(第三十一話)見えない敵は何処に?
蚤の魔獣テクピンは、突如現れた侵入者を追い払うべく、自身の目に見えない程の小ささを生かそうと画策した。
(まずは……適当に作物を実らせるか)
二人に気づかれぬよう細心の注意を払いながら、テクピンはトウモロコシ畑の間をぴょんぴょんと跳ね回る。すると、跳ねた場所ごとに青白い霊気が溜まり、みるみる膨らんで皮が剥け、食べ頃のトウモロコシが実った。――正確には、その“偽物”が。
(これをあいつらに食わせれば……)
テクピンは一時的に肉眼で捉えられるほどの大きさになり、前脚で器用に皮を剥く。肉厚な粒を頭に乗せると、忍び寄るように歩き出した。
(あのチビの方がやり易そうだな。あいつからやるか)
テクピンは、マクアウィトルを意味もなく背負って歩く少年――テパに狙いを定める。後ろ足に力を入れ、そして――。
(ほれっ!)
勢いよく跳び上がり、わずかに開いたテパの口を狙って粒を投げ放った。粒は見事に口内へ吸い込まれ、そのまま喉奥へと消えていった。
(よし、上手くいった!この調子で……)
気づかれぬよう慎重に、テクピンは粒をもぎ取り、何度もテパの口へ運んだ。偽りの満腹感に浸り、行動に異変が現れるのを待ちながら。
(だいぶ食わせたが……まだかな?)
テクピンはテパの動きを見守る。そして気づいた。テパの足取りが、僅かにふらついている。
(おっ、効いてきたな)
テクピンはほくそ笑み、続いてシンに視線を移す。だが粒を投げようとはしなかった。
(あのでかい方は厄介そうだな。チビの様子を見るか。その方が面白そうだしな)
テクピンは元の微小な大きさに戻り、葉の影に隠れて様子を窺う。
◆
魔獣探しに集中するあまり、シンはテパの異変に気づかなかった。だが夜が更け、月明かりが辺りを照らし始めた頃、ふと彼の存在を思い出した。
「……テパ?」
目を凝らすと、すぐ近くにいるはずのテパが、雑草に溶け込むほど遠くまで離れていた。
「テパ!」
シンは声を張り上げてテパを呼ぶ。だが、返事はない。
「テパ!テパ!魔獣はいたか!?」
シンはさらに声を大きくする。距離はあれど、これだけ叫べば届くはずだった。だがテパは振り向きもしない。
(どうしたんだ、あいつ……)
シンは雑草を掻き分け、テパの方へ走っていく。
「テパー!」
◆
「テパ!おい、テパ!」
シンはテパの真後ろで、パンパンと肩を叩きながら何度も声を掛ける。
「……」
「テパ!おい、聞こえてるか!?」
「……?」
テパはやっと振り向いた。シンはそれを見て息を呑んだ。頬は異様にこけ、目の下には濃い隈が浮かび、視線も定まらない。
「テパ……?」
生気を失ったようなその姿に、胸の奥がざわめく。数時間前までとは別人だった。まるで一週間も食べ物にありつけなかったかのようだ。
「どうしたんだ、その顔――」
(ガッ)
◆
翌朝。
「ありゃぁ……これはどういうこった」
「酷いわ……畑が滅茶苦茶よ」
「おい、あれ見ろよ!」
村人たちの間に、澄んだ空気が濁るかのようなざわめきが広がる。トウモロコシが雑草ごと薙ぎ倒され、その真ん中で、二人の少年が倒れていた。それぞれが小刀とマクアウィトルを握りしめ、周囲には血痕が点々と残っている。
「こいつら死ん……でない!生きてるぞ!」
近づいた男が、二人が息をしているのを確認する。揉み合った形跡はあるが、相打ちではない。ただ疲れ果てて眠っているだけのようだった。
「村長……どうします?」
「とりあえず連れてこい」
◆
シンとテパは目を覚ました。
「……ん……?」
「……ぁ、あれ……?」
二人は目を擦りながら周囲を見渡す。――おかしい。周りが暗い。上から僅かに光が差すだけだった。
「ここは……?」
「……!」
「あれぇ……シン、どうし――」テパが言いかけた時――。
「このいたずら坊主が!!」
いきなり怒号を浴びせられて、二人は困惑した。横たわっている自分たちを、老人が睨んでいる。さらに、彼の周囲には複数の男が立っている。
