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血汐の群れる朝が来る前に  作者: Masa plus


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(第二十二話)雨乞いの舞い

 シンとテパが森を歩くより少し前。明けの明星が、まだ薄暗い空に白く昇った頃――。


「兄上、ただいま戻りました!」


死者の案内を終えたショロトルが、ケツァルコアトルの神殿に帰ってきた。


「ああ、お帰り。ショロトル」


「おっかえり~!!」


「うわぁっ!?」


ショロトルは思わず仰け反った。兄の背後から、誰かが勢いよく身を乗り出してきたのだ。緑色の肌の兄に並ぶ、青みがかった灰色の肌、そして顔の上半分を覆う派手な装飾――。


「トラロック、何でここに?」


「もうすぐボクの祭りがあるから、ちょっと立ち寄ったんだ」


「それ、山でやるんだろ?ここからじゃ遠い。長居すると遅れるよ」


「だ~いじょうぶ。まだ時間あるもん」


小柄な雨神は、悪びれもせず胸を張る。


「ま、ちょっとくらい遅れてもいいかもね~。ボクが黙ってても、人間は贄をくれるんだから!」


「トラロック……」


その軽さに、ショロトルは顔を曇らせる。


「冗談だよ。ボクが何だかんだちゃんと務めを果たしてるの、知ってるでしょ?」


「そうだけど……その言い方はないだろ」


「あっ!」トラロックが思いついたように立ち上がる。


「そろそろ行こ~っと。じゃね~」


シウコアトルの先から雲を呼び寄せ、トラロックは軽やかに空へ舞い上がった。


「さ~て、今年はどんな贄をもらえるのかな~」


声が遠ざかった後、ショロトルは兄を振り返った。


「兄上……あいつがいると、どこか空気が湿気りません?」


「そうだな。さすが雨神というべきか」



 曇り空の下、シンとテパが次に訪れた町では、雨乞いの舞いの準備が進められていた。広場の中央には、空を貫くかのように高く伸びた一本の木柱が立っている。


「あれ何?」テパがシンに尋ねた、その時。


「ねぇねぇ君、よければこれを一緒にやってくれないかい?」


突然、男が声をかけてきた。指差す先には木柱がある。


「降りる役がさ、風邪で出られなくなっちゃって……代わりを探してるんだ」


「え……」


テパは言葉に詰まり、男から顔を逸らす。そして隣のシンに視線を向けた。


「……おい」


シンが横目でこちらを見ている。冷えた空気にも似た、テパの心を見透かすような目だ。


「……まさか、僕にやれって言うのか?」


「うん」


「お前がやればいいだろう。そんなに難しくない」


「えーでも……」


「やり方知らないなら僕が教える」


「おぉ!」男がぱっと目を開いた。


「君、やったことがあるのかい!?」


目を輝かせる男を見て、シンはしまった、と内心舌打ちした。やり方を知っている者がいれば、選ばれるのは当然だ。それをわかっていながら、うっかり口を滑らせてしまったのだ。


「頼むよ~。この儀式は降りる男が4人いないとできないんでさ~」

 

軽い口調が鼻につくが、男は頭を下げ、必死にせがんでいる。切迫している様子が滲んでいる。


「……わかった。僕がやります」


「本当かい!?助かるよ」


「衣装はどこですか?」


「ああ、すぐ持ってくるよ」


こうして、シンの参加が決まった。男が戻るまで、シンは心の中で溜息をついていた。


(はぁ……よりにもよってこんな大事な儀式の日に風邪をひくとはな……)



 シンは七分袖の白い上着と赤い洋袴に着替え、足首に縄を結んで柱の頂上へ上る。そこには中央に男性が一人、周りに四人。シンもその一人として立っている。


「♪~♫~」


中央の男性が、笛を吹いて鼓を打ち鳴らす。ざわめいていた広場一帯は、一瞬で厳粛な儀式の空気に包まれた。


「シン……」


テパは最前列でシンを見ている。本当は彼に声をかけたかったが、空気を読んできゅっと口を閉じた。


「……」


シンは精神を集中する。そして――。


(あっ!!)


シンら四人の男が、一斉に背中から飛び降りた。テパは出かかった驚きの声を喉で殺して、固唾を飲んでシンを見つめる。


(落ちちゃわないかなぁ……大丈夫かなぁ……)


足だけで吊られたまま回るシンを見て、テパははらはらしている。自分を暗い目で見つめる女の存在に気づかずに……。



 シンは飛び降りた後、テパの姿を一度だけ捉え、直後に目を瞑った。


「……」 


視界から全てが消えた。降りているのか、回っているのかもわからない。ただ、感覚だけが残った。



 そよ風に頬を撫でられながら、シンはテパに出会う前のことを思い出した。今吹いているのと似た風が吹いていた、あの日を。


「……神官様。この者が、淡水の女神チャルチウィトリクエに捧げる贄です」


近くに小川が流れる、森の中の神殿。シンに手を引かれて現れたのは、年端もいかない少女だった。


「……」


顔が一面赤橙色になっていて、両頬に黒い縦線の紋章が浮かんでいる。沈んだ表情で、自分の運命を受け入れている様子だった。


「おお……これはまさに……」


神官は感激して少女を引き取り、神殿の頂に上らせる。少女が一段一段踏みしめる音が、生々しく響いていた。


「あの後……頂であの子が横たえられた時に聞こえた声が、今でも忘れられない……」


少女を見上げていたシンの背後で、ある市民が嗚咽と漏らした言葉が、シンの脳裏を掠める。


「あの子、私の子にそっくりだねぇ……もう何年も前に亡くなった子に……」


シンは気まずくなって、振り返ることができなかった。



「チャルチウィトリクエは幼い少女、トラロックは幼い少年の贄をお望みだ……」


シンは吊られたまま思いを馳せる。自分がどこまで降りているのかわからなかったが――。


「……?」


ざわめきがはっきり聞こえる。シンは気づいた。いつの間にか、自分はかなり下の方まで降りてきていたのだ。


「テパ……」


逆さまの人々が、目の前で走馬灯のように過ぎ去っていく。人の影は一瞬しか見えないが、シンはテパを探す自信があった。


(最前列にいたし、何よりあのティルマは目立つ。すぐにわかるはずだ)


そう思っていた。必ずテパを見つけられると思っていた。


「……?」


目を凝らした。何度も何度も。だがどこにも、あの目立つティルマが見えない。そして、それを着ているテパの姿も――。


「テパ!?」


シンは思わず叫んだ。そして、足が地面につく高さまで降りたのを見計らい、素早く縄を解いた。


「お、おい、君!」


共に降りていた男たちが呼び止める。だが、シンは既に人混みに紛れていた。


「どこだ、どこだ……」


いくら人混みをかき分けても、テパの姿は見えない。


「テパ!テパ!!」


戸惑う声が渦巻く中、シンの叫びだけが、広場に響き続けていた。

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