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6.へたれとやさぐれ(1)

「――誰かを守りながらの戦い方?」

 小首を傾げて問い返したリゼに、ゆっくりと頷きを返す。

「それを、教えてもらえれば、と」

 いつもの一対一での訓練が始まる前。リゼに声をかけた切り出した用件がそれだった。

 思いついたきっかけは、昨夜の帰り道でフェリナとかわした会話だ。

 自分はどう思っているのであれ、彼女は自分を信頼してくれている。その信頼に応えるためには、少しでも自信につながるようなことをしなければと思ったのだ。

「ずいぶんやる気ッスね~」

 すぐ横からカセドラのだらけた声がした。

(やる気……というか)

 自信がないから、しなければならないと思っただけなのだが。

「そッスか」

 めずらしくからかうようなことを言うでもなく、カセドラは口を閉じる。意外に思って横目に見ると、空中で横になりながら目を閉じていた。そんな時でもなぜか翼だけはパタパタと動いている。

「いいけど、それは今すぐに必要なもの? だったらそんなに教えられることはないよ」

「では、アドバイスとか」

 元より、一朝一夕で何かが身につけられると思っていない。何もしないよりはマシ、という程度だ。

「半端に覚えてもあまり効果ないと思うけど」

 あまり気が進まないといった様子のリゼだったが、コウイチの真剣な様子にすぐに気づいたらしい。

「なら、一つだけ教えるよ」

 仕方ないとばかりに言ったその言葉は、

「戦わないこと」

「……は?」

 思わず、ほうけたような声が出た。

「冗談で言ってるわけじゃないよ。誰かを守るのだけが目的なら、戦う必要なんてない。武器を捨てて一緒に逃げるだけでもいいんだから」

「……」

「どうしても、って場面も出てくるだろうけど。その場合でも、戦うのは最小限にすればいい。とにかく、守る相手から目を離さないこと。それだけかな」

「だが……」

 それは、その通りかもしれないが。なんというか、当たり前すぎて拍子抜ひょうしぬけしてしまう。もっとこう、前向きな助言を期待していたのだが。

「ならコウイチにあれができる?」

 不満が顔に出ていたのかもしれない。呆れた顔のリゼが指し示した先には、四人の兵士に囲まれたバーナルがいた。

 兵士たちは剣や槍を構えているにも関わらず、バーナルは何も持っていない。それどころか両腕をだらりと下げ、リラックスしているようにすら見える。

「ハァッ!」

 と、バーナルの後ろにいた兵士の一人が、訓練用の槍でいきなり突きかかった。刃が潰され布が巻いてある代物しろものとはいえ、直撃したら死んでもおかしくない勢いだ。

 思わず表情を強ばらせたコウイチをよそに、背後からの槍の刺突を、バーナルは背中に目でついているかのように一歩横に動いてかわした。そのまま伸びきった槍の柄を脇ではさみ、ぐっと固定する。

 動きを止めたバーナルめがけて、残った三人が一斉に斬りかかった。方向も、切りつけてくる向きもまるで違うそれらの斬撃。それをバーナルはその場で伏せるようにしてかわす。槍の兵士が、その動きにつられるように前のめりになった。

 そうなることを見越していたかのような素早さで、バーナルが大きく後ろに飛び退いた。そのまま流れるような動作で兵士の背後に回りこみ、つかんだ腕を背中に回して間接をめる。痛みに呻き、兵士が槍を取り落とした。

 ちょうど仲間を盾にされた状態になり、とっさのことに、兵士たちは顔を歪めて動きを止めた。

 だがそれも一瞬。正面にいた兵士はその場所にとどまり、両側の兵士がじわじわとバーナルの左右に回りこみ始めた。

 その動きを最後まで見ることなく、バーナルはにやりと口元を歪め、盾にしていた兵士をいきなり突き飛ばした。正面にいた兵士が驚き、そのまま二人してもつれあう。

 同時にバーナルが左側にいた兵士に飛びかかった。右側の兵士は、もつれ合った二人が邪魔になって近づいてこれない。バーナルに詰め寄られた兵士が剣を降り下ろす。

 パン――

 その軌道が、不自然にそらされた。予想していなかった事態に、思わず兵士が動きを止める。そのすきにバーナルは手刀で剣を叩き落とし、それを足でひっかけたかと思うと、くるりと回転させて柄を掴んだ。

