(第四十話)神々に広がる波紋
シンとテパがピルトと触れ合っていた頃、広場にはシペが独り佇んでいた。
(ショロトルに胸の内を吐いて、少しは楽になると思ったが……)
視線は、変わらず広場の奥に向けられている。
(こんなところで立ち尽くしていても、仲間は戻らないのにな……)
「シペー!!」
「!?」
思索を断ち切るように、甲高い声が響いた。振り向くと、小さな影が駆け寄ってきた。
「……チャルチウィトリクエ」
「聞いて聞いて! 今日ね、すっごく面白いことがあったの!」
「随分浮かれてるな……何があった」
「実はね……」
チャルチウィトリクエは、広場へ来る前に起きた出来事を、身振り手振りを交えながら楽しそうに語り始めた。やがて話し終え、にこにことシペを見上げる。
「ね? 面白いでしょ?」
だが、シペの表情は、晴れるどころかむしろ曇っていた。
「ここにいろ。仲間を呼んでくる」
シペは低く言い残し、踵を返した。
◆
夕方。全ての神が、広場に集まった。
「それ……本当なの?」
「危険ですわ、その子たち!」
海水の女神ウィシュトシワトルと、花の女神ショチケツァルは動揺していた。他の神々も不安や動揺を隠せない様子で、広場には重く張り詰めた空気が漂っている。
「……」
チャルチウィトリクエは小さくなって俯いている。自分が話した内容が、思いのほか重大な意味を持つと知り、すっかり気まずくなっていた。
「人間は、神託か憑依でも起こらない限り、俺たちの姿を見ることはできない」
沈黙を破ったのはシペだった。落ち着いた声音だったが、その奥にはわずかな緊張が滲んでいる。
「だが奴らは、チャルチウィトリクエがいた場所に正確に供え物を置いた。これはつまり、奴らは血を捧げずとも俺たちを視認できる力を持っている可能性がある」
神々の間に、ざわりと波紋が広がった。
「そのような人間は前代未聞だ」
シペの視線は、広場の一角へ向けられる。そこには、かつて存在し、そして消えた仲間たちの像が並んでいた。
「放っておけば――最悪、また仲間が消えるかもしれない」
不穏な光が、像の表面にちらりと走る。
「いいか。ケツァリツリピョリトリの腕輪を持つ少年と、マクアウィトルを持った付き添いの少年。この二人には特に警戒しろ。もし妙な動きを見せたら……その場で贄にして構わない」
シペの冷たい声に、神々は頷いた。ショロトルはただ一人、唇をきゅっと噛み締めた。
「そうだ。誰かに奴らを監視させる必要があるな……おいショロトル!」
「ひっ!?」
突然名を呼ばれ、ショロトルは肩を跳ねさせる。
「奴らのところに行って見張れ。そのくらいの余裕はあるだろう?」
「よ、余裕って、ねぇ……」
「やれ! わかったな!?」
「……はぁぁぁぁい……」
ショロトルは、舌打ちしそうになるのを必死に堪えた。
(皆知らないけど……それもうやってますよーだ)
とはいえ、この場で明かされた真実は、ショロトルも知らなかった。
(まさか……あの子たちに、僕らが見えるなんて……)
ざわつく胸の奥で、シペに呼ばれてここへ来る前の記憶がよみがえった。
◆
人気のないサクベで、前を歩くピルトの小さな体が、ぴょこぴょこと跳ねている。
「おい、どこ行くんだ」
シンの声に、ピルトは振り返り、得意げに体を反らす。そして何度も何度も、ぴょんぴょんと跳ねた。
「ついて来てっていってるのかも?」
テパは期待を込めて、ピルトの後をついていく。わけがわからなかったシンも、その後をついていった。
◆
やがて辿り着いたのは、神殿の奥にある静かな小部屋だった。
「キュキュッ!」
ピルトは満足そうに一度くるりと回ると、ぱん、と前脚を叩いた。
次の瞬間。
(ぽいっ)
小さな粒が、シンの口に飛び込んだ。
「……は?」
(ぽいっ)
今度はテパの口に飛び込んだ。
「え?」
二人は顔を見合わせる。その前でピルトは、なぜか嬉しそうにぴょんぴょん跳ねている。
「おい、今何――」
