(第三十九話)骸骨軍団の襲撃
「……」
シンとテパは水の底で静かにまどろんでいた。
目の、鼻の、そして耳の感覚をも閉ざして、手足の感触だけで互いを確かめ合っている。
「シンの手、柔らかいね」
「そうか」
「足は……ちょっと冷たい」
「お前の足も冷たいぞ」
二人はくすりと笑い合う。だが次の瞬間、テパの声が曇った。
「あれ? シンの手、硬くなってる……」
「お前の手も硬い」
「……あれ? あれ??」
テパの胸に冷たい不安が広がった。
先程まで確かにあった温もりが、消えている。
皮膚越しに感じた“生きている証”が、急速に失われていく。
「シン……足も硬くなってるよ……?」
「おいどうなってるんだ一体――」
あまりにも強い違和感に、シンとテパは目を同時に見開いた。そこにあったのは――。
「な、何これ!?」
「骨……いや、骸骨だ!!」
骸骨の群れが、水中を埋め尽くしている。
無数の白い腕が、二人の体へと伸びていた。
◆
「失せろ!!!」
シンは懐から小刀を出し、纏わりついていた骸骨を斬り払う。骨は砕け散った。
だが、次の群れがその隙間を埋めるかのように現れた。
「これじゃ多勢に無勢だ……!」
「シン、どうしよう!?」
武器がないテパは右往左往する。そこへシンが来て、即座に彼の腕を掴んだ。
「逃げるぞ!」
「……う、うん!」
テパはゾノトに入る時、マクアウィトルを入り口に置いてきてしまった。
自分の不用意さが、今は重くのしかかる。テパは気まずくて仕方なかった。
◆
シンとテパは必死で泳いでいる。
「早く入り口に戻らないと……」
「うわっ!」
テパはうっかり振り向いてしまった。そこにいたのは――至近距離まで迫ってきた骸骨の大群。
「追いつかれちゃうよ!」
「兎に角泳げ! 全速力でだ!!」
二人は持てる力の全てを出して、急いで入口へ向かう。骸骨たちはそんな二人を、水圧をものともせずに追いすがった。
◆
その頃、ショロトルはゾノトの入り口に到着していた。
「あ! あれは……」
壁に立てかけられていた物が、ショロトルの目に留まる。それは一振りのマクアウィトルだった。
「ミクテカシワトルが見せた子が持ってたやつだ。 ってことはあの子たち、ここにいるのかな?」
澄み切った水面の奥を見つめ、彼は呟く。
「行くか」
ショロトルは山椒魚の姿に変身し、中へ潜る。その時――。
(何だ? この邪悪な気配は……)
◆
ショロトルが潜って間もなく、チャルチウィトリクエが入ってきた。
「!?」
入った瞬間、濃密な邪気を感じた。
「何とかしなきゃ。 でも……」
チャルチウィトリクエは周囲を見る。――何も、ない。
「うぁーん! これじゃ何もできないよぉー!」
神々は、魂の抜けたばかりの“新しい躯”がなければ現世に干渉できない。だが、ここにはそれがない。
「ショロトルにやってもらうしかないかぁ……」
淡水の女神としての使命を全うできない歯痒さに、チャルチウィトリクエは溜息をついた。
◆
「ショロトル、ショロトル!」
「チャルチウィトリクエ?」
「ここ、とっても変な気配がするの! 何が起きてるか見て来て!」
「そんな……君がやればいいのに」
「いい”躯”がないのー! だからお願い!」
(……ああ、そうだった)ショロトルは小さく息を吐く。
(僕や兄上は、姿を変えれば人間の目に見える。触れることもできる。でも他のみんなは違うからね)
「わかったよ、しょうがないなぁ」
ぼそりと呟き、再び泳ぐショロトル。すると――。
(ゴゴゴゴゴ……)
轟音が響いてきた。そして目の前を、二つの影が駆け抜けた。続いて、骸骨の大群も。ショロトルははっとした。
「あの子たち……!」
◆
シンとテパは入り口の近くまで泳いできた。
「こっちだ!」
シンはとっさの判断で右に曲がる。そこは陸があった。直感は当たっていた。
「はぁ、はぁ……」
息切れしながらも上がったシンは、テパの手を引く。彼も長いこと全速力で泳いでいた為か、歩くのがやっとな程にぐったりしていた。
「ここまで来れば、あいつらも――」
(カタカタカタ……)
シンもテパも油断していた。骸骨軍団は、入り口に来ても尚、二人を執念深く追いかけてきた。
「わっ……」
テパは思わず仰け反った。骸骨の手が、危うく自分の足を掴みかけたのだ。
「こいつら……」
シンが小刀を構えた、その時だった。
「はーい骸骨さんたちー! 狙うならこっちだよー!」
◆
「!?」
骸骨たちが一斉に声の方を向いた。シンとテパも目を丸くした。
「ほら、こっちこっち!」
謎の声に挑発され、骸骨たちはぞくぞくと陸に上がった。シンとテパには目もくれず、岩壁の足場に立つ犬を狙って移動した。
「もう、こっちだってば!」
犬は空間内を軽やかに駆け巡る。骸骨に捕まりかけても器用にいなした。
(カタカタカタ……)
骸骨たちは二手に分かれた。挟撃を試みているようだ。
(よし!)