「魔獣だの何だのと戯言を吐いた挙句、儂らの畑を壊しおって!」
「そ、そんな、僕たちは……」
「もう許せん!お仕置きじゃ!!」
老人がそう言うと、男たちはシンとテパの四肢を持ち、そのまま小屋の裏手へ出て行った。その先にあったのは――赤々と燃える炎。
「これってまさか……」
「シン……テパたちどうなるの??」
その答えは目の前で現れた。炎の後ろから女が現れ、大量のトウガラシを放り込む。トウガラシからは邪気が感じられない。作物が悉く偽物だったというのに、これだけは本物であるようだ。
「しっかり反省するんだな!」
男はシンとテパの顔を炎に近づけた。熱いのは言わずもがな、トウガラシの粉が煙に乗って、途切れることなく目や鼻や口に入ってくる。二人は苦しみ咽るが、男にがっしりと四肢を掴まれていて、身動きが取れない。
「うえっ、げっ、へぇ……」
「ぐぇほっ……」
あまりにも喉が痛くて、二人は咳き込んだ。だが男たちはその手を緩めない。
「うへぇぇぇ……」
顔も喉も焼かれそうになりながら、二人は耐えるしかなかった。
◆
やがて、シンとテパへの”お仕置き”は終わった。
「やっと懲りたか」老人が二人の前に現れ、重い声で言う。
「……」
「……」
二人は答える気力をなくしていた。何とか顔を上げると、いつの間にか老人の脇に男がいた。その手には、小刀とマクアウィトル、そしてシンのティルマが握られている。
「これは返す。早くこの村から出て行け!」
「……わかりました」
老人と男、そして大勢の村人に睨まれながら、シンとテパはその場を後にした。
◆
シンとテパは村を出、とぼとぼと歩いていた。その表情は暗く、晴れ渡る空が何の慰めにもなっていなかった。
「信じられない。魔獣がいなかったなんて、そんな……」
シンは確信を持っていた自らの推測が外れたことに落胆している。隣を歩くテパは、そんな彼を慰めるように手を添えていた。
「シン……」
「ああ、怒ってもいいぞ。自信満々で魔獣がいるとか言ってこのザマなんだから――」
「テパ、怒ってないよ」
「……え?」シンは目を丸くする。
「テパ、昨日の夜のこと、何かおかしいって思ってた。急にお腹が空いちゃって、周りがよく見えなくなっちゃってた。シンが……敵だと思った」
「……あれは魔獣の仕業だと、お前も思うのか?」
「うん。だからもう一度、畑に戻ろうよ。魔獣がいないんじゃなくて、まだ見つけられてないだけかもしれないから」
シンは驚いた。村で自分諸共散々な目に遭わされたはずなのに、テパは魔獣討伐に前向きでいる。落ち込んでいた自分が恥ずかしくなって、シンは思わず唇を噛み締める。
「……そうだな。でも今戻るのは危険だ。少し時間を置こう」
二人はサクベ沿いの岩に腰を下ろし、時間を潰すことにした。
◆
その頃、どこともつかない暗黒空間にて。
「テパ、シン……」
チャアクは漆黒の鏡に映る二人を見て心を痛めた。魔獣がいるのは間違いない。塵よりも小さいが、その気配は確かに感じる。だが二人は魔獣を見つけられず、挙句に手酷い仕置きを受けてしまった。
「どうした、浮かない顔をして」
低く太い声が、チャアクの背後から響く。チャアクは振り向くが、すぐにまた鏡に目を向けた。
「あいつらが気がかりなのか?」
「……ええ」
「魔獣を見つけられず、しかもあの仕置きだ。とんだ災難だな」
「……テスカトリポカ」チャアクはようやく声の方へ振り向く。
「何だ」
「あの二人を――我が子とその友達を、助けたいんです。このままでは……見ていられません」
「ほう」テスカトリポカは少し考える。
「よかろう、行くがいい。但し、倒すのはあくまであいつらにやらせろ。過干渉はするな」
「ありがとうございます……かしこまりました」
助ける許可が得られても、チャアクの心は晴れなかった。
「……」
◆
その頃、荒らされた畑にて。
(ひひ……あのガキ共、追い出されてやんの)
テクピンは青白い光を発しながら、ほくそ笑んでいる。
(厄介者がいなくなった。これで好き放題できるな、ハハハ!)