 呆然とする兵士の前で、バーナルは奪いとった剣で自分の肩当てをトントンと叩いた。

 ――そこから先は一方的だった。まともに剣を合わせることもできず、兵士たちは一人づつ叩きのめされる。数十秒後、地面に倒れた兵士たちと、汗一つかかずに飄々ひょうひょうと立っているバーナルの姿がそこにはあった。

「遊んでたね」

 不満そうにリゼが言う。ということは、あれで本気ではなかったと。

「さっきのは、いったい」

「太刀筋がそれたアレ? 振り下ろされる剣を、父さんがが横から手で叩いただけだよ」

「……はい?」

 高速で振り下ろされる剣の、その腹の部分を素手で叩いた? あっさりと言うが、それって神技なのでは……。

 少しタイミングを間違えれば、ただ斬られるか、伸ばした手ごと斬られるか。かなりの実力者でないとできない芸当だ。

 コウイチは深々と息を吐いた。初めてでないとはいえ、バーナルの訓練風景は心臓に悪い。

 で、どう? とリゼが目で聞いてきた。それがさっきの、あれができる? という質問の答えを求めているということに気づくまでしばらくかかった。

「……無理」

 考えるまでもない。

 バーナルを囲んでいた兵士たち、その一人一人が自分よりも強いのだから。

「そういうこと。少なくとも自分一人を守れるぐらいの実力がないうちは、まともに立ち向かおうなんて思わない方がいい」

「……無理はするな、と」

 コウイチは迷ったように口に出した。

 はっきりと実力不足だと指摘されたわけだが、そのことは言われるまでもなく自覚している。

 ようは、“できることをやればいい”ということなのだろうが、そこでそう開き直れれば苦労はしないわけで。

 悪い癖だとわかっているのに、つい、まだ起こってもいない最悪の事態を想像してへこんだり弱気になってしまう。

 不安のあまり、顔を伏せたコウイチの耳に、ずらりと剣を抜く音が届いた。

「あれこれ考えてるより、今はやることがある――違う?」


 そうしていつもの『採用試験』は、いつものように負けで終わり――コウイチは死体のように地面に横たわっていた。

(……死ぬ)

 打たれた部分が痛み、じんじんと熱を発している。汗でぐしょぐしょになった服が張り付いて気持ち悪い。さっきまで荒い息をしていた口も、その中はねばついたようになっていた。

 いつもより激しく容赦ようしゃのない訓練を受けたせいで、立ち上がる気力すらない――そのおかげで、ウジウジと悩むことはなかったが。

 このままここで眠りたい衝動しょうどうにかられたが、風邪をひくと思い直し、なんとか起きあがる。ちょうど、同じように訓練を終えた兵士たちが、がやがやと兵舎に戻っていくところだった。

(そう、いえば)

 ふと思い出したことがあり、通りかかった兵士の一人に声をかける。まだ若く、コウイチと変わらないぐらいの年齢だが、気さくで話しかけやすい相手だった。

「あの……」

「ん? ようコウイチ、どうした?」

「実は、昨日――」

 昨夜に見た、領主の館から出てきた見慣れない男について聞いてみる。もちろんフェリナとのことは伏せたままだ。

「ああ……」

 とたんに兵士の表情が苦々しいものになった。

「あいつはセナード様の従兄弟いとこだよ」

 やっぱりというか、親戚しんせきだったらしい。その割にはあまり似ていないが。

「街から離れたところにある農園の管理を任されててな。いつもはそっちにいるから、ここに来ることはほとんどないんだ。何の用事だったんだか」

 そうして聞いてもいないのに、話し始めた内容はと言えば。

 いわく、普段は農園の近くに立てられた無駄に贅沢ぜいたくな屋敷で生活している。

 安い金で農民たちをこき使い、浮いた金で豪遊三昧ごうゆうざんまい

 それでも満足しておらず、密かに領主の地位を狙っているなどなど――レイモンに関する悪い噂、というか評判だった。

「領主って……あのオヤジがッスか? うぇ……」

 カセドラが本気で嫌そうな顔をした。よっぽど気に入らなかったらしい。

「まあフェリナ様がいるから無理だろうけどな。それでももし万が一、あいつが領主になったら俺はここを止めるね」

 確かにあまりいい印象を持てなかったが。そう思っているのは自分たちだけではないらしい。顔をしかめて話す兵士からは、本気でそう思っていることがはっきりと伝わってきた。

「一緒に、剣を持った男がいたんですが」

「ああ、あいつか」

 しかめ面をしていた兵士の目に嫌悪感が宿った。

「あのおっさん、農園警護だとかなんとかで、傭兵を雇っているんだよ。その中で一番腕の立つ奴を護衛に引き連れてるって話だ。たぶんそいつのことだろ」

(……傭兵?)

