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三章


   三章


「特化する、という言葉がある」

「特化ですか」

 屋敷の庭に座り込んだセンダの眼は、ラージュを見ていない。手元の石に視線を向けて、筆で緑色に塗っていた。傍らには、緑色の石が十四個も積み上げてある。

「特化した能力を持つ魔法の使い手には、注意が必要だ。時には、魔力の大きさを無視して特化した魔法が上回ることがある」

「……どういう意味ですか」

「例えばおれは、カブの葉にともった火を操ることに特化している。おれが他の火の魔法を操る奴と戦った時、相手の方の魔力が大きくても、カブを燃やす炎は敵には操れない。特化した魔法だからだ」

「なるほど」

なんとなく分かった。

「しかし敵が、野菜を燃やす炎を操ることに特化していて、おれより魔力が強大ならおれの攻撃は通用しない」

「特化するのが力なのですね。なのに、おれはそれを持っていない」

「ああ、そうだ。しかし、特化した魔法は利点であるのと同時に、弱点でもある。おれは、カブ以外を燃やす炎を全く操れないからだ」

 長所であり、短所でもあるということか。

「だから悲観するな。特化した魔法を使えないなら、人望を得て魔力を強くすればいい。さて」

 石を地に転がした。センダの足元に緑色の石が揃ったようだ。

「いいか、ルールを説明するぞ」

 センダの口から出るのは、相変わらず呑気な声だ。

「緑色に塗った石の数は十五だ」

「はい」

 庭に転がっているのは、どれも片手で握れるほどの大きさだ。

「おれはこの石を動かしてお前を攻撃する。お前は、この石を土で覆って、見えないようにしろ。そうすればおれは、土に埋まった石を動かさなくなる」

「はい」

「十五個全ての石を土で隠せたら、お前の勝ちだ。しかし、合計で十五回石がお前の体に当たれば、お前の負けだ。罰を受けてもらう」

「どんな罰ですか?」

「ミスレイ様の仕事を手伝うことだ」

「どんな仕事を?」

「そんなことを聞くな。お前はシャリアンの常識を分かっていないからな。なんと言っても、手に火をつける異界から来た男だ」

 またそれを言うのか。

 よほど印象に残ったと見える。この調子だと、周りの人間に片っ端から話し出しそうだ。

 嘘だとばれたらどうしよう?

「おい、なにをぼうっとしている」

「すみません。ミスレイ様のことを考えていて」

 手に火をつける奴は異界にいるんだ。そう言い張ろう。

「お前が手伝おうとしても、足手まといにしかならなくて、ミスレイ様に迷惑をかけるからな。絶対に負けるな」

「……分かりました。でも」

「なんだ?」

「別の罰に変えたらどうでしょうか?」

「おれもミスレイ様に伝えたんだ。しかし『構いませんよ。ラージュさんなら、必ず役に立ってくれます』と返されてな。ほら、ミスレイ様はお優しいから。お前を傷つけるような本音は言えないんだ。だから、負けるなよ」

