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二章



  二章


 相変わらず気が滅入る臭さの中、グルーヌは進軍していた。

 石畳が並べられた街道。脇には木々が多い。中には、美味しそうな赤い果実をつけた樹木や、毒々しい紫色の果実をつけた樹もあった。

「大丈夫ですかねえ」

 隣を行くグヨンが能天気な声を出す。だからと言って、油断しているわけではない。こいつの声は常に能天気に聞こえるだけだ。

「心配はない。ぼくの魔法なら、ジャーズに勝てる」

 五つの壺が乗った台車。それを押しながらグルーヌは返す。

 思い出す。以前は自分のことを「私」と言っていた。そう言えば威厳がある、と考えて。

 三年前のあの日から「ぼく」という言葉を使いたくなった。まだ自分は三十代なのだ、という意味を込めて。

「しかし、ぼくの毒液は相変わらず臭いな」

「そうお考えなら、この全てを持っていくことはなかったのに」

 グヨンが残念そうに言った。

 腹が立つ。臭いのは、風を操るお前の魔力が小さいせいだ。無神経な男だ。

 無視をして台車を押し続ける。部下に任せない理由は二つ。

 いきなり敵に襲われた時、即座に反撃ができること。

 そして、臭い武器を部下に任せると、魔力が落ちるからだ。人がやるのを嫌がるが大事なことは、魔王である自分がしなくては。

「毒液の壺、三つでいいのでは? 置いていきましょう、グルーヌ様」

 いきなりグヨンが変なことを言いだす。

「いや、それは駄目だ」

「なら四つは」

「……分かった。四つにしてやる。それで負けたら、お前のせいだからな」

「いえ、ここは五つで行きましょう」

 突然意見を変えやがった。

 グヨンの馬鹿が。

 落胆のため息が、背後から聞こえた。

 八名の戦士も二十五人の戦闘補助者も、臭さにうんざりしているようだ。

 不満なのは、分かっていた。だが仕方がない。

 五つの毒液を全て持っていくのは、相手がよほど強敵の時だけだ。

 ジャーズに勝てる。勝てるはずだ。これだけ毒液がそろっているなら。

 臭いなあ、と嫌そうな声をグヨンがこぼす。

 こいつは、大した魔法は使えない。それなのに、副将にした理由はただ一つ。

 グヨンが不細工な男だからだ。

 自分は断じて不細工ではない。ただ、顔に醜い染みがあるだけだ。

 毒液の調合に失敗したせいである。もっとも、顔にかかったのは一度だけだ。それ以外は、なんとか避けるか、避けきれない時は腕で顔を覆って防いでいた。

 しかし、一度ついた染みは消えない。毒液を操る自分が消せないのだから、他の魔王に消せるはずがない。

「嫌な奴だな、ガーコは」

「え? どんなところが?」

 不愉快な事を聞きやがって。

「とにかく嫌な奴だ。そういう情報ばかり入ってくるんだ」

「だから、具体的になにをしたのですか?」

「今は忙しい。ぼくにくだらない質問をするな」

 ガーコの奴、自分がちょっと美形なことを鼻にかけやがって!

 男の魔王で、顔に頼っている奴にはろくなのがいない。それがグルーヌの持論だった。

 シャリアンにいる水の魔王は自分を含めて四人。その内の二人は美形だ。生まれる前から美形であることを宿命づけられていたクアラと、シャリアンで最も美男の魔王と呼ばれるサールス。

 あいつらは憎い。憎い憎い憎い!

 もっとも、口に出したことはない|(あるとすれば寝言くらいだ)。美形な男が好きな軽薄な女たちから、罵声を浴びせられ魔力が落ちる羽目になる。

 だから美形な男を呪う言葉は、内心で唱えるだけにしている。

 グルーヌが、むしろ好感を持っている水の魔王が、これから戦うジャーズだった。性格はろくに知らないが、外見は知っている。しわだらけの老人の魔王ジャーズ。

 ああ、このシャリアンにいてくれてありがとう! あいつが隣にいれば、自分の顔の醜さ|(いや、違う)顔についた染みの醜さも目立たない。

「じゃあ、くだらなくない質問をしていいですか?」

 グヨンの声は相変わらず能天気に耳に響く。

「くだらないかどうかは、ぼくが判断する」

「どうして、ジャーズに勝てるとお考えで?」

 なんだ、そんなことか。

 眼前の街道の脇には、木々はまばらだった。木の多い領域は、通り抜けたようだ。小さな草花の方が多くて、森や林は見当たらない。ただ、丘が多いので進んでいる道を見晴らしがいいとは言えない。

 丘を迂回しながら、会話を続ける。

「当然だ。ぼくは、シャリアンで手に入る液体を全て集めてみた。自分が手に入る限り、全てを」

「はい」

「そのどれも、操れるようになった」

「しかし、ジャーズはあの正体不明な異様な液体を操ることに特化していますぞ」

 じっとグヨンをにらむ。

「ぼくを馬鹿にしているのか?」

「え?」

「そんなことは分かっている。ぼくこそ、毒液を操ることに特化した魔法を使うのだから。物分かりの悪い奴だな。ジャーズが操る液体がなんであれ、ぼくの能力には敵わないのさ」

「ほう」

「シャリアンにいる水の魔王四人の中でも、ぼくが一番多くの液体を操れる。それはお前も知っているだろう」

「はい。ジャーズ以外の二人は、サールスとクアラで――」

「その二人の名を出すな!」 

 思わず怒鳴り声が口から出ていた。

「え? 何故ですか?」

「今からジャーズと戦うのだ! 他の魔王の名など聞きたくもない!」

「へえ、そうですか」

 なんだか、冷たい視線のグヨン。

「分かりましたよ。あの二人の魔王の話は、ジャーズに勝ってから聞きましょう」

「…………!」

 こいつ、なんて嫌な奴なんだ。ぼくがあの二人を話題にしたくない事くらい、察しろよ!

