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血汐の群れる朝が来る前に  作者: Masa plus


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(第三十二話)食べたい、食べたい、食べたい…

「ほれ、ほれ、ほれぇ!」


シンとテパがいなくなり、テクピンは堰を切ったように暴れ出した。畑だけではない。道端の果樹、川の魚、這い回る昆虫――人間が口にしそうなものは、片っ端から“食べ物そっくりの偽物”に変えていく。


「ここまで偽物で固めりゃあ、誰も本物なんて食わないだろうな!」


思惑は見事に当たった。村人たちは偽の食料に群がり、腹は満たされたと錯覚しながら、体だけが削られていく。シンとテパが村を発つ直前まで、まだ血色のあった者でさえ、今では骨と皮ばかりだ。


「……」


村からは、辛うじて残っていた人の気配さえ、消えた。



 街外れの岩の上で休んでいたシンとテパの脳裏に、雷のように轟く声が聞こえた。


『村に戻り、魔獣を倒せ。手遅れになる前にな』


「!?」


「!?」


シンとテパは思わず顔を見合わせた。


「今、声が聞こえなかった?」


「あぁ……聞こえた……」


シンの表情は、明らかに強張っている。


「シン、どうしたの?何か怖がってるみたいだよ……?」

 

「……この声、前にも聞いたことがある……」


「それって……誰なの?」


「わからない……でも感じる……今戻らないと、本当に……取り返しがつかなくなる気がする……」


「シン……」


テパはシンを気遣いつつも胸騒ぎを覚えた。正体不明の声は、人間のものとは思えないほど低く、重く、心を震わせる。


(逆らっちゃいけない……)


理屈ではなく、直感がそう告げていた。


「……行こう!」


「……あぁ」


力なく答えたシンは、走り出してもどこか浮かない顔のままだった。



「……!」


「こ、これは……」


戻った瞬間、シンとテパは言葉を失った。村人たちが、最初に来た時よりさらにげっそりしていた。ここへ来るのが初めてなら、生ける屍が歩いていると錯覚してもおかしくない。


「……魔獣を、倒すぞ……っ!?」


決意を固めたシンははっとする。手に温かい、確かな感触を覚えたのだ――テパの手だ。

 

「テパ……何もできないなんて、嫌だから!」


太陽を落としたかのように、テパの目が輝いていた。それを見て、シンも負けじと頷いた。



 シンとテパは再び畑に足を踏み入れる。


「間違いない。ここに魔獣の気配がする」


「それにしても酷いや……テパたちが悪いんだけど」

 

畑をこれ以上荒らさぬよう、二人は地面を撫でるような慎重な足取りで進む。


「……シン」


「どうした?」


「魔獣に狙われないように、こうしようよ……」


「なるほど。そうだな」


二人は屈んで何かをしている。



 シンとテパが屈む、ほんの少し前。

 

「うひひ……」


茂みの中で、テクピンは背中のトウモロコシを揺らしながらほくそ笑んだ。


「あとはこいつを口に放り込むだけだ。今度はあのでかい方にも入れて、二人纏めて村の奴らと同じにしてやる」


足に力を入れ、準備は万端。後は二人が振り向くのを待つだけだ。テクピンはその瞬間をじっと待った。


「……おっ!」


二人が振り向いた。その時――。


「……っ!?」


二人の顔を見て、嬉々としていたテクピンは凍り付いた。


「な、なんだと……!」


二人は口を布で覆っていた。背を向けている間に、耳打ちして対策を練ったようだ。

 

「うぅぅ……ちっくしょうぉ……」


テクピンは音にもならない地団太を踏んだ。これではもう手の出しようがない。


「こうなったら……」


テクピンは前足で葉をそっと踏む。その場では何も起きなかった。だが――。



「よし、探すか」


「うん」


シンとテパは立ち上がり、周囲の様子を窺う。布で覆われた二人の声はくぐもっていて、近くにいないとよく聞こえない。


(ドドドドド……)


「何だ!?」


突然、遠くから地鳴りがして、テパとシンは身構えた。


「シン、あれ……」


「あの年寄り……まさか!?」


向かってきているのは村人たちだった。長老の先導で、弱った体などどこ吹く風と言わんばかりの勢いで、シンとテパに突進しようとしている。


「仕方ない、逃げるぞ!」


「う……うん!」


テパはシンの後に続いて逃げようとするが、止められた。


「これじゃどっちも捕まる、お前はあっちに行け!」


村人たちが迫る中、テパは引き裂かれる思いでシンから離れた。



 シンは信じていた。離れれば、村人を攪乱できる。二人とも無事でいられる――と。


「はぁ、はぁ……」


テパを信じ、振り向きもせず走り続けるシン。あまりにも走ることに集中していた彼は、自分のすぐ後ろまで村人が迫っていることに気づかなかった。


「……!!」


大勢の村人がシンに飛び掛かった。シンは地面に押し倒され、そのまま羽交い絞めにされてしまった。


(……!……!!)


シンは何か喋ろうとするが、布で覆われた口から出る声は、瞬く間に村人の狂気の中に消えていった。



 その頃、テパも村人に捕まっていた。


(……!!)


テパはシンに助けを求めようと、声を張り上げる。だが彼もシン同様、布に阻まれて声がくぐもり、とてもシンに届きそうになかった。


(……!!……!!!)


テパは必死で藻掻いた。羽交い絞めにされた腕を何度も動かした。


「あっ……!」


村人の一人が手を放した。テパの右手が、やっと自由になった。


(今だ!)


一瞬の隙を突いて、テパは右手を口に運ぶ。そして布を引き剝がし、叫んだ。


「シン!!」

「テパ!!」


「!!??」


テパは遠くで捕らえられていたシンと目が合った。彼もまた、布を外して叫んでいた。その瞬間――。


「今だ!」


小躍りしていたテクピンが、二人の口に一瞬でトウモロコシを投げ入れたのだった。



 テクピンが一番の目的を果たした後、村人は魂が抜かれたかのように大人しくなった。目に燃えていた狂気も消え失せ、続々と村へ引き上げていく。彼らが躍起になって捕らえようとしたシンとテパは、畑に放置された。


「……」

 

シンとテパは暫く倒れていた。そして――。


「腹……減った……」


「お腹空いたよぉ……」


二人が弱々しく発した声を、テクピンは聞き逃さなかった。


(よぉーし……あいつらがどうなるか、この目で見てやろう)



 シンとテパはふらふらと歩きだし、虚ろな目で周りを見ている。


「……ぁ」


「……ぁ……」


焦点も定まらない二人の目が合った。その瞬間、二人の瞼が勢いよく開いた。


「食べ物が……ある……!」



「おぉ~、こりゃ面白いことになってきたな!」


木の上から高みの見物で眺めるテクピン。その視線の先の光景に、体が愉悦で震える。


(ムシャ……)


シンとテパは空腹に狂い、互いを食料だと思い込んでしまった。そして駆け寄るなり互いの腕に噛み付いて、新鮮な肉と思い込み、血や骨の髄まで貪ろうとした。


(ムシャムシャ……)


二人の腕からは、とめどなく血が流れている。だが二人は満足しなかった。口に血の味を感じなかった。ただただ、肉の美味さだけを噛み締めていた。


(ムシャムシャ……)


地獄の饗宴が、静かに続いていた。

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