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幕間.一時の別れと新しい道

 目を覚まして最初に感じたのが、今までに経験したことがないほどの体の重さだった。

「……?」

 張り付いたように重いまぶたをなんとか開くと、そこは見たことのない空間。

 どこかの部屋の中、ということはわかる。というか、それぐらいしかわからない。

「こ……こは……?」

 口の中がひどく渇いて、うまく喋ることもできない。

 状況がわからずに混乱していると、扉の開く音がした。誰かがベッドの近くにまで近づいてくる。

「……起きたか」

 どこかで聞いた覚えのある声だった。

「……?」

 コウイチがなんとか首を巡らせようとすると、肩にひどい痛みが走った。悲鳴にもならないようなかすれ声が口からもれる。

「無理はしないほうがいい。手当てをしてあるとはいえ、すぐに治る傷でもないからな」

(……傷?)

 目だけ動かして、肩に白い包帯が巻いてあるのを見つける。

(なんで、こんな……)

 包帯を巻かれるほどの怪我をする出来事などあっただろうか。

 いまいち働かない頭で考えていると、声の主らしい男が視界に入ってきた。

 中年の後半に差し掛かったぐらいの年齢で、灰色の髪と、無骨ぶこつだが穏やかな顔つき。なぜかはわからないが、コウイチは男を見て安心している自分に気づいた。

「目は見えるな? 私のことを憶えているか? ああ、喋らないでいい」

 どこかで会ったのだろうが、うっすらと記憶にある程度で、はっきりと思い出せない。コウイチが首を横に振ると、男は頷いた。

「無理もない」

 そう言ってから、卓上たくじょうに置いてあった水差しを差し出してきた。口元に飲み口を近づけられてから、ようやく喉が乾いていたことを思い出す。

「……っ!」

 一口飲めば、あとは夢中だった。空っぽだった体が満たされていくような感覚を覚えながら、むさぼるように中身を全て飲み干した。

 空になった水差しを名残なごり惜しそうに見ていると、やんわりと声をかけられた。

「いきなり多く飲むと体にさわる。……少しは目が覚めたかな?」

 さっきよりも意識がはっきりしていた。

(ああ……そうだ)

 アリヤとレナファとの生活。平和な日常。それが――

「っ!」

(思い出した……!)

 村が盗賊に襲われたこと。盗賊から逃れたが、レナファが大怪我をして倒れたこと。町に助けを求めにいったこと。途中で見つかって殺されそうになったこと。そして、目の前の男にぎりぎりのところで助けられたこと。

(それで……!)

 あれから、どうなったのか。

 焦って身を起こそうとしたコウイチを、男が手で押さえた。

「聞きたいことはあるだろうが、まず自己紹介をさせてもらおう。私はセンダリア王国、“遊撃”騎士団の団長を務めているフェスターダ・グレイセンという。そしてここは、我々が一時的に駐留ちゅうりゅうしているクレイファレルの街だ。君にはたんに、“街”と言ったほうがわかりやすいかもしれんな」

「き……し……?」

 きし……騎士!?

 コウイチが驚いた顔をすると、男――グレイセンはさっきまでよりもいくらか引きまった表情をしてみせた。

「そう。そして、君が街まで来て会おうとしていた相手だ」

 街まで行こうとした目的は確かにそれだ。

「だけど、なんで……?」

 あの場所で自分が助けられた理由がわからなかった。助けられた直後の会話を思い出す限り、偶然ぐうぜん通りがかったというわけでもなさそうだし。

「理由を説明すると、君たちの村が盗賊に襲われた時、我々もその情報をつかんでいた」

「え……」

大規模だいきぼな盗賊団がこの近辺きんぺんに来ていたことは知っていたのでな。どこに潜んでいるか、そしてその動きを探るために、偵察を出していた。……もっとも、襲撃の報告を聞いてから動き出したので、対応が後手ごてに回ってしまったのだが」

