(第八話)遥かなる神話の時代 その5
暫く経ったある日、一面の闇から光が降り注いだ――否、それは小さな葉だった。
「……やっとオメテオトルからの返事が来たようだ」
葉を手に取るシペ・トテックは、刻まれた文字を読み上げる。
「”四日間、食を断ち香を焚いて……え?」
続く内容に、シペ・トテックは目を疑った。
「この広場の中央にて燃える炎へと身を投げよ”……?」
神々が見つめる先には、いつの間にか巨大な炎が現れていた。漆黒の中に、そこだけ光の花が咲いたようだった。
―――
「四日も食べ物を食べちゃいけないの?お腹空いちゃうよぅ……」
「要するに苦行をせよということだ。シペ・トテックはまず、今までに太陽になった神に声をかけた」
「それで何て?」
「みな太陽にはならなかった。テスカトリポカはすっかり興味を失い、ケツァルコアトルは人間の世話をしたいという理由で辞退した。トラロックとチャルチウィトリクエは名乗りを上げたが、地上を水浸しにしたことを咎められ、却下された」
「じゃあ誰がなったの?」
「それは……」
―――
過去の太陽の神々が辞退及び却下され、候補者もいなかった。神々の間に沈黙が流れた。
(ボワッ)
火柱が一瞬、高く昇った。その時。
「太陽という大役、このテクシステカトルが担って進ぜよう!」
神々はぎょっと驚いて声の方を向いた。彼らの視線を一身に集めたのは、赤青緑の極彩色の装飾、炎の明かりに美しく映える黄色い肌の貴公子然としたテクシステカトルだった。
「幾日にも亘って続いたこの闇を、私が終わらせるのだ!!」
(はぁ……)
表向きこそ決意を讃える素振りを見せた神々だったが、内心では呆れていた。
「あいつは目立ちたがりだからなぁ……」
「それで名乗り出たとしか思えないわね……」
センテオトルとショチピリが、溜息交じりに呟いた。
―――
「テクシステカトルとかセンテオトルとか、知らない神様が出てきた」
「そうだ言い忘れてた。第三と第四の太陽の時代に、また新たな神々が生まれていたんだ。巻貝の神テクシステカトル、トウモロコシの神センテオトル、歌舞の神ショチピリ、リュウゼツランの女神マヤウェル、酒の神パテカトル、竈の女神チャンティコ、そして……」
―――
神々が沈黙し、テクシステカトルが次の太陽となるのがほぼ決まりかけていた時。
「……あ、あの!」
後ろの方から聞こえた声に、神々は振り向く。自分たちで成していたはずの輪に入っていなかった、誰かがいる――。
「……僕で、よければ」
どこか遠慮がちな声。神々が視線を向けると共に、炎の明かりに姿が照らされる。煤を被ったように黒い肌、そして体中にできた瘡蓋。如何にも貧相な姿をした、小柄な神がそこにいた。
「あれだあれ?」
「ナナワツィンだよ」
指をさして問うチャルチウィトリクエに、トラロックが答えた。
―――
「もう一人、名乗りを上げたのが、疫病の神ナナワツィンだった」
「……」
「大人しくて目立たず、他の神から忘れられていたらしい。それでも”自分に出来ること”を求めて、名乗りを上げたとか何とか……」
「……」
「ん?」
「ぁ………………」
ずっとシンに体を寄せていたテパが、いつの間にか離れていた。暗くて碌に見えもしない屋根の裏を見つめたまま、ぽかんと口を開けている。
「おい、テパ!」
「……」
「テパ!!」
「!!」
テパはぎょっとして、とろんとしていた目をかっと見開いた。
「何ぼーっとしてんだ」
「ご、ごめん……続き、教えて」
―――
(……えぇ……)
テクシステカトルで決まりと思ったら、思わぬ候補者が名乗りをあげた。しかも、つい先程まで自分たちのすぐ後ろに立っていたことすら気づかなかった者が。困惑が広がり、神々はキョロキョロと互いの顔を見合っている。
「待て」シペ・トテックが言った。
「ナナワツィンも候補者であることには変わりない。二人一緒に苦行をして、相応しい方を太陽にすればいい」
神々は尚も困惑していたが、シペ・トテックが決めたことを認めざるを得なかった。
神々が見つめる前で、二神の苦行が始まった。
テクシステカトルは、祭壇に艶やかな緑の羽や輝くばかりの宝石を供え、最上級の香を焚いた。その凄まじい芳香に、神々は咽かけた。
(うえっ……)
(いい香りだけど……苦しい……)
(どこから持ってきたんだよあれ……)
(あいつよくあれで平気だなぁ……)
傍では、ナナワツィンが黙々と供え物を置いている。それは枯れ草や黒ずんだ歪な形状の石など、テクシステカトルに比べて明らかにみずぼらしいものだった。
「……」
彼はただ黙っていたわけではなかった。テクシステカトルに一番近い場所にいて、香の強烈な匂いに倒れそうになりながらも、「これも苦行だから」と思って歯を食いしばっていた。
「おやおや」
祭壇に視線を落としていたナナワツィンは、隣から聞こえた声にびっくりしてその方を向いた。視線の先にはテクシステカトルが、ふんぞりかえって立っていた。
「香はまだかな?」
(!)
ナナワツィンはぎくりとして固まった。自分は確かにまだ香を置いていない。だが持って来るのを忘れたのではない。貧しくて用意できなかったのだ。
(どうしよう……)
どうしよう。このままでは苦行を続けられない。どうしよう――。
(ボワッ)
またしても火柱が上がった。一瞬だけ強くなった光は、ナナワツィンの体を照らす。
「……」
腕を上げるナナワツィン。そこには本来の黒い皮膚が見えなくなる程にできた、瘡蓋の群れがあった。
「……っ」
(ペリッ、ペリッ……)
「!?」
テクシステカトルが、そして見ていた神々が驚いた。ナナワツィンは瘡蓋を一枚ずつ剥がし、それに火をつけたのだ。
「……ほう」
テクシステカトルは意外な形で香を用意したナナワツィンに感心する。だが心の中では、未だに貧しい彼を蔑んでいた。




