40.【雑記】【閲覧注意】エンターテインメントの代償 ――「物語の都合」による論理の遮断と、読者に求められるリテラシー――
注1:メタ的な視点で特定の作品の批判をしようという意図はありません。
注2:メタ的視点で読者をしらけさせる意図はありません。
上記2点とタイトルで大体察すると思います。
※ファンタジー好きはこれ以上読むと、メタ的視点が強くなり作品を楽しめなくなる恐れがあります。
※作家の方が読むと引き摺られて小難しい、つまんねー話を作り出すかもしれません。
個人的に面白い作品の重箱の隅をつついて批判する輩は好きではありません。
ファンタジーも異世界ものも大好きなので、その反対勢力を増長させるような結果は望みません。
上記をよく読んでから本文を読むか、判断して下さい。
ジェミさんにマイルドにしてもらいましたが私の意図しない影響がある恐れがあります。
注意喚起と言う意味では、本文を読んで貰いたいですが、それによって、あなたが「作品を楽しめなくなってしまう事」、あなたが「作品を作れなくなってしまう事」を私は望みません。
1. 序論:「物語の都合」による論理の遮断
ファンタジー小説における王政復古や中央集権化の成功は、多くの場合、物語上のカタルシスを最大化するために**「本来働くべき論理的帰結」が意図的に遮断**されている。作者はエンターテインメントとしての整合性と娯楽性を優先するため、統治に伴う泥臭い制度設計や、権力集中が招く不可避の腐敗といった「面白さを削ぐ要素」を排除する。これは創作物における必然の選択であり、物語の美学である。
2. 目的規制の不在:王の「善性」というフィクション
法学における「目的規制」は、権力行使の目的を厳格に問うが、物語はこれを「王が善良であるか否か」という情緒的な基準にすり替える。
読者への罠: 作中で語られる「民のための集権」は、あくまで特定の物語を完結させるための期間限定の正当性に過ぎない。読者はこれを、普遍的に正しい政治モデルであると錯覚してはならない。
3. 手段規制の無視:効率化という名の時限爆弾
国家権力の掌握を狙う「悪の貴族」を打倒するプロセスで、主人公が構築する強力な集権システムは、本来「手段規制(権力の濫用を防ぐプロセス)」によって厳しく制限されるべきものである。
作者の排除: 緻密な憲法的制約や権力分散の描写は、物語のテンポを損なうため、作者の手によって意図的に切り捨てられる。結果として残るのは、ブレーキのない強力な加速装置(集権機構)のみである。
4. 構造的欠陥の放置:物語が終わった後の「現実」
物語が「めでたしめでたし」で幕を閉じるのは、その後に控える「私利私欲に走る次代」や「システムの腐敗」を描写することが、エンターテインメントとしての目的から逸脱するからである。
論理の継続性: 現実の物理法則や歴史の因果関係に基づけば、集権化された権力は必ずエントロピーが増大するように腐敗へ向かう。物語の終わりは、構造的欠陥が露呈し始める「始まり」に過ぎない。
5. 結論:エンタメを真に受けることの危うさ
読者は、物語から得られる高揚感を、現実世界の社会構造や権力批判の尺度としてそのまま持ち込むべきではない。
作者が提供するのは「最高の娯楽」であり、「完璧な国家モデル」ではない。物語が描く「正義の集権」を無批判に受け入れることは、作者が物語を面白くするために排除した「真の危険性」から目を逸らすことに等しい。
我々に求められるのは、物語をエンターテインメントとして徹底的に楽しみつつも、その背後で切り捨てられた論理を見通す冷徹な視点である。物語は物語として消費し、そのカタルシスに現実の判断を委ねてはならない。
つまりは
物語は全力で楽しんで、その理論を現実に持ち込むなよと言いたいのです。




