(第十話)テパのティルマ
テパとシンは木々の間を抜けた。開けた視界の先には町があった。規模こそ大きくはないものの、人でごった返していて、遠くからでも活気を感じる。
「○◇▲……」
ざわめきの中、シンはテパの手を引き、人の波をかき分けて進んでいった。
やがて二人は武器屋の前に着いた。シンは足を止め、店主に声をかける。
「そのマクアウィトル【※1】が欲しい」
「へーい……ところでこれ、誰が使うんだい?」
「こいつだ」
(えっ!?)
テパは度肝を抜かれた。自分が戦うなんて一言も言っていない。魔獣が来ても逃げるしかなかった自分に、いきなり武器を持てと言われても困る。
「ほう……」
店主はテパを見て眉を顰めた。小柄で腕が細く、体全体が枯れ木のようにしか見えない。こんな子どもがマクアウィトルなど持ったら、勢い余って自分で自分を斬りかねない。
「こういっちゃなんだけど……本当に大丈夫かい?」
「大丈夫だ。僕が何とかする」
「あっそ……」
店主は腑に落ちぬまま、シンから支払われたカカワトル【※2】を受け取る。その間に、二人の姿は人混みに消えていた。
を離れたところで、テパはシンを引き留めた。
「シン……」
「ん?」
「何であんなこと言ったの?テパも戦わなきゃいけないの?」
「当然だ」シンは迷いもなく言い切った。
「また魔獣が襲ってきた時、前みたいに助けられるとは限らない。それに……」
シンの視線が、テパのティルマへと落ちる。
「それも、いつ狙われるかわからないからな」
「……」
「結局のところ、自分の身は自分で守るしかないんだ」
「でも……テパ、マクアウィトルとか、武器使ったこと、これまで一度もないよ?」
「……だろうな」シンは足を止め、振り返る。
「え?」
「お前はいかにも、敵に襲われたらやられる側の顔だ。あの武器屋が心配してたのもわかる」
「……」
「敵はいつ現れるかわからない。僕が教えるから、しっかり覚えろ」
「……うん」
テパは躊躇いがちに頷いた。唐突に”自分の身は自分で守れ”と言われただけでも動揺していたのに、剰え訓練をするとまで決められてしまった。テパの思考の波は、止まることを知らずに流れていった。
テパとシンは人気のない広場にいた。
「ほら、こう持って、振って見ろ」
(グワン)
テパの腕がぶれた。マクアウィトルの刃はおかしな方向に弧を描き、危うくシンの腕を掠めそうになった。
「もう一回やってみろ」
(グワワン)
「うわっ!」
シンは思わず身を引いた。またしても腕を斬られかけたのだ。
日が沈むまで訓練は続いた。だが、テパは相変わらずマクアウィトルに振り回されている。
「ああ……」シンの口から溜息が漏れる。
「突然訓練すると言ったんだから無理はないが……まさかここまでとは」
シンはテパに、開始からほぼ休みなく付き合っていた。だがテパは戦闘の基本すらわかっていないらしく、腕が上がった様子は欠片ほども見られなかった。
「どうしよう……」
シンが途方に暮れていた時――。
「テパは……また、何もできないの……?」
テパの震える声が聞こえた。今にも泣きそうだった。聞いているシンも、気まずくなってしまった。
(そうだ。お父様とやらをあんな形で失って、それでも必死にやってるのに何も変わらないんじゃ、そりゃあ……)
二人は沈黙に呑まれた。暮ゆく日が、二人の背に重い影を落としていた。
暫くして。
(ブン!ブン!)
