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血汐の群れる朝が来る前に  作者: Masa plus


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(第四十一話)輝ける御神

 翌日。祭りの前に身を清めようと、ウィツィロポチトリは人の立ち入らぬ山奥の温泉に身を沈めていた。


湯気の向こうに、朝の光が淡く揺れる。静かに過ごせる――そう思った矢先だった。


「ウィツィロポチトリー!」


「あ……」


聞き慣れた声に、思わず肩が落ちる。振り向くと、いつの間に来たのかトラロックが湯の縁に立っていた。


「ボクも祭りに行くからさ。ね、いいでしょ?」


「……仕方ないな」


「やったぁ!」


トラロックは嬉々として湯に入り、ウィツィロポチトリの隣に腰を下ろす。


「ねぇねぇ、あれ話してよ! ボクが生まれる前の、魔女を倒した話!」


「何度も話しただろうそれは……」


「いいのいいの! 何度聞いても飽きないんだもの!」


「……わかった」


(はぁ、よく耳に胼胝ができないものだ……)


半ば呆れ、半ば感心しながら、ウィツィロポチトリは遠い昔の記憶を辿った。



 それは『原初の四柱』が、まだ誰が太陽となるか決めていなかった頃のこと。


「ん!? 何だあれは!?」


夜の荒野を歩いていた四柱は、先頭のシペの叫びで足を止めた。


彼の指差す先――遥かな空の彼方から、夥しい数の発光体がこちらへ落ちてきている。


「禍々しい気配を感じる。あいつら、只者じゃなさそうだ」


「おいおい、だったら迎え撃とうぜ!」


「ああ。俺も望むところだ」


ケツァルコアトルとテスカトリポカは、寧ろ嬉しそうに笑う。その後ろにいるウィツィロポチトリは、ただ静かに光を見つめていた。


「あっ!!」


シペが叫んだ時には、光は既に至近距離まで迫っていた。迎え撃とうとしても、もう間に合わない。


「あ……」


シペも、そして戦う気満々だったケツァルコアトルとテスカトリポカも、ついに終わりかと覚悟した、その時――。



「……あ?」



光が消えた。次の瞬間、三柱の眼前には無数の屍が転がっていた。


――その中央に、一人の影が立っている。


「……ウィツィロポチトリ?」


三柱は目を丸くした。ウィツィロポチトリは、あの夥しい数の光を、ほんの一瞬で薙ぎ払ってしまったのだ。


その手に握られたシウコアトルが、血を浴びながらも気高く輝いていた。


 

「その光が、”最凶の魔女”コヨルシャウキが率いる謎の軍団だった」


「ああ。どこから生まれ、どこから来たのかもわからない連中だ」


「余所者のくせに、ウィツィロポチトリたちを目障りとか言って襲ってくるなんてねぇ。ほんと迷惑だよね」


「全くだ。戦いが長引いたら、太陽を決めるのにも支障が出ていただろう」


「コヨルシャウキなんか、”最凶の魔女”なんて言ってたのに、あっさりやられちゃうんだから」


「あいつの邪気は尋常ならぬものだった。他の連中と同じにはできなかった」


ウィツィロポチトリはコヨルシャウキと対峙した時のことを思い出す。


手下と同じように一撃で倒したものの、彼女は尚もその執念を捨てなかった。


鋭い瞳が、こちらを射抜いていた。その時、確信したのだ。


「はっ! はぁっ!!」


ウィツィロポチトリはシウコアトルを振るい続け、コヨルシャウキの体を何度も斬った。やがて静寂が戻った時、彼女の体はバラバラになっていた。



「威勢を張った割には呆気ない終わり方だったよねぇ。頭と、体と、それに手足も全部斬り分けられちゃうなんてさ」


「あの後、私はコヨルシャウキと手下たちを天に投げ上げた。手下たちは皆星となり、コヨルシャウキは頑強なる枷で、夜空に封印された」


「それで大人しくしてればよかったのに、あいつら、その後も何度も攻め込んできたよね」


「奴らは力こそ尽きたが、我々を排除せんという執念は残っていた……」



(ゴゴゴゴゴ……)