「はい。気をつけます」

 センダはうなずく。

「よし! 始めるぞ」

 突然、緑色の石が飛んできた。四つか。

 右によける。ラージュの左側を飛んでいった。

 まずは、土で盾をつくるべきか。地に膝をつき、手を押し当てて土を動かす。

 確かに土は動いていくが、速度が遅すぎる。

 闇を意識すべきか、と思った時。

 ラージュは、背中に痛みを感じた。明らかに、石がぶつかった痛みだ。

 どうして、背後から。

「不思議そうな顔をしているな。甘いぞ、ラージュ」

 センダが呑気な声で諭してくる。

「お前がよけた石が、方向を変えて背中にぶつかったんだ」

「ああ、それもありなんですね」

 センダは豪快に笑う。

「当り前だ。戦場では、四方八方から攻撃が来る。それから身を守らねば、優れた戦士にはなれん」

 ラージュは背後を見た。緑色の石が再び飛んでくる。避けると、センダの足元に落ちた。

「すでに当てた石は、十分間は攻撃には使わないでおいてやる。さあ、土に埋めて見せろ」

 けっこう困難だな。

「おい、ぼんやりしている暇はないぞ」

 緑色の石がラージュを取り囲む。そして。

 一斉に飛んできた。膝へ、太ももへ、腰へと次々に石が命中する。

「ああ、全然駄目だな。もう、十二個も当たってしまった」

 当たった石はセンダの足元に集まっている。

 ああ、そうか。

 ラージュはセンダに向かって駆けた。

「おっと、愚かだな。石が当たりやすくなるぞ」

 無言で念じた。闇を意識して土に動くように。

 センダの足元に集まった石の、周りの土が動き出す。すぐさま十二個の石が一気に土に覆われた。

 驚いた顔のセンダに対して、ラージュのセリフは落ち着いていた。

「これで、後は三つの石を埋めればおれの勝ちですね」

「ほう。わざと当てさせて、たくさんの石を一気に覆うつもりだったのか。気づかなかったな」

「いえ、単純に石を避けるのがむずかしかった、というのも理由の一つです」

「へえ」

 センダはにやりと笑う。

「武器は三つということか。じゃあ、おれの本気を見せてやるよ」

 三つの石が、宙を飛び始めた。すごい速さで。

 ラージュは気配を探る。石はどこにあるのか突き止めなければ。

「…………」

 いや、速すぎる。突き止められない。

「思い出したか。おれも、闇の基本魔法を使える。石の場所を数秒隠すくらい、軽くできる」

 石がすねに当たった。確かに痛みがある。だが、センダの足元には飛んでいかない。

 三つの石は、相変わらず飛びかっている。

「飛ぶ石が二つに減ってません。約束が違うのでは?」

「お前が思ったよりもいい作戦を思いつくから、難易度を上げてやったんだ。うれしいだろ」

「うれしさも落胆もありません。ただ、痛いですね」

 背後から来る石。右に避けたラージュの肩に、他の石がぶつかる。

「これで、十四個だ。最後の一つを、避けられるかな?」

 無理だな、とラージュは思った。高速で動く三つの石の動きは、到底把握できない。

 最後の一つは、足首に当たった。

「よっしゃあ! おれの勝ちだ」

「そして、ミスレイ様にご迷惑をおかけしますね」

「あっ」

 笑顔だったセンダの表情が、硬直する。

「……しまった。忘れてた」

「え、そうなんですか?」

 けっこう間抜けだな、この人。

「駄目だなあ、こういうところは。つい修行に夢中になってしまった」

 センダはため息をつく。

「仕方ない。おれも一緒にミスレイ様の所へ行く。手伝ってやろう」

「それはありがたいですね。ただ」

「ただ?」

「体が痛いです」

「あっ、そりゃそうだ。当り前だ」

 センダは近づくと、ポケットの中から白く光る物を取り出した。形は丸い。

「これは?」

「光癒丸(こうゆがん)だ。光の魔力が込められていて、飲み込めば傷が癒える」

「へえ、そんなことができるのですか」

「人の体には傷を癒す力があるから、それを活性化させるんだ」

「ありがたくいただきます」

 小さな丸薬だ。飲み込むのに造作もなかった。

 そして、飲み込んだ直後。

「ぐうっ!」

「おっ、悲鳴をこらえたか。わめき散らすかと思ったが、なかなか根性あるな」

 痛い。めちゃくちゃ痛い。

 どう考えても、飲む前より飲んだ後の方が耐えがたい痛みになっている。

「センダさん。おれをだましたんですか?」

「はあ? だますって?」

「傷がひどくなってます」

「そんなことはない。今、お前の体は確実に回復に向かっている」

「ええ? でも、体が飲む前より痛いんですけど」

「そんなもん、当たり前だろ」

 涼しい顔のセンダ。

「光癒丸はな、その傷を負ったことで受けなければならない痛みを、一度に凝縮するから傷が癒えるんだ」

「え?」

「攻撃魔法を食らうより、回復魔法を使われる時の方が痛いのは、魔界の常識だ」

 マジかよ。

「だからな、光癒丸は拷問にも使われる」

「……敵を傷つけて、それを癒すのを延々と続けるんですね」

 なんだよ。拷問に使う回復魔法って。

「回復魔法が痛いとは、予想外でした」

 なんだか、考えていた魔界と違うことが多い。

 本当に痛い。じんじんと痛みが響く。

「だがな、傷の苦痛をなくす魔法もあるんだ」

「あ、そうなんですか! 魔法の属性は?」

「闇だ。闇楽丸(あんらくがん)を使えば、痛みや苦しみから逃れることができる」

「へえ、それは素晴らしいですね」

 甘いなあ、と呑気な声が返ってきた。

「ぬか喜びになるぞ。闇楽丸には、とんでもない欠点があるからな」

「え? 欠点?」

「闇楽丸は、傷を負っていることを体に忘れさせる力がある。だからこれを使うと、治癒力が低下してしまうんだ。よくあるのは、傷を負って痛いから闇楽丸を飲んだら、いつまでたっても流れる血が止まらなくて失血死してしまうという事態だ」

「…………」

「分かったか。これが魔法の現実だ」

「むずかしいものなんですね」

「一つ聞く。おれが戦場で傷を負っていたら、お前は光癒丸と闇楽丸の、どちらを使う?」

 顔つきから、重要な問いかけだと分かった。

「それは、傷の程度によりますね。治せる傷なら、光癒丸を使います。でも、とてつもない重傷で死ぬしかない、という場合は闇楽丸を使います」

 激痛にのたうち回って死ぬより、楽に死ねた方がいいだろう。

「ラ、ラージュ」

 センダが前のめりになって、肩をつかんできた。息が荒い。 

「お前、光癒丸と闇楽丸について以前から知っていたのか?」

「いや、聞いたこともありません」

「そうなのか! 完璧な模範解答が返ってきたからびっくりした。お前って、非常識な馬鹿だけど賢いところもあるんだな」

 あ、褒められた。

「ありがとうございます。この模範解答を出せる人って少ないんですか?」

「かなり少ない。これは自慢していいぞ」

 センダがラージュの頭を撫でてきた。

 ううむ。シェイリの時のような嬉しさはない。

 美少女とオッサンの違いがある上に、撫で方が荒っぽい。

ラージュの髪の毛をぐしゃぐしゃにして、センダは手を離した。

「じゃあ、次の質問だ。実は、苦痛を与えずに傷を癒すこともできる」

「え? 本当に?」

「ああ。少し考えれば、これも分かるかもしれん。どうすればいいと思う?」

「おれが分かる解答なんですか?」

「うむ。お前の知識で導き出せる魔法の使い方だ」

 なんだろう。

 周りの風景に眼をやった。樹々の向こう側には、カラフルな現魔球の塔が立っている。

 当然、六つの属性のどれかに属しているのだろう。

 だが、見当がつかない。

「分かりません」

「あれ? さっきの模範解答はまぐれかな? まあいい。苦痛なく傷を癒すには、光癒丸と闇楽丸の双方を飲むことだ」

「あ、なるほど」

 そうか。その手があったか。

「それは良かった」

「いや、良くない。これにも問題がある」

「…………」

「なんだその、うんざりしたような目つきは」

「実際にうんざりしてるんですよ」

 ため息が出る。

「で、どんな問題なんですかあ?」

「あからさまにやる気のない声を出すな。説明するこっちがめげる」

 やれやれ。

 ラージュは両手を握り、眼を輝かせた。

「どんな問題なのか、是非とも教えてください!」

 本心を隠すのは得意だ。暗殺部隊の中でも上手な方に分類されていた。

「おお、やる気を出したな。いいだろう、欠点について教えてやる。まず、光癒丸と闇楽丸を一つずつ飲んだ場合。この時は痛い上に回復力が落ちるから、デメリットしかない」

「一つずつでは無意味。では、二つずつでは?」

「少しはマシになるが、これも回復力が強くない。三つずつ飲んだ時初めて、光癒丸を一つ飲んだ時の回復力を持てるんだ」

「という事は、六つ飲まなければならない」

「ああ。つまり光癒丸と闇楽丸をつくる能力者の、魔力の消費も六倍になる。だから、現実的に考えてそこまでやる余裕はどの魔王にもない。戦場で傷を負ったら、回復する激痛になんとか耐えろ。いいな」

「それしかないなら、仕方ないですね」

「じゃあ、ミスレイ様の元へ行くぞ」

 センダは歩き出した。当然、神宿りの樹に向かっているのだろう。もうシェイリは囚われていないのだから、あの居城の中に今のミスレイはいるはずだ。

「あ、そうだ。聞きたいことがあったんです」

「ん?」

「ミスレイ様は、どんな魔法を使うんですか?」

「ああ、あの人の魔法か。おれは知らん。たぶん、使わないんじゃないかな」

 当然のことのように言って、舗装された道をすたすたと歩いていく。その背中に、ラージュは声をかけた。

「待ってくださいよ。魔法を使わないってことは……まさか、魔力がないと」

 がはは、とセンダは笑った。

「そんなわけないだろう。あれだけ民のことを思いやるミスレイ様が、人望がない? あり得ないぞ。あの方は、シェイリ様に次ぐ魔力の持ち主だ」

「…………」

「悩んでいる顔をしているな」

 センダは足を止めて、ラージュと向き合った。

「ミスレイ様は素晴らしい方だが、欠点がある。戦士として、致命的な欠点だ」

 致命的な、欠点?

「誰かを傷つけることができないんだよ。例え相手が、悪人でも罪人でも」

「なんか、ミスレイ様らしいですね」

「だろ? そんな人が敵と戦う戦士になれるか? なれるはずがない。人格の善良すぎるのが、戦士になれない理由だ。更に言うなら、あの人はシェイリ様に対する忠誠心が皆無だ」

「えっ? 誰がそんなことを言ったんですか」

「もちろん、ミスレイ様ご自身だよ。あの方はシェイリ様と家臣たちの前で告げたんだ。懐かしいな。あれは二年くらい前になるかな」

 遠くを見る様な顔つきだった。

「『私は、シェイリ様がシャリアンの民を幸福にできると思うから、従っているのです。もし、シェイリ様が民をないがしろにすれば、即座に裏切ります。シャリアンの民が私の全てですから』とミスレイ様は言った。すごいセリフだろ。おれは正直、シェイリ様が怒りだすんじゃないかとひやひやしたよ」

