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血汐の群れる朝が来る前に  作者: Masa plus


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(第三十六話)僕が生まれた意味

 道すがら、ショロトルはさらに遠い過去へと思いを巡らせていた。


(チャンティコが犬耳なのって、元からじゃなかったんだよな)


皆で断食の修行をしていた時、こっそりつまみ食いをしたのが露見。オメテオトルが罰として、その耳を犬に変えたのだ。


(あれで皆からすごく顰蹙買ってた。あんなことされたら絶対、気に病むだろうなって思ってた。だけど……)

 

「なーに、なっちゃったものはなっちゃったからしょうがない!」


チャンティコはからりと笑っていた。



 数日後。犬耳になったチャンティコの元へ、ショロトルが恐る恐る現れる。


「ねぇ、チャンティコ」


「なぁに?」


「……僕は昔、オメテオトルに殺されかけたんだ」


「え?」チャンティコの顔が曇る。


「原初の四柱を生むつもりが、もう一柱生まれちゃって。それが僕だった」


「そう……」


「すっごくがっかりされたよ。お前は生まれてくるべきじゃなかった、今すぐ消えるべき不吉な存在だって……」


「……」


「オメテオトルは僕の首を絞めた。そしたら兄上が来て、助けてくれたんだ。”あんたは俺が生まれるのを望んでなかったって言うけど、自分だって別に生んでくれって頼んだわけじゃない”――って」


「……へぇ……」


「チャンティコ。僕がこの姿なのは、生まれたこと自体が罰だからなのかな。あの時殺されかけたのは、全くの当然だったってことなのかな?」


「……」


チャンティコは返答に困ってしまった。いつも自信がなさげで、これまで会話一つしたことのないショロトルの話があまりに壮絶で、言葉を失ったのだ。罰を受けた後のあっけらかんとした感情さえ、今は湧かない。


(私も犬耳だから話してきたってことかなぁ?)


しばらく迷い、チャンティコは小声で言った。


「……そうかも」


「……やっぱり?」ショロトルの肩がさらに落ちる。


「でもね」チャンティコは続ける。


「もし本当に生まれたこと自体が罰だったんだとしても、それで全部が決まるわけじゃない」


「……?」

 

「大事なのは、これからどうするか、じゃないかな」


「……!」


ショロトルは息を呑んだ。生まれを肯定はしない。けれど未来を否定もしない。その在り方が眩しかった。困惑しつつも、憧れた。


(夢かと思った。兄上以外で、こんなに話せる相手ができるなんて。初めて、兄上以外に心を許せる仲間に会えたと思った……)


チャンティコの、あのあっけらかんとした顔が、みるみるうちに脳裏に蘇る。


(ずっと一緒にいると思ってた。あんなに明るくて強いチャンティコが、まさかあんなことになるなんて、思いもしなかった――)



 チャンティコに心を開いてから数年後。忘れもしない、あの惨劇の夜――。


「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


「チャンティコ……!!」


ショロトルの目の前で、チャンティコは火だるまになった。そして跡形もなく焼けてしまった。


(竈の女神が火に焼かれるなんて……怖いくらい皮肉だと思った)



 空を見上げながら、ショロトルはさらに思いを馳せる。

 

(チャンティコ……僕はその”これからのこと”、自分何ができるかって、あの日からずっと探してたつもりだよ。でも、それでも疑問に思うことがあるんだ……何で君が逝って、あんなに怖がりだった自分が、こうして生きてるんだって……)


答えはない。ただ、宵の明星が地平線の彼方に沈んでいくばかりだった。


「まずい、このままじゃ遅れちゃう」


ショロトルは犬の姿に変身し、冥界の入口へ急いで走っていった。



 すっかり夜が更けた王都にて。


「はぁ~ぁ」


並び立つ神殿の片側で、トラロックが暇を持て余していた。


「チャルチウィトリクエは帰っちゃったし、ウィツィロポチトリもいない。退屈だなぁ~」


空は雲ひとつない。月と星が静かに輝いている。


「しょうがない、雨でも降らそ~っと」


トラロックは杖を天に掲げる。すると空はたちまち灰色に変わった。



 広がった雲は、シペが佇む広場にも及んでいた。だが彼はそれに気づかない。


「……」


シペに見えているのは、雲が立ち込める空でも、人気のない広場でもない。遠い昔の、この広場の光景だった――。



「♪~♫~」


「おぉ、すごーい!」


「綺麗!」


「やっぱりショチピリの歌と踊りは最高だよ!」


「センテオトルのトウモロコシも美味い!」


「マヤウェルとパテカトルのプルケ【※1】もな~!」



ショチピリが四肢に花を纏い、艶やかに歌い踊る。

それを愉しむセンテオトルの背後には、トウモロコシの穂波が、無限に広がる。

マヤウェルがリュウゼツランを育て、パテカトルがそこから極上のプルケを醸す。

そしてチャンティコは、罰の象徴であった筈の耳を、楽しげに揺らしている――。



あの日々は、確かにここにあった。


「……広くなったなぁ……」


どんなに願っても、消えた仲間たちは、もう戻ってこない――。



(ザーッ……)


シペが物思いに耽る間に、雲は厚くなっていた。そして雨が降った。


「……」


目から思い出の風景が消えた。代わって映るのは、何とも殺風景な雨の広場。


「……」


雨が体を激しく打つ。だが、それでも彼は動かなかった。


(俺は豊穣の神。古い皮を脱ぎ、命を循環させるのが務めだ。だがこの思い出は、どうしても……)


(ザーッ……)


頬を伝う雫。それは雨か、それとも――。

【※1】プルケ…リュウゼツランの樹液を発酵させた醸造酒。

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