ある夜、空から凄まじい轟音が響いた。


「!?」


神々が見つめる先では、赤黒い光が空を裂いていた。その中から、いつぞやのと同じ邪悪な気配を放つ軍団が現れた。


「知らない間に数が増えてるねぇ。忌々しいったらありゃしない」


ウィツィロポチトリは、声の主に目を見張る。


「あいつは……マリナルショチトル!?」


「ん!?」


マリナルショチトルと呼ばれた魔女ははっとして、目を細める。


「ウィツィロポチトリ……あの時はよくも、姉さんをバラバラにしてくれたね」


「我らに刃向かい、一際邪気の強かった者を放置するわけにはいかなかった」


「おやおや。”邪気”だなんて、姉さんに何て失礼なことを言うのさ」


「懲りずに何の用だ」


「姉さんを復活させるんだよ」マリナルショチトルはにやりと笑う。


「お前たちの力があれば、姉さんの体を元に戻せる。姉さんをあの空から解放してあげられるんだよ」


「……まさか、コヨルシャウキは……」


「お前、まさか姉さんが死んだと思ってたのかい? 甘いね、姉さんはあんな程度で死にゃしないよ。私たちが来たのだって、姉さんがそう言ったからさ」


「お前ら……」


ウィツィロポチトリは、太陽にも似た火を吹くシウコアトルを構える。



「……で結局、みんな一撃でやられちゃったんだよねぇ~」


トラロックは、まるで自分の武勇伝のように楽しそうに笑った。


「”覚えてなさーい!”とか言ってその後も何度も来たけど、結果はいっつも同じだった」


「ある意味、懲りないところは天晴と言うべきかもしれないな」


「でも、五番目の太陽と月が生まれてからは来なくなったよね、あいつら。流石に諦めたのかな?」


「……そう言えばその件、まだ話していなかったな」


「何々?」トラロックが身を乗り出す。


「ある晩、空から声が聞こえたんだ。テクシステカトルの声だった」



『気の毒だが、君たちにはそこにいて貰おう。仲間の障りになっては困るのでな』



「その言葉の後、巨石が落ちたかのような凄まじい音がした。おそらく、テクシステカトルが非常に強い力をもって、奴らを封印したのだろう」


「そうなんだ……」


トラロックは少し拍子抜けした顔をした。ウィツィロポチトリが封印したのだと思っていたのに、話の主役が急にテクシステカトルになったからだ。


「あいつ、火に飛び込むの怖がってたけど、月になってちゃんと仕事してるんだね」


「ああ……」


ウィツィロポチトリの顔が曇っている。トラロックは気になって聞いた。


「どうしたの?」


「奴らは封印されこそしたが、それはあくまで体だけだ」


ウィツィロポチトリは空を見上げる。

 

「心までは封印できない。今もどこかで、我らを襲う機会を待っているのではないか……そう思うと気がかりでな」


見つめる先の晴れ渡る空に、太陽が輝いていた。


 

 その頃、シンとテパは王都を臨む丘の上に来ていた。


「すごぉぉい……」テパは息を呑んだ。


眼下に広がる王都の姿は圧巻だった。広大な湖の上に佇むそこは、これまで訪れた町や村が到底敵わない程の規模だった。

整然と区画された街並み。その間を縫うように流れる運河。太陽の光を受けて真っ白に輝く道路。

行き交う人々の姿は、見るだけで賑やかな声が耳に届きそうな程、活気に満ちている。


そしてその中央には、山のように聳え立つ二つの神殿――。


一方シンは、都市の外れに視線を向けている。


「チナンパ【※1】のトウモロコシがあんなにたわわに実っている……」


シンは、これも神の恵みだと思った。そして感慨を覚えた。


(自分のしてきたことが、確かに、この世界を潤している――)

 


 王都に暫く見入っていたシンだったが、やがて我に返った。


「テパ、行くぞ」


「え~、もっと見てたいのに」


「ここへ来るまでに聞いただろ。今日は”輝ける御神”ウィツィロポチトリの祭りがあるんだ」


「それってつまり……」テパの顔が曇る。


「魔獣が来るかもしれない、ってこと……だよね」


一瞬、テパの脳裏に、故郷の惨状が過った。


「ああ。急ぐぞ」


二人は丘を下り、王都へ向かう。


初めての大都市に胸を躍らせていたテパの目は、今や不安に曇っていた。

 


 テパの右肩にはピルトが乗っている。

 

(ふう……)


王都の壮大な景観を眺めながら、ピルトは小さく息をついた。


(集まりに行って死者の案内して……昨日の夕方からずっと離れてたけど、この子たちに何事もないようでよかった)


だが、胸の奥には別の不安もあった。


(魔獣とやらもそうだけど……)ピルトは空を見上げる。


(ウィツィロポチトリ、トラロック……どうか矢鱈なことはしないでよ)

【※1】チナンパ……湖に泥を積み上げて作った「浮き畑」を用いる、古代メソアメリカの農法。

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