「た、確かにすごいですね。それで、シェイリ様はなんと」

「『素晴らしい。さすがはミスレイだ。その意志は絶対に変えるな』と褒め称えたのさ」

「素敵なエピソードですね」

 心の汚れた自分とは、かけ離れた二人だ。

「そんな方なら、シェイリ様を助ける助言もたくさん述べてらっしゃいますよね」

「……え?」

 センダの表情に戸惑いが見えた。それも露骨に。

「そ、それはだなあ、まあ、あるにはあるが……」

 ラージュは周囲を見渡した。特に人影は見当たらない。

 センダの耳元で、ささやいた。

「嘘つくの、下手ですね」

「…………」

「話したくないことなら、話題を変えましょう」

「……いや、師匠と弟子の信頼関係にひびが入る。仕方がないな」

 センダは道端に座り込んだ。ラージュは隣に座る。

 小声でセンダはつぶやいた。

「おれがお前に嘘をついていた、と分かったらお前は怒るか?」

「いや、すぐに見抜けましたよ。怒るまでもなく」

「違う。お前が本当だと信じていたことが、嘘だったんだ」

「…………」

「怒りを感じるだろう? 悪意はなかったんだがな」

「……悪意があるか否かより、必要なのか否かの方が重要ですね。その嘘をつくのが必要だった、とおれが思えば腹は立ちません」

 センダはほっと息をついた。なんでも表情に出てしまう人だ。少なくとも、暗殺部隊には向いてない。

「おれの家には、カブの形をした木製の目印がある。すぐに自分の家がどこか分かるように、それぞれの家に特有の目印が存在する。そう語ったな」

「それをつくるよう助言したのが、シェイリ様ではなくミスレイ様。そういうことですね」

「……そうだ。あと、茶色い塔をたくさん建てるよう進言したのもミスレイ様だ」

 残念そうな顔でこちらを見る。

「民にばれたらまずいから、秘密にしておけ。そう言われたんだがな、情けないな。おれ」

「大丈夫ですよ。絶対に、誰にも話しません」

 ミスレイは、魔力が欲しいとは思ってない。だから、功績をシェイリに譲った。シェイリの魔力を強くするために。

 本当に立派な人だ、ミスレイは。

「本当か? なんだか、疑わしいな。まあ」

 センダが立ち上がる。すぐにラージュも腰を上げた。

「疑ったって、仕方ない。信じるしかないな」

 暗殺部隊にいた連中は、誰もが口が堅い。だから、自分がしゃべることなどあり得ない。

「どこかに情報をもらしたら、罰金だからな」

「おれが口にした場合はね。センダさんがもらしたなら、そっちで罰金を払ってください」

「……なんか、むかつく返し方だな」

「さっきの話題だって、話すことはないでしょう。『ミスレイ様の助言は、たくさんあるらしいぞ。詳しくは知らんが』と返せばそれで良かった」

「うっ……」

「おれは卑劣な嘘つきで、センダさん以外に仲のいい人もいない。おまけに口が堅い。だから、おれから漏れる事はあり得ません」

「……なんか、そう返されると微妙な説得力があるな。分かった。お前を信じてやる」

 センダは勢いをつけて立ち上がった。ラージュも続けて腰を上げる。

 小道を抜けると、一際高い木々に三方を囲まれた家屋が並んでいた。中には、木肌が白い樹木もあった。

 もしかしたら、樹木のおかげで涼しく快適な生活を送れるのも、神として崇める理由の一つなのかもしれない。

 それにしても、とセンダが言う。

「おれはツギール殿を目標にしているが、到底ミスレイ様を目標にはできないな」

「おれもです」

 にかっと笑うセンダ。

「おれ達とはかけ離れたすごい方だもんな」

「同感です。まさしく、影になってシェイリ様を支えていますね」

「神々に選ばれた、無敵のコンビだよ。シェイリ様とミスレイ様は。おれは、あのお二人ならシャリアンに住む全ての人を、幸福に導くことができると信じている」

「はい。おれも信じます」

 心から言うことが出来た。

 中年の女性が集まって、立ち話をしている。その脇を通り過ぎた。子供は見当たらない。幸いなことに。

「それで? 他に聞きたいことはあるか?」

「じゃあツギール様の使う魔法について知りたいです」

「ふむ、ツギール殿か」

 あまり活躍してない気がするけど、きっとおれが知らないだけだろう。

「あの人はまず、黒水だな」

「それは知っています」

「いや、お前は分かってない。ただ単に、眼を保護する黒い水だと思っているだろう」

 核心を突かれた言葉だった。

「驚いた顔だな。教えてやろう。ツギール殿は――」

 その時、遠くから声がした。 

 センダさん、という声に聞こえた。

 ラージュだけでなく、センダも気づいたようだ。

「センダさん、どこですか?」

 ここだ、とセンダは大声を出した。

 肉屋の角から、巨大な狼に乗った女性が現れた。眼鏡をかけた女性が。

「あ、ミミラさんじゃねえか」

 確か、ミスレイに従う文官の人だ。狼は凄まじい速さで駆けてくる。センダの前で突然、狼は止まった。ミミラが前に落ちそうになる。

「大丈夫か?」

 幸い、落ちたのは眼鏡だけだ。センダが眼鏡を拾うより早く、つんのめった体勢のまま狼に乗ったミミラは叫んだ。

「大変です! あのゴーマが攻めてきました!」

「なんだと!」

 センダは相当驚いている。そうとしか見えない。

「本当に、あいつが! あの魔王が⁉」

「はい、魔王ゴーマです」

 ミミラも真剣な表情だ。

「あいつなら、民を殺すことなど平気でやってのける。なんとかせねば!」

「そうですよね。誰が殺されるか分かりません。ミスレイ様の指示は二つ。シェイリ様にゴーマが攻めてきたと伝えること。そしてセンダさんに戦っていただくことでした」

 センダはうなずいた。

「やはりか。分かった。すぐに行く」

 センダがこちらを向いた。

「ラージュ! 急ぐぞ。とんでもない奴が攻めてきた!」

「はい!」

「今すぐ倉庫に向かうぞ」

 センダが命令すると、待ってとミミラが叫んだ。

「カブを乗せた車はすでに用意してあります! だから、魔王街の門へ急いでください!」

「そうか、ありがとう」

 駆け出したセンダの後を追う。

 走るセンダは速い。置いて行かれないために、全力を出して地面を蹴る。

「しかし、よりによってあの魔王が攻めてくるとは、意外だな。いや、不可解と言うべきか」

「どんな奴なんですか?」

「シャリアンで最も馬鹿な魔王、と言われていてな。図体はでかいが知能は幼児並と噂されている」

「……弱そうですね、その人」

「うむ。魔力は低い方だ。ああいう単純馬鹿が好き、という変な好みの持ち主がいるせいで、あんな奴が魔王になってしまった。とにかく、気に入らない奴は殺す。そういう思考回路の男だ」

「愚か過ぎる魔王。だからこそ、シェイリ様にとって危険だということですね」

 センダがこちらを見る。

「分かるか」

「ええ。そいつがここの領民を殺せば、ここを留守にしたシェイリ様のせいになる。少なくとも、そう思う人がある程度はいる。結果、シェイリ様の魔力が落ちる羽目になる」

「ああ、そうなったら、ジャーズに勝つのはますます困難になる」

 民を殺すと自分の魔力が落ちる、ということは考えない。それが馬鹿の厄介なところだった。

「おれはなんとかして、ゴーマを倒してやる。ツギール殿もいない今、それができるのはおれだけだ」

「さすがはセンダさん。あ、そうだ」

 ふと思いついたことを言ってみた。

「応援の言葉は、かけていいんですか?」

「かまわないぞ」

「応援のついでに助言を伝えてもいい?」

 魔王街の門が見えた。侵入者を阻むように、車が置かれている。あそこにカブがあるのだろう。

「助言かあ。決まっているわけではないが、別に構わないぞ。応援と助言を完全に区別することなどできぬからな」

 不意に、雄叫びが聞こえてきた。狼の遠吠えのような声。

「間違いない。今のはゴーマの声!」

 センダは突き進む。ラージュも必死だった。シェイリのために、誰も死なせるわけにはいかない。

 全ての民を守りきらなければならないのだ。

 ついに、車にたどり着いた。大量のカブが乗っている。門を抜けて車を押しながら、街道を進む。やがて、異様な集団が見えてきた。

 ぼろぼろの衣服と土に汚れた顔の男たち。数は、三十人ほどか。

 センダは車から手を離し、声を張り上げた。

「ゴーマだな!」

 センダの声に反応したのは、その中でもひときわ背の高い男。

 汚れていて色が分かりにくいが、恐らく髪は茶色だろう。赤い瞳で鋭くこちらを見てくる。

「おれの名を呼び捨てにするとは、いい度胸だな。そんなに死にてえのか!」

「ああ、すまない。ゴーマ殿。おれは……」

「媚びてんじゃねえよ! 呼び捨てにしろ!」

 センダの顔が引きつった。

「……おれは、シェイリ様に仕える将軍だ」

 相手の名は呼ばないことにしたようだ。さすがに賢明である。

「シェイリ様と戦いたいなら、おれを倒してみろ」

「……馬鹿か、お前は」

 呆れたような顔のゴーマ。

「このおれが、魔界最強の男になるおれが、あんなちびの女を倒しに来ただと! そんなことあり得るわけねえだろうがよお!」

「……へ?」

「あんな奴と戦えば、偉大なおれの人生の汚点になる。そんな恥知らずの馬鹿だとでも思っているのか!」

「あ、そうなのか。ならば、何故――」

「あの女の魔王街に向かって、腰抜けのガトマーが迫っているらしくてな。あの魔王を殺すために来たんだ。おい、お前。今すぐガトマーを見つけ出せ。拒絶するなら、てめえは黒焦げになって焼け死ぬぞ」 

