(第十七話)真夜中の特訓
「!」
寝ぼけた声を零しながら、テパはふっと目を覚ました。静まり返った空き家の中は、夜気さえ息をひそめ、風の音すらしない。
「……」
シンへふと目をやるテパ。深く眠っていて、起きる気配はない。風がないからか、彼の寝息が妙に大きく聞こえる。
(やっぱり眠れないや……どうしよう)
テパは入り口から外を覗く。もう夜が更けている筈なのに、地面が夕暮れよりも明るく見える。周囲の輪郭も、何となくわかる。
(そうだ!)
テパは閃いたように立ち上がり、壁に立てかけておいたマクアウィトルを取る。そして手に、ゆっくりと、しかし確実に、グサリグサリと刃を沈めた。
「……っ!」
闇に溶ける赤黒い血がじわりと滲む。そしてその度に、手に痛みが走った。それでもテパは歯を食いしばった――ある目的の為に。
「お父さ……まっ……!」
テパは熱く滴る血を、ティルマにかける。すると青白い光が迸り、一頭のオセロトルが現れた。――チャアクだ。
「どうした、魔獣か!?」
現れるなり周囲を見渡すチャアク。だが魔獣の気配はない。いるのは、手から血を流すテパだけだ。
「あれ……?」
月明かりに照らされる、古びた競技場。遠くから見ても所々に穴が開いているのがわかる粗末な家。風の音が微かに聞こえるの、酷く静かな世界が広がっている。
「これは……」
「お父様」テパがそっと口を開く。
「これ……練習したいんです」
「それは……!」
月光に照らされたテパの手には、重たそうな球があった。さらにその光は、彼の脚も照らし出す。痣に覆われ、変わり果てた脚を。
◆
「……ん?」
真夜中、シンは物音で目を覚ました。
「…っ!? いない!?」
シンは驚いた。テパがいつの間にか、姿を消している。
(テパも上手くなれる?)
脳裏に響く言葉。昨日、期待と不安が混じった声でテパが言ったものだ。シンは察した。
「まさか、あいつ……!」
魔獣の気配がないのを確認して、シンは外へ飛び出した。
「テパ!……っ!」
月明かりの下で、二つの影が動いている。小柄な子どもと、逞しい体格のオセロトル。そして、二人の間を小鳥のように行き交う、丸い球――。
「はっ!それっ!」
「……ぁぁっ!」
オセロトルが飛ばした球を、受け止めようとしては失敗して倒れる子ども。夜風に乗って、二人の会話が薄く響く。
「テパ、もうやめた方が……」
「い、いえ……お父様……ここで諦めたら、シンが……!」
息の上がり方だけで、彼の体が今どうなっているのか容易に想像がつく。おそらく体力は限界。本当なら自分のことで精一杯のはずだ。だが彼は、自分のことを気にかけている――。
「……テパ……」
◆
翌朝。
「シン、おはよう」
「テパ」
「何?」
「……いや、何でもない」
起き抜けのぎこちない挨拶。シンはどこかもどかしさを覚えた。視線はつい、テパの傍らに置かれた球へと向いてしまう。
「さ、トラチトリの練習を始めよう。魔獣の気配もないしな」
◆
「そらっ!」
「……っ!」
シンが蹴った球が、テパにぶつかる。上手く受け止められずよろけるテパ。だが彼はすぐ立ち上がった。
「大丈夫……昨日お父様と練習したんだ……このくらい、まだ……!」
「テパ……」
シンは戸惑った。昨日の傷がまだ治りきっていないのに、まだ練習をさせてもいいのか――。
「実は、見てたんだ……お前がチャアクと練習してたの」
「え?」
「早く寝ろって言ったのに……あんなに無理して……」
「いいんだ!」
「えっ?」
「テパ、まだ球を上手く受け取れない……けど、怪我してもすぐ立てるようになった!前よりは戦えるようになったよ!」
シンはたじろいだ。確かに、テパはお世辞にもトラチトリの腕があるとはいえない。だが今、練習開始当初と比べて決定的に違うものがある。それは――テパの目だ。
(こんなに輝いてる……昨日までの自信なさげな目が、嘘みたいだ……)
「シン?」
「あ、いや……何でもない。さ、続きだ」
「うん!」
テパが競技場の方へ走っていく。その影を見つめながら、シンは物思いに耽る。
(マクアウィトルの時もそうだった。テパはまだまだ未熟だ。あのままでいたら確実に敵にやられる。でも、あいつが本気を出した時……それからあの目……)
「シン!早くぅ!」
「ああ、今行く!」
シンは慌ててテパの方へ走る。その間にも尚、テパの可能性について思いを馳せていた。
(もしかしたら……あいつはこのままいけば……)
◆
その頃、町中では――。
「ぅあっ!!」
「うぅ……」
至る所で、トラチトリ選手たちが次々と倒れていく。
「お、おま……」
(グアッ)
何者かが選手たちの腹を蹴り上げ、一撃で沈めている。その様子を目撃した者は誰もいない。
(バタッ)
「ふん……」
シンとテパの知らないところで、一人、また一人と選手が倒れる。そしてその度、鈍い音が地面に吸われていった。
「こいつらは違うな。どこだ?俺の本当の”相手”は?」
不敵な笑みを浮かべ、謎の青年は町の奥へと歩みを進めていく。




