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血汐の群れる朝が来る前に  作者: Masa plus


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(第三十七話)静かな水の聖域へ

 シンとテパは、川のせせらぎが絶えず響く小さな村を訪れていた。


「お前ら、この辺じゃ見かけない顔だなぁ」


行き交う子どもが、じろじろと二人を見る。


「”ももいろさんしょううお”、見たことない?」


「し、知らないよぉ……」


子どもに会う度、”ももいろさんしょううお”について聞かれる。テパは困ってしまった。


「お前も知らないのか?」


ある子どもが、シンに尋ねる。


「山椒魚なら何度か見たことある。だが桃色のは見たことないな」


シンは淡々と答えた。



 特段用がなかったので、シンとテパはそのまま村を後にした。


「山椒魚って、時々湖にいるっていう、あれ?」


「そうだ」


「確か、色が真っ黒のものが多いんでしょ?」


「ああ。だからさっきの噂も話半分で聞いていた。桃色なんて目立つ色、どうやったら出るんだ」


シンは半ば呆れたような声音で答えた。



 シンとテパは茂みの中を歩いている。


「!」


突然、シンが足を止めた。すぐ後ろを歩いていたテパは、シンに勢いよくぶつかった。


「何?」


「静かに!」


低く鋭い声で言うシンの視線の先には、川、その畔に平らな岩がある。一見すれば、ただそれだけの風景だ。


「何もないよ?」


「お前にはそう見えるはずだ。だが僕は違う」


シンの瞳には、確かに“在る”ものが映っていた。岩の上に腰かけ、栗毛を揺らしながら水に足を浸す愛らしい少女――水の女神チャルチウィトリクエだった。


「今は近づいてはいけない」


シンは女神を注意深く見つめる。彼女の足から飛ぶ飛沫が、光を浴びて水晶のように輝いた。


「……」


何も見えないテパは、ただ立ち尽くしていた。


(シンは……やっぱりテパとは、違うんだね)


胸の奥に、淡い寂しさが落ちた。



「お昼過ぎたみたい。そろそろトラロックのとこ行かなきゃ」


チャルチウィトリクエは軽やかに岩から飛び降りる。


「ここ、本当に素敵。夕方になったらまた戻ろーっと」


太陽がやや西に傾いた頃、チャルチウィトリクエは岩から去った。


「お暇されたようだ」


「ねぇもう行こうよ~なんにも見えないよ~」


「待て」


幼児のように駄々をこねるテパを、シンが静かに制する。


「僕らの恵みとなる大地の水。それをお守りになる女神がいらっしゃった場所を通るんだ。供え物の一つもないのは失礼にあたる」


「でも、何をお供えすればいいの?」


「熟れた実、鮮やかな色の花……兎に角、美しいものは全て、だな」


「……ふーん……」


テパは周囲をチロチロと見る。目に映るのは、澄んだ川の水と、木の青々とした葉ばかりだった。シンが言ったものは、何一つ見当たらない。


「別々に探したら迷子になりそう……」


「そんなのわかってる。だから一緒に探そう」


二人は木々を掻き分け、辺り一帯を隅々まで探す。女神に相応しい供え物を見つける為に。



 時間を忘れる程探し回って、シンとテパはようやく十分な量の供え物を集めた。


「シン、これじゃ落っこちっちゃうよぉ」


「もう少しだ。頑張れ」


二人の腕には大量の木の実、鮮やかな色の花、そして飛び立った鳥が落とした、艶やかな緑色の羽などがある。あまりにも量が多くて、二人とも辛うじて抱えている。


「さあ、着いた」


二人は川へ戻る。そして岩の上に供え物を置き、整然と並べて頭を下げる。


「遍く川、命の水を司りし女神チャルチウィトリクエ。ここを通らせて頂きます。どうかこれらをお納めください」


「……お納めください」


少し大人びた雰囲気で、整った所作の少年。そして彼に続いて、ぎこちなく祈りの言葉を呟く小柄な少年。


(……ふふっ)


二人の様子を、川向こうの木の上で、微笑みながら見つめる影が一つ――。


「トラロックがすぐ帰っちゃったから、戻ってきちゃった。そしたらあの子たち……あんなに沢山くれるんだぁ」


直後、大きい方の少年の腕が、きらりと力強く光った。影は一瞬目を瞑るも、すぐに慣れて光の元を凝視する。


(あれ、ケツァリツリピョリトリだ……)


人間がつけているのはなかなか見ない。影はしばらく、その輝きに見惚れていた。



 シンとテパは鍾乳洞に足を踏み入れた。


「……」


シンが心惹かれるかのように入っていった場所。そこは、慌ててその後を追いかけたテパの心をも掴んだ。


「うわぁ……」


天井から一筋の光が落ち、円形の泉を照らしている。暗い空間の中で光に照らされた泉は、この世のものとは思えない程澄み切っている。シンとテパは、美しさと恐ろしさの二つの枷で囚われたかのように、水面をじっと見つめている。


「ゾノト【※1】だ」


「すごい、こんなに綺麗なんだ……」


テパは水面を見つめるうちに、ある変わったことが起きたのに気づいた。この泉は、天井からの光だけで輝いているのではない。内側から――この水自身が、輝いている。


「中……入ってみたい」


「お前、泳げるのか?」


「……一応」


「そうか」


少し不安げな返事だった。それでもシンはティルマを脱ぎ、水へ飛び込んだ。


(バシャン……)


光を湛えた透明な飛沫が、シンの周りに舞う。静かな水面とは異なる美しさに、テパは思わず見惚れた。


「……おい」


「!」


「何してるんだ。行くぞ」


テパは慌てて水の中に飛び込んだ。



 その頃、ショロトルはミクテカシワトルに言われた二人の少年を探していた。


(うーん、いないなぁ……)


あちこちに目配せしながら歩いていたが、目当ての少年らは見つからない。暫く歩いていると、目の前に川が現れた。


(まさかとは思うけど……)


ショロトルは姿を変え、水の中に潜る。その姿は――子どもたちの間で噂になっていた”桃色山椒魚”の姿だった。



 ショロトルは水中を隈なく探したが、やはり少年たちは見つからなかった。


(はぁ……)


溜息をつきながら、ショロトルは顔を上げる。すると誰かと目が合った――チャルチウィトリクエだ。


「あ、ショロトル。何してるの?」


「チャルチウィトリクエ、男の子二人見なかった?」


「どんな子?」

 

「おっきい子とちっちゃい子。おっきい子の腕輪にはケツァリツリピョリトリがついてるんだ」


「……!」チャルチウィトリクエの瞳がわずかに揺れる。


「あっち行ったよ。ゾノトに行くって」


「そっか、ありがと」


ショロトルは山椒魚の姿で泳いでいく。チャルチウィトリクエも、こっそり彼の後をついていく。


水面は、何も知らぬ顔で静かに揺れていた。

【※1】ゾノト…マヤ語で「聖なる泉」を表す。石灰岩の地盤が陥没して出来た天然の井戸や泉のこと。今日ではこれが転訛したスペイン語の「セノーテ」の呼称が一般的。

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