「ガトマーだな。探してみる」

「おれが待ちきれなくなったら、目ざわりな奴らは皆殺しにする」

「……そうか。ガトマーがいそうな場所は?」

「それが分かっていたらてめえなんかに頼まねえよ!」

「ああ、すまない。すぐに見つけ出すからな! 待っていてくれ!」

 センダはラージュに駆け寄って、耳に口を寄せてきた。

「あいつは酒好きだ。とにかく酒を飲ませろ。そうすれば、来た理由など忘れてしまうだろう」

 ラージュは小さくうなずいた。

 離れていくセンダの背中も見ずに、ラージュは魔王街へ引き返した。門をくぐって直進する。

 今は家屋を動かしてない。ならば、行けるはずだ。

 進んで三つ目の角を曲がると見えてきた。水屋だ。切迫したラージュの顔を見て、びっくりした表情の店の親父。

「異界から来た方ですか。なにか欲しい物でも?」

「売って欲しい物があります」

 水屋には水が売っているが、それだけではない。ジュースや海水もある。水も、井戸の水と川の水と雨水では値段が違う。

 そして。

「酒がありますよね。全て、買い取らせてください」

「それは出来ません」

「金は出します」

「そういう問題ではない」

 店の親父の顔に苛立ちが見えた。

「酒を求めに来たお客様に、売る酒はありません、とは言えない」

「そうですか。ゴーマ達に飲ませるための酒だ、と言っても無理なのですね」

 親父の表情が変わった。

「な!……分かった。直ちに持っていこう。全ての従業員を使って」


 ■■■


 シェイリの視界に白い城が見えてきた。ようやく自分の魔王街に着いたか。

 コクロクと共に引き返してきたシェイリの元へ群衆が殺到する。

「シェイリ様!」

「ご無事でしたか!」

 ああ、と返してから、右手から天に向けて光を放った。合図の意味が分かった群衆が、沈黙する。

「センダは? あのゴーマと戦って無事なのか?」

「あ、いえ、戦っていません」

 一人が言った。

「今、ゴーマは酔いつぶれて寝ています」 

「そうか。誰も死んでいないのだな」

 はい、と先頭の領民はうなずいた。

 安堵した事を、表情には出さなかった。

 ゴーマが攻めてきた、という知らせの直後にグルーヌがジャーズに敗北した、という知らせが来た。

 グルーヌの知らせが来るまでは、迷っていた。帰還するべきか、ジャーズに挑むか。

 ゴーマが攻めてきたのは、考えようによっては好都合だ。ジャーズとの戦いを避ける理由になる。

 今の自分がジャーズと戦えば、恐らく負けるだろう。

 せめてあの特殊な水の正体を突き止めなければ。

「怪我人は?」

「怪我人も出ていません。センダさんの指示が的確でした」

「酒を飲ませるのは、確かにいい判断だ。それで、センダはどこにいる?」

「ここの近くまで来ているという、魔王ガトマーを探しています。ところで、ツギール様や他の戦士は」

「見ての通り、いない。まだ駆けているところだ」

 ゴーマが民を殺すのを防ぐためには、コクロクに全力で駆けてもらうしかなかった。そして、なんとか間に合ったのだ。

 シェイリは、ゆっくりとゴーマの元へコクロクを歩かせる。確かに酔いつぶれて寝ていた。ゴーマだけでなく、他の全ての戦士も。

 酒を飲めない部下はいない。そういう者は全て殺すのが、ゴーマのやり方だ。

「やはり、戦士しか連れておらぬか。噂通りの、短絡的な男だ」

 戦闘補助者を連れていない。

 シェイリが近づいても、ゴーマは眠ったまま。

 このまま首を切る、という手はとらない。起こしてから、正々堂々と戦いたい。

 魔力を落とさないためと言うより、それが自分のやり方だった。

 コクロクから降りたシェイリは、ゴーマに近づく。耳ざわりないびきが、近づくと大きくなっていく。

 眠っているゴーマを見下ろして、側にいたゴーマの手下の胸倉をつかんで、立ち上がらせた。

「え? なにを……あっ! お前はシェイリ!」

「お前の名は聞かん。直ちに」

 ゴーマに視線をやる。

「この馬鹿を起こせ」

「え? いや、それはできませんよ。酔いつぶれて寝ているゴーマ様は、起こすと暴れまくることが多くて」

「ふうん。やはり、けだもののような男だな。なら仕方ない」

 男の胸倉をつかんだまま、ゴーマに近づく。

「私がゴーマを起こすとしよう」

「え、ええ⁉ 本気ですか?」

「もちろん」

「お、おれが起こします。ちょっと待って!」

 男は慌てて、ゴーマの肩を揺らす。それでも、ゴーマは眠ったままだ。

「ゴーマ様! 起きてください!」

 大声を張り上げると、ようやくゴーマは眼を開けた。

「うるせえなあ」

「あの、シェイリが」

「てめえ! 許さねえぞ」

 男の手首を、握り締めるゴーマ。骨が折れた音がした。

「ぎやあああ!」

 叫ぶ男の全身は、炎に包まれる。肉が焦げた臭いがシェイリの鼻にも届いてくる。

「おれを起こすな!」

 ゴーマは再び、眼を閉じて眠りについた。哀れな男は、全身に火傷を負っている。

「おい、光癒丸で治して欲しいか?」

「……やだ……絶対にやだ」

「そうか。ならお前は助けない。仲間を起こして、冷水でもかけてもらえ」

 シェイリは杖を構えた。光る杖から、光弾が放たれる。

「ぐわあ!」

 ダメージを負ったゴーマは、やっと起きた。

「なにしやがる、てめえ!」

「お前が勝手に私の領土に入ってきたから、それにふさわしい行動をとった。それだけだ」

 シェイリは腕を組んで、敵を見つめる。

 座り込んでシェイリを見上げたゴーマは、あからさまに不愉快そうな顔をした。

「ガトマーじゃねえのかよ。女かよ」

 けっ、と言って吐かれた唾が地面に落ちる。

「このおれに歯向かったんだ。男なら殺すところだが」

 ゴーマは侮蔑的な口調で、吐き捨てた。

「おれの目標は魔界最強の男になることだ。てめえみたいな女に用はねえ。目ざわりだ。とっとと消え失せろ」

 そうか、と腕を組んだまま顔色一つ変えないシェイリ。

「私の目標は、魔界最強の男さえも倒す女になることだ。きさまのような愚か者の雑魚は眼中にない。目ざわりだ。とっととくたばってあの世に行け」

「……なんだと?」

「酔いをさますだけの時間は、与えてやろう」

 ゆっくりと立ち上がったゴーマの瞳が、血走っていく。

「てめえ、おれを怒らせたな。どうなるか、分かっているんだろうな?」

「分かっているとも。怒り狂った短絡的な馬鹿が私に挑んで死ぬだけだと、ちゃんと理解している」

「てめえ! ぶっ殺す!」

 小柄なシェイリに巨体のゴーマが駆けていく。怒号をあげながら。

「おれの手で、黒焦げになりやがれ!」

 ゴーマが迫る。右手が、シェイリをつかもうとする。

 その瞬間。

 シェイリは体勢を低くした。すごい速さで。

 視界から消えたシェイリを、ゴーマは捉えきれない。

 光剣が、ゴーマの足元に一撃を加えた。

「て、てめえ!」

 ゴーマが倒れていく。走ってきた勢いを抑えることができないのだ。なんとか地面に手をつこうとするゴーマの後頭部を、光剣で斬りつける。