 もし、サールスやクアラの話題を頻繁に出すような奴なら、即刻追い出してやる!

「それで、勝てる根拠はなんでしたっけ」

「簡単だ。ぼくの毒液より攻撃力のある液体はない。少なくともこのシャリアンにはないんだ!」

「はい。それは確かです」

「それに、ジャーズはぼくのように、あの液体を持って戦場に行くわけではない。ならば、その液体が尽きるのを待てばいい」

「……実はそこが、おれの危惧しているところなのです」

 グヨンが声をひそめた。

「どうやってジャーズは、あの液体をつくり出しているのでしょう」

「どこかに隠しているんだろう。そこがどこなのか、ぼくなら突き止められる」

「そうですかねえ。ジャーズと戦った者は全てが『なにもないところから水が現れた』と言うそうですよ」

「ふん。そういう奴らの中に水の魔王はいないではないか!」

「そうですね。クアラとサ」

「黙れ!」

 隣のグヨンに向けて、そう怒鳴った時だった。

「あの!」

 後ろにいた戦士の一人が、駆けつけてきた。

 顔は、並より少し不細工だ。

「なんだ? 言いたいことでもあるのか?」

「あれ、ジャーズじゃないですか?」

 戦士の指さす先を見て、グルーヌは唖然とした。

 ハンモックだ。木の枝からつるされたハンモックに寝そべって、目をつぶった老人がゆらゆらと揺れている。

 森ではなく樹木の少ない場所でこんなことをすれば、確実に見つかる。それを分かっていないとは、思えなかった。

「おや、気づいたのか?」

 眼を開けて、にやりと笑みを浮かべるジャーズ。噂通りの小柄な老人だ。頭髪はほとんどなくて、ひげが長い。

「仕方がない。まだまだ眠りたいから、お前を倒してからまた寝ることにしよう。わざわざ負けに来てくれてありがとうな、グルーヌ」

 ハンモックから飛び降りたその動きは、意外に身軽だった。

 周りには誰もいない。

「おい」

 グルーヌは近づいて行く。

「お前に従う戦士はどうした?」

 おや、とジャーズは首をかしげた。

「負けに来てくれてありがとう、という言葉には腹が立たんのか?」

「ぼくはそんな安い挑発には乗らない。それより、戦士と戦闘補助者は?」

「グルーヌよ、お前とお前の手下を倒すのに、そんな連中を連れてくるなどという無駄なことはせん。わし一人で充分じゃ。敵がシェイリであれば、手下を連れて行くのだがな」

「……お前、顔はともかく性格が悪いな」

「え? 顔はともかく? どういう意味じゃ」

 しまった。しわだらけの老人に対して、変なことを言ってしまった。

「なんでもない」

「そうか。お前は、その醜い染みがあらわすように間抜けで弱いな」

 この野郎!

「ジャーズ、ぼくを怒らせたな」

「お、やっと怒ってくれたか。どうでもいい敵を挑発するのも、面倒じゃのう」

「おいジャーズ、お前は性格が悪すぎるぞ。なんでお前が魔王なんだ。お前なんかを支持している人の気が知れん」

 若いのう、とジャーズは不敵な笑みを浮かべる。

「きれいごとばかりを口にすれば、民から支持されると考えていたガーコ。ああいうのは本当に愚か者じゃ。きれいごとを並べ立てる者など、平凡過ぎて印象に残らぬわ。

 わしは、歯に衣着せぬ言動が人気の魔王でな。こうして相手を馬鹿にしながら堂々と戦うと、我が領土の民は喜んでくれるのじゃ。そんなことも分からぬのか、グルーヌ」

「うるさい!」

 グルーヌは台車から手を離した。目の前には毒液が入った壺が五つもある。

「おや? 壺の色が変わっているな。緑色がなくなって紫色になっている。それから、赤が薄紅色になっているな」

「それがどうした?」

「いやいや、お前を褒めているのじゃ。お前は戦いの時には、一目見ただけでどの壺になんの毒が入っているのか分かる。そんなやり方をとっていた」

 こいつ、情報を集めている。

 裏を返せば、ぼくのことを恐れているんだ。

「賢明じゃのう。愚かなところを一つあげれば、その程度の小細工がわしに通用すると思っているところじゃな」

「……もう、口喧嘩は充分だ。始めるぞ、殺し合いを」

「殺し合い?」

 ジャーズはまた首をかしげた。

「いやいや、わしはお前を殺す気などないぞ。わしに服従する魔王として大切に扱い、こき使ってやる」

「お前などにぼくが負けるものか」

「ガーコよりもはるかにマシじゃ。あいつは消えたが、どうでもいい。ついてるな、毒液使いが手下になるとはめでたい日じゃ」

「この、自信過剰なくそじじいが!」

 赤い液体が壺から飛び出た。飼い慣らされた鷹のようにジャーズを襲う。

 あれで、ジャーズの顔にも染みをつくってやる!