 グレイセンの口調は事務的だが、声には隠しきれない悔しさがにじみ出ていた。

「村、は」

「今はもう大丈夫だ。村を襲った盗賊たちの大半はすでに牢の中にいる」

「なら……僕のしたことは……」

 自分が助けを呼びに行かなくても、彼らはすでに動き出していた、というわけで。

 全身の力が抜けていくのを感じながら、天井を見上げる。

「何を考えているのかわかるが……君のしたことが全くの無駄だったというわけではない」

「……?」

「レナファ、という娘のことなのだが」

 その名を聞いた途端――

 コウイチは反射的に体を起こしそうになり、全身に走った痛みに声にならない悲鳴を漏らした。

 遠ざかりそうになる意識をつなぎ止め、荒い息の合間に、どうにか声を絞り出す。

「っ……レナ、ファは……?」

「彼女たちの隠れている場所を、君が教えてくれたのを覚えているか?」

 答えになっていない。

「レナファは……彼女は、大丈夫だったんですか!?」

「結論から言うと、なんとか命は取り留めた」

 その言葉を聞いた直後、体のしんから力が抜けたような気がした。

「よか……った……」

 安堵のあまり目を閉じたコウイチに、穏やかな声がかけられる。

「医者の見立てでは、かなり危ないところだったらしい。もう少し発見が遅れれば、それこそ命にかかわるほどだったそうだ。だが今ではもう意識を取り戻している。君のことを心配していたぞ。……この子もな」

「え……」

 グレイセンの視線が、コウイチの腰のあたりに注がれていた。

 苦労しながら同じ場所を見ると、そこにはベッドに顔をせているアリヤがいた。下になって顔は見えないが、かすかな寝息が聞こえてくる。

「え……あ……いつ、から」

「姉が大丈夫だとわかってからはほとんどつきっきりだ。泣きはらして、君のそばから離れようとしなかったよ。さすがに疲れたのだろうな」

「そう……ですか」

「私の立場からすれば、君の行動は無茶だったと責めなければならないのかもしれんが……君の情報がなければ、彼女はまず確実に命を落としていた。その子も悲しんだことだろう」

 区切くぎると、グレイセンはまっすぐコウイチを見据えた。その目には、一片の虚飾きょしょくすらこめられていない。

「あえて言わせてもらう。胸を張れ。君が、君の行動が彼女たちを救ったんだ」

「っ……いえ……そんな……」

 胸の奥から感情があふれて、言葉にならなかった。こんなにも力強く、胸を張れなんて言われたことは、今まで一度もなかったから。

 こみ上げてくるものを必死でこらえていると、グレイセンが立ち上がった。

「さて、とりあえずはこれまでだな。今は少しでも寝て体を癒してほしい。これ以上の話はその後のほうがいいだろう。……彼女もちゃんと寝かせたほうがいいな」

 アリヤを運ぼうと抱き上げる。アリヤは目を覚ます素振りも見せなかったが、その手はしっかりとシーツを掴んでいた。

 コウイチは反射的に、感覚が半分ぼけているような手を動かしてアリヤのそれに触れる。途端とたんに小さな手から力が抜け、眉を寄せていたグレイセンの腕で抱き上げられた。

「驚いたな……。君はよほど彼女に信頼されているのか?」

「いえ……ただの、偶然かと」

 からかいの混じった問いかけにまじめに答えると、グレイセンが穏やかな顔で苦笑してみせた。

「では、な」

 そしてまた一人きりになる。

 熱くなった胸は少しも冷める気配を見せず、傷の痛みも不快に感じない。これで寝れるのかとふと思ったが、それでも瞼は自然と閉じていった。


 翌日、ようやく少しだけ体を動かせるようになった。

 といってもいきなり動き回ることなどできず、運ばれてきた少量のスープと、とんでもなく苦かった薬を口に入れれば後はただ寝るだけ。

(暇……)

 ぼんやりと天井を見上げる。どうもここは、病院のような施設らしい。まあ自分が怪我人なので、別におかしくはないが。

 怪我といえば、包帯を巻くほどの処置が必要だったのが肩と背中ぐらいで、後は足首の軽い捻挫ねんざと多少のり傷があった程度。その割には寝込みすぎだと思うが、医者の話を聞く限りそれは疲労と精神的なものが原因だとか。

 痛いのは服のほうで、ここに運ばれてきた時にかなりボロボロになっていたせいで捨てられてしまったらしい。思い入れのあるものでもなかったのでいいのだが、これで持ち物は本当に身ひとつになってしまった。