「ぐああ!」

 悲鳴をあげるゴーマを幾度も斬りつけるシェイリ。ダメージを負う度に、四つん這いになったゴーマは悲鳴をあげた。

「まだ死なぬか」

「この野郎! おれをコケにしやがって!」

 気力を振り絞ったのか、ゴーマは立ち上がり、シェイリをにらんでくる。

赤い瞳は、怒りに燃えたぎっていた。

「おい、この程度の攻撃でおれを倒せるなんて思っていないだろうな! おれの強さは尋常じゃねえ。てめえの予想をはるかに越えている」

「ああ、予想外だ。正直、足を狙われたからと言って、無様に転ぶとは思わなかった。まさかこれほどまでに弱いとはな」

「なんだと?」

「お前は、正真正銘の大馬鹿者だ。魔王どころか、戦士の資格すらない」

「てめえええ!」

 叫びながらゴーマが駆けてくる。

「ふざけんな! 死にやがれ!」

 片膝をついて、じっと待つシェイリ。ゴーマが迫ってきたところで、再び光剣を下に向けて走らせた。

 ゴーマはなんとか止まって、シェイリをにらみつける。

「けっ、馬鹿な女だな。このおれに二度も同じ攻撃が通用するか!」

 駆け出すゴーマは、次の瞬間眼を見開いて「あっ」と言った。

「ああ、通用しないだろう」 

 倒れていくゴーマに向けて、シェイリは光剣を構える。

「そして、地面を光の剣で斬りつけて、溝をつくって転ばせるのも、通用しないと思っていた。本当に浅はかだな。噂以上だ」

 シェイリが光剣でゴーマの後頭部を斬りつける。倒れて叫ぶゴーマを、斬りまくる。

「ここまで楽に倒せるとは、本当に予想外だ。人々を理不尽な理由で殺した報いを受けるがいい」

 わめき声をあげるゴーマ。

 次第に声は小さくなり、やがて動かなくなった。

「死んだか」

 シェイリの息は乱れていない。死体からゴーマの戦士たちに視線を移した。

「お前らはどうする。主君の仇を討つか? あるいは我が軍門にくだるか」

 戦士たちは顔を見合わせて、行動に出た。

 三人は、剣を抜いて構えた。残りは全員逃げ出したのだ。

「ふうん。あんな愚か者に忠誠心を抱く者が三人もいたとはな。意外だ」

「とことん性格の悪い女だな」

 背の高い男が、憎々し気に吐き捨てた。

「もちろん私は性格が悪い。お人好しに魔帝の軍を撃破することなどできぬからな」

 シェイリは戦闘態勢に入った。

「お待ちください! シェイリ様!」

 ツギールの声がした。

「そいつらを殺すのは、私にやらせてください」

「おい、お前は私の命令に従ったか? 戦士たちと戦闘補助者を守って帰還しろ、と言ったはずだが」

「はい。守りました」

 怯むことなくツギールが言うと、人々が現れた。シェイリに従っていた人たちだ。

「ほう」

 シェイリが鋭い視線を走らせる。ツギールは木箱を背負っていた。臨戦態勢ということだ。

「ならば、戦闘を許す。傷一つ負わずに、勝ってみせろ」

「承知いたしました」

 ツギールはシェイリをかばうように立って、三人を見渡した。


 ■■■


 最近の私は失態続きだ。

 ツギールはそう自覚していた。

 これ以上シェイリに迷惑をかけて、足手まといと思われるなら死んだ方がましだ。

 目の前の敵を見る。背の高い男の両脇に、無精ひげを生やした男と髪の毛が長い男がいる。

 使う武器は、まだ分からない。ツギールは背負った木箱の中の黒水に意識をやる。

「お前ら、手を出すな」

 三人の敵の内、一番背の高い男が歩んでくる。

「ツギールなんか、おれ一人で倒してやるよ」

 後ろの二人はあからさまに安堵した顔をしている。こいつが一番強いのだろう。

 ツギールは眼の前の敵を見つめたまま、黒水に魔力を込めた。

 木箱の蓋が開いて、黒水が吹き出る。巨大化した腕のような黒水が、眼前の男に向かって真っすぐに宙を進んでいく。

「誰が当たるか」

 背の高い男は素早く避ける。黒水はそのまま直進して。

 右の無精ひげを生やした男の首を直撃する。

「なにい!」

 声を張り上げたのは、一番背の高い男。攻撃をくらった男は、すでに声を出せる状態ではない。喉が裂けているのだ。

 更に魔力を込める。ひげを生やした首が、転がった。

「てめえ、卑怯だぞ!」

「敵を攻撃してなにが卑怯なのだ?」

「くっ、シェイリの副将がこれとは。腐りきってるな」

「なんだと? もう一回言ってみろ!」

 おい、とシェイリの声。

「くだらん挑発に乗るよう奴が私の配下だと、我が恥になる。分かっているな、ツギール」

「は、はい! 申し訳ございません!」

 背の高い男と髪の長い男が迫ってくる。髪の長い男は大きな布を繰り出した。一枚、二枚、いや四枚。四枚とも、燃えている。

 炎に焼かれる布が迫ってくる。肌に熱さが伝わってきた。

「こんな物で、私を倒せると思うのか?」

 ツギールは黒水に意識を集中する。

「見くびるな!」

 黒水が直撃して、布は濡れていく。火は消える、と思ったその時に背の高い男が至近距離まで迫ってきた。

 その両腕は、尖った氷に包まれている。氷の拳を繰り出しながら、背の高い男は叫んだ。

「かかったな。くたばれ、ツギール!」

 燃えた布は囮か。敵の表情には余裕が見える。罠にはめた。勝てる、と思ったのだろう。

「シェイリ様の副将が、きさま程度に敗れるとでも思うのか?」

 黒水を直撃させる。硬い音がした。背の高い男がはっと息を飲む。

 氷は、砕けていた。

「ツギール! てめえ、黒い水の中に武器を隠し持っているな」

「ああ、そうだが」

「どんな武器だ?」

 ツギールは敵を追い詰めるように近づく。

「言えんな」

 髪の長い男に黒水が、闇の水流が向かう。黒水が首を取り囲む。すぐに首が切り落とされた。

 三人の中で最強の力を持っていただろう敵は、わめき始めた。

「ツギール、この卑怯者が! 恥知らずが!」

 背の高い男の両腕は再び氷をまとっていた。右から、氷をまとった拳が繰り出される。その腕に、黒水が直撃する。

「ぎやああああ!」

 音を立てて切り落とされたのは、凍りついた手。

「て、てめえ! 円盤を操るのか!」

「ほう、気づいたか」

 黒水から浮かび上がった円盤には、周りに刃がついている。

「これを、高速回転させればお前の腕など簡単に切り落とせる」

 ツギールが鍛練を積んだのは、水流で円盤を回転させること。

 黒水が、敵の左手に向かう。恐怖に引きつった顔を見る。背を向けて逃げ出す敵。

 ツギールは迷うことなく、敵の首に向けて黒水を繰り出す。

 悲鳴を上げる間もなかった。

 背の高い男は頭部を失って、血を吹き出しながら倒れていく。

 勝った、という余韻にひたる時間などあってはならない。

 ツギールはすかさずシェイリの元に駆け寄り、ひざまずいた。

「ご命令通り、傷を負わずに勝ちました」

「うむ」

 シェイリの視線は鋭い。

「この結果を、どう思っている?」

「あの愚か者の手下を倒しただけ。誇れる勝利ではありません。それに、円盤を操ることに特化した魔法を使えることが、これからの敵にはバレた可能性が高い。これは失策です」

