(第九話)遥かなる神話の時代 その6~そして新たな地へ
開始から四日目、苦行は大詰めを迎えていた。
「いよいよだな……」
神々が見守る前には、闇の中にたった一つ燃え盛る炎があった。その傍らにはテクシステカトル、その後ろにはナナワツィンが控えている。
(こ……この中に入ればよいのだな……)
テクシステカトルは胸を張って立っている。だがその手足は震えていた。ぎゅっと手を握りしめ、しっかり足を踏みしめても、震えは消えなかった。
―――
「テクシステカトル……あんなに自信ありそうだったのに」
「炎は自分の背丈より大きくて、入ったら呑み込まれて出てこれないと思わせるに十分だった。贅を尽くし儀式を華やかにすれば全て上手くいくと思っていたテクシステカトルは、満々だった自信を一気に失ったんだ」
「うわぁ……テパ、そんな怖い炎見たくないよぉ……」
「テクシステカトルは炎に向かって走った。だが入る直前で足が竦んだ。もう一度やったが駄目だった。次も、その次も、駄目だったんだ」
「周りで見てた神様たち、”どうしたんだろう?”って思っただろうね」
「ああ。神々の大半はテクシステカトルが太陽になると思っていたからな。だが結果は違った。とんだ番狂せが起きたんだ……」
―――
「あ……あぁ……うわぁぁぁ……」
テクシステカトルはすっかり怖気付いていた。炎に照らされる黄色い肌が、真っ青になっていた。
「おいどうしたんだよ……」
予想外の事態に困惑しつつも、神々の視線はテクシステカトルに向けられていた。後ろに立つナナワツィンのことなど、誰も気にしていなかった。
「……」
そのナナワツィンの目にも、炎は見えている。テクシステカトルよりも小柄な彼にとって、火柱は自分はおろか天まで呑み込みそうに見えた。
(飛び込むのが怖くないわけじゃない……でも、あの中に入って太陽になれば、この世界を明るく照らせる。やっと僕が、みんなの力になることができるんだ……!)
そして遂に、ナナワツィンは決意を固めた。
(タッ)
「!!?」
それはほんの一瞬の出来事だった。腰が抜けていたテクシステカトルの隣を、ナナワツィンが走って横切り、そのまま炎に飛び込んだのだ。
「えぇっ!?」
全くの想定外の結果に、神々は皆目を丸くした。そして――。
「うっ!!」
―――
「神々は目を覆った。直視できない程強烈な光を放つものが、炎の中から昇った……即ち、太陽だ」
「太陽?もしかして……」
「そう、この世界の太陽だ。ナナワツィンは生まれ変わり、トナティウと名を改めた」
「……ふーん」
「だが、この太陽は当初、空に昇っただけだった。動かなかったんだ」
「えぇ!?それじゃあ意味がないよ……」
「トナティウは言った。”動いて欲しければ心の臓を捧げよ”と。神々はそれに従い、各々の胸を切り裂いて、太陽に捧げたんだ」
「わっ、怖いなぁ……」
「怖いだなんて言うな。神々が心臓を捧げてくださったおかげで、太陽が動き、僕たち人間の歴史も始まったんだ」
「でも……」
「だから僕らも、神々の為に血を捧げなければいけない。人間は全て、この世の為に血を流した神々から生まれた存在だ。自分たちだけ犠牲とは無縁の暮らしをするなんて、許される筈がない」
テパは思い出した。遠くの村では神々に生贄を捧げる祭りが催されていると。選ばれた人間が心臓を抜かれ、それが太陽に捧げられる。まるで、シンが語る神話のように――。
(……)
自分は祭りに行ったことはない。だがシンの話を聞けば聞く程、見たことの無い筈の血生臭い光景が目に浮かぶ。それだけではない。文字通り、血の匂いさえ周りに漂っている。この感覚は何かに似ていた。ここに来る前、故郷で起きたあの惨劇――。
(……お父様!)
テパの脳裏に、チャアクの無残な姿が浮かんでくる。シンの話を聞いてすっかり忘れていた惨劇が蘇り、再びテパを呑み込もうとした。テパは泣きそうになった。
「テパ!」
「!」
シンの言葉で、テパは我に返る。そして神話の内容を思い出した。悲しい記憶の余韻を振り払い、テパは問うた。
「そういえば、テクシステカトルはどうなったの?」
「ナナワツィンの後を追って、ようやく炎に飛び込んだ。そして彼もまた、太陽になった」
「た、太陽が、2つ?眩しそうだし、暑そう……」
「神々も同じことを思った。そこで、テクシステカトルの方に兎を投げたんだ。光が弱まった太陽は夜の世界へ移り、そして――」
シンがふと顔を上げる。
「月になった」
「そう……なんだ……」
テパはうとうとと寝てしまった。シンはやれやれと零すが、そんな自分にもどっと疲労が襲ってきた。眠い。
「zzz……」
二人は眠りに就いた。温い風が、そっと木々を揺らした。
夜は終わりかけ、空は仄明るくなっていた。
(また……また守れなかった……)
眠っている筈のテパの耳に、どこからか声が響いた。
(……??)
「……パ」
「……」
「テパ」
「……んぇ?」
「テパ!!」
「ひぇっ!!」
テパは飛び起きた。研ぎ澄まされる耳に、鳥や動物の声が遠く聞こえる。家の入口の向こうには、太陽に白く照らされた土が見える。
「もう起きろ。昼だ」
「ぇ……お昼?」
「ここを出るぞ。またどこかで魔獣が現れるかもしれない」
「う……うん」
眠気眼のまま、テパはティルマを羽織り、旅の支度をした。
テパとシンは、村はずれのサクベの前に立っている。周囲には木が茂っているが、来た道よりかは開けている。それでもテパは不安だった。
「大丈夫かなぁ……」
「サクベは人の手で造られたものだ。これがあるということは、ここがどこかの町へつながっているということだ」
「……」
「行くぞ」
シンに手を引かれ、テパはサクベを抜けた。