 不遜な言動を後悔しろ、ジャーズ。

「やれやれ、一番弱い毒を出すとは戦い方が分かってないな」

 そのセリフを言い終わる前に、あの水が出現した。

 巨大な盾のように、ジャーズを守る大量の水。

 嘘だろ、と思った。

 まさか本当に、なにもないところから出てくるなんて。

 自分はこの重い壺を、わざわざ戦場に持ってきているのに。

 赤い液体は、白煙をともなう水に突っ込んだ。

 そして。

 赤い塊となり、地面に転がった。

「弱いのう。いつも通り、退屈な戦いじゃ」

 ジャーズはあくびをした。


 ■■■


「条件はそれだけか?」

 シェイリは剛毛獣のコクロクにまたがりながら、立ったままのガーコを見下ろした。

「ああ、おれがかつて魔王であった男として、ふさわしい待遇を得ること。それが降伏の条件だ」

 ガーコは居城を背後にしていた。城は全体が眩い金色をしており、一見すると黄金で造られたように見える。

 実際には金箔を木材に貼っているだけだと、シェイリは知っていた。

 胸を張って勇ましい態度のガーコ。その態度も、金箔と同じく薄っぺらなものだ。

 こいつは虚勢を張っている。それがシェイリにはよく分かった。光の基本魔法の周りを察知する能力で、伝わってくる。

 本当は怖くて逃げだしたいのだ、こいつは。

 今のガーコはシェイリとシェイリに従う五名の戦士たちに囲まれている。戦士の内の一人はツギールだ。逃げ場がない、そういう状況だ。

「勘違いするなよ。おれがシェイリ殿に降伏するのは、民のためだ。罪もない民が犠牲になるのに心を痛めるから、仕方なく降伏するのだ。本来なら、勝者はおれのはずだからな」

 きさま、と言いかけたツギールをシェイリが制する。

 負け犬の戯言だ。いちいち口を出すべきではない。

「もしおれが屈辱的な目に合えば、おれを慕う民がお前を恨むぞ。特に、おれは女性に人気が出る顔をしているからな」

「いいだろう。その条件での降伏を受け入れる」

「えええ! 本当か!」

 どうして驚いているんだ、こいつ。

「てっきり、幽閉されるか、こき使われると思った……」

「そんな無駄なことはしない」

 顔しか取り柄がない魔王など、こき使う価値もない。という言葉は、思うだけにする。 

「で、ではシェイリ殿」

「私は忙しい。文官を残すから、彼らから己の処遇を聞くがいい」

 シェイリは手を空に向けた。光を放つ。白い光線が同時に三本。意味は『ガーコに勝てた。グルーヌの応援をしろ』というものだった。

 光の残像が消えないうちに、シェイリは腹の底から声を出した。

「行くぞ、皆の者!」

 コクロクは走り始める。西へ、グルーヌとジャーズの戦場に向かって。

 戦士と戦闘補助者を率いながら、頭に浮かぶのは老いた魔王ジャーズの不敵な笑み。

 果たして、ジャーズに勝てるのか。

 私とグルーヌの二人がかりで、ようやく倒せる。そんな相手だ。

 シェイリの左に双角馬(そうかくば)に乗って駆けるツギールがいる。牛のような角が生えた馬が、懸命にコクロクに遅れまいと駆けている。

 この動物はコクロクより遅い上に、道を間違えることが多いからシェイリが乗ったのはかなり前のことだ。恐らく、いや間違いなく自分が双角馬に乗ることはもうないだろう。

 蹄が地面を叩く音が聞こえてくる中、ツギールが声をかけてきた。

「グルーヌは勝てますかね」

「分からぬが、負ける確率の方が高い」

 同感です、と返すツギール。

「ジャーズはなんと言っても、あり得ない魔法を使いますからね」

「あり得ない、と思うのは我々がジャーズの魔法を知らないからだ。使うジャーズにしてみれば、普通の現実的な魔法だろう。

 今、ミスレイが文献を当たってジャーズの魔法がなにか推測しているところだ。その行為を怠ってジャーズに挑むのは、死の危険がある」

「はい。グルーヌと戦闘中なら加勢する。グルーヌが敗れた後なら撤退する。その条件ですが……なんと言うか、その」

「はっきり言え」

 コクロクの速さは七割に抑えていた。そうしなければ、他の戦士と戦闘補助者がついてこれない。

「あまり、意味がないのではないかと。ほぼ確実に、グルーヌは敗北するでしょう」

 なにも言わず、双角馬の上で振動を受けているツギールの顔を見る。

「この行軍はしなくてもいいのではないですか? ジャーズと一対一の戦いになりかねません」

「おい、ツギール」

 自分の副将の顔から眼をそらす。

「本気で言っているのか」

「はい、本気ですが」

「ならば、お前には将軍どころか戦士の資格すらない。私が、同盟した相手を見捨てたらどうなる? 致命的な事態になるではないか」

 ツギールは、鈍器で頭を殴られたような顔をした。

「あ、それは――」

「私の魔力は地に落ちて、誰も同盟相手がいなくなる。その道を進めと言っているのと同じだ」 

「申し訳ございません。考えが足りませんでした」

 コクロクは駆ける。速度を抑えながら。

「お前の助言で多いのは、私の身を案ずる言葉だ。私に危険な目に合って欲しくないと、そう思っているな」

「はい! その通りです!」

「喜ぶな、たわけが。安全な道ばかりを選んだ魔王が、ギュリガヌス帝国と戦うことなどできると思うのか。できるはずがない」

 声に込められた怒りを感じ取ったのか、ツギールは言葉を返せない。

 森と森に挟まれた道を進んでいく。剛毛獣や双角馬の蹄の音を聞いて、逃げていく鳥たち。

 確実に断言できることがある。

 ツギールと二人がかりでは、ジャーズに勝てるわけがない。

 戦いが始まれば、即座に黒水を凍らされて終わりだ。

 誰かと組まねばならぬ。自分の欠点を補ってくれる誰かと。

 だが、誰がいいのかが分からない。

 分からぬ。誰がいいのか。

 剛毛獣を駆けさせながら、シェイリは思いあぐねていた。 


 ■■■


 グルーヌは焦っていた。

 三つの壺は早くも、空になっている。

 赤と青と紫の毒液。それらはもう液状ではない。

 すでに凍りついていた。

「おい、まだ降伏はせんのか?」

 ジャーズは草の上に寝ころんでいる。まるで自分の城の中で昼寝をする前であるかのように。

 何故だ。何故なんだ。

 こんな魔法はあり得ないのだ。

 ジャーズに毒液をかけると、突然出現する水によって防がれる。不思議な水の特徴は、白煙をともなうこと。

 そして、異常に冷たいこと。

 ぶつかっただけで毒液が凍りつくのだから、あれは氷よりも冷たいとみるべきだ。

 普通の水ではない。それなのに!