「そうか」

 シェイリの声色が穏やかなものになった。

「それが分かっているなら、お前は愚か者ではない」

 ひざまずいたまま、はっと顔を上げる。

「お褒めいただき恐縮です」

「では、お前に次の任務を言い渡す」

 ツギールの全身に緊張が走る。

「ガトマーを探してこい。あいつは、我が手で息の根を止めねばならん」

 承知いたしました、ツギールは叫んだ。


 ■■■

 

「すごかったんですよ」

 ラージュの声に、にやりと笑うセンダ。

「まあ、落ち着けや。そんなに、あっさりと勝ったのか?」

「はい!」

 街道の脇の果樹の下に二人はいた。まだ昼はさほど過ぎていない。陽射しは熱く、センダから時おり木陰で水を飲めと命じられていたのだ。

 センダの命令に従わない理由などない。一番親しい人と言っていいのだから。

 センダは蜂蜜を溶かした水で喉をうるおしていた。ラージュはそれを飲みたいとは思わない。普通の雨水の方が良かった。

「センダさんにも見せたかった。大口を叩いていたゴーマが転ぶところを」

 ラージュの胸は高鳴っていた。

 シェイリとゴーマとの戦い。始まる前は心配だった。

 こんなに凶暴そうな巨漢に勝てるのか。

「正直、不安でした。でも、戦いが始まれば不安なんて吹き飛びました」

「不安か。それ、あまり大きな声で言わない方がいいぞ」

「……敵が馬鹿だからですか?」

「ああ、あのゴーマだからな。所詮は愚か者。シェイリ様の敵ではない」

 なるほど。どうやら自分以外は、シェイリが勝つのを確信していたようだ。

 道理で、勝利の時の歓声が小さいわけだ。

「じゃあ、休憩は終わりだ。ガトマーを探し出さねばならん」

「はい。肩までの金髪で、細身で背の高い男でしたね」

 言いながら、シェイリのセリフが心中に響いた。

『あいつは、我が手で息の根を止めねばならん』

 シェイリがそんな風に言った魔王は、初めてだ。

 なにか恨みがあるのだろうか。それとも、よほど非道な魔王なのだろうか。

「ガトマーは、強いんでしょうか?」

「まあ、ゴーマと比べたら遥かに強いだろう。ジャーズと比べたら、どちらが強いのか分からんな」

 相変わらずのんびりした声のセンダ。

「悪い魔王なのでしょうか」

「ん? どうしてそう思う?」

「シェイリ様の敵意が」

「感じられた、ということか。違うぞ、酷い奴だから殺したいわけではない」

 ならば、どんな理由が。

「センダ様ですか!」

 女の声がした。

可愛らしいピンクの服をまとった赤い長髪の女性が走って来る。

「ん? あんたは、宿屋のピンピさんだな」

 女性は眼を丸くした。

「覚えてくださったんですか。シェイリ様の領民でもないのに」

 センダに対して丁重に頭を下げる女性を、じっと観察する。

 どうやら、街道の途中にある宿屋の人のようだ。

「すまんが、今は忙しいのだ。魔王ガトマーを探していてな」 

「知ってます」

 ピンピは懐から紙を出してきた。

「ガトマー様から、シェイリ様へのお手紙です」

 唐突な言葉だった。手紙は綺麗な青い封筒に入っているようだ。

「あのガトマーが、あんたの宿屋にいる?」

「ええ。宿泊してもう五日になりますね」

 おかしい、とラージュは思った。

 ならば、シェイリがいないことを知っていたはず。魔王が留守の間にその領土を攻める。その当然のことを、どうしてしなかったのか。

「分かった。これは、シェイリ様にお届けする。行くぞ、ラージュ」

「はい」

 手紙を持って帰還するセンダと共に走りながら、ガトマーの意図を考え続けた。だが、分からない。

 魔王街の門をくぐると、すぐにシェイリは立っていた。

 幾度も杖を振っていたようだ。光剣を扱う鍛練だと、一目見ただけで分かる。額から汗が流れていた。

シェイリに、ガトマーからの手紙が来た、と伝えると険しい顔をした。

 手渡すと、すぐさま受け取った封筒を開けた。シェイリが取り出した手紙は、さほど長い物ではなかった。

 手紙をじっと見つめるシェイリ。

「なにが、書いてありましたか?」

 センダの問いかけに、手紙から眼をそらさずにシェイリが答えた。

「奴が、何故今まで動かなかったか分かった」

「ほう。その理由は」

「魔王が留守の時に領土を攻めたくはない。また、ゴーマとの戦いで疲労している私に戦いを挑むのもしたくはない。だから、会うのは明日の正午にしたい」

「…………」

「そう書いてあるな。ツギール」

 はい、とシェイリの副将は答えた。

「すぐに宿に向かえ。我が城の前の広場で会う、とだけ伝えろ」

「承知いたしました」

 シェイリは手紙を握り潰し、後ろに放り投げた。

 地面の上に、くしゃくしゃになった手紙が転がる。

「奴には必ず勝つ。そして、殺す」

 シェイリの低い声。

「明日が、奴の命日だ」

 どんな相手なのだろうか。

 対応は紳士的に思える。

 それが偽善的だから嫌悪しているのか。

 いや、シェイリはそういうタイプではない。政治に偽善が必要なことが分からない、愚か者ではない。

 何故そこまで、殺意を抱くのか。

 センダに聞こうと思ったが、考え直した。明日の正午、分かるはずだ。

 疲れていたのか、センダのいびきは大きいのにすぐに眠りにつけた。夢は見なかった。いや、見たけど忘れているのかもしれない。

 起きた時には、汗をびっしょりかいていた。

 センダは家にいなかった。

 同居人が出ていったのに気づけない。闇の基本魔法のせいだろう。

 己の行動を隠す力が、ラージュよりずっと上なのだ。

「先生なのだから、当たり前か」

 梯子を使って床に降りた。考えるまでもなく、朝食は抜くことにした。

 そんなものより、シェイリの戦いの方が重要だ。

朝の内に広場に着くと、見物のために集結している民が多い。

 正午までは今から二時間はかかる。よほどシェイリの戦いぶりが観たいのか。それとも、ガトマーとやらの関心のために待っているのか。

「おい、来たぜ!」

 門を指さしてざわめく人々。

 男が現れた。確かに、金髪を肩まで伸ばした男だ。

 あれが、ガトマーか。

瞳は黒い。背が高いがやせている。

 青い服を身にまとっていて、際立った美形ではないが整った顔立ちだった。なんとなく、悪人に見えない。 

 ガトマーの隣には、女性が歩いている。年齢は二十代か三十代だ。大きな布袋を抱えているその女性は、とても美しかった。ガトマーと同じく金色の髪は、腰のあたりまで届いている。