 もちろん死にかけたことの代償だいしょうとしては、安いのだろうが。

「はあ……」

「――失礼する」

 思わずため息をついていると、グレイセンと名乗った男性がまた訪ねてきた。

(そういえば……まだ、礼を言っていなかった)

 相手は命の恩人、礼を言わないのは人としてどうだろう……。痛みをこらえて上半身を起こし、深々と頭を下げる。

「あの……ありがとう、ございました。危ないところを、助けてもらって」

「本来であれば、ああした状況になる前にどうにかするのが我々の役目だ。むしろ私が謝らせてもらいたいぐらいだよ」

「ああ、いえ……」

 いい人だとは思うが、明らかに自分よりも年上で立場も上の人に頭を下げられると、なんだか落ち着かない。

「さて、では昨日の話の続きをしたいと思うが、構わないかね」

「あ、はい、それは」

 たしか、そんなことを言っていたような。というか、騎士のエラい人がわざわざ自分なんかに何の用だろうか。

 緊張で堅くなっていると、

「これから始める話は、騎士団長としての職分というわけではない。気を楽にして聞いてくれ」

 なんでだろう。こんなふうに言われて本当に楽にできるほど神経は太くないはずだったが、この人の言葉だと不思議と素直に受け入れられる。

「さて――単刀直入たんとうちょくにゅうに聞こう。君はこれから、どうするつもりだ?」

「……え」

 いきなり聞かれても、特にどうする、と考えていたわけでもない。あんなことがあった後なので今まで通りというわけにはいかないかもしれないが、

(……まあ、またあの村に戻って――)

「村に戻ろうと考えているのならやめた方がいい。君にとっても、君と一緒に暮らしていた姉妹にとっても不幸なことになると思う」

「……え?」

 一瞬、言っている意味がわからなかった。聞き間違いを疑ったが、それにしてはその言葉にはうれいのような感情がこめられている気がした。

「今回の一件で、村人たちにも多少の被害が出た」

 いきなり変わった話題に、森の中で死んだ村人の最後の姿が浮かんだ。

「私たちが駆けつけた時には、村長をはじめとする何人かが盗賊たちに刃向かったことで殺されていた」

(ああ……)

