第6話:幼き大魔王——900年の孤独
地下室の隅、最も暗い場所から——
小さな影が、現れた。
身長は120cmほど。
真っ黒なドレス。銀色の髪。紅い瞳。
そして——頭に、小さな角。
魔族だ。
だが、ただの魔族ではない。
俺のマナ・レジャーが、彼女をスキャンする——だが、数字が安定しない。
『種族:魔族(上位種・最上位個体)』
『年齢:推定1,200歳以上』
『マナ総量:測定不能(!)』
『マナ効率:99.98%』
『灰排出:0.00001%以下(実質ゼロ)』
『脅威度:SSS+(人類存亡級)』
『特記事項:反応パターンが「大魔王ベルフェゴール」と97.3%一致』
——大魔王ベルフェゴール。
数百年前、世界を揺るがした魔王。
全魔力を世界樹に捧げ、消滅したはずの存在。
「ねえねえ、おじさん」
少女が、黒ローブの男に近づいていく。
その歩みは軽やかで、無邪気で——
そして、圧倒的に恐ろしかった。
「おじさん、人を殺してマナにしてたでしょ?」
「ひ、ひいっ……!」
「それってね、私たちのお仕事なの」
少女が、にっこりと笑った。
純粋で、無垢で、そして——氷のように冷たい笑顔。
「でもね、おじさんたちのやり方、すっごく下手」
「な、何を……」
「人一人殺して、200MPしか取れてないでしょ? 効率2.1%。私なら——」
少女が、小さな手を振った。
「15,000MPは取れるよ。しかも、灰は出さない」
「じゅ、15,000……!?」
「うん。これが本物の《ソウル・コンバージョン》」
少女が、手を振った。
「大丈夫。痛くないから」
その瞬間——
『発動:《ソウル・コンバージョン》』
『対象:黒ローブの魔法使い × 1』
『マナ生成:15,200MP』
『効率:99.97%』
『灰排出:0kg』
男の体が——光になった。
悲鳴すら上げる間もなく。
魂ごと、完全に、マナへと変換された。
他の密売人たちも、次々と光に変わっていく。
『総マナ生成:187,000MP』
『灰排出:0kg』
静寂。
地下室には、俺とエル、檻の中の人々——そして、少女だけが残った。
「ふう」
少女が、満足そうに息を吐いた。
「これで、この街の人たち、三年分くらいのマナができたね」
彼女は、生成されたマナを——檻の中の人々に、分け与え始めた。
「はい、おじいさん。これで灰塵肺、治るよ」
「おばさんも。冬、越せるね」
「おにいさんは……ちょっと悪いことしてたから、半分ね」
檻の中の人々は、震えながらマナを受け取った。
そして——
少女が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
紅い瞳が、俺を捉えた。
その瞬間——
少女の表情が、崩れた。
「……え」
大きな瞳から、涙が溢れ始める。
「あ……あ……」
彼女は、よろよろと俺に近づいてきた。
小さな手が、俺の頬に触れる。
冷たい。
だが、震えている。
「……本物……?」
「何を——」
「本物なの……? 夢じゃ、ないの……?」
少女が、俺に抱きついた。
小さな体が、激しく震えている。
「ずっと……ずっと探してた……」
*
——900年。
私は、ずっと探していた。
最初の100年は、希望があった。
『きっと、どこかにいる』
そう信じて、世界中を歩いた。
人間の街を訪ね、魔族の集落を訪ね、誰かに聞いて回った。
『カイという名前の人間を知りませんか?』
誰も、知らなかった。
次の100年で、希望は薄れた。
『もしかしたら、転生していないのかもしれない』
それでも、歩き続けた。
カイが生きていた証を、どこかに残しておきたかった。
300年目に、初めて諦めかけた。
海に身を投げようとした。
深い深い海の底で、眠ろうと思った。
でも、死ねなかった。
この体は、簡単には壊れない。
魔王の体は、1,000年経っても朽ちない。
500年目には、もう何も感じなくなっていた。
嬉しいことも、悲しいことも、怒りも、喜びも。
全部、灰色になった。
ただ、機械のように世界を歩いた。
眠って、起きて、歩いて、また眠る。
700年目に、夢を見なくなった。
カイの顔を、思い出せなくなった。
声も、笑い方も、怒った顔も、全部忘れた。
残っているのは、『探さなきゃ』という衝動だけ。
なぜ探しているのかも、分からなくなった。
ただ、探さないと——死んでしまいそうだった。
800年目に、自分が誰かも分からなくなった。
名前を呼ばれても、振り向かなかった。
『ベルフェゴール』という音が、他人のもののように聞こえた。
私は、誰?
何のために、生きているの?
答えは、出なかった。
そして——900年目。
私は、この街の地下で、偶然——カイを見つけた。
最初は、信じられなかった。
また幻覚かと思った。
何度も見た、消える幻。
触れようとすると、霧のように消えてしまう幻影。
でも——
触れた瞬間、分かった。
温かい。
本物だ。
900年分の涙が、一気に溢れた。
嬉しいのか、悲しいのか、自分でも分からなかった。
ただ、止まらなかった。
声を上げて泣きたかった。
でも、声の出し方を——忘れていた。
だから、ただ抱きついた。
この温もりが、消えないように。
二度と、離さないように。
*
「……お前、名前は」
俺の声が、ベルの耳に届いた。
「ベル」
小さな声で、彼女は答えた。
「ベルフェゴール。……昔は、大魔王って呼ばれてた」
「大魔王ベルフェゴール……本当に、お前なのか?」
「……うん。でも、今はただのベル」
ベルが、顔を上げた。
涙で濡れた紅い瞳が、俺を見つめる。
「ちっちゃくなっちゃったから」
「なぜ、俺を知っている?」
ベルの表情が、一瞬だけ曇った。
何かを言いかけて——飲み込んだ。
「……今は、言えない」
「言えない?」
「うん。言ったら、カイ、混乱するから」
「……」
「でもね、一つだけ、信じて」
ベルが、俺の手を握った。
小さな手。冷たいけれど、確かな温もりがある。
「私は、カイの味方。絶対に、裏切らない」
俺のマナ・レジャーが、彼女の言葉を分析する。
『虚偽検出:反応なし』
『感情分析:真摯、献身、強い執着』
『結論:この個体は、カイ・ヴェルナーに対して絶対的な忠誠を持っている』
『警告:理由は不明——900年以上前のデータは欠損』
——900年以上前のデータは欠損。
俺は、24歳だ。
900年前なんて、生まれてすらいない。
なのに——この少女は、俺を『知っている』。
「ベル」
「なに?」
「お前も、連れていく」
「……!」
ベルの目が、輝いた。
「本当……?」
「ああ。お前の力は、世界を救うのに必要だ」
「うん……! うん……!」
ベルが、また俺に抱きついた。
小さな体が、震えている。
だが今度は——喜びの震えだった。
「カイ……ありがとう……」
「礼を言うのは早い。お前にも働いてもらうぞ」
「うん、何でもする。カイと一緒なら、何でもする」
『パーティメンバー追加:ベルフェゴール』
『能力:《ソウル・コンバージョン》(マナ生成・効率99.98%・灰排出ゼロ)』




