えるよりも先に、体は動いていた。

 ずかずかと男たちに近寄り、にらみ合う男の片方を殴りとばす。

「なっ……」

「せっかく人がいい気分でメシ食おうってんだ。邪魔してんじゃねェぞコラ」

 言い終えるよりも早く、もう一人の男の股間を蹴りあげる。泡を吹いて悶絶する男に背を向けて、残った一人に向き直った。

 その動きが不自然に止まる。

「っ……今だっ」

 最初に殴りとばした男が足にしがみつき、動きを止めていた。

 その隙に顔を殴られ、レグラスは口の中を切る。

「ほォ……」

 口端から流れる鉄の味の液体。指で拭ったレグラスの目がわったものへと変わっていた。

(殴られたからには――)

 しがみついている男の頭へ肘を落とす。

(――ただじゃ済まさねェぞ)

 白目をむいて気絶する男に目もくれず、自分を殴った男に向かい合う。

 嫌な予感を感じてか、男が背を向けて逃げる素振そぶりを見せた。

「……はっ」

(逃がすかよ)

 その背に蹴りをくらわせると、男はバランスを崩して床に倒れた。

 ばたばたともがく男に近より、髪をつかんで顔を持ち上げる。

「……よォ」

 男の口から、悲鳴のような短い息がこぼれた。その顔がゆっくりと持ち上げられ、背筋がぎりぎりとっていく。

「あ……っが……や、やめ――」

「いやだね」

 男の懇願こんがんをあっさりとはねのけ、レグラスは腕にこめていた力の方向を、今度は逆向きへ変えた。男の頭部が、猛烈もうれつな勢いで床へと逆戻りする。自分に待ち受ける無惨むざんな未来を想像して、男が目をむいた。

「――ちっ……」

 衝突音しょうとつおんの代わりに、レグラスの舌打ちの音が店内に響いた。

 そのままいけば木材の床が割れるほどのほどの勢いで叩きつけられるはずだった男の顔が、床に触れる直前で止まっていた。

 気絶でもしたのか、一度だけ痙攣けいれんした後、男が動きを止める。

(やりすぎたらメシが食えなくなるからな)

 さてメシの続きを、と思って立ち上がり、店の客が遠巻きに見ていることに気づいた。店の外にも人垣ができている。驚いた顔をレグラスに向けていた。

「やべ……」

 さすがにこれほどの騒ぎになれば、巡回兵も駆けつけてくる。顔を憶えられるのはさすがにまずかった。

「あ、あんた……」

 呆然と見ていた店主に一言、

「また来る」

 それだけ言って外に出る。少し遅れて歓声と称賛しょうさんの声が背中を追いかけてきたが、足を止めるようなことはしない。急ぎ足で路地へと入り、

「ああっ、クソッ!」

 苛立たしげに足を踏み鳴らした。

「あのクソどもがいなけりゃよ、今頃……」

 食い損ねた料理のことを思いだし、歯ぎしりする。今からどこか適当な店に入るにしても、もうそんな気分じゃなくなっていた。

 レグラスは深々とため息をついて、

「……帰ってふて寝だ」

 力のない足取りで体を動かし、ふと自分にかけられた歓声を思い出して頭を掻いた。

がらにもないことをしちまったな……」

 その呟きは、自分に向けられたものだというのに呆れたようなひびきをともなっていた。

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