 レナファたちを追い出そうとしていた、あの。

 どうしても好きになれそうにない人だったが、それでも殺されたと聞くと同情してしまう。

「それでも、事件の規模の割には犠牲が少ないのは不幸中の幸いかもしれないが……盗賊たちの目的が略奪りゃくだつなら、もっと犠牲者が出ていただろうな」

 自分でも意外なことに、その言葉にコウイチは強い反感を抱いた。

 人が死んだ――もちろん犠牲者は少ないほうがいいだろう。それでも少なかったからよかった、という言葉には納得がいかなかったのだ。

 思わず抗議の目を向けてしまっていたらしい。

 グレイセンが軽く驚いたような顔をした後、

「すまない。無神経な発言だったな」

 そう言って、頭を下げた。

「いえ、そんな」

 慌てて頭を横に振る。まさかそんな反応が返ってくるとは思ってもいなかったので、驚きが先に出た。

「いや、君の考えのほうが正しい。少なくともここでは、そんな言葉を口にするべきではなかった」

 心から謝られて、逆にうろたえる。

 なんて返したらいいかわからずに、答えを探していると、

「話を戻そう」

 その一言で、思わずほっとする。

「今回の一件。盗賊たちがあの村を襲ったのは、ただ近くに手頃な村があったから――奴らの言い分だとそういうことだが、村人たちの一部はそうは思っていない」

「それは、どういう」

「手引きした者がいるのではないかと、そう疑っているようだ」

 思わず硬直した。その話の流れからいくと――

「わかったようだな。疑われているのは君だ」

「そ、んな……」

 頭をハンマーで叩かれたような衝撃に襲われた。頭がぐわんぐわんと鳴っているような気さえしてくる。

「まず言っておくが、村人たちの中には君に感謝している者もいる。だが、残念ながらそうではない者もいるということだ」

 ただの不幸で片づけたくないのだろう。特に、身内を亡くした者は、なんらかの吐け口を求めている。

 その場合、白羽の矢が立つのは――立てやすいのは、誰なのか考えるまでもない。

「村に戻らない方がいいと言った、私の言いたいことが理解できたと思う」

 呆然としたまま頷いた。

 元凶は取り除かれたとはいえ、まだ火はくすぶっている。そこに新しい火種を入れたらどうなるか。嫌な想像しか浮かばない。

 いや、自分はともかく、それにアリヤとレナファまで巻き込まれるような事態は想像もしたくなかった。

 だが、それでどうするかと聞かれれば、答えようがない。元より行くあてなどないのだから。

「君と親しくしていた姉妹から、おおよその事情は聞いている」

 内心を察したように、グレイセンが声をかけてきた。

「君には、記憶がないらしいな」

「……ええ」

 正確には違うのだが、アリヤあたりがそう説明したのかもしれない。本当のことを納得してもらえるように説明できる自信はなかったので、正直助かったと思う。

 なにより――

 うっすらと気づいていた。ここが、この世界が自分のいた世界とは異なるものだと。

 日本語を話す外国人風の人たちに、明らかに遅れている文明、見たことのない生き物。それらを目にして薄々と感じつつも、今まで考えないようにしたことだった。

 そんなことを話しても、納得させるどころか正気を疑われるのがオチだろう。

「そこで、だ。私から提案がある」

「……なんでしょう」

「この街では現在、新しく兵士を目指す若者を募っている。それに名乗りを上げてみる気はないか?」

「……え?」

 思いもよらなかった言葉に、思わず呼吸を忘れた。

(……兵士?)

 誰が? と思ったのが本音だ。

「本来なら、自分自身の素性すじょうもわからないという者を雇うことはないだろうが……君がどういった人間かは、すでに行動で示されている。私が推薦すいせんしよう。どうかな?」

「いえ、あの、ちょっと待ってもらいたいんですが」

 いきなりすぎて、話についていけない。

「もちろん、すぐに決めろと言うわけではない。じっくり考えてもらってかまわない」

「そういうわけではなくて……自分には、向いていないかと」

「なぜそう思う?」

「そんな……経験もないし。戦うとか……」

「誰しも初めてのことはそういうものだろう。それに無責任なことは言えないが、兵士だからといって戦争にかりだされると決まったわけではない。主な役目は、街の巡回、犯罪の取り締まり、抑止といったところだ。君にとっても悪い話ではないと思う」

 そうだろうか?

 混乱しかけた頭を振って、思考をまとめてみる。

 まず、村には戻れない。あんな話を聞いて戻る気にはなれない。

 そうすると生きていくために働かなくてはならないが、何か仕事を探すにしても、自分みたいな素性の怪しい人間を雇ってくれるところはないだろう。

 となると……兵士?

 親切心で言われているのはわかるが、やっぱり、ピンとこない。

 話を聞く限り、警察のようなものらしいが、それでも向いていないと思う。元の世界でも、警察を目指そうなんて思ったことは一度もなかった。

 だが――

 それでもはっきり断ろうと思えないのは、なぜだろうか?


 ――バンッ!


「コウイチが村を出ていく必要なんて必要なんてないわよ!」

 驚いて振り向けば、知った顔が二つ。勢い込んで入ってきたアリヤと、その後ろをレナファがおずおずと、といった様子でついてくる。

「ア、アリヤ……?」

「コウイチ、あんたが出ていく必要なんてない」

 硬い声をかけられながら詰め寄られ、思わず体を反らす。

(と、いうか……盗み聞き?)

 いつから聞いていたのだろうか?

 そんなことを考えている間にも、アリヤは困った顔をしたグレイセンを睨みつけた。

「おかしいじゃない。こんな怪我してまで姉さんを助けようとしたコウイチが、出ていかなきゃならないなんて」

 声量は大きいわけではないが、その分こめられた怒りを感じさせるような口調。その怒りが誰のためのものなのかぐらいは、コウイチにもわかった。

 その気持ちはうれしい、うれしいのだが――

 怒りを向ける相手を、完全に間違えている。

「アリヤ」

「なによっ」

「その人を責めても、何もならない」

 一瞬だけ眉を持ち上げてあと、アリヤはグレイセンから目をそらした。理解はできるが、感情が追いつかないといったところだろうか。

 こうなると、どうなだめていいかわからず、救いを求めてレナファを見る。が、申し訳なさそうな顔で首を振らっるだけだった。

 グレイセンの言いたいことはわかるが、心情的にはアリヤと同じ――というのは、都合のいい解釈だろうか。

「落ち着きなさい」

 口を挟んだのはグレイセンだった。

「……なんですか?」

 激情を抑えるあまり、無機質な声でアリヤが応じる。

「君の怒りは理解できる。その原因の一つである私が口を出すのも筋違いかもしれないが、ここで彼が村に戻っても、君が期待するような日々は戻ってこないと思ったほうがいい」

