無 12
星を見てから、無は変わった。
以前よりも強く、世界を知りたいと思うようになった。
海を見るたび、知らない形がある。
知らない動きがある。
そしてそのすべてが、星へ続く途中のように思えた。
無は、再び真似を繰り返した。
速く泳ぐもの。
深海へ沈むもの。
岩の色へ身体を変えるもの。
毒を持つもの。
群れで巨大な流れを作るもの。
以前より、変化は速くなっていた。
かつては、一つの形になるまで気の遠くなるような時間が必要だった。
だが今は違う。
見れば分かる。
観測すれば、構造が理解できる。
どこを変えればいいのか。
どんな循環が必要なのか。
何を真似すれば、その動きになるのか。
無は、学習していた。
真似をするための真似。
変化するための構造。
それ自体を、無は身につけ始めていた。
だから変化は加速する。
小さなひれが生え。
硬い外側ができ。
暗闇で光る器官を真似し。
必要がなくなれば、また別の形へ変わる。
無は海を漂いながら、様々な存在の“世界”を知っていった。
高い場所を泳ぐものの世界。
深い場所に生きるものの世界。
速く動く世界。
ほとんど動かない世界。
存在によって、海はまるで別の場所になる。
その違いが、無にはたまらなく美しかった。
そしてある時。
無は、巨大な影を見た。
最初は夜だと思った。
周囲が急に暗くなったからだ。
だが違った。
影は、動いていた。
あまりにも巨大だった。
今まで見た魚とも比較にならない。
海そのものが動いているような存在。
その口が開く。
すると、水が流れ始めた。
いや。
海そのものが吸い込まれていた。
流れが変わる。
周囲の小さな魚たちが一斉に逃げる。
無も反転した。
だが遅かった。
圧倒的な吸引。
水ごと身体が引き寄せられる。
巨大な暗闇が迫る。
そして。
無は、飲み込まれた。
世界が閉じる。
光が消える。
激流の中を落ちていく。
周囲には、同じように飲み込まれた無数の存在たち。
魚。
小さな甲殻類。
光るもの。
様々な存在が、渦のように流されていく。
そして。
壁にぶつかった。
柔らかい。
だが絶えず動いている。
巨大な肉の壁。
脈打つ音。
押し潰すような流れ。
無は理解した。
腹の中だ。
巨大な存在の内部。
そこでは、海とは別の循環が行われていた。
周囲の液体が、存在たちを溶かしていく。
外側が崩れる。
身体が裂ける。
取り込まれていく。
無は、自分の身体が溶け始めるのを感じた。
外側が崩れる。
循環が壊れる。
今まで保っていた形が、液体へ変わっていく。
痛み。
無は初めて、それに近いものを知った。
存在が削られていく感覚。
自分が、自分ではなくなっていく感覚。
周囲では、他の存在たちが次々と消えていた。
形を失い。
循環を止め。
巨大な存在の一部になっていく。
だが。
無は、消えなかった。
崩れながら。
溶けながら。
それでも、循環が止まらない。
失った部分を修復する。
溶けた外側を再構築する。
裂けた内部を繋ぎ直す。
無は、ずっと真似をしてきた。
回復する生き物。
再生する構造。
環境へ適応する循環。
そのすべてが、今ここで働いていた。
溶ける。
修復する。
また溶ける。
また修復する。
終わらない。
無は、巨大な腹の中で、延々と消化され続けていた。
時間の感覚が消える。
暗闇。
脈動。
酸の流れ。
崩壊と再生。
それだけが続く。
無は思った。
自分は、なぜ死なないのだろう。
周囲の存在は消えた。
だが自分だけが残っている。
壊れても。
裂けても。
溶けても。
循環が止まらない。
それは、生きているというより。
終われない、という感覚に近かった。
巨大な存在は泳ぎ続けている。
その内部で、無は延々と分解され続ける。
外側が崩れ。
再生し。
また崩れる。
まるで永遠だった。
だが、その永遠の苦しみの中でさえ。
無は観測をやめなかった。
腹の中の動き。
消化の流れ。
巨大な循環。
自分を溶かすこの構造すら、美しいと思ってしまっていた。