 傭兵というと、金で雇われて戦争に出たりするあれか。道理で、というか、確かに物騒な雰囲気はしたが。

「不気味な奴だったろ? 俺たちがいるってのにわざわざあんな傭兵を雇うなんて、何考えてんだろな」

 兵士は本気で不思議そうに首を傾げてみせた。


 痛みの残る体をごまかし、いつものようにフェリナの護衛についているコウイチ。

 今日、彼女が聞き込みをしているのは裏通りの人気のない店だった。店の中の客は数人程度で、そもそも路地を歩く人もあまり見かけない。

 目はフェリナに向けながらも、コウイチは別のことを考えていた。

 この世界のことや、フェリナのしていること、レイモンとの昨夜のやりとり。色々なことが脳裏を巡るが、なかなか集中できない。気がつけば、昨日見た、レイモンの後ろにいた傭兵だという男のことを思い出してしまう。

 顔の上半分を隠すような髪の間からもはっきりとわかった、不気味に輝く双眸そうぼう。見るだけで恐怖を感じる、とがった雰囲気。

 傭兵だというのが本当なら……人を、殺したこともあるのだろう。

「……っ」

 もしあの男に剣を向けられたら、対抗できるだろうか。見ただけで実力がわかるほど経験を積んでいないが、たぶん無理だという気がした。精神的に気圧けおされて、まともに剣を振るうこともできないかもしれない。

 それに、相手がどうこうという以前に、自分はまだ――

「……さん、兄さんっ」

 耳元の声に反応して、我に返る。

「カセドラ? ……っ」

 カセドラが珍しくまじめな顔をしている、と思った直後、コウイチは周囲の異常さに気づいた。

 さっきまで人気のなかった裏通りに、人が集まっている。しかも全員が男で、コウイチを囲むようにして立っており、加えてそれぞれが武器を持っていた。間違っても、フェリナが今いる店に用がある、というわけでもなさそうで。

(いつ……の間に)

「いや、さっきからいたッスよ」

 カセドラが冷めた声でツッコミを入れる。

 こうなる前から話しかけてたのに……とか、ブツブツ言っている気がしたが、まあそれはそれとして。

 男たちの正体も目的もわからないが、その顔は自分に向けられている。何か用事があるらしいが、それが決して嬉しくないものだということぐらいは見当がついた。

 ――誰かを守るのだけが目的なら、戦う必要なんてない。武器を捨てて一緒に逃げるだけでもいいんだから。

 リゼから聞いた話がひらめきのように頭に浮かんだ。

 そうだ。これほどの人数相手に立ち向かうなんて選択肢はありえない。まだそこまで切迫した事態になるとは限らないが、最悪フェリナを連れて逃げる方法だけは考えなければ。

(逃げ道、は)

 裏通りは男たちで埋められている。だとすると、フェリナのいる酒場に裏口があることを祈るしかない。

 顔を伏せ、視線だけ店内に向ける。あるとすれば、厨房ちゅうぼうの奥か。扉がないとしても外に出られるぐらいの大きさの窓があれば。

(……あれ?)

 考えを巡らせている間に、不思議なことに気づいた。男たちに動きがない。今すぐ何かしてきそうな緊迫感もなかった。

 困惑顔で周囲を見渡すと、なぜか前の方にいた一人の男も同じ顔をしていることに気づいた。露出ろしゅつした腕にいくつもの傷跡があり、見るからに荒事に慣れてそうなのだが。

「久々の仕事だからって大勢で出張ってみりゃあ……相手はこんなボウズかよ」

 いかにも肩すかしと言うように、ため息をついてみせる。

 後ろを見ると、ひらひらと手を振った。

「あー……おまえら、もう帰っていいぞ」

「へ? いいんですかい?」

「これ相手にこんなにいらんだろ」

 ぞんざいに指差され、これ扱い。さすがにムカッときたが、この状況で文句を言う度胸はない。

「まさか女を独りめしたいからそんなこと言い出すんじゃないでしょうね?」

「アホか。俺ァガキには興味ねェよ。いいから散れ」

 しっしっと追い払う仕草に、とたんにブーイングがわき起こる。

「あんたが来いって言ったんでしょうが。これだから隊長は……」

「そんなんだから女にもてないんですよ」

「そういや前にも振られてたよな。軽く見えるからって理由で」

 ――プチ、と。

 なんかそんな感じの音が聞こえた気がした。

「いいからとっとと消えろテメエら! ついでにクタバれチンピラども!」

 リーダー格らしい男が、大声で喚きたてる。

(……コント?)