 アリヤが悔しそうに唇を噛む。どう言われても納得できない――その思いが、ありありと見てとれた。

「あの……」

 声を出したのは、後ろにいたレナファだった。ゆったりとした部屋着の下に巻かれた包帯が痛々しい。

「コウイチさんは、どう思ってるんですか」

「それは……」

 元の世界に未練みれんはない、と言えば嘘になる。だが、二人と一緒に今まで通り暮らしたいというのが本心だった。

 けれど、それはできないこともわかっている。

 幸いにも、出ていった場合の当てもできた。この団長さんは信頼できる人だと思う。

 ただ、兵士というのがひっかかった。やっぱりどう考えても向いていない気がする。途中で諦めて逃げ出す未来図しか浮かばない。

 だが――今回の一件で思い知らされたことがある。

(僕は、無力だ)

 盗賊に見つかったとき、逃げることしかできなかった。走って、逃げ回って、逃げきることもかなわずに最後には殺されそうになった。助かったのは運だ。

 もし力があれば、と思った。力があれば、今回みたいにこそこそ隠れて逃げ回るなんてことも、死にかけることもなかった。レナファが大怪我を負うこともなかったかもしれない。

 ヒーローみたいな誰も彼も救うなどという、大それた力は望まない。大切な、近しい存在を守れる程度の力でいい。

 兵士になれば、それを身につけることができるかもしれない。そうすれば――どう考えても好きになれそうにない自分を、見直せるかもしれないと思った。

(……なんだ)

 答えは決まっているじゃないか。

「アリヤ」

「……コウイチ?」

「ありがとう」

 不安そうな顔をしているアリヤの頭に手をのせる。

「レナファも……お世話になりました」

「コウイチさん……」

 困惑している二人から顔をそらすと、グレイセンを向いて、頭を下げた。

「さっきの話、よろしくお願いします」

「コウイチ!」

 アリヤが悲鳴のような声をあげた。

「コウイチに兵士なんて絶対無理よ!」

「そうかも、しれない」

「なら、なんで――」

「けれど、決めたから」

 同じようなことがあっても、今度は二人を守れるような力が欲しいと。そう望んだからこそ、二人の厚意に甘えるわけにはいかない。

「コウ……イチ……」

「……ごめん」

「なんで……なんでよ!」

 手を振り払ってアリヤが出ていく。その声が涙に濡れているような気がした。

 それを追いかけようとレナファだったが、扉の前で立ち止まって複雑そうな表情で振り向いた。

「あの……」

 何かを言いかけ、結局は何も言わないまま口を閉ざして出ていく。

 二人きりになった部屋。

 気まずい沈黙の中、グレイセンが口を開いた。

「……すぐに答えを出す必要はないが、よかったのかね?」

「はい……考え直すつもりは、ありませんから」

 時間をおけば、決意が鈍る。またずるずると時間を無駄にする。それをしてしまえば何一つ変われない。

 グレイセンが見定めるような眼差しを向けたあと、深々と嘆息たんそくした。

「君は自分が兵士には向いてないと言うが、私はそうは思えんな」

「……?」

「筋力や体力は必要だし、勇敢ゆうかんさも大事だが、それは後からでも身につけることもできる。それより、そうしたものを身につけるにあたっての心構えのほうが重要だ。目的意識がはっきりしているほうが人は伸びるし、窮地きゅうちに追い込まれても粘り強いからな」

