(第三話)森の先の遺跡
少年は村の入り口にあるアーチを抜け、どこかへとまっすぐ伸びるサクベ【※1】を黙々と歩いていく。だが途中で、何を思ったのか急に立ち止まった。
「??」
後を追っていた子どもも、足を止める。
「行く当てがないから取り敢えずついて行こうってか?」少年は背を向けたまま、子どもに話しかける。
「……」
またしても図星を突かれた。子どもは押し黙ってしまった。
「帰れ」
「で、でも……」
「帰れ!!」
少年は振り向きざまに子どもを怒鳴った。
「あ……ああ……あああ……」
子どもが怖気づいている間に、少年は姿を消していた。
(カサカサカサ)
「……あれ?」草を踏みしめる音がする。
「まさか、こっちに行ったの……?」
子どもはサクベを外れ、森の中へ入る。
子どもは足音を頼りに少年を追う。木に足を取られながら進むうちに、円形に開けた空間が見えた。
(あ!)
子どもの視線の先で、少年はぴょんぴょんと軽やかに飛びながら先へ進んだ。
「何だろう?下に何かあるのかな……?」
子どもはそう思って、慎重に藪の先へ足を踏み出す。その時だった。
「うわぁぁっ!!」
子どもの先には沼があった。動揺してもがけばもがく程、体が沈む。しかも自分の左右には、硬そうな灰色の鱗に覆われた、大きな口の生き物がいる――。
――ワニだ。
「わっ、わっ……わあっ!!」
子どもは咄嗟に逃げようとして、思わず沼の真ん中へ足を進めてしまった。辛うじて底についていた足が、遂に浮いた。
「!!」
子どもは足をバタバタさせる。だがそれも虚しく、体は前に進まない。それどころか、少しずつ沈んでいる――。
「わっ、わっ、わっ!!!」
下半身が沈んだ。子どもは足に加えて手もバタバタさせる。だがその間にも、飛び散る水飛沫の向こうから、ワニは少しずつにじり寄ってくる。
(あ………………)
子どもの額に、脂汗がどっと溢れた。
(ヒュッ)
「!?」
子どもは何が起きたのかわからなかった。
「あれ……?」
気がつけばワニの群れを抜け、沼を抜けていた。
「はあ、はあ……」
「?」
子どもは目を閉じたまま、何かを感じていた。自分の顔に、誰かの切れ切れの息が吹きかかっている。
「……?」
体が重い。でも頭の後ろが、何故かじんわりと温かい。何だろう――。
「全く世話の焼ける奴め!」
「!!」
子どもは驚いて目を見開いた。切れ切れだった少年の息が一気にまとまって、弾丸のように子どもの顔に飛んできた。
「こんなんだから来るなって言ったんだ!!」
「ごめんなさい!」
「ん!?」
「だから、ごめんなさい!!」
子どもは急にガバッと起きて、後ずさりする。
「おいお前……」
正座する少年と、屈んで立つ子どもの目が合った。
「ついて来たら嫌なのはわかるけど……でも、他に行く場所ないし、頼れる人もいないし……」
「……まさかお前、実の親がいないのか?売られたんじゃなくて?」
「うん。テパは前、別の村にいたの。本当のお父さんとお母さんと、一緒に」
「それで?」
「病気で死んじゃったの。それで、お父様がうちに来なさいって……」
「まあ、よくある話か」
「……」
子どもは黙って俯いてしまった。少年も何を聞けばいいかわからず、互いにもどかしい雰囲気に包まれた。
少年と子どもの沈黙が続いていた、その時。
「……の」子どもが少年を見つめて言った。
「何だよ」
「名前、何て言うの?」
少年は一瞬きょとんとした。だがすぐに元の厳しい表情に戻った。
「お前が先に言えよ」
「テパティリストリ。テパって呼んで」
「僕は……シンカヨトルだ」
「じゃあ、シンって呼んでもいい?」
「……勝手にしろ」
「シン……シン……」
「ん?」
「よろしくね!!」
煌々と輝く太陽にも似た、テパという少年の目。シンはたじろいだ。そして溜息をついた。
(はあ……もうこいつは何を言っても帰らないだろうな……)
シンとテパはさらに森を進んでいった。
「開けてきたな」
木々の向こうに、太陽の光が差し込んでいる。シンとテパは足を速める。
太陽が南中に差し掛かった時、二人は森を抜けた。
「わあ……」
二人の目の前にあったのは、幾重にも段が重なった、石造りのピラミッド【※2】だった。テパはその荘厳な姿に見惚れた。ほぼ直角に見える急な階段を中心に左右対称に広がる、重量感のある石段は、テパの目にはとても新鮮に映った。周囲には人気がなく、ピラミッド自体も苔生しているのに、全く古さを感じさせなかった。
「ここには誰もいないのか」シンが呟く。
「ここも魔獣に襲われちゃったのかな?」
「馬鹿言え、単に村人が出て行っただけだ。魔獣に襲われたら、これも……それからあれも皆なくなってる筈だ」
シンが指差した先には、小さな家々、そしてどこかへ続くであろうサクべの始まりを示すアーチがある。
「本当だ……」
テパは呆然とした。怪物に襲われる以外に集落が衰退する理由があるなんて、今まで考えもしなかったのだ。
「ねえ、この村の中、ちょっと見てもいい?」
「見たいなら見ろ」
シンはそう言って、その場に一人残ろうとした、だが――。
(一緒に来て。一人じゃ怖い)
不安げなテパの目が、そう訴えている。
「うっ……」こうこられては、シンも断れない。
「わかった。一緒に行くよ」
シンは渋々、テパと共に村内を見て回ることにする、テパは喜び、シンの手を引いて歩き出した。
(はあ……何なんだこいつ、急に馴れ馴れしくなったな……)
太陽がいくらか西へ傾き、空気は少し涼しくなった。テパとシンは村の中央に立ち、途方にくれている。
「何も、なかった」
「そりゃそうだろう。見た感じ、ここはもう何年も蛻の殻だ」
「ねえシン、何か面白いこと話して」
「あぁ?」唐突に言われ、シンは困惑する。
「面白いって、どんな?」
「うーん……」テパは少し考える。
「あ」
ふと、テパは空を見上げる。そこには西の空へ沈みつつも尚力強く輝く太陽があった。
「そういえば、この世界はこれまでに4回、太陽が変わったんだよね?」
「!」シンはテパの言葉に耳を傾ける。
「お父様が言ってた。神様が太陽になって、それが4回変わって……それから人間も、世界と共に変わったって……」
「……」
「でも、聞いたのはそれだけ……」
(そうか、ここまで知っているなら……)
「よし、その続きを話してやる」
「ほんと?」
「だが長くなるぞ。あそこに入って話そう」
シンの視線の先には小さな家があった。二人はそこに入る。
「昔々、人間には気の遠くなるほどの、昔々……」
【※1】サクベ……マヤ文明の時代に造られた舗装道路。石灰を含む為、表面が白い。
【※2】ピラミッド……ここでは古代メソアメリカで建造された、頂上に神殿がある石造りのものを指す。