 おそらく素でのやりとりなのだろうが、はたから見ているコウイチにも、本気で言っているわけではなく、ふざけているような雰囲気が感じられた。

「なんつーか……緊張感がないッスね」

 カセドラもそう同意する。

 その間にも、ブーブー言いながら散り散りになっていく男たち。

 ……なんだかなあ。

 さっきまで緊張していた自分がなんだかバカみたいに思えてきた。

「コウイチさん、どうかされましたか?」

 ちょうどその時、酒場からフェリナが出てきた。

「いえ、自分にも……」

 首を左右に振る。何がなんだかわからないのは変わりない。

 しらけた空気を察したのか、一人だけ残った隊長と呼ばれていた男がゴホンと咳払せきばらいをした。

「……じゃ、やるか」

 そう言いながら、指の骨を鳴らす。ポキポキ、ではなく、ゴキッゴキッとかいうものすごい音が聞こえた。

「いえ、あの……何を」

「見りゃわかんだろう。喧嘩だよケンカ」

「……は?」

 いや、いやいやいやいや。

 なぜ。なんでそんなことになるのかさっぱりわからない。この流れでいきなりケンカとか売られても。意味がわからないし。

 男とは前に会ったこともないし、当然恨みを買ったおぼえもない。

 両手を突き出して首を振っていると、

「理由なんてもうどうだっていいだろ。抵抗しないならそこそこにしといてやるからよ」

 そんな投げやりな声がかけられた。

(そんな、いい加減な)

 それでやられる方はたまったものではない。

 意味が分からず混乱していると、

「お聞きしたいことがあります」

 そうフェリナが口を挟んできた。

「この狼藉ろうぜきは、誰に命じられてのものですか?」

 驚いた顔で振り返る。フェリナの言葉が、男の行動が誰かの命令だと確信しているような言い方だったからだ。

 その言葉を受けて、男が一瞬だけ感心したような顔になった気がしたが、

「さあな」

 そう言って肩をすくめてみせた。

「嬢ちゃんはひっこんでな。あんたに関しちゃどっちでもいいって言われてんだ。余計なくちばし突っ込んで怪我したくないだろ?」

「……」

 とぼけていても、あまり隠す気はないようだった。誰かの命令で、というのは間違いないらしい。だが、どっちでもいいというのはどういうことだろうか?

 男がゆっくりと近づいてくる。反射的に腰の剣に手を伸ばしかけ、

「ああ、言っとくが――」

 男の声音が、低くなった気がした。

「腰のそれを抜くんじゃねェぞ。それやったら怪我だけじゃすまなくなると思え」

 本能的に、手の動きが止まった。

(っ……)

 全身が痺れるような何かを、コウイチは男に感じていた。男の放つ雰囲気が変わっている。さっきまでのふざけた雰囲気とは、まるで違う。

(これ、は……)

 重石を乗せられたように体が重い。恐怖を感じているのに、男から目をそらすことができない。

 この感覚には覚えがある。初めて殺されそうになった時も、こんなふうに体は反応していた。だがその度合いは、あの時とは段違い。

「くっ……」

 怯えるな。あの時とは違う。自分はまだ未熟みじゅくだが、あらがう術がまるでないわけではない。

 凍りついたように動かない体を叱咤しったし、まだ反応が鈍い指で剣の柄に触れ――思い出した。これが、人殺しのための道具だということを。

 コウイチは、本当の意味での剣を使ったことがない。訓練と手入れの時に触るぐらいで、兵士に取り立てられてからこなした仕事も、せいぜいがひったくりを捕まえたり、暴れた酔っぱらいを抑える程度だった。

 下手をすればどちらかが命を落とす――そこまで緊迫きんぱくした事態になったことは、今まで一度もない。

 死、という単語が脳裏に浮かび、口の中が一瞬で乾いた。途端に腰に下げた剣が重くなる。人を殺すために作られた道具を抜くことに、強い抵抗を覚えた。

「コウイチさん……?」

(……いや)

 かけられた声に思い出した。今ここにいるのは、自分一人だけではない。

 意を決してコウイチは――

「……あん?」

 鞘に納まったままの剣を構えた。近づいていた男がきょとんとした顔をする。

(これなら)

 殺し合いをする度胸はまだないが、これならいつもしている模擬戦もぎせんと同じだ。

 男がふっと息を抜くような笑い方をした。

「ハッ。そうこられたらこっちも抜くわけにはいかねえわな」

 笑いながら、腰の剣を剣帯けんたいから外した。当然のように鞘付きのままだ。この時、コウイチは初めて男が二本剣を下げていることに気づいた。反対側にも、外したのとまったく同じように見える剣が下げられている。

(二刀流……?)

