(第四十四話)巨大土偶の蹂躙
鬱蒼と深まる森の奥へ、シンとテパは慎重に足を進めていた。
「……魔獣の気配、感じる?」
「いや、全くだ。おかしいな……」
増えたのは木だけではない。幹から幹へと絡みつく蜘蛛の糸も、進むほどに濃さを増していく。
垂れ幕のように幾重にも重なる白糸は、僅かな油断で手足を絡め取られそうな圧迫感を孕んでいた。
(フワァ……)
風が吹くたび、糸が微かに揺れる。
半透明にたなびくそれは、先程家で見かけたあの女の姿を、どこか思わせた。
「……んあっ」
顔先に垂れた糸を、シンは鬱陶しげに払いのける。
◆
暫く進むと、不意に蜘蛛糸が途切れ、視界が開けた。
(あれだけ蜘蛛糸が張り巡らされていたというのに、魔獣の気配は全くなかった)
拍子抜けしたシンは、何気なく背後を振り返る。テパがついて来ているはずだ。
――いない。
「テパ!?」
シンは思わず叫ぶ。だが次の瞬間、すぐ近くから声が返った。
「シン、これ見て!」
振り向けば、テパが満面の笑みで手招きしている。
その無邪気さが、妙に引っかかった。
◆
「こんなのが落ちてた!」
テパが持っていたのは、犬の形をした、車輪付きのおもちゃだった。
「懐かしい……昔、こういうのでお父様と遊んだんだ」
ころころと転がしながら、テパはすっかり童心に返っている。
その様子に、シンの胸にも、忘れかけていた記憶がふっと蘇った。
◇
「??」
シンは、姉が買ってきた奇妙なものをじっと見つめている。
面白い形をしているとは思う。だが、どうやって使うのかわからない。
「ふふっ」
それを見た姉が、そっと床に置いて動かした。
「こうすると、犬みたいでしょ?」
「これ、犬なの?」
「そうよ。犬が歩いてるのよ」
「この、4つある丸いの、なあに?」
「”しゃりん”って言うのよ」
「”しゃりん”……」
姉は再びおもちゃを動かす。
車輪がくるくる回って前に進む様は、小さな犬がそろそろと歩いているようだった。
「わあぁ……」
シンは心をときめかせ、姉からおもちゃを受け取って、何度も何度も動かした。
◇
(あれ以来、おもちゃはおろか、車輪すら見なくなったな……)
懐かしさが胸を締め付ける。
思わず涙が滲みそうになるのを、シンはぐっと押し殺した。
「だが何でそれがここに落ちてるんだ? この辺りには人が住んでる気配がないのに」
シンが周りを見渡す横で、テパはおもちゃを止め、じっと見つめている。
「これがもっと大きかったら、すごいよね」
「まさか。でかくなったらこれ、誰が動かすんだ」
「……あ」
「それこそ巨人みたいなもっとでかいのが動かすってか?」
「そっか……」
「もしくは前に縄をつけて、大勢で引っ張るかだな」
「……やっぱり、無理だね」
「まあ、想像する分には面白いが」
自分らの本当の目的を忘れ、二人は他愛ない空想に浸っていた。
――その時。
『フフッ』
どこかで、誰かの忍び笑いが零れた。
だがそれは、二人の耳には届かない。
◆
シンはおもちゃを顔の近くで見ようとして持ち上げた。
「ん、ん……ん?」
おかしい。片手で掴める程の大きさしかないおもちゃが、何故か持ち上げられない。
「何だこれ……地面に張り付いてるのか?」
シンは両手でおもちゃを掴んで持ち上げようとした。
――だが。
(ゴゴゴゴゴ……)
「……え?」
おもちゃがみるみる大きくなって、瞬く間に巨体へと変貌した。
見下ろすその無機質な眼差しが、明確に告げている。
”お前たちは敵だ”と――。
「まずい! 潰される!」
二人は弾かれたように駆け出した。ピルトは振り落とされまいと、テパの肩にしっかりしがみついた。
◆
巨大化した”犬”は木を薙ぎ倒しながら、凄まじい速度で走り続ける。
「逃げてばかりじゃ埒が明かない。何とか一撃加えられないか……」
「テパ行く!」
「えっ!?」
シンの制止も待たず、テパは飛び出した。
「来い!」
テパがマクアウィトルを携えて挑発すると、”犬”は即座に反応し、一直線に突進してきた。
「えいっ!」
一思いに斬りかかる。
「!?」
刃が――折れた。
「ひいっ!」
踏み潰される寸前、辛うじて草むらへ転がり込んだ。
「シン!」
「わかってる!」
シンはテパの手を引いて、その場から逃げた。
◆
二人が逃げ込んだ先は岩の陰だった。
大きな三角形のそれは、背後から二人を覆うように伸びている。
「あいつはどこだ」
シンが引き続き様子を窺う中、テパは刃がぼろぼろになったマクアウィトルを見て落ち込んでいた。
「あーあ……あんなことしなきゃよかった」
「後悔してる暇はない。あいつの弱点を探さないと……」
テパを諫め、シンは再び”犬”の動きを見つめる。そしてあることに気づいた。
(あいつ、起伏があるところをずっと避けてるな)
シンの視線が、ふと斜め上へむけられる。そこには弛んで垂れ下がる蜘蛛糸があった。
(……!)
”犬”が離れたのを見届けると、シンはテパを連れて糸の下に駆け込んだ。
◆
「えぇ!? シン、ちょ、ちょっと――」
「いいから大人しくしろ! 声が大きい!」
シンは素早く、テパに蜘蛛糸を巻き付けている。
「そのまま動くな! 声も出すな!」
「殺されちゃうよ!」
「待て」シンがテパの手を握る。
「必ず決める。お前を死なせたりなんかしない。僕を信じろ」
揺るがぬ決意が、その瞳に宿っていた。
テパはまだ恐怖が拭えなかったが、シンを信じて手を握り返す。
「お前はここにいろ」
シンはテパにしがみつくピルトを引き剝がし、自分の肩に乗せる。
(力を貸したいところだけど……仕方ない)
ピルトはただ、二人を見守るしかできなかった。
◆
「おーいでかいの! こっちだ!!」
誰かの大声が、森の中に響いた。
巨大な”犬”は、即座に反応して突進する。
(?)
視線の先に、何か奇妙なものが垂れ下がっている。
――少年の姿をしている。
しかもそれは、先程見た、自分が”敵”と見做した者だ。
「……」
少年は目を閉じて、微動だにしない。
――今だ。
”犬”は、少年目指して一直線に走り出した。
◆
少年との距離がどんどん縮まっていく。このまま突っ切れば、少年を潰せる――。
”犬”は、勢いづいて速度を上げた。
(フワッ)
突然、体が宙に浮いた。
(……?)
――あれ、おかしい。
道が、ない。
道はどこだ、自分はどこにいる?――
(ガガガガガッ!!)
軋む音がして、”犬”は木っ端微塵に砕け散った。