「おい、ジャーズ! どうやってその水を持ってきている!」

 戦闘中とは思えない眠そうな顔をこちらに向けてくる。

「持ってきてなどおらぬ」

「偽りを言うな!」

「信じられないならそれでもいいわ。一つ言っておくが、もし仮にわしの魔法の正体が分かったとしても、お前に打つ手はないぞ。グルーヌ」

 ひっひっひ、と嫌らしく笑うジャーズ。

 落ち着け。

 情報を整理しろ。

 普通の水は、大気中の水分を集めてつくれる。

 普通でない水なら、なんとかして持ってこなければ扱えない。

 だがジャーズの水は、なにもないところから現れる。

 いや、幻なのか? 本当は持ってきていて、それを隠しているのか?

 そうだ。そうに違いない。

 ようやく見抜けたのだ。

 グルーヌは最後の攻撃の覚悟をした。残る二つの壺で、あの奥義を繰り出すしかない。

 壺の中の黒い毒液と茶色の毒液を合わせれば、爆発して猛毒をまき散らす。

 できるだけ、自分に近い位置で行う必要があり、しかもジャーズに攻撃が届かなければ意味がない。

 微妙な位置を、見極めなければ。

 少しずつ少しずつ、ジャーズに近づく。

 敵は油断しきって寝転んでいる。

 覚悟はした。自分が今より毒によって染みができる覚悟を。

 命がけの攻撃だけが、ジャーズを撃破できるのだ。

「ジャーズ、よく聞いてくれ」

「ん? なんじゃ?」

「ぼくにはもう、打つ手がない」

 この手以外には。

「ほう。万策尽きたか」

「だから、諦めた。ぼくはお前には勝てない」

 油断しきったジャーズに、最後の攻撃を発動した。

 壺から最大限の速さで、黒と茶色の毒液が吹き出した。ジャーズではなく、グルーヌの眼前でぶつかる。

 ぶつかる、はずだった。

 グルーヌの目と鼻の先に、大量の水が突如出現した。

 慌てて後方に下がる直前に、冷気を感じた。

 幻ではない。

 本当にジャーズは、あの異様な水をなにもないところからつくり出せるのだ。

「わしを油断させようとしたのか。無駄なことよ」

 ジャーズは寝っ転がったままだ。

「わしが油断しきっていても、お前が勝つ可能性はない。勝てるわけがないのだ」

 にやりと笑ったジャーズが立ち上がる。

 近寄ってくるジャーズの手にあるのは、魔封環。

「これは良かった。あの無能なガーコなどより、ずっと使える魔王が手下になったな。これで、シェイリを倒しやすくなったぞ」

 ジャーズの口から出た、しわがれた声。

「わしこそが、シャリアン南方を制する魔王となるのじゃ」

 グルーヌの首に魔封環がはまった。

「まあ、わしの力量を考えれば、当然の結果じゃがな」

 ひっひっひ、とジャーズは笑った。

 グルーヌは無力感に押し潰されていて。

 なにも言えなかった。

 