犬はこれを好機と見て、光が差す吹き抜け目がけて飛び上がる。すると、骸骨たちも犬を捕まえようと飛び上がった。その時――。
「じゃあね」
涼しげな声と共に、犬の姿が消えた。 双方から飛び掛かった骸骨はぶつかり合って力を失い、粉々に砕けて水に落ちた。
◆
「あ……」
一部始終を見ていたシンとテパは、突然現れた犬、そして水を埋め尽くす骨を見て唖然とする。
「犬は……?」テパがふと呟いた時。
(ぽちゃん)
二人の目の前で水の輪が広がる。その中から顔を出したのは――噂で聞いた桃色山椒魚だった。
「これは……!」
シンが驚いて目を見張るうちに、山椒魚は陸に上がり、ゆっくりと歩み寄ってきた。そしてテパの足をよじ登り、手の上に乗って、円らな瞳で二人を見つめる。
「この子……」
初対面とは思えない懐きように、テパは何か運命じみたものを感じる。
「ねぇ、この子も連れて行こうよ」
「ん……」
シンは渋るが、山椒魚は頬を摺り寄せたり尻尾を振ったりしている。自分も共に旅をしたいと言っているかのようだ。
「よし、連れて行こう」
「やったぁ! でも、名前はどうしようかな……そうだ、ピルトにしよう!」
「ピルト?」
「ピルトントリ【※1】のピルト。ちっちゃくて可愛いから」
「なるほど。 いいんじゃないか」
ピルトは嬉しそうに目を細める。思いがけない仲間との出会いに、二人の胸にもようやく温もりが戻った。
◆
水面の星屑のような光が、静かに揺れている。シンとテパは、ずっとピルトを見つめていた。
「ふふっ」
テパの顔から笑みが零れる。小さな体と円らな瞳、無邪気に尻尾を振る姿は、どこからどう見ても愛らしい。
「シンの手にも乗せてあげる」
テパがそう言って、ピルトをそっとシンの手に移した時。
「……?」
ほんの一瞬、その瞳の奥に、底知れぬ光が宿った気がした。
「……??」
シンは目を細める。だが次の瞬間、ピルトは首を傾げ、きゅるりと鳴いた。
「ほらね、可愛いでしょ?」
テパは嬉しそうに笑う。
「……ああ。 まあ、そうだな」
胸の奥に残る違和感を押し込み、シンは頷く。そのまま暫く、二人はピルトとの触れ合いを楽しんでいた。
――その裏で、静かに歯車が軋んでいることも知らずに。
◆
その頃。
「チッ」
湿った煙が漂う光一つない空間で、鋭い舌打ちが響いた。
「チャルチウィトリクエ、それにあの犬……よくも邪魔をしてくれたな」
低く押し殺した怒りを滲ませ、煙の中から漆黒の鏡が姿を現す。
「あいつらの監視を強化しろ。チャアク」
「……はい」
鏡と向き合うオセロトルは、暗い表情で項垂れた。主の命令が、冷たい刃のように体に刺さった。
【※1】ピルトントリ……ナワトル語で「幼い子ども」を意味する言葉で、愛情を込めて子どもを呼ぶ際に使われる。