「!?」
空気を裂音が聞こえ、シンは振り向いた。
「えい!えい!えいっ!」
先程まで気力を失っていたテパが、いつの間にか立ち上がって、マクアウィトルを振っている。だがそれは見るからに危険だった。テパは力任せに振り回しているだけだったのだ。
「おいやめろテ――」
「痛っ!」
乾いた音と共にマクアウィトルが落ちた。その刃の一つに、うっすらと赤い液体がこびりついている。
「お前……手が切れてるじゃないか!」
テパの掌には血が滲んでいた。シンは駆け寄って止めようとするが、血は静かに腕を伝って流れて行く。やがて、真っ赤な雫が一滴、テパのティルマに落ちた。
『フフッ……』
「?」
誰かが呟く声が聞こえた。耳慣れない声だった。温かかった風が、ひやりと冷たくなった。
(ピカァ!!)
「!?」
急に眩い光を浴びて、二人は思わず目を瞑る。光の源は、今まさに二人の下にあるものだった。
「お前……そのティルマ……」
目が慣れたシンが視線を落とすと、テパのティルマ――正確にはその紋章が、太陽の如く輝いていたのである。
「テパ……まさか……」
テパは状況がわからず戸惑っている。彼の手からは、微量ではあるがまだ血が流れていた。シンはさらに紋章を凝視する。
「斑点のある毛皮、鋭い爪、そして大きな口……これ、オセロトル【※3】か……?」
その時――。
(サッサッ)
静まり返っていた広場で、風もないのに草が擦れた。
「!?」
シンは小刀を構える。その警戒は間違っていなかった。草むらの向こうから現れたのは、巨大なオセロトルだった。
「これは……」
視界の全てがその姿で覆われる程の巨体に、テパは怯え、シンは構えを崩さない。二人を襲うと思われたオセロトル。だが彼は二人から三歩程離れたところに立ったまま、動きを止めた。
「テパ、テパ」
テパの耳に声が響いた。だがそれはシンのものではない。彼よりずっと太くて深い、大人の男性のような声だ。しかもどういうわけか、テパは、この声を初めて聞いた気がしなかった。
「テパ、私だ。覚えてるだろう?」
謎の声は、またしてもテパの名を呼ぶ。不思議だ。”聞こえている”のに、耳が声を感じていないように思えるのだ。
(あれ?これってもしかして……耳じゃなくて心に言ってるの?)
「私だ、チャアクだ」
「!!」
チャアク――その名を聞いてテパははっと目を開いた。
「お父様……お父様!?」
「えぇ!?」
様子を見ていたシンは息を呑んだ。声はまだ聞こえていない。だがテパの反応だけで十分だった。
――このオセロトルは、死んだはずのチャアクの生まれ変わりだ。
「お父様……会いたかった……」
「私もだ。会えて嬉しいよ」
チャアクと名乗るオセロトルは、テパに頭を摺り寄せた後、シンに視線を向ける。
「君が、テパを守ってくれたのかい?」
(!?)
シンにも聞こえた。チャアクが”心に語る声”が。
「え、いや……守ったわけじゃない。こいつが勝手についてきただけで……」
「ううん」テパが口を開いた。
「シンが助けてくれたの。だから一緒にいるの」
「そうか。シン、どうもありがとう」
「……っ」
素直に礼を言われ、シンは少し顔を背ける。自分はあくまで、魔獣を倒したかっただけだ。
助けたというより、こいつがたまたま生き残っていたのだ。
「……本当の名前はシンカヨトルだ」
「ハハ、わかったよ。でもこれからもシンと呼ばせてくれ」
シンは軽く会釈する。胸の奥で、鼓動が一つ、早く鳴った。
(まさか……”死んだ人間は別の生き物として生まれ変わることがある”とは聞いたことがあるが……)
その時シンは感じた。鼓動が急に早くなったことに。
「何だろう?このどこか、引っ掛かる思いは……」
胸の奥に残る違和感。それが何を意味するのか、シン自身にもまだわからなかった。
【※1】マクアウィトル……古代メソアメリカの武器。木の板に黒曜石の刃を挟んだ刀剣状のもの。
【※2】カカワトル……ナワトル語でカカオを意味する。カカオは古代メソアメリカに於いて、食用のみならず貨幣としても使われていた。
【※3】オセロトル……ナワトル語でジャガーを意味する。