 ■■■


「腹ごしらえも終わったな。じゃあ、おれの家に案内してやる」

 紫鳥の鍋を見るラージュ。肉とキノコが目に付く。野菜もいくつか浮いていた。

「まだ、残ってますけど」

「ああ、だから緑の布をそこの樹に結び付けてこい」

 センダの言いたいことが、よく分からない。別に気にならなかった。異界では、訳の分からない理不尽な命令を散々されたものだ。

 言われた通りに渡された布を結ぼうとすると、違うという声。

「もっと、高い枝に結びつけろ。遠くからでも見えるように」

 はい、と返してから、地面に手を置いた。土が隆起してくる。

 ある程度の高さになったら、その上に乗って枝をつかんだ。

「ああ、その枝でいい」

「了解です」

 枝に結ばれて、風を受けて揺れる緑の布。

「これで、ここに残飯があるという意味になった。誰かが食ってくれるだろう。さてと、少しはカブの葉で熱しておくか」

 これは別に覚えなくていいな。

「じゃあ、おれの家に戻るぞ」

 はい、と返して歩き始めたセンダの後を追う。

 もちろん、ラージュに異存はない。しばらくはセンダの家に住め、とシェイリから命じられているのだから。

「道は、きちんと覚えます」

「ん? おれの家への道のことか?」

「はい。隣の家がどんな家なのか、どこを通ればいいのか」

「ふむ。先生として命令する。道は、覚えるな」

「は? 覚えるな、と?」

「ああ、お前は覚えるべきではない」

 何故だろう。

「不満に思っているな」

「いえ、不満と言うより疑問なんです。どうして、道を覚えない方がいいんでしょうか?」

「理由は簡単だ。そんなものを覚えた方が、どこに行けばいいのか分からず迷う羽目になるからだ」

「…………」

 なんだか、意味が分からない。

「お前の知識で分かることだ。自分で考えてみろ」

 歩いていくセンダの背中は大きい。

 水屋の前を通る。店員の活気のあるかけ声が耳に届く。

 巨大な茶色の柱が見えてきた。柱と言っても、建物を支えているわけではない。屋外に立っているのだ。高さは、そこらの建物を超えている。

 正面に大きな宿屋が見えてくる。その横の道の先にも、茶色の柱が見えた。

 これらを、覚えるべきではない。

 隣の家や通った道を覚えると、家にたどり着けなくなる。

 と言うことは。

「あの、センダさん」

「質問なら答えないぞ」

「しばしば、並ぶ建物の位置が変わる。そういうことですよね」

 おお、とセンダは嬉しそうな顔をした。

「正解だ。そしてそれは、おれの役目なんだ」

 なるほど。

「センダさんが、土を使えるからですね」

 大地ごと家屋を動かす、という異界では不可能なこともセンダならできるのか。

「敵が攻めてきたら、弱い人が住む家屋を居城の庭に入れたり、逆に強い連中の住居を並べて防壁に変えたり。そんなことをしなければならない」

「どの家屋をどこに配置するのか、考えるの難しそうですね」

「ああ、たぶん難しいんだろうな」

「……他人事みたいな言い方ですね」

「変なことを言うな。実際に他人事だ」

「……誰か、他の人が決めて来ている。それに従っている、と?」

「ああ、ミスレイ様がどこからどの敵が攻めてきたか、というあらゆる可能性を想定して、決めておられるんだ。

しかも、戦の際にミスレイ様は極めて重要な役割を果たす。戦に必要な物の補給だ。特に重要なのは兵糧だな」

「なるほど。敵対する魔王の領地で奪えば、魔力は得られない。むしろ憎まれて自分の首を絞める結果になる」

「ああ。だからといって、自分の領民に『食料を差し出せ』と命令したら本末転倒だ」

 確かに。

「ミスレイ様は、シャリアンのどの地域にどんな野菜、穀物が栽培されて、どんな家畜が多いのか常に調べている。そして、一番金がかからない兵糧の補給や、貧民に食料を支給するための最善の方法を、計算し続けているんだ。大変な苦労だ。頭が下がるよ」

 センダがそう言った時だった。

「あ、異界人だ!」

 少年が指差してきた。小綺麗な少年の側には、体中泥だらけになった子供が二人いた。二人とも男だろう。

「ああ、本当だ」

「おおい、女は隠れろ」

「なんか、陰気な面だな」

 ラージュは自然と小走りになった。子供の相手をするのは苦手だ。

「あ、逃げるぞ」

「逃げるなあ、異界人」

「異界の踊りを見せろお、早く見せろってば」

 三人の少年が押し寄せてくる。うわあ、嫌な展開だ。

 どうすればいいのか?

 逃げたら、感じが悪いか。いやしかし、子供を上手くあしらうことなんてできないし。

「よう! お前らが元気そうで何よりだ」

 センダがにかっと笑ってみせた。

「あ、センダだ」

「本当だ」

「なんかくれ、なんかくれ」

 ええ、と困ったように言う。困惑している口調だが、楽しそうでもある。

「そんなに欲しいのか? 仕方がないな。人形をやろう」

 少年たちはあからさまに不満そうな顔つきだ。

「そんなもん、いらねえよ」

「遊び道具くれ」

「そうだ、くれ」

 センダはにっこりと笑った。

「だから、遊び道具になる人形だ」

 センダはポケットに手を突っ込む。出てきたのは、緑の髪と白い肌の人形だ。背の高さは膝の位置より低い。腕も足も角ばっていて、髪の部分以外は木材でつくられた人形に見える。

 いつの間に、ポケットに入れていたのだろう。

「なんだよそれ?」

「ダサい人形」

「もっとましな物を出せよ」

 センダは人形を地面に置く。その直後、人形は跳躍した。

 少年どころか、ラージュの身長も軽々と飛び越えて、地面に着地する。

 そして、腕を振り回して足を動かしながら、走り始めた。

 うわあっ、という歓声を子供たちがあげる。

「それを捕まえたら、二番目の遊び道具をあげるぞ」

 センダの言葉を聞いているのかいないのか、少年たちは走る人形を追いかけ始めた。

 角を曲がった子供たちの背が視界から消えて、ほっと息をついた。

「ありがとうございます。センダさん」

「お前、子供が苦手みたいだな」

「ええ、その通りです。未熟者でして。それに比べて、センダさんは扱いになれてますね」

「ああ、いとこの息子が四人いるから、少年の扱いは得意なんだ。少女の扱いは苦手だがな」

「だからあらかじめ、人形をポケットに入れておいた、と」

「いや、違うぞ。入れておいたんじゃない。つくったんだ、子供たちが押し寄せて来てから」

「つくった?」

「あの人形は、カブで出来ている」

「へえ」

 意外な答えだが、驚くほどではない。

 腕の動きからして、いくつかの切断されたカブを組み合わせたのだろう。髪の毛になっていたのは、葉の部分に違いない。

「さすがですね」

 センダはまたにかっと笑った。

「まあな」

「自分も、子供への対応を考えた方がいいんでしょうか?」

「いや、無理に考えることはないさ。相手にしない、という手もある。ツギール殿みたいに、真面目に対応したら怖がって子供が泣いてしまう、という結果になるよりずっといい」