 急いで、周りを見渡した。

「おい」

 背後から声がした。

「なにをキョロキョロしてるんだ、ラージュ」

「あ、センダさん。あなたを探していたんです」

 歩いてくる男を指さして言った。

「あれが、ガトマーなんですよね」

「そうだ」

「隣の女性は副将でしょうか」

「違う。ガトマーが女を戦士にすることなど考えられん。あれは、戦闘補助者だ」

「……戦闘補助者って、なんですか?」

「ん? これは教えてなかったか。戦士と違って、戦わない人のことだ。戦わないが、戦いに役に立ってもらうのが役目だ」

「……つまり、飲み水を探したり、食料を運んだりする人のこと?」

「ああ、テントをつくったり、天候や風向きを調べたりする。よし」

 センダの手が肩に置かれた。

「ここで戦士としての心得を教えておこう」

 はい、と真面目な顔で返事をした。見物している人々のざわめきは、気にならない。

 いいか、とセンダは言う。

「もしお前がシェイリ様に率いられる戦士になったら、一つ覚えておかなければならんことがある。戦闘補助者は絶対に攻撃するな」

「殺したら、魔力が落ちる」

「ああ、傷つけることさえ良くない。だから、戦闘補助者は怪我を負わないのが理想だ。戦士は傷ついても、戦闘補助者は無事なのが好ましい」

「しかし、現実はそうではない」

 まあな、とセンダは頭をかいた。

「実際には、戦いに巻き込まれて命を落とす戦闘補助者は大勢いる。難しいところだ」

 ガトマーが、広場の真ん中で足を止めた。傍らの女性も、ガトマーの後方で待つ。

「おい」

 シェイリの声がした。群衆の中から、背の低いシェイリが出てくる。

「まだ時間には早いぞ」

「あなたを待たせてはいけない、と思って早めに来た。だから、正午まで待たされても構わん」

「……そうか」

「シェイリ殿、領内に立ち入るのを許してくれて感謝する」

「お前に感謝される筋合いはない」

 広場の中央で、シェイリとガトマーは向かい合っていた。

 ゴーマほどではないが、背の高い男だ。細い体に筋肉がついているのが、着衣のままでも分かる。

 女性が持つ布袋はかなり大きい。色あせた布だと見て取れる。入っているのは武器なのか。それとも防具なのか。

「一つ聞きたい。何故、ゴーマとの戦いの直後に姿を現さなかった?」

「手紙に書いたはずだが」

「あの紙には、戦いたくないとは書いてあったが、理由までは書かれていなかった」

 そうか、と敵の魔王はつぶやく。

「あなたに連戦を強いるのはフェアではないからだ。正々堂々とフェアでいろ、と親から教えられている」

「ほう。噂通りの男だな」

 無言でシェイリはガトマーをにらみつけた。

「正午まで待つまでもない。もう戦いを始めるぞ」

「無理をしなくてもいいぞ。疲れてはいないのか?」

「あんな雑魚を殺すのに、疲労を感じるわけがない。私を見くびるな、ガトマー」

 凄味を帯びた声だ。

これから始まるのが、魔王同士の殺し合いだ。それを実感する。

 観客はぐるりと二人の魔王を囲んでいた。シェイリの領民のかなり多くが、この戦いを見るのを待ち望んでいるのだ。

 ガトマーはシェイリの警戒心を解きたいのか、親し気な笑みを浮かべた。

「戦う前に、背が低くて美しい魔王のあなたに忠告がしたい」

「美しい、という言葉は余計だ」

 背が低い、は余計ではないのか。

「いや、あなたは本当に美しいぞ。私は美しい女性が不幸になるのが耐えられぬたちでな。美人が幸福になるよう、常に努力をしている」

「きさまの言い方だと、美しい女が不幸になろうとしていれば助けるが、そうでない女なら見殺しにするということになるぞ」

「あ、いや……」

「それでも魔王か。見下げ果てた男だな。屑が」

 ガトマーは当てが外れたのか、呆気にとられている。

 その時気づいた。ガトマーは首に魔封環のような物をつけている。形も大きさも魔封環によく似ていた。

 異なるのは色か。灰色ではなく、紫色をしている。

「くだらん会話はいらん。戦いを始めよう」

「いや、私の言葉に耳を傾けてくれ。シェイリ殿」

「どうせ、魔帝に敵対するな、と言いたいのだろう。お前は」

「……ああ、その通りだ」

「戯言に耳を傾ける気はない。私が気になるのはただ一つ。お前がきちんと、限定魔封環をつけているか否かだ」

 ガトマーは首にはまった紫色の環をつかんだ。

「つけているに決まっているだろう。見えないのか? これが」

「偽物かもしれん、と思ってな」

 ガトマーはため息をついた。

「フェアに戦うことを何よりも重視する私が、そんな真似をするはずがない」

「誓ってみろ」

「闇と愛の神リュリュインの御名にかけて、真のことだ」

 そうか、と言ってシェイリは杖を構えた。無表情ではなく、気迫のこもった顔をしている。

 一方のガトマーは苦い顔つきだった。戦う前の男の顔ではない。

「あの、センダさん」

「なんだ、ラージュ」

 センダはシェイリを見ている。こちらに視線を向けもしない。

「限定魔封環って、なんなんですか?」

「魔封環と同じく、魔力を封じる物だ。全く魔法が使えなくなる魔封環とは違う。魔力が少し、いやかなり落ちる道具だな。

 あえて、全力を出さないように抑えているのだ。ガトマーは」

「何故?」

「奴が、帝国に貢ぎ物を差し出そうとしている魔王だからだ」

 なんとなく、分かってきた。

「シャリアンは、ギュリガヌス帝国に比べたら小国だからですね」

 もし、帝国の民が一斉にガトマーのような魔王を支持したらどうなるか。

 考えるまでもない。

 確実にガトマーが勝ってしまう。

「そうだ。限定魔封環がつくられた理由。それは、大国の民の意志によって、小国で起きた戦いの勝敗を左右されるのを防ぐことだ」

 それは、確かに必要な物だ。

「シャリアンの人々の思いで生み出された魔力。それだけでガトマーは戦っているのですね。ならば、さほど強くはない」

「お前の言葉の前半は正しい。だがなあ、後半は誤りだ。紫色の魔封環をつけていながら、ガトマーはかなり強い。

そしてこのシャリアンには、限定魔封環をつけていながらガトマーを越えた強大な力を持つ魔王もいる」

 センダは渋い顔をした。

「ギュリガヌス帝国に勝てるはずがない、と思う民も多いという事だ」

 そう思う魔王が、ガトマーなのか。

 これが、シェイリの殺意の理由。

 ここでシェイリが負けたら、あの世で父に顔向けできないと、そう思っているのかもしれない。

 シェイリはガトマーを見つめて、低い声で言った。

「神々に誓おう。私は必ずやお前を倒し、魔帝の軍勢を撃破する」

「ならば私も誓う。必ずやあなたを倒して、このシャリアンを幸福にする」

 戦闘補助者の女性が、布袋に手を入れた。出てきたのは長方形の青い盾だ。かなり大きい。十五歳の少年が、隠れられるくらいの大きさだ。

 盾を受け取ると、再び女性は布袋に手を突っ込む。更に出てきたのは、青い棒。

 すぐに気づいたのは、盾も棒も光っていること。

 今は晴れている。だが、陽光を浴びて輝いているのではない。青い光を放っているのだ。

 おい、とセンダがシェイリを見ながら声をかけてきた。

「属性は分かるか?」

「光ですね。ただ、あの青い物がなにかは」

「分からんか」

 センダはシェイリから眼をそらそうとしない。

「光と土だ。あの棒と盾は、ガラスで出来ている」

「ガラス?」

「ガラスを操ることに特化した魔法。更に、ガラスで輝く光も操れる。それが、ガトマーの能力だ。だから」

 苦々しく吐き捨てられた言葉。

「厳しい戦いになるな」

 ガトマーは右手に棒を、左手に盾をかまえた。どことなく悲し気な顔をした魔王だ。

 一方のシェイリは、闘志むき出しだった。杖を構える。

「食らえ、ガトマー!」

 光弾を放った。ガトマーは青いガラスの盾で応じる。

青い盾は押されもせずに、光弾が砕けて消え去った。

 初めて見る展開だ。

「そんな攻撃は無駄だぞ、シェイリ殿」

 シェイリは言葉を返そうとしない。杖を振るう。

 息をつく暇もない。次から次へとシェイリは光弾を放つが、全てバラバラになり消えていく。

 シェイリの光弾が通用しない?

