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血汐の群れる朝が来る前に  作者: Masa plus


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(第十九話)影の魔獣・セワリ

 いつの間にか空には雲が立ち込めていた。青年の変貌ぶりも相まって、先程まで温かかった風が一気に冷え込んだ。シンもテパも肌がぞくりと立ったが、今は震えている余裕などない。


(……グシャッ)


青年は重く硬い球を、一握りで粉砕させた。シンは衝撃の余韻を感じながらも戦慄を覚える。


(この力……まさか、こいつは……)


「俺はセワリ。お前ら纏めて始末してやる!!」


そう言い放った瞬間、青年の体が黒い帳に覆われる。それは一息に膨張して、得体の知れない巨人の形になった。

 

◆ 


 シンとテパの前に立ちはだかる、漆黒の体と血のように赤い目。どこまでも大きなその体は、曇り空の僅かな光さえ遮った。

 

「……やっぱり魔獣か」


シンは小さく呟く。セワリには足がなく、地面についたまま動けないようだ。だがその巨体と爛々と光る目には、死角などないのが明らかだ。


「テパ!」


「!?」


「マクアウィトルを持ってこい!」


「う、うん!」


テパが慌てて駆け出すのを見送り、シンはセワリへと鋭く視線を向ける。


「僕が相手だ、来い!」


構える小刀が、陽もないのにきらりと光る。その異様な輝きに、セワリの警戒は一段と強まった。

 

◆ 


 セワリはシンにも、マクアウィトルを取りに行ったテパにも容赦なく黒い手を伸ばす。


「くっ!」


シンが一瞬、セワリに背を向ける。視線の先では、今まさにテパがマクアウィトルを手に取っていた。


「えぇーい!!」


振り向きざま、テパは背後に伸びていた黒い手を一刀両断した。


(くっ、こいつら……)


セワリはすぐさま手を復活させるが、シンとテパの連携は想像以上に厄介だった。ぎこちなさの奥に、確かな呼吸の一致がある。先ほど試合で見せた連携は、決して偶然などではなかった。


「これで……っ!!」


シンが飛び上がって、セワリの至近距離まで迫った時だった。


「!?」


空がにわかに暗くなった。雲が厚みを増し、仄青かった空から光が失われる。


(日が暮れた……?)


シンが戸惑った、その一瞬。


「シン!後ろ!」


テパの声に、シンは反射的に振り向く。


「くっ!」


シンのすぐ後ろまで、黒い手が迫っていた。シンは小刀でこれを受け流すも、致命の一撃を入れる機会を逃してしまう。


(……フフフ)


着地して体勢を整えるシンを、セワリはほくそ笑んで見つめている。

 

◆ 


 雲の帳の裏で、太陽が沈んだ。曇天の夜が訪れた。


「……っ」


辺りは一気に暗くなった。シンとテパの視界には、セワリの真っ赤な目しか見えない。


「……」


セワリはシンとテパを見つめたまま動かない。その微動だにしない様が却って不気味で、二人は警戒を強める。その直後――。


「……!!?」


黒い手が二人の目前に同時にせり上がる。斬っても斬っても、すぐ足元に再生する黒い手。応戦だけで手一杯で、互いを助ける余裕が消えていく。


(こうすれば、じきに……)


真っ赤な目の奥で、セワリの邪悪な笑みが広がっている。


◆ 


 シンとテパは必死に戦い続けている。夜が更け、一体どれくらいの時間がかかったか知れない。


「くっ……これじゃきりがない!」


いくら斬っても消える気配のない黒い手。その位置が、セワリの目の光によって視認できるというのは何とも皮肉なことだった。


「いつになったらいなくなるの、これ!?」


テパが叫びかけた瞬間、二人は黒い手に呑み込まれた――。


◆ 


 テパは黒い手の中で意識を失いかけていた。


(……ふふふ……)


耳にぼんやりと聞こえる声。自分へなのか、それともシンへなのかすらわからない。


(こいつだけじゃない……このチビの方からも、途轍もない力を感じる……)


「……チ……ビ……?」暗闇の中で、テパの口が僅かに開く。


(それにこのティルマ……柄といい力といい尋常じゃない。マクアウィトルを取るのに必死で着損ねたんだろう。引き裂くには惜しい代物だ……)


「ティル……マ……?」


その時テパの目がぱちりと開いた。この黒い物体は、大切な自分のティルマを奪おうとしている――。


「そんなこと……そんなこと、させない!!」


テパは決めた。この状況を打開するには、あの手段に出るしかない――。


「うっ……!」


テパは手に刃を当て、ぐっと力を込める。


「お父様……!」


◆ 


「!?」


黒い手――否、その主のセワリは、思わぬ事態に怯んだ。手の中から、闇を裂くほどの強烈な光が放たれたのだ。


(グオオオォォォ!!)


咆哮と共に手を破ったのは、堂々たる巨躯のオセロトルだった。


「お、おい、何だこいつ……でかすぎる……!」


その頃、夜明けが迫り、空を覆っていた雲はいつの間にか消え去っていた。


(ま、まずい……)


セワリがたじろぐ間に、巨大なオセロトル――チャアクが赤い目の前まで迫っていた。セワリはそれに気づいていなかった。


「わああぁぁぁ!!!」


チャアクがセワリの目に噛み付いた。目と同じ赤い血が、どろどろと流れて行く。黒い手は力を失い、シンとテパは解放された。


「お父様!」


「テパ、私よりも彼を!」


チャアクに促され、テパが見た先にはシンがいた。目を閉じたまま横たわっている。


「シン!シン!!」


テパはシンに駆け寄った。仄かに息を感じる。どうやらシンは無事であるようだ。テパは仄かな安堵を覚えた。


◆ 


「!」


テパはふと空を見上げる。雲一つない空に、少しずつ、東の空から柔らかな光が満ちている。


「あ、シンの腕輪……」


差し込む陽光を受け、腕輪のケツァリツリピョリトリが眩く輝く。その反射光がセワリの巨体を貫いた。


「ぁっ……ぁぁぁ……」


力ない声をあげて、セワリはみるみる縮んでいく。遂には黒い手が全て消えた。


「シン、今だ!」


チャアクの声に、シンは迷わず小刀を手に刺した。じわりと溢れる血が刃を満たした直後、シンは残る影目がけて走っていった。


「うっ……!」


シンが止めを刺し、影は完全に消滅した。その中から、元の青年が転がり出た。


◆ 


「くっ……!」


青年はシンを睨み上げる。致命傷を負ったのを、尚も足搔こうとしていた。


「痛々しいな。お前は冥界への導神・ショロトルの贄となる。この世とはもう、さよならするんだ」


「お前、お前……っ!?」


いつの間にかシンは青年の背後に回り込み、素早く後ろ手に縛りあげていた。


「放せ!おい、放せ!!放せって言ってんだ!!!」


青年は必死でもがき、縄を解こうとする。だがもがけばもがくほど、縄は絡む。まるで、縄に呪いがかかっているかのように。


「おい、お……」青年が言いかけた時――。


「おや?これは一体どういうことだ?」

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