「あ、そうなんですか」

 よし。これからは全ての子供は無視しよう。

 家屋と家屋の間を通っていく。魚の生臭さを感じた。近くの人が魚料理を食べているのか。

 大人たちは、子供と違って変な態度をとらなかった。黙ってラージュを見ているだけだ。

「お、見えてきたな。あれが、おれの家だ」

 少し大きい川にかかっている橋。その向こう側に、広い屋敷があった。他の家屋と同じように、木々に囲まれている。

「意外ですね」

「ん? なにが意外なんだ?」

 のんびりしたセンダの声。

「家が大きいことです。ミスレイ様の家より、ずっと広いじゃないですか」

「ほほう。そこに目をつけたか」

 センダは橋を渡り始める。さほどの長さはない橋だ。すぐに向こう側についた。

 近づくと、ますますでかい屋敷だと分かる。

「この大きさなら、おれが泊まる部屋もありますね」

「いや、ないぞ」

「……へ?」

「二段ベッドの上で寝てもらう。下で寝るのはおれだからな。絶対に、譲らないからな」

「…………」

 センダが顔を近づけてくる。

「どうした? 下で眠れないのが不満なのか?」

「いえ、寝室が同じ、ということに驚きまして」

「それも違う。同じ寝室ではない」

 なにやら、頭が混乱してきた。

「なんだか、理解できてないみたいだな。よし、家の中で説明しよう」

 門の両脇に植えてある樹の間を通り抜けて、庭を進む。大きな岩がいくつも転がっている。庭の片隅に花が咲いていたが、雑草のように見えた。

 庭を突っ切って石段を三段のぼると、玄関の扉が目前だ。

 センダは扉に手を押し当てる。

 ドオン、という音が鈍く響いた。

「今のが鍵の開いた音だな」

「自分にも、使えますか?」

 いや、とセンダはあっさりと告げた。

「お前では絶対に、このドアを開けることはできない。だから、おれがいないのにどうしてもこの家に入らなければならない時はどうする?」

「それは分かります。扉を壊せばいいんですよね」

「正解だ」

 つまらなそうにセンダが言う。ラージュが間違えて、教えてやるのを望んでいたのかもしれない。

「でも、この家の位置が変わったら、おれはたどり着けませんよね」

「なにを言っている」

 怒っているのではなく、嬉しそうな声だった。やはり、知識を披露するのが好きなタイプだ。

「おれは道を覚えるな、とは言ったが、たどり着けないとは言ってないぞ」

 意味が分からない。

「屋根をきちんと見てみろ」

 はい、と言って見上げる。

「茶色で、なにかの植物の茎を並べてつくっている屋根ですね」

「いや、そうじゃなくて……そうか。ここからでは見えないか」

 センダがさがり始めた。

「庭に戻って、屋根を見てみろ」

 玄関から、センダの元へ駆けてから向き直る。

 屋根の上に、突き出た長い棒が見えた。棒の上にはカブのような物がある。

「あっ、あれが目印なんですか?」

「うむ。もちろん、本物のカブではない。住居知らせの職人に造らせた木製の物だ」

「あれを見つければ、帰るべき家が分かるんですね」

「そういうことだ。しかし、建物にさえぎられて見つからない場合もあるだろう」

「そりゃ、あるでしょうね」

「お前はいくつかの茶色い塔を見たよな」

「はい」

 あれか。柱だと思っていた物だ。

「あの内部は、螺旋階段になっている。頂上まで言って見渡せば、あれが見つかる。

 ああいう目印がない建物は、シェイリ様の居城くらいだ。シェイリ様の領民が迷った時、誰もが目印を見つけて自分の家の位置を知る」

「さすがは魔界。親切ですね」

「魔界が親切と言うより、シェイリ様の思いやりだ。民が暮らしやすくなっているんだ」

 なるほど。

「やれやれ。異界人はなにも知らないから、説明しなきゃいけないことが多いな」

 うれしそうに愚痴を口にするセンダ。

 こういうところもセンダの長所だ。説明を嫌がる人なら、自分はまともに生きていけないだろう。

 ドアは完全に開かれた。異界と同じく、内側に開くドアだ。

 センダとラージュは中に入る。ドアが閉まると、真っ暗になる。

 涼しい、と思った。家の中の温度は外とだいぶ違う。

 センダが手を叩いた音がした。その直後、突然家の中が明るくなった。

 思わず声が出そうになった。意外な光景に。

 テーブルがあり、椅子が三つある。小さなテーブルと椅子だ。

 その奥に、二段ベッドがあった。さほど大きくない。センダは寝ても、足がはみ出さないのだろうか。

 テーブルの右に、刃物が置いてある台がある。刃物の特徴からして武器には見えない。食べ物を切る時に使うものに見えた。

 そして高さがラージュの胸まではある、金属の鍋がある。鍋は木材で支えられていて、下にはカブの葉が敷き詰められていた。

「どう思う?」

「鍋がでかすぎます」

 センダは首を傾げた。

「鍋? なんのことだ」

「あそこの、五十人前の料理がつくれるくらいの……」

「ああ、あれは鍋ではない。浴槽だ」

「……つまり、あそこに裸で入ってお湯につかる、ということ?」

「うむ。おれは、浴槽がない家では生きていけないからな」

 つまりここは。

「台所と寝室と浴室と……」

「あと、食堂だ。ここは、万能部屋と呼ばれている。なんでもできる、と言う意味を込めて」

 万能部屋と言えば聞こえはいいが、なんて貧乏くさい部屋なんだ。

 寝室が同じではなく、寝室も兼ねている部屋で眠ることになるのか。

「あのう、センダさん。家は広く見えたんですが、実際は狭いんですか?」

「いやいや、本当に広いぞ。見せてやろう」

 センダは台所の隣の隅にあるドアへ向かった。あれは、トイレのドアではないのか?