シンの言葉が途中で止まった。
「……なんか、眠……」
テパもふらつく。ピルトは首を傾げながら見ている。
(薬が効いたみたいだね……)
そして二人が床に横になると、安心したように、ぴょんと一度だけ小さく跳ねた。
(すぅ、すぅ……)
静かな寝息が聞こえる。ピルトは二人の顔を覗き込んだ。
(……)
その寝顔はあまりにも無防備だった。
(ここならきっと安全だ。暫く離れるよ……ごめんね)
ピルトはそっと尻尾を揺らし、二人を心配しつつその場を去った。
◆
(知らない方がよかったなぁ、こうなるなら……)
今後、少年たちにどう接すればいいのだろう。しかも今や、自分の役目はさらに重くなってしまった。ショロトルは頭を抱えた。
「ショロトル」
ふいに、ケツァルコアトルが声をかける。
「どうしたんだい? さっきから浮かない顔をして」
「……いえ、何でもありません」
それだけ答えると、ショロトルは静かに広場を後にした。
◆
広場には、まだ数柱の神が残っていた。
「次に来るは私の祭りだ。都が穢されぬよう細心の注意を払えと、人間に伝えなければな」
ウィツィロポチトリが重い声で、視線を鋭く細めて言った。
「先程の話に出た少年とやら……もしあいつの手先だったら、取り返しのつかないことになりかねない」
「……テスカトリポカか」シペが低く呟く。
「ああ。あいつは姿を晦ましただけで、この国のどこかにいる筈だ。我々の目が届かぬ隙に、何か企んでいるかもしれない」
「……そうだな」シペの表情は強張っている。
「あいつ……まだ何か力を隠している気がする。 何百年と共に生きた俺たちでさえ知らない――そんな力だ」
◆
「……」
シペとウィツィロポチトリの隣で、チャルチウィトリクエはまだしょんぼりした表情で俯いていた。そこへトラロックがやってきた。
「大丈夫だよ、そんなに心配しなくても」
「……本当に?」
「うん。ボクたちがいれば何とかなるよ。ねっ、ウィツィロポチトリ!」
「え、えっ!?」
突然振られ、ウィツィロポチトリは目を丸くする。
「ボクたちの姿が見えるとか言ってもさ、その子たちは人間でしょ? せいぜい数十年しか生きられない存在が、ボクたちに敵うわけないよ」
「おいトラロック……」
ウィツィロポチトリは慌ててトラロックを窘めた。確かに、トラロックの力は強い。だが、だからと言って前例のない相手に油断するのは危険だ。
(?)
トラロックの背後に、暗く大きな影が落ちた。冷たい声が、背後から響く。
「あんたはいいわね、力があるから」
◆
トラロックは顔を引きつらせながら、そろそろと振り向いた。
「お、お姉ちゃん……」
そこにいたのはウィシュトシワトルだった。身長差のある弟を見下ろすその瞳は、水よりも冷たく、氷よりも鋭い。
「念のために言っとくわ。そんなに楽観的にならない方がいいわよ」
「そ、そんなの、言われなくたってわかるよ!」
トラロックも負けじと睨み返す。二人の空気に、ウィツィロポチトリは思わず視線を泳がせた。
「あら」そこへ、ショチケツァルが現れた。
「まあまあ、落ち着きなさいませ。そろそろ帰りましょう」
その一言で、ウィシュトシワトルも僅かに気まずそうな顔になった。
「……そうね」
ウィシュトシワトルは、ショチケツァルと共にその場を去った。残されたトラロックはふんぞり返った。
「もう行こう、ウィツィロポチトリ!」
ウィツィロポチトリは、溜息をつきながらその後を追った。
◆
王都に並び立つ神殿の石段に、トラロックとウィツィロポチトリが腰を下ろしていた。
「お前……そろそろ仲直りしたらどうだ?」
さり気なく言うウィツィロポチトリに、トラロックはむすっと頬を膨らませる。
「いいんだよ! ボクがお姉ちゃんを捨てたんだ!」
「……はあ」
吐き捨てるような言い方に、ウィツィロポチトリは深く溜息をついた。
姉と仲直りしろと勧める度、トラロックはいつも同じ答えを返すのだった。




