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血汐の群れる朝が来る前に  作者: Masa plus


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(第二十八話)冥界の王・ミクトランテクートリ

「……さて」

 

ミクトランテクートリは徐に腰を上げ、その場を後にする。



「……はぁ……」


自室へ戻るなり、ミクトランテクートリは深く溜息をつき、冷たい石の寝台へと身を投げ出した。周囲には、積み上げられた無数の骸骨。その隙間という隙間から、色鮮やかなセンポワルショチトルが顔を覗かせている。


(この中途半端な光を帯びた花……慰めにもなりはせん)


苛立たしげに花へ視線を向けていた、その時だった。

 

「失礼いたしますわ」


現れたのは、骸骨の面を戴いた女――ミクテカシワトルであった。


「おお、わが妻よ。こちらへ来やれ」


夫に手招きされ、ミクテカシワトルは隣に腰を下ろす。


「何やらご不満がおありのようですわね」


「……この頃、どうにも気になっていることがあってな」


「まあ、それは何でございますの?」


「ここへ辿り着いた死者たちが、揃いも揃って言うのだ。“犬に案内してもらった”とな」


「……その話でしたら、私の耳にも届いておりますわ」


「犬を飼っているのかと訊かれるが……儂は、この冥界を治めて以来、犬など一度も飼った覚えはない」


「……ええ、そうですわね」


「もしや……その犬とやら、儂に無断で死者を導いているのではないかと思うてな」


「……」


低く唸る夫の声に、ミクテカシワトルは黙って耳を傾ける。だが内心では、その”犬”に関心を寄せていた。


(その犬とやら、一度確かめてみましょう――”あの方”との逢瀬が露見しないように)



 その日も、ショロトルは死者の案内をしていた。


「じゃあねー!」


門をくぐる死者を見届け、ショロトルは軽く手――否、足を振る。


「さぁて、帰るかー!」


肩の荷が下り、意気揚々と踵を返した――その瞬間。

 

(グッ)


「!?」


突然尻尾を引かれ、ショロトルは思わず足を止める。


「んー、何だよもう!」


不満げに振り向いた先に立っていたのは、鮮やかな装飾を施した骸骨の仮面をつけた女だった。


「私はこのミクトランの王妃、ミクテカシワトルと申しますわ。無礼をお許しくださいませ」



(……あ……)


ショロトルの全身が瞬時に強張った。先程までの陽気さが一気に消え失せた。目の前にいる、自分の尻尾を掴んだ者は――”本物”だ。


(でも……ここで変に動揺した様子を見せたら、こいつはつけあがるだろうな……)


この時ショロトルの脳裏に浮かんでいたのは昔の兄の姿だった。骨を持ち帰って人間を創るという、たった一つの大いなる目的を果たす為、重傷を負いながらも冥界から脱出した兄――。


(あの時の兄上の姿は痛々しいったらなかった。でも今思えば……あれこそが、勇敢さの証だったのかもしれない)


ショロトルは改めてミクテカシワトルを見据える。骸骨の顔の奥に覗ける瞳は、暗闇に咲くセンポワルショチトルのように温かい。でも油断はできない。


(ようし……)


ショロトルは意を決し、鎖を断ち切るように足を踏み出して姿勢を正す。そしてミクテカシワトルを鋭く見つめた。


「僕はショロトル。死者をここへ連れて来てるんだ。てなわけでもう帰――」


「待って」


「何だよ、まだ何かあるの?」


「その……”死者をここへ連れて来ている”件について、詳しく教えてくださらないかしら?」


 

(ん……)ショロトルは訝しげに眉を顰めた。


「これから話すこと、絶対内緒にする?」


「ええ、勿論」


「本当に?」


「本当ですわ」


「まあ……随分と物騒ですこと」


「まあ、そんな物騒なことを言わなくとも」


「……わかった」


ショロトルは隣へ腰を下ろし、冥界へ来るに至った経緯を語り始めた。



「実は僕、最初から死者を送るつもりでここへ来たわけじゃないんだ」


「……まあ」ミクテカシワトルは意外そうに目を見開く。


「ここへ来たのは、只の度胸試しさ。どこに行っても怖くないって……自分に言い聞かせたくて」


「それは……どうして?」


「何かを怖がるのを……やめたから」


「……なるほど」


内心では答えになっていないと感じながらも、ミクテカシワトルはそれを顔に出さなかった。


「くれぐれも旦那には話さないでよ」


「ええ勿論。その代わりと言っては何ですが……私からも頼みたいことがありますの」


「何だよ……如何わしいことじゃないだろうな……?」


「いえいえ、決してそのようなことではありませんわ」


そう言うと、ミクテカシワトルの手の上に青白い煙が集まり、鏡のような形になった。その中には、どこかへ歩いていく二人の少年が映っている。


「この子たちの様子を見て欲しいのです」


「何で?」


「この子たちに、他の人間にはない特別な力を感じるのですわ」


「そう?僕は特に何も感じないけど」


「行けばきっとわかりますわ」


ショロトルは諦めた。ミクテカシワトルは、この少年たちを自分に監視させたくて仕方ない。取引のようで気に食わないが、本来なら命を奪われてもおかしくない状況で秘密を守ってもらえる以上、断れる立場でもない。


「……わかったよ。見るよ」


「ありがとうございます。助かりますわ」


「但し、ずっと見てるとは思わないでね。僕の本当の務めは、死者を導くことだから」


「ええ、承知しております」


「”見る”っていう約束を破らなければいいんでしょ?」


「ええ」


ショロトルは感じた。地上で、明けの明星が昇ろうとしている。


「そろそろ帰るよ」


「くれぐれもお気をつけて」


「……言われずとも」


どこか釈然としないまま、ショロトルはその場を去った。



 ショロトルが去った後。


「あの子たちは先程来た犬に任せましたわ」


「あいつか。俺の兄弟の”犬”」


「あなた、いくらなんでもご兄弟を”犬”呼ばわりするのは……」


「いいんだよ、どうせ犬なんだからな。それに”去勢犬”だった昔よりはましだ」


「まあ……酷いお言葉」


「あいつがどれだけ役に立ってくれるのか、しっかり見せてもらおうじゃないか。なぁ、チャアク?」


ミクテカシワトルと話していた黒い煙の者が振り向く。その先で、チャアクは恭しく首を垂れていた。


「……はい、全能なる神テスカトリポカ」


主がショロトルと”二人の少年”の話に耳を傾ける背後で、チャアクは俯いたまま、顔を上げられずにいた。



 翌朝。


「……ない……ない……」


テパが動揺し切った表情で、ティルマを探し回っている。だが、どこを探しても見当たらない。


「ない……ない……何で……」


「こっちにもない」別室でティルマを探していたシンが戻ってきた。


「あの女に取られたみたいだ。どこにもいない」


「そんな……」


テパの表情は張り詰めていた。今にも泣きそうだった。


「お父様も……お父様のためだけに作ったティルマも……うわぁぁぁぁん!!」


堰を切ったように、テパは大声で泣き出した。

 

「テパ……」


シンはテパの肩にそっと手を置く。そして、女に心を許してしまった自身の愚かさを恥じた。


(この、信じていた存在に裏切られた絶望は……昔、いつまでも続くと信じていた幸せが壊れた時のものに似ている……)


無意識に俯いたシンの頬を、一粒の涙が静かに伝い落ちた。

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