 ドアが開かれると、風が流れ込んできた。土臭い風が。

 覗き込む。広くて大きい棚がたくさんある。一見したところ、図書館のように見える。

 しかし、棚にあるのは本ではなく、野菜だった。しかも、置かれているのではない。

 棚の上に野菜が生えているのだ。野菜と言っても、カブではない。人参や芋、それに見たことのない野菜も見える。

「じゃあ、ここまでだ」

 センダはドアを閉めた。

「いいか。このドアは開けるな。ここから先は、おれの領域だ」

「はあ」

「なんだかボケた返事だな。まあいい。これがおれの家にあるのは、土と闇の使い手だからだ。どんな植物が土の中で育つのかが、おれには予測できる」

「おれにも分かるんですか?」

「いや、これはお前にはできない。野菜を育てるのは、石を埋めたり土を動かしたりするのより、ずっと高度な魔法だ」

「へえ」

 意外な気もするし、当然のようにも思えた。

「異界では、田畑は屋外にあるだろう」

「ええ、もちろんです」

「まあ、そういうところも異界が『神々に見捨てられた世界』と呼ばれる理由だな」

 なるほど。

屋内にあれば、日照りの年でも台風が来ても、安定した量を収穫できる。確かに魔界の方が農業は進んでいる。

「これも、シェイリ様のアイデアですか?」

「まさか。大昔からだ。古すぎて、何千年前か分からない。どんな季節でも好きな野菜を収穫したい、と思うのは当たり前のことだからな」

 季節も関係なく栽培できるのか。

「どうしても知りたければ、古代史の学者にでも聞いてくれ。それより」

 センダはにやりと笑う。

「他の疑問はないか?」

 この屋敷の外観を思い出す。これのほとんどが屋内の田畑だとすれば。

「あの野菜は、一人では食べきれませんよね」

「当り前だ。ほとんどは、売り物だ。おれたちが食えるのは、売れ残りだな」

「野菜の値段は安いんですか?」

「そんなことはない」

「え? じゃあ、高級野菜?」

「それも違うぞ。値段は、ないんだ。決まってない」

 どこか得意気な口調だった。

「おれが野菜を売る時は、客は金を払わずに野菜を受け取る。食べてみて、美味かったらたくさん金をくれる。不味かったら、もらうのは金ではなくて文句だ」

「へえ、客が値段を決めるんですか?」

「文句を言われたら、すみませんと頭を下げる。そして、どこを直せばいいのか要望を聞く。中には、調理方法が間違っているから不味い場合もあるから、そういう時は丁寧に教えること。