 ……なるほど。そういうものかもしれない。だが――

「僕に、それがあると?」

「私はそう見てるが、違うかな?」

 どうだろう。今は確かにそうかもしれないが、三日後にはどうなってるかわからないし。

「話は私から伝えておく。すぐにどうこうということもないだろうから、しばらくはここで傷を治すことに専念せんねんしていてくれ」

 そう言うと、グレイセンは部屋から出ていった。

 そうして部屋に一人残されると、なぜか胸がじくじくと痛んだ。

 自分で決断したことに、早くも後悔しているわけではないが。

 視界の端で、尻尾がゆらゆらと揺れていた。

「カセドラ……」

 目を覚ましてから初めて会う。もしかしてもう出てこないのではと思っていたので、ほっと胸をなで下ろした。

 そのカセドラはというと、なぜかふてくされたような顔をしていた。

「あの……なにか」

「聞いてたッスよ。兵士になるって本気ッスか」

「あ、ああ……自分でも、向いてない、とは思うが」

「いいんじゃないッスか。兄さんが決めたことなんだしー」

(……はあ)

「あの、カセドラ? もしかして、怒ってる……とか?」

「べっつに~。けど、オイラに一言あってもよかったんじゃないかな~って思ったり~?」

「……は?」

 嫌みったらしく、語尾を伸ばして喋るその内容に思わず唖然としてしまう。

「あーあー。せっかく色々と力になってあげたのに、そんな重要なことを決めるのに相談もなしッスか。ったく、世知辛い話ッスねぇ」

 そんなこと言われても。けど世話になったのは事実だし、カセドラにも命を救われたようなものだし。

 なんだか申し訳ない気分になって体を縮めていると、

「っていう冗談はおいといて」

(……冗談っ!?)

「いやあ~、おもしろいッスねぇ、兄さんは。ちょっとしたことで落ち込んだり焦ったり」

 ……ひょっとして、イジられてる?。

「それはともかく、どうするつもりッスか?」

「どうする、とは」

「あの子たちのことッスよ」

 言葉に詰まる。二人が今どんな顔でいるのかと思うと、胸の痛みが強くなった気がした。

「決めたことをどうこう言うつもりはないッスけど、後に引きずるような別れ方をしないほうがいいッスよ」

 その言葉に、いつもおちゃらけたカセドラのものとは思えないまじめな響きが感じられて、

「そんじゃ。ちょっとフラついてくるッス」

 そう言った時にはすでに、照れ隠しのようにカセドラはその場から姿を消していた。


 五日後――

 なんとか歩けるようにまで回復したコウイチは、街の兵士に付き添われてクレイファレルの街を囲う外壁の門にまで来ていた。

 門のすぐそばにある兵の詰め所には、二頭立ての馬車が止まっている。盗賊襲撃の際、怪我を負った者は街で治療を受けたが、彼らが村に戻るために用意されたものだった。

「……」

「しっかし急だよなぁ、オイ。あの嬢ちゃんも怪我が治るまでここで大人しくしてりゃいいのに」

 ここまで一緒に来てくれた中年兵士の視線の先には、レナファがいる。本来ならまだ療養りょうようしていたほうがいいらしいが、本人たっての希望で村に戻ることにしたらしい。

「……」

「んあ? どうした変な顔してよ」

「……いえ」

 その理由を知るものとしては、押し黙る以外に返しようがない。

 あれから、二人とは話せていなかった。

 あのまま別れれば、間違いなく後悔する。それはわかっていたが、二人から避けられていて話す機会がなかったのだ。

「おっ、もう出るな」

 兵士の言葉通り、手続きを終えた御者が詰め所から出てくるところだった。

 うながされ、レナファや他の村人が馬車に乗り込もうとする。アリヤはすでにその中にいた。

 このままここに立っていれば、馬車は出てしまう。そして自分はそれをバカみたいに見送ることになる。それで、いいのか――

(……いや)