 そう思った直後、体の一部がざわりと撫でられたような嫌な感覚を覚えた。その一部――右手を反射的に引っ込めると同時、風が巻き起こる。

 ガッ――

「っ……!」

 その瞬間、視界が明滅した。

 激しい痛みに五感が狂い、元に戻った時に感じたのは激痛。男が鞘に収まったままの剣を、右手に叩きつけてきたのだ。

「コウイチさん!」

「運が悪かったな」

 近くにいるはずなのに、フェリナと男の声がやけに遠くから聞こえる気がした。

(まず……い)

 剣を取り落とすことはしなかったが、これではまともに扱えない。それ以前に、男の実力は自分よりもはるかに上だ。なにしろ、剣を振るう動作も見えなかったのだから。

「兄さん」

 耳のすぐ後ろで、カセドラの声がした。

「オイラが気をそらすから、その間に逃げるッスよ」

 痛みに脂汗あぶらあせを流しながらうなずく。情けないが、それしかない。

 剣を元に戻している男の頭上に、カセドラが舞い上がった。

「せーの」

 パタパタと翼を動かしながら身を翻し、

「急降下アタァアアアアアック!!」

 紫色の丸い体が、男の頭めがけて急接近。当たると思ったその直前――

 ひょい、と、男が上体をのけぞらせた。

「へ――へぎょ!」

 路面に顔面衝突し、カセドラが変な声をあげる。

「……あァ? 今なんか飛んできた気が……」

 男はカセドラが通り過ぎたあたりを不思議そうに見て呟いた。カセドラの姿が見えているような反応ではない。

(なのに……まさか、勘だけでかわした!?)

 驚きもやまないその直後、

「がっ……!」

 白目をむいて、いきなり男が倒れた。拳ほどの大きさの石が路面に転がる。

「コウイチ」

 路地の角から小柄な人影が姿を現す。浅黄色の髪が夕日を浴びて赤く染まっていた。

「……リゼ?」

 姿を現したのは、先輩の女兵士だった。どうやら彼女が投げた石が、男の頭に命中したらしい。それはいいとして――

「なんで、ここに」

 絶妙ぜつみょうのタイミングだった。思わず出待ちという単語が脳裏に浮かんだが、リゼは問いには答えずに気絶した男を見下ろした。

「こいつは?」

「それは……わからない」

 名前すらも聞かされなかった。

 もしかしたら何かそれを示すような物を持っていないかと近づきかけ、

「待って」

 無事な方の手を掴まれ立ち止まる。剣を持つのに慣れた、硬い手の平。その手をたどって視線を上げると、リゼが真剣な表情をうつ伏せになった男に向けていた。

 眉をひそめてリゼの視線をなぞったコウイチは、男の指がピクリと動いたことに気づいた。

「いってェ……くそ、なんだってんだ……?」

「な……!」

 頭を押さえ、呻きながら男が顔を上げる。

(もう、目を覚ました?)

 驚きに目を丸くする。それ以前にも立て続けに予想外のことが起こったせいで、思考が追いつかない。

「詳しい話はあと。逃げるよ、コウイチ。フェリナ様も」

「あ……はいっ」

 そこにいるのが当たり前のように呼ばれて、フェリナがハッと顔を上げた。

 リゼが手を握ったまま走り始めた。見た目からは想像もできない強い力で引っ張られ、コウイチも走り出す。フェリナも手で帽子を押さえながら後をついてきた。

「あっ……ちょ、待て、オマエら――」

 そんな呼びかけが聞こえた気がしたが、さすがにダメージが残っているらしく、男はふらふらとおぼつかない足取りだった。

(あれなら……!)

 少なくとも、逃げることはできそうだ。

 手の痛みに顔をしかめながら、コウイチは暗く染まりつつある街を駆けだした。

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