たくさんの野菜に百メジュンしか出さない客にも、決してぞんざいな態度をとってはならない」

 理由は分かる。安い金で食べ物が手に入って、しかも売る人の感じがよければ、好感度と強さを獲得できるだろう。

 センダが、ラージュの肩に手を置いた。

「お前もそうやってお客さんに接することはできるよな」

「……ちょっと、難しいですね」

「え、態度がぞんざいになってしまうのか?」

「そういう問題ではありません。自分は、接客業が苦手なんです」

 ああ、とセンダがうなずいた。

「分かる気もするな。確かにお前が客の対応をすると『なんだあの、陰気な男は。食い物が不味くなる』と思われて、反感を買いそうだ」

「その通りです」

 あっさりと同意した。別に腹は立たない。むしろ、すぐに理解してくれるのがうれしい。

「お前には、野菜を売る役は務まらんのだな。しょうがないなあ。じゃあ、なにか違うことで魔力を上げることになるぞ。おれには思いつかないから、自分で考えておけ」

「分かりました」

 押しつけがましくないところも、センダの長所の一つだ。

 しかし、狭い家だな。いい所と言えば、涼しい事くらいか。

「この家を涼しくする魔法は、センダさんが使っているのですか?」

「いや、違う」

「じゃあ、誰の魔法で」

「魔法ではない。風通しの良い家で、木々に囲まれているからだ」

「日陰を通った空気が、流れ込んで来るから涼しい、と」

 センダはうなずく。

「暑い季節の長いシャリアンでは普通の住居だ。おれはシェイリ様の臣下。家を涼しくする魔法は、使ってはならないんだ」

「なるほど。分かります」

 強い魔法を使えない庶民より快適な家で暮らすのが、禁じられている。

「おれ達より凄いのがミスレイ様だ。家を囲む木々のない、劣悪な環境で暮らしているんだ。お前も、ミスレイ様の家に泊まった時、寝苦しいと思っただろう」

「いや」

 そうか。それがミスレイの家が普通の家と違う理由。

「全然、寝苦しくありませんでした。異界では、あれより遥かに酷いところで生活していましたから」

 センダが目を丸くした。ちょっと滑稽な顔にも見える。

「あ、あれより遥かに劣悪な家……。本当か?」

「別に無理に信じなくていいです。それより――」

「待て! 待て待て、ラージュ! お前、どんな人生を送ってきたんだ?」

「あ、それはシェイリ様との間の秘密だから、話せません」

「えー、そうなのかあ?」 

 あからさまにがっかりした顔のセンダに、ラージュは笑いかけた。

「魔界は過ごしやすいです。飯も美味いし」

「ちっ! 話をそらしてきやがった。うう、気になるが仕方ないな。じゃあ」

 センダはまた肩をさわってきた。スキンシップに、慣れつつある自分がいる。

「会いに行くぞ。この屋敷の主に」

 ちょっと、黙らされた。

「二段ベッドの上に登れ」

 梯子をのぼりベッドの上に立つと、センダは天井に手を伸ばした。

 なにかを回している、と思ったら天井の一部が開いた。長方形の穴が天井にできる。

 穴からは、光が差し込んできた。屋根裏部屋は明るいようだ。

 センダが天井の上に手を伸ばして、勢いよく上がった。

 真似をして屋根裏部屋へ行ったラージュは、予想していた通りの物を見た。

 白い光を放つ六つの球体。それらに囲まれて、植木鉢から樹木が生えている。さほど大きくはなかった。

「分かるか? これがなにか」

「恐らく、神宿りの樹の枝をここに持ってきて、小さな樹木をつくっている」

 その通りだ、と言ったセンダは、屋根裏部屋の床に両手をついて頭を下げる。

 真似してラージュも頭を下げた。センダは願い事を言うのかと思ったが、特別なことはなにも口にしなかった。

 ベッドの上に降りてから、センダはラージュの肩に手を置いた。

「じゃあ、修行再開だ」


 ■■■


 巨大な熊だった。

 真っ黒な毛と瞳。唯一黒くないのは、長く伸びた爪くらいか。

「来ましたよ、ゴーマ様」

 熊を指さすザミンが興奮している。

 森から出てきた熊を見て、ゴーマは唾を吐き捨てた。

「気に入らねえなあ」

 口調から不機嫌さを隠そうとは思わない。ザミンをにらみつけた。

「え? なにがですか?」

「お前なんかが、このおれの副将だということだ」

「え? なにか、怒らせるようなこと言いました?」

「まだ、一頭じゃねえか! そんなものを食べて、腹の足しになるか!」

 ザミンはびっくりした顔をしたが、耳ざわりな声を上げなかった。

 男のくせに悲鳴を上げる奴は、自分の部下にはいらない。

 だから、そういう連中は全員殺すのがゴーマのやり方だ。

「あの、しかし、森の獣を食う時は、たいてい余りますが」

「それはおれのせいじゃない。おれはきちんと、三人前を食べてる」

 堂々とゴーマは言い張った。

「貴重な食料が余るのは、男のくせに小食な連中のせいだな。ぶっ殺してやる」

 飯を豪快に喰らわぬ男は、見てるだけで腹が立つ。ゴーマはそういう奴らを幾人もあの世に送っていた。

 ゴーマは総勢三十一名の戦士たちを見渡す。

「いいか、シャリアンにはその日の飯にもありつけない連中がいる。だから、食べ物は残すな。そのためには全員、三人前は食え」

 はい、と声がそろった。

 十日ほど前に「その意見は、論理が破綻しています」と言った馬鹿を殺すところを、自分の部下は誰もが見ているからだ。

「で、ではもう一頭が出てくるのを待つのですね?」

「ああ? そんなわけねえだろ! とっとと倒す」

「え、さっき言ったことと矛盾が……」

「理屈をこねるな」

 ザミンの顔が引きつった。ゴーマの方針が『小難しい理屈を口にする奴は殺す』であることを思い出したのだろう。

 ゴーマは堂々と熊に近づく。

 かなりでかい。シャリアンで最も背が高い魔王である自分の、倍を軽く越えた高さを、この熊は持っている。

 ゴーマは駆け始めた。どんな強敵でも怯まない。それが自分の生き様だ。

 後ろ足を狙うか。

 と、思ったところで、巨大な前足が頭上から襲ってきた。

 自分に向けた攻撃に、凄味のある笑みを浮かべるゴーマ。

「好都合だな」

 振り下ろされた前足を、片手で受け止める。そして、強く握る。

 熊が悲鳴を上げるのと熊の全身が燃え始めるのが、同時だった。

「つかんだ敵を燃やせる。それがおれの魔法だ。熊、生まれ変わっても忘れるなよ」

 断末魔の叫びをあげる熊から、火の粉がふってくる。火の粉が肌にふれて熱いのは、いつものことだ。もう慣れている。

「いいか、おれは魔界最強の男になるんだ。こんなちっぽけなシャリアンなんかに縛られねえぞ! 魔帝を倒すことなど、所詮は通過点でしかない!」

「さすがはゴーマ様!」

 戦士たちのそろった声を聞きながら、黒焦げになった熊の死体を放り投げた。

 枝が折れる音がした。新たな熊が現れたようだ。森から出てきたのは、二頭。いや、三頭か。

「三頭も出て来たか。けだものが。教えてやるよ」

 熊に向かって突っ込む。

「このゴーマに歯向かうのが、どれほど愚かなことなのかをな!」

 一番近くの熊の足をつかんだ。握り締められて火に包まれた熊を、ついでに持ち上げる。片手で巨大な敵を頭上に掲げながら、その敵を丸焼けにするのは快感である。「その行為、意味がないですよ。体力の無駄使いです」とかつて言った馬鹿はもちろん殺した。

「どうだ? おい、熊ども」

 二頭は動かなくなった。こちらの方が強い、ということが分かったのだろう。

「逃げねえのが、てめえらけだものの愚かなところだ!」

 黒焦げになった熊を放り投げ、二頭の熊につっこむ。左右の熊を同時に両手でつかんだ。

「二頭まとめて丸焼きだ! 焼け死にながら、おれの強さを思い知れ!」

 熊が炎に包まれて暴れ出す。右手でつかんだ熊が、燃えた前足で死にもの狂いの攻撃をしてきた。

 驚かない。こういうことは、往々にしてある。

 ゴーマは二頭の熊に対して、力を込める。両手で持ち上げながら、熊同士をぶつけた。火花が盛大に巻き散らされる。

 熊は衝撃でぐらりと揺れる。もう、攻撃する余裕はない。

 ゴーマは二頭の熊を、地面に叩きつけた。

「さあ、食うぞ。全員三人前だ。いいな」

「はい!」

「このシャリアンには、飯にもありつけない不幸な民がいる。そいつらのためだ。三人前食えなかった奴はぶっ殺す」

「素晴らしいお考えです、ゴーマ様!」

 副将のザミンには、ちゃんと三人前食べているかを見張る役目をさせている。

 熊の肉にかじりつく。塩がかかってない上に血も抜いてないから、美味しくない。そここそがいい。美食など、最強の男にふさわしくない。

「おい、シェイリの城はここから近いか、ザミン」

「あと四時間で着きますね」

「そうか。血がたぎるぜ。あの魔王だけは許さねえ! おれの力で、真っ黒な消し炭に変えてやる!

 おれは魔帝をも超える男。魔界最強の男になるゴーマだからな! あんな腰抜け、一割の力で倒してやるぜ!」

 おれは最強だ。サーヤー以外の全ての魔王を服従させる。拒絶したらぶっ殺してやる。そして、魔帝をも殺すのだ。

「食い終わったら行くぞ! シェイリの城に向かって!」

 





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