(第十二話)魔獣に封じられたもの
巨鳥は何度もテパとシンの頭上を往復する。だが、こちらに気づいているのかどうか判然としない。突風を起こし頭がキンキンする程の大声を出すだけで、襲いかかってくる気配はない。
「シン……」
「攻撃するなら今のうちだ。テパ、僕が合図を出すまでここにいろ」
「えぇ?でも……」
「いいからいろ!」
シンはテパを背に押しやり、迫りくる巨大な影へ静かに意識を集中させる。
「あそこか……」
巨鳥の胸元に何かを見つけたシン。次の瞬間、彼は思いもかけない行動に出た。
(ヒュン!!)
「シンすごい……一蹴りであんなに高く飛ぶなんて……」
固唾を飲んで見守っていたテパは、シンの跳躍ぶりに思わず見惚れる。シンは勢いを崩さず天へと向かい、小刀が届きそうなところへ達したとテパが思った時には、既にその刃が影の胸に達していた。
(キイアァァァァ……)
シンが軽やかに降りてきた直後、巨鳥がのたうち回りながら落ちてきた。
「テパ!奴の首を斬れ!」
シンの合図に、テパはマクアウィトルを握りしめる。そして、真上に落ちてきた巨鳥の首を、一思いにえいやっと刎ねた。
(キウオォォ……)
巨鳥が奇妙な声をあげた。先程までの、聞くだけで体が震えた咆哮の面影が消えた、弱々しい声だった。
(……)
壺から水が零れるように、とめどなく溢れ出る血。テパはその流れを見つめながら、震える指先を必死で押さえ込んでいた。
広がる血の池の中で、シンは黙々と巨鳥の胸元に刃を入れていた。
「ぅっ……」
テパの胃がきりきりと軋む。肉や血管が切られる湿った音が、生々しく響いてきたのだ。それでも堪えてシンの方を見ると、その腕には青白く光る何かが抱えられていた。
「シン……それ、人の形してる?」
「ああ。これが“贄子“だ」
「に……え……ご……?」
「神々が求めているものだ。祭りでこいつを捧げれば、神々は僕たちに恵みを齎してくださる」
「まつ……り……?」
「おそらく、この近くの町でもうすぐ始まる。神官様たちも困っているだろうから急ごう」
「でもどうやって……この人、テパたちじゃ運べないよ」
「こうするんだ」
シンが手を翳すと、青年の姿の贄子は青白い光の粒となって分解され、シンの手に吸い込まれた。同時に、残っていた巨鳥の亡骸とその血も、塵と消えた。
(……)
先程までの悍ましい光景と、それが痕跡一つ残さず消え去った今の光景。その落差に、テパは胸の奥にひやりとした恐怖を覚えた。
「これから……どこに行くの?」
「言っただろ。近くの町だ」
「場所わかるの?」
「……見ろ」
シンが再び手を翳すと、青白い光がまっすぐに伸びた。
「この先にある」
シンは手を下ろした。光は消えたが、目的地までは現在地から一直線で行けることがはっきりした。
「行くぞ」
「……うん」
テパは促されるまま歩き出したが、その脳裏には、声も出さず横たわっていた青白い青年の姿が焼き付いて離れなかった。
シンとテパがサクベに沿って歩いた先に、そこそこの規模の町が姿を現した。
「着いた」
シンは冷静な面持ちで呟く。隣のテパは、どこか怯えたようにきょろきょろしていた。
「行くぞ」
シンが人混みの中へ消えていく。テパは慌ててその後を追った。
「はぁ……贄はまだか」
町の中心部にある神殿の下で、派手な装飾に身を包む男が途方に暮れていた。
「神官様」
「!」
神官が振り向いた先にはシンがいた。その背後で、テパも気まずそうに身を縮めている。
「こちらです」
シンは手を翳す。すると光の粒が現れて、ゆっくりと人の形になっていった。巨鳥の中から出てきた、あの青年だ。
「おお……!」
神官はその姿を見て感激する。その青年――贄子の全身に、いつの間にか変化が起きていた。顔料で染めたように青い手足、頬から顎にかけての紋章、そして星にも似た輝きの双眸――。
「この者こそ、風の神ケツァルコアトルに相応しい贄だ……!」
「祭りには間に合いそうですか?」
「ああ、明日の朝に執り行う。どこの者か知らぬが君、ご苦労だった」
神官はお礼のカカワトルを差し出す。そして、従者たちと共に贄子を連れてどこかへ消えた。
「シン……あの贄子はどうなるの?」
「明日になりゃわかる」
翌日。宿に泊まっていたシンとテパは、朝日と共に目を覚ました。
「ん……?」テパは奇妙な静けさに眉を顰める。
「あれ……?誰もいない……?」
「いるよ」いつの間にか背後にいたシンがぼそりと言った。
「みんな神殿の周りに集まってる筈だ」
テパとシンは神殿へ向かった。
「……?」
テパは目を疑った。神殿を囲うように人だかりができている。皆が見上げる先には、艶やかな緑色の羽を冠した青年が立っていた。
「シン、あれ……」
「ああ、昨日の奴だ。随分着飾ってるな」
青年は神妙な面持ちで立っていた。そっと閉じた目で、”これが自分の運命。もうこの世に未練などない”と語りかけるかのように。
「それでは」
「……はい」
神官に促されるまま、青年は台の上に横たわる。その四肢を4人の男ががっちりと押さえた。紋章が浮かぶ褐色の肌がピンと張られ、朝日に照らされる。それはまるで、この世での最期の命の輝きを放っているかのようだった。
――そして、次の瞬間。
(グサッ!)
観衆を取り巻く空気が一瞬にして凍り付いた。神官の小刀が、青年の体を貫いたのだ。
(グサ、グサ、グサ……)
その音は最早、人々の耳に聞こえるものではなかった。”心”に聞こえる音だった。血管が一本一本切られ、生が断絶されゆく音――。
「……っ!」テパは耐えきれず目を瞑る。
「見ろ。辛いかもしれないが、今は目を逸らしちゃいけない」
シンに言われて恐る恐る目を開くテパ。白い階段は血で真っ赤に染まり、青年は事切れていた。その後ろでは、神官が天に向け、心臓を高く掲げている。
「ケツァルコアトルの風の恵みあらんことを……」
神官が呟いた時、下界はしんと静まり返った。嗚咽の声も聞こえた。
『一人の犠牲をもって大勢が神の恵みに肖れる』――。
このことがいかに重いか、人々は身にしみて感じていた。
「……」
誰一人として顔を上げる者はいなかった。それはテパとシンも、例外ではない。