 いや、そうか。

 ガトマーが操るのがガラスだけなら、シェイリは簡単に勝てる。ガラスは光を通すからだ。

 だが、敵がガラスだけでなく、ガラスに輝く光も操れるなら、状況は変わって来る。

「あなたに勝ち目はないぞ」

 ガトマーの声には憂いが帯びる。

「降伏してくれ」

「黙れ、私は魔帝の軍勢を撃破する」

「私ごときを倒せないあなたが、ギュリガヌス帝国に勝てると思っているのか? 驕りを通り越して狂っているぞ、シェイリ殿」

「きさまとの会話は無駄なようだ。最初から魔帝に抗うことを諦めている負け犬は、黙っていろ。黙ったまま死ね」

 シェイリは駆けていく。光剣しか通用しないと思ったのか。  

 ガトマーは動こうとしなかった。シェイリの攻撃をただ待っている。

「くらえ!」

 シェイリの光剣が斬りかかった。

 盾に直撃する。白い攻撃の光に、青い防御の光。

「シェイリ様!」

「負けないで!」

「そんな盾は砕いてください!」

 声援が飛び交う中、シェイリの光剣が更に大きくなった。眩しい武器で、幾度も盾に斬りつけていく。

 今、シェイリは全力で戦っているのだ。

 ラージュの手は汗で濡れている。

 勝ってください、そう念じた。

 白と青のせめぎ合い。ずいぶんと長く感じた。

 青い盾が重みに耐えかねたように、後方へ下がる。わき起こる大歓声。

 その直後、歓声は悲鳴に変わった。

 盾は勢いをつけて前に突き出され、シェイリの体を直撃したのだ。

 体を打ち据えた盾によろめいたシェイリは、数歩後退した。

 盾が下がったのは、シェイリの攻撃に圧倒されたせいではない。ただ単にガトマーが腕を引いて、勢いよく突き出しただけだったのだ。

 ガトマーをにらみつける小柄なシェイリと、あくまで辛そうな顔を崩さないガトマー。

「頼む。降伏してくれ。シェイリ殿。もう、自分の非力を思い知ったであろう」

 シェイリは荒い息をついている。

「あなたは私に勝てないのだ。そして私は、ずば抜けて強いわけではない。例えばあの不思議な水を使うジャーズと戦えば、私は即座に負ける」

「……手合わせしたことがあるのか?」

「向こうから決闘をしかけてきた。勝てるわけがない、と気づくのに十秒もかからなかったよ。尖ったガラスをばらまいて、必死になって逃げる羽目になった。忘れられない屈辱の思い出だ」

「……そうか」

「非力なあなたは、シャリアン全土を支配する大魔王になることは出来ない。例え出来たとしても、帝国の、魔帝の軍には勝てない」

 シェイリの顔が歪む。怒りからか、それとも焦りからか。

「現実を分かってくれ、シェイリ殿」

「黙れ、ガトマー!」

 シェイリは再び光剣を構えて駆ける。

 攻撃を体に食らっていないガトマーの方が、痛みをこらえるような表情だ。

 振り下ろされた光剣。ガトマーは、半身になって避けて。

 青く輝く棒を振り下ろす。シェイリの腕を打ち据える音が響いた。

 またしてもシェイリは後方に下がる。

 声も上げずに後退できたのは、受けたダメージが弱いからではないのが分かる。あの音からして、骨を折られていてもおかしくない。

 シェイリの腕が光を帯びる。傷を癒しているのだ。光を操れるシェイリは、光癒丸を飲まなくてもあの力を発揮できるのだろう。

 とてつもない激痛のはずなのに、シェイリは表情を変えなかった。相変わらず、ガトマーに怨敵へ向けるような視線を送っている。

 しかし、シェイリの光弾も光剣も通用しなかった。

 もう、どうしようもないのか。

「お前に聞きたいことがある」

 シェイリは乱雑に言葉を吐き捨てた。

「私が強いことか?」

「違う。お前は、何故ガラスの剣を使わずに、棒で戦っているのだ? 剣での攻撃なら今のは、私の腕の骨を折れる一撃だ。着ているのがこのドレスでないなら、我が手は切り落とされているだろう」

 ああそこか、とガトマーは実直そうにうなずく。

「私が剣でなく棒で戦うのは、敵があなただからだ。美しい女性に傷を負わせるくらいなら、死んだ方がましだ」

「ほう。そういう人間か」

 シェイリの声が低くなる。

「敵を傷つける覚悟もなく戦いを挑むような奴に、戦士たる資格などない。死ぬ方がましというなら、我が手で殺してやる。己の甘さをあの世で悔いろ、ガトマー」

 はあ、とため息をついたのはガトマーの方だ。

「口だけは達者だな。攻撃は通用しなかったぞ」

「ああ。だから、そっちから攻めてこい。受けて立つ」

 ガトマーは引き締まった顔をした。 

「分かった。気は進まないが、やむを得ないな」

 駆け出したのは、ガトマーの方だった。

 厄介な敵だ。

 紳士的すぎる。あれでは魔力が高いのも当然だろう。

 杖を持ったまま、荒い息をついて待つシェイリ。

 盾と棒を握って、駆けてくるガトマー。

 心臓の鼓動が激しい。まさか、負けてしまうのか。

 これが、愛する人の最後の雄姿になってしまうのか。

 ガトマーが棒を持ったまま、迫って来る。

「ええい!」

 棒を振り下ろしたガトマー。

 その瞬間、シェイリは大きく踏み出した。

 悲鳴が上がる。ガトマーを見上げるシェイリの顔面が、棒の真下に来た。

「シェイリ様! 避けて!」

 ツギールの悲痛な叫び声。

 ラージュは言葉を失っていた。頭部は急所だ。絶対に守らねばならない場所なのに。

 シェイリの顔面に当たる直前で、棒は止まった。ガトマーがほっとしたような息をつくより、シェイリの動きの方が速かった。

 すかさず、左手で棒を握り締めたのだ。青く光る棒の動きを、力の限り封じ込めている。

「食らえ!」

 シェイリの杖が、見たことのない動きをした。回転を始めたのだ。光剣を出したまま。

 回る光剣が斬りつけているのは、左手に封じられた青い棒だ。

 ラージュの視界に、円を描く光の残像が残った。どよめきが聞こえてくる。そして、ピシッと音がした。なんの音だ、と思ったらまた似たような音。

 回り続ける光剣から、発せられている音か。いや、そうではない。

 ガラスが砕ける音だ。

 高い音を立てて、棒は砕けた。いくつもの欠片になって、落ちていく。

 後退したのは、ガトマーの方だった。やったあ、と誰かが叫んだ。ついに、決定的な反撃ができたのだ。

「上手いな、光剣を回すのが」

「そんなことはない。得意なら、毎回これをやっている。落とすリスクがあるから、できればやりたくない技だ」

 シェイリの息は荒いが、声は落ち着いていた。

「さあ、お前の武器は砕けたぞ。もはや、盾しか持っていない。降参するか? その気なら、命だけは助けてやる」

「ほう」

「代わりに誓え。ギュリガヌス帝国と戦い抜く、と」

 ガトマーは、酷く辛そうな顔をした。

「本当に残念だ。これで私は」

 巨大な盾が青く光る。眩いほどだ。

 すぐに盾はバラバラになった。いくつもの綺麗な三角形になったガラスは、高い音を立てて再びくっつく。

 パズルのように組み合わさっていく青いガラス。

「これで戦わざるを得なくなった」

 盾だったガラスは、青く光る大剣と化していた。




    『現魔球の塔』 完  


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