(第三十四話)芽吹きの季節
翌朝、祭りが執り行われた。
一連の事件で村人たちは満足な食料を得られず、顔色は悪く、体も痩せている。それでも、準備だけは怠らなかった。
神に無礼を働けば、今度こそ本当に、一切の食料が絶たれる。
その恐れが、彼らを動かしていた。
「……いよいよだな」
「……うん」
テパとシンは、固唾を飲んで神殿の頂上を見つめる。とはいえこの村の神殿は他の村に比べて小さい。首が痛くなるほど見上げる必要はなく、ほんの少し顎を上げれば、その頂が見える。
「……」
頂上ではテクピンが四肢を押さえつけられ、横たえられていた。不思議なほど静かで、抵抗する気配は、微塵もない。
「では――」
神官が心臓を抜こうと、小刀を高く掲げた時。
「チャアクー!絶対許さねぇー!!」
鋭い叫びが、静寂を裂いた。
神官の手が止まる。
押さえつけていた男たちの力が緩む。
村人たちは互いに顔を見合わせ、ざわめきすら飲み込んだ。
神殿の周囲が、不気味なほど静まり返る。
やがて――。
「……やれよ」
テクピンは静かに呟いた。男たちが手を放しても、彼は動かない。張り詰めた空気が、ほんの少し緩んだ。
「……ふむ」
神官は息を整え、再び小刀を掲げる。そして一瞬の間に胸を刺し、心臓を引き抜いた。
「……」
真っ赤な血が階段を伝い落ちる。誰も声を上げない。誰も動かない。一人の青年の犠牲と、これから訪れるであろう神の恩恵。その天秤を、皆が黙して見つめていた――シンとテパを除いて。
「あいつ……”チャアクを許さない”って……」
「……」
「テパ、何か心当たりはないか?」
「……」
テパは口を半開きにしたまま、視線を虚空に漂わせている。目は焦点を結ばず、祭りの光景を見ていたとは思えない。
(こいつ……祭りの間何も見てなかったな)
シンはこれ以上追及するのを止めた。やがて人が疎らになった時、シンはテパの手を引いて、そっと村を後にした。
◆
その頃、村から遠く離れた、人っ子一人いない鄙びた広場の神殿にて。
「……この時が来たか」
独り佇んでいた豊穣の神、シペ・トテックは呟いた。両手から肘までの皮が剥け、真っ赤な肉を露わにした彼は、異様ながらも神としての威厳に満ちている。
「……」
シペは祭りが近づくにつれ、太陽が出ている時間を計っていた。今日は、昼と夜が等しく分かたれる日――春分だ。
「力の高まりを感じる……」
シペは徐に立ち上がる。そして――。
(ベリッ)
右手で左腕の皮を摘まみ、一気に全身の皮を剥いだ。その瞬間、シペの体は眩い黄金色に輝く。灯り一つない神殿の中がその強烈な光に塗り潰され、剥いた皮が塵と消えた時のことだった。
(シュゥ……)
弱っていた植物が次々に枯れ、干からびた。一部は地に落ちた。
(ピッ!)
種が弾け、萌え出でる季節の到来を喜ぶかのように勢い良く芽が生えた。蕾は膨らんで花を咲かせ、やがて、熟れた実がなった。あらゆるところで、死と再生が、同時に駆け抜ける。それは、テパとシンが訪れた村のトウモロコシ畑も例外ではなかった。
「おぉ、畑が!」
「すごぉい!トウモロコシたくさん!」
「これでやっと腹一杯食えるー!」
シペが皮を脱いだように、畑も荒れ果てた姿を捨て、生命に満ち溢れた美しい姿に変わる。村は歓喜に沸いた。
◆
国中の命の営みが終わった時、シペの体から放たれていた光は収まった。同時に、両手の皮膚が、また肘まで剥けた。
「……」
シペは再び、赤く露出した手を見つめる。毎度のことなのに、何故か慣れない。
「命が生まれる時、既に死への道が開かれている……」
◆
祭りの翌日の夕方。夕日に染まる広場を寂しげな目で見下ろしながら、シペは一人立っていた。
「……」
いつの頃からか、シペは広場から殆ど出なくなった。祭りの時にさえ、村へ赴かなかった。
「はぁ……」
一人では呑み込まれそうな、ただただ広すぎる空間に、シペの溜息が溶ける。そこへ――。
「シペー!」
「!」
「何してるのー?」
ショロトルが、軽い足取りで現れた。
沈んだ気分の前に立つ、あまりに無邪気な笑顔。そして場違いなほど明るい声。それが、シペにはどこか苦々しい。
「お前こそ……何しに来た」
「冥界へ行くまでまだ時間があるからさー、ちょっと立ち寄ろうかと思って。それにお前、ここんところ全然僕たちのところに来てないじゃないか。だから心配だったんだよ」
「……大きなお世話だ」
「何だよ、その言い方」ショロトルは顔を顰める。
「別に……俺はやることがあったからここにいただけだ。引き籠ってるわけじゃない」
「それ、どういうこと?」
ショロトルが問うと、シペは背を向けた。
「来い。見せたいものがある」
夕日を背にそっと歩き出したシペの後を、ショロトルは黙ってついていった。




