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血汐の群れる朝が来る前に  作者: Masa plus


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(第二十四話)魔獣の傀儡

 テパ、女、そしてミチンが驚いて視線を向けた先にはシンが立っていた。小刀を構え、背中にはマクアウィトルとテパのティルマを背負っている。


「おい!テパを放せ!」


「……何だよ」


ミチンは――魚の姿故表情は変わらないが――露骨に不機嫌さを滲ませた。そしてほんの少し”怖れ”を感じた。少年を喰らう前に抱いた、あの感情に酷く似ている。


(ぷっ)


ミチンは咥えていたテパを吐き出した。テパは地面に背中を強く打ちつける。


(厄介なことになったなぁ……)


ミチンが呟いた、その時。


「あ……あんたねぇ……」


女がテパの前に割って入った。逆立った髪、鋭い眼光で、シンを睨みつけていた。


「私の子に手を出そうものなら、許さないわよ……」


女の髪が、さらに逆立つ。目の周囲は隈のように黒ずみ、青筋が浮かび、全身から邪気が噴き出していた。


「……ならば、こっちもだ」


シンは悟っていた。女は魔獣に力を与えられ、操られている。それでも、怯まなかった。


(所詮は操られているだけだ。こういうのは前に戦ったことがあるが、魔獣に比べれば強くない)



 テパとミチンをよそに、シンと女は戦い始める。


「……!!」


女は黙ってその場から動かない。代わりにその長い髪を自在に操る。触手のように伸ばしたり、束ねて槍のように変えたりして、シンを貫こうとしていた。


「くっ……」


シンは小刀を振るうが、髪は次から次へと迫り、捌くので精一杯だった。テパの元へ近づく隙すらない。


(何だこいつは……ここまで強い奴は見たことがない……!)


女をただの操り人形だと思っていたシンは、高を括ったことを後悔した。そして――。


「……!!?」



 テパは背中を打った衝撃で気を失っていた。そんな彼の耳に、やたらと騒がしい物音が響いた。


(これは……)


テパははっとして瞬きする。まさにその時、音が消えた。


(……え?)


違和感を覚え、テパはまた瞬きをする。ぼやけていた世界が、ゆっくりと輪郭を帯びていく。色も形も、わかるようになっている。


(……??)


目の前に黒いものがある。細長い触手のようなものが幾重にも伸び、うねうねと気味悪く蠢いている。


(シンは……?)


触手が伸びる先に、何かが捕らわれている。必死に藻掻いている。


「シン!!」



 シンは一瞬の隙を突かれ、全身を女の髪で雁字搦めにされた。手には小刀を握りしめているが、腕は完全に髪に呑まれていて、全く動かせない。


「うっ……」


髪が締めつける力が、どんどん強くなる。小刀を握る手もぎりぎりと震え始めた。


(あっ……!)


小刀が、手から落ちた。そしてその手にも、瞬く間に髪が絡んでいった――。



「ぎゃあああぁぁぁ!!」


曇天の空に悲鳴が響き渡る。その瞬間、触手のように伸びていた髪が小さく縮み、するすると引っ込んでいった。


「あ……あんた……」


女は力を失い、足に鈍い痛みを覚える。恐る恐る振り向いて見下ろすと、そこには先ほど”我が子”の餌にしようとしていた少年がいた。彼は――自分の足を噛んでいる!


「……っ!」


女はシンの存在を忘れ、テパを手にかけようと、再び力を溜める。だがその時――。



「……ぁ……っ……」


足を噛まれた時よりも強い、より深い痛みが女を襲った。自分の胸元を、小刀が貫いていた。


「テパに手を出すなら許さない」


「……ぅっ……」


女は膝をついて崩れ落ちた。シンの気迫と、想像以上に深い傷に耐えきれなくなったのだ。そんな女の横を、シンは何事もなかったかのように通り過ぎる。


「テパ」


シンはしゃがんで、まだ倒れているテパに目を合わせる。その背にはいつの間にか拾ったマクアウィトル、左腕にはテパのティルマが抱えられている。


「……やるぞ」


「……うん」


足に力を込めて立ち上がるテパに、シンがそっと手を差し伸べる。二人は武器を持って、ミチンを見据えた。

 


「……んもぅ」


ミチンは首をもたげ、シンとテパを睨み返した。ぎょろりとした目が、今にも飛び出そうな程に。


「早くあっち行ってよ」


ミチンは気だるげに言うなり、水面に思い切り強く飛び上がった。身長を超える高さの水飛沫が飛んで、シンとテパの視界を奪った。


「どこだ!?」


シンは小刀を構えて警戒する。隣では、テパがマクアウィトルを持って周囲を見ている。


「”あっち行って”は嘘だよ、食べさせてぇ~」


背後に水ごと震わす声を聞いて、シンとテパの背筋が凍る。舞い上がった水に紛れて、ミチンは自分たちの真後ろまで迫っていたのだ。


「……っ!」


シンが振り向きざまに小刀で切りつける。刃が当たったのはミチンの巨大な口だった。あと一歩遅ければ、確実に呑み込まれていただろう。


「テパ!」


「うん!」


テパは身長の1.5倍くらいは開いているであろう口を前にしても怯まなかった。マクアウィトルを握る手も、微塵も震えない。


(ガッ!ガッ!!)


力任せにマクアウィトルを振り回し、ミチンの口腔内をこれでもかと言わんばかりに斬った。


「あぁぁぁぁ何でええぇぇぇぇ……!!!!!」


ミチンは子どもじみた、情けない断末魔と共に水中へ退いた。


「はぁ……見た目は強そうなくせして、中身はただのガキだったのか」シンは溜息をついた。


「でも、勝ててよかった。これで――」


微笑みかけたテパが、シンの視界から突然消えた。ティルマも、マクアウィトルも残さずに。


「……テパ?」

 


 ミチンはシンとテパの返り討ちで確かに深手を負っていた。だが意識を失う直前、水の中に女の影を捉えたのだ。


(……ねぇ!)


「……?」


蹲っていた女は、”息子”の声にゆっくりと顔を上げる。


(ねぇってば!)


「……??」

 

声は女の耳ではなく、脳に響いている。


(もうすぐ儀式が始まるよ。早くその子を連れてって!)

 

女は悟った。蹲っている場合ではない。動かなければいけないのだ。”息子”の為に――。


「はぁはぁ……でも……勝ててよかった……」


息を切らす少年の声が聞こえる。間違いない。本当ならここで、”息子”の餌になるはずだった少年だ。だが当の”息子”は、最早餌を求めていない。


(あいつこそが……”贄”……)


狂気に囚われ、女の目は血走った。そして一瞬のうちに距離を詰め、彼が口に微笑みを浮かべて見ていた、もう一人の少年から引き離した。


「……え??」


戸惑う少年の顔に、そして体に、女は自分の指をめり込ませる。押さえている所から全身へ伝播するように、少年の体に青白い紋章が浮かび上がる。その姿はまさに、贄を求める雨神そのものだった。

 


「!?」


きょとんとしていたシンは、我に返って息を呑んだ。


「これは……」


誰もいない。テパも、女も。ただ一人――否一匹――遠くから泳ぎよってくる魚を除いて。


シンは察した。


「……まさか!?」

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