(第三十二話)食べたい、食べたい、食べたい…
「ほれ、ほれ、ほれぇ!」
シンとテパがいなくなり、テクピンは堰を切ったように暴れ出した。畑だけではない。道端の果樹、川の魚、這い回る昆虫――人間が口にしそうなものは、片っ端から“食べ物そっくりの偽物”に変えていく。
「ここまで偽物で固めりゃあ、誰も本物なんて食わないだろうな!」
思惑は見事に当たった。村人たちは偽の食料に群がり、腹は満たされたと錯覚しながら、体だけが削られていく。シンとテパが村を発つ直前まで、まだ血色のあった者でさえ、今では骨と皮ばかりだ。
「……」
村からは、辛うじて残っていた人の気配さえ、消えた。
◆
街外れの岩の上で休んでいたシンとテパの脳裏に、雷のように轟く声が聞こえた。
『村に戻り、魔獣を倒せ。手遅れになる前にな』
「!?」
「!?」
シンとテパは思わず顔を見合わせた。
「今、声が聞こえなかった?」
「あぁ……聞こえた……」
シンの表情は、明らかに強張っている。
「シン、どうしたの?何か怖がってるみたいだよ……?」
「……この声、前にも聞いたことがある……」
「それって……誰なの?」
「わからない……でも感じる……今戻らないと、本当に……取り返しがつかなくなる気がする……」
「シン……」
テパはシンを気遣いつつも胸騒ぎを覚えた。正体不明の声は、人間のものとは思えないほど低く、重く、心を震わせる。
(逆らっちゃいけない……)
理屈ではなく、直感がそう告げていた。
「……行こう!」
「……あぁ」
力なく答えたシンは、走り出してもどこか浮かない顔のままだった。
◆
「……!」
「こ、これは……」
戻った瞬間、シンとテパは言葉を失った。村人たちが、最初に来た時よりさらにげっそりしていた。ここへ来るのが初めてなら、生ける屍が歩いていると錯覚してもおかしくない。
「……魔獣を、倒すぞ……っ!?」
決意を固めたシンははっとする。手に温かい、確かな感触を覚えたのだ――テパの手だ。
「テパ……何もできないなんて、嫌だから!」
太陽を落としたかのように、テパの目が輝いていた。それを見て、シンも負けじと頷いた。
◆
シンとテパは再び畑に足を踏み入れる。
「間違いない。ここに魔獣の気配がする」
「それにしても酷いや……テパたちが悪いんだけど」
畑をこれ以上荒らさぬよう、二人は地面を撫でるような慎重な足取りで進む。
「……シン」
「どうした?」
「魔獣に狙われないように、こうしようよ……」
「なるほど。そうだな」
二人は屈んで何かをしている。
◆
シンとテパが屈む、ほんの少し前。
「うひひ……」
茂みの中で、テクピンは背中のトウモロコシを揺らしながらほくそ笑んだ。
「あとはこいつを口に放り込むだけだ。今度はあのでかい方にも入れて、二人纏めて村の奴らと同じにしてやる」
足に力を入れ、準備は万端。後は二人が振り向くのを待つだけだ。テクピンはその瞬間をじっと待った。
「……おっ!」
二人が振り向いた。その時――。
「……っ!?」
二人の顔を見て、嬉々としていたテクピンは凍り付いた。
「な、なんだと……!」
二人は口を布で覆っていた。背を向けている間に、耳打ちして対策を練ったようだ。
「うぅぅ……ちっくしょうぉ……」
テクピンは音にもならない地団太を踏んだ。これではもう手の出しようがない。
「こうなったら……」
テクピンは前足で葉をそっと踏む。その場では何も起きなかった。だが――。
◆
「よし、探すか」
「うん」
シンとテパは立ち上がり、周囲の様子を窺う。布で覆われた二人の声はくぐもっていて、近くにいないとよく聞こえない。
(ドドドドド……)
「何だ!?」
突然、遠くから地鳴りがして、テパとシンは身構えた。
「シン、あれ……」
「あの年寄り……まさか!?」
向かってきているのは村人たちだった。長老の先導で、弱った体などどこ吹く風と言わんばかりの勢いで、シンとテパに突進しようとしている。
「仕方ない、逃げるぞ!」
「う……うん!」
テパはシンの後に続いて逃げようとするが、止められた。
「これじゃどっちも捕まる、お前はあっちに行け!」
村人たちが迫る中、テパは引き裂かれる思いでシンから離れた。
◆
シンは信じていた。離れれば、村人を攪乱できる。二人とも無事でいられる――と。
「はぁ、はぁ……」
テパを信じ、振り向きもせず走り続けるシン。あまりにも走ることに集中していた彼は、自分のすぐ後ろまで村人が迫っていることに気づかなかった。
「……!!」
大勢の村人がシンに飛び掛かった。シンは地面に押し倒され、そのまま羽交い絞めにされてしまった。
(……!……!!)
シンは何か喋ろうとするが、布で覆われた口から出る声は、瞬く間に村人の狂気の中に消えていった。
◆
その頃、テパも村人に捕まっていた。
(……!!)
テパはシンに助けを求めようと、声を張り上げる。だが彼もシン同様、布に阻まれて声がくぐもり、とてもシンに届きそうになかった。
(……!!……!!!)
テパは必死で藻掻いた。羽交い絞めにされた腕を何度も動かした。
「あっ……!」
村人の一人が手を放した。テパの右手が、やっと自由になった。
(今だ!)
一瞬の隙を突いて、テパは右手を口に運ぶ。そして布を引き剝がし、叫んだ。
「シン!!」
「テパ!!」
「!!??」
テパは遠くで捕らえられていたシンと目が合った。彼もまた、布を外して叫んでいた。その瞬間――。
「今だ!」
小躍りしていたテクピンが、二人の口に一瞬でトウモロコシを投げ入れたのだった。
◆
テクピンが一番の目的を果たした後、村人は魂が抜かれたかのように大人しくなった。目に燃えていた狂気も消え失せ、続々と村へ引き上げていく。彼らが躍起になって捕らえようとしたシンとテパは、畑に放置された。
「……」
シンとテパは暫く倒れていた。そして――。
「腹……減った……」
「お腹空いたよぉ……」
二人が弱々しく発した声を、テクピンは聞き逃さなかった。
(よぉーし……あいつらがどうなるか、この目で見てやろう)
◆
シンとテパはふらふらと歩きだし、虚ろな目で周りを見ている。
「……ぁ」
「……ぁ……」
焦点も定まらない二人の目が合った。その瞬間、二人の瞼が勢いよく開いた。
「食べ物が……ある……!」
◆
「おぉ~、こりゃ面白いことになってきたな!」
木の上から高みの見物で眺めるテクピン。その視線の先の光景に、体が愉悦で震える。
(ムシャ……)
シンとテパは空腹に狂い、互いを食料だと思い込んでしまった。そして駆け寄るなり互いの腕に噛み付いて、新鮮な肉と思い込み、血や骨の髄まで貪ろうとした。
(ムシャムシャ……)
二人の腕からは、とめどなく血が流れている。だが二人は満足しなかった。口に血の味を感じなかった。ただただ、肉の美味さだけを噛み締めていた。
(ムシャムシャ……)
地獄の饗宴が、静かに続いていた。