 いいわけがなかった。

 避けられていたのは事実だが、その気になれば話すこともできた。それができなかったのはこれ以上嫌われたくない、という自分の意気地のなさが原因だ。

 意を決して馬車に近づく。

 それに気付いたレナファが馬車の中に声をかけた。渋々と、といった様子で、アリヤが中から出てくる。

 御者に頭を下げて、コウイチは二人に近づいた。

 アリヤはなにも言わず、唇を噛んでうつむいている。レナファは、辛そうに目を伏せていた。

「あの……」

「なに?」

 ぶすりとした返事にくじけそうになったが、どうにかこらえる。後悔はしたくない。

 カセドラのアドバイスからずっと考えていた。

 考えを変える気はない。ならどうするか。二人にはまだ返しきれない恩がある。ここで別れてそれで終わり、というのはあんまりだろう。

 なにより、自分自身が納得できそうになかった。

 だから――

「さようなら――」

「「っ!」」

 二人の肩が、ピクリと震えた。

「……とは、言わない」

 二人の視線が初めてこっちに向けられた。眉をひそめ、戸惑いの表情を浮かべている

「すぐには、無理だろうけど」

 息を吸い、自分自身に言い聞かせるようにゆっくりと。

「少しでも自信がついて、落ち着いたら――そうしたら必ず、また会いに行くから」

 どれぐらいかかるかわからない。見知らぬ土地、見知らぬ世界で、今まで縁のなかった道に進もうとしているのだから。けれど、だからといって甘えていられない。

「だから、できれば……それまで、待っていてほしい」

 断られる可能性が頭をよぎって、すぐに顔を伏せた。だから、二人がどんな顔をしたのかわからなかったけど。

「……なに言ってんのよ」

「っ……」

「そんなこと……なんで頼むんですか」

(ああ、やっぱり――)

 都合がいいにも程がある。想像はしていても、失望で体が熱を失っていく。

 その体を温めたのは、

「っ……コウイチ」

「コウイチさん……!」

 首と腰に回された二組の両腕。暖かい感触に、思わず全身を硬直させた。

「そんなこと、言われなくてもわかってるわよ」

「え……」

「バカにしないでください。あなたが私たちのために村を出ていくのはわかってるんですから」

「納得するまで時間はかかったけどね」

 二人が離れ、少しこわばったような笑みを浮かべた。

「じゃあ、またね!」

「待ってますから」

 そう言ってから、未練を振り切るように馬車に乗り込む。

 真っ白になって立ち尽くしていたコウイチが我に返った時には、馬車は遠くまで進んでいた。

「え……っと」

 振り返れば、ニヤついた顔の中年兵士が口笛を吹いて、同じような顔をしたカセドラがその横に浮いていて。

「たいしたもんだな、あの嬢ちゃんたち。……で、本命はどっちなんだ? やっぱり姉貴のほうか」

 そんなことを聞かれたりしたわけで。

(って……は?)

「あ、いえ。そういうわけでは」

 そんなことを言ったらギョッとされた。

「まさかあの小さいほうか? まァ、人の趣味にとやかく言うつもりはねェけどよ」

 ……いや、だから。そういう問題でもなくて。

「いえ、あの……彼女たちとは、そんな関係では」

 今度はなぜか呆れられた。

「おいおい、そりゃないだろうが。あんな言い方されたら向こうだって期待しちまうぞ」

「……え゛?」

 いや、だって。そんなつもりで言ったわけじゃ。

 ……あれ? だけど、聞きようによっては、たしかにそうとられても……あれ?

 困惑が焦りに変わって呆然としていると、背中をバンバンと叩かれた。

 痛みに悶絶もんぜつしてる横で、兵士が豪快に笑う。

「ま、そういうこともあらァな」

 カセドラも腹を抱えて笑っていた。

「いや、あの、ちょっと――」

「さ、見送りは終わりだ。帰るぞ新入り!」

「え……えぇ?」

「聞いてねェのか? おまえさん、今日からここの兵士見習いだ。ご愁傷しゅうしょうさん。今日から地獄のシゴキだな」

「え゛……今日から、ですか?」

「おうっ。怪我人だからって加減してもらえねェからな。ま、頑張れよ」

 これほど嬉しくないはげましもない。心持ち肩を落として歩き出す。

 その足取りは重い。心の中も、期待よりも不安のほうが大きい。

 それでも、不思議と後悔はなくて。

「がんばるッスよー」

「……ああ、行こう」

 カセドラの声に応じた返事は、コウイチにしては珍しく力強い声だった。


これにて話は一区切り。

これまでお付き合いいただきありがとうございました。

舞台は変わり、物語も新展開を迎えます。

次話『へたれ長じて兵士となる(仮)』

相変わらず成長速度の遅いへたれなコウイチ君ですが、気長に付き合っていただけると幸いです。

ではまた。


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