Ep.08 ノエル君もこういう所来るんだね……
給湯室を逃げ出した私は調剤室に戻ると速攻札を裏返し、先輩に体調不良で早退する旨言い置いて職場を飛び出した。
気おされた先輩は
「お……おぅ。しっかり休めよ」
と声をかけてくれたが最後の方はほとんど聞こえていない。
まず、行くべきはジュリーの店だ。
この時間ならもう仕込みも始まっているから店にいるはずだ。
若くない自分の体に鞭打って全速力で通りを駆け抜ける。
表通りから一本入ってすぐの、ジュリーの店! 見えた!
いつもは開店中の札がかかって全開の扉は、準備中の札になって半分しまっている、
ドアベルのからからと鳴る音が客のいない店内に響き渡る。
「ジュリー! いる?」
はぁはぁと息を切らしながら店に飛び込んできた私を見ると、店の外に半身を出して周りを確認したあと、ジュリーは扉を完全に閉め閉店に札を変えた、
「こっち」
「え?」
階段下の物置にしか見えない扉をくぐると、その先に小部屋があった。
テーブルと店内より少し高級な椅子は上客用の個室なのだろうか? この店にこんな個室があるなんて知らなかった。
私を椅子に座らせるとジュリーが先に口を開いた。
「薬のことでしょう?」
やっぱり。
「ジュリー、私の薬ってどこに下ろしてるか教えてもらえる? なんか変なことに巻き込まれてるのかもしれないの」
ジュリーは疲れたようにはぁっとため息をもらす。
「あなたを助けたいと思って取引を持ちかけたのに、こんなことになるなんて……
薬を下ろしてるのは春花亭っていう娼館よ、それ以外には下ろしてないの
ただ、フィオナちゃんの薬の評判が良すぎて、春花亭の女の子から口コミでお裾分けしたりはしていたみたいね
そこにきっと目をつけられたのよ
瓶の業者はやっぱり他に売ってたわ
締め上げたけど「殺される」って売り先を吐かなかったの
そりゃそうよね、ヤバイ方の薬に関わってる情報なんか吐いたら消されるでしょうし
フィオナちゃんの薬を装って春花亭以外の娼館で出回っている薬はみんな偽物よ
血行がよくなってあっちが捗るって売ってるみたいなの」
「もう結構出回ってるんだね」
「残念ながらね……」
やっぱりか……。騎士団が押収するくらいだから、もうヤバイ薬が出回っているらしいくらいの話じゃないんだな。きっと。
「ていうか、私もその業者からの帰りに襲われたの
返り討ちにして騎士団にお届けしといたわ」
襲われたって!
「ちょっとジュリー! それ全然大丈夫じゃないじゃないの!」
「あぁ、荒事は慣れてるから平気なのよ、心配いらないわ
じゃなきゃ夜の店の女将なんて務まらないわよ」
「酔っ払いの相手ならそうかもしれないけど、偽物売ってるってやばい人たちなんじゃないの?」
「そうね、うちで一括で取引にしといてよかったわ
やつらまだフィオナちゃんの薬を私がさばいているところまでは知っていても貴方が薬の製作者だってことまでは知らないみたい
フィオナちゃん、お願いだから行動は慎重にしてちょうだい」
「それが……そうもいかないのよ
私、疑われてるかもしれない」
「疑われてる? 誰に?」
あー。騎士団の調査依頼は極秘事項なんだよな。
う〜ん。それで室長やノエル君に疑われてるかもって言ったらジュリーまで巻き込んじゃうし。いや、今でも十分巻き込んではいるんだけれどもよ。
「う〜ん、詳しくは言えないんだけど
あんまり状況は良くない、みたいな?」
「まいったわね……」
小部屋の中に思い沈黙が流れる。
どうしたもんかな……。
「とりあえず、春花亭には偽物はない、で合ってる?」
「そのはずよ」
「それはちゃんと確かめた方がいいかも、偽物の方も流通してるやつが手に入るといいんだけど」
「ちょっとフィオナちゃん。麻薬の類は使ってなくても持ってるだけでしょっぴかれるわよ」
「それは……そうなんだけど。偽物と私の薬とどう違うのか証明できないとどっちにしろ私も捕まるんじゃ……?」
「本物が元々あったって証明すること自体がこうなると難しいわよ」
それなんだよなぁ。元々私が作る薬は春花亭のお姉さんたちに細々と下ろしてただけで、そんなに絶対数があったわけじゃない。偽物を一気にばらまいたのなら瓶の数の制約があったにしてももっと多いはずだ。なんなら、一部を私の薬と同じ瓶で流通させておくだけで、こっちを巻き込むことができる。
裏社会の人間の方がこんな小娘より何枚も上手だ。
「とりあえず、できることから始めるしかないよ」
「どうするの?」
「春花亭の窓口の人って誰?」
「リリアンって子よ、春花亭の看板の」
「わかった、リリアンさんに話聞きにいってみる」
「あなた娼館に突撃する気なの! 私が行くわよ!」
「いや、急がないといけないし、ジュリーお店もあるでしょ?」
驚いて立ち上がったリリーだが、私の言葉にしゅんとしてしまう。
自分でまいた種だもの。なんとかしなくちゃ。
「ありがとう、ジュリー
何か分かったらまた知らせるから」
「気をつけなさいね、フィオナちゃん
夜に一人歩きは絶対ダメよ、わかってる?」
「うん。そこは分かってる」
ジュリーとハグしてお店を出る。
筋肉で覆われたジュリーからは華やかな花の香りがした。
ジュリーのお店を出たあと、王都の繁華街を娼館が立ち並ぶ通りへ歩く。
夜は煌びやかな装飾に灯りが灯って幻想的で蠱惑的な雰囲気だが、まだ昼を過ぎたこの時間は人もまばらで閑散としている。
春花亭は文字通り入り口に春に咲き乱れる樹木が植えられた娼館だ。
今も色とりどりの花が咲き乱れ、通りに薄紅や白の花びらがはらはらと落ちている。
この時間、表玄関は閉まっているはずなのだが、見知った顔が出てきて慌てて横道の影に身を隠す。
(ノエル君……?)
昼間っから娼館とはどういうことだろう?
いや、さっき給湯室で詰められたばかりだし、いや待て待て。
まだ仕事時間中じゃない?
早退してこんなところにいる私が言えた義理じゃないんだけれどもよ。
(ん〜? 私が帰ってすぐ来たとしてぎりぎり一回、あ、若いからもっと早いのかな……)
あ、下世話な想像しちゃった。ごめんよノエル君。
でも、ノエル君みたいな美少年がこんなとこ来るんだね……。
いや、男の子っていうか成人男性なんだから来てもおかしいなんてことはないんだけど。
(そういや、歓迎会の時もお姉さんのいるお店に誘われてたな、行ってないけど)
物陰からノエル君が去っていくのをやり過ごして、私はお店の裏口に回った。
「ごめんください〜」
「はぁい」
裏口から声をかけると下働きだろう女の子の声が聞こえた。
裏口から顔を覗かせた女の子はくりくりと目の大きな溌剌とした女の子だった。
「ジュリーからの紹介で、リリアンさんとお話ししたいんだけど、いいかな?」
「リリアン姉さんですか? ちょっとここで待っててもらえますか?」
ぱたぱたと元気よくお店の中に入っていくのを見送る。
ほどなくリリアンさんのお部屋だという3階建の最上階に案内された。
窓からは春のさわやかな風が吹き込み、香水の甘やかな匂いを少し和らげている。
窓際の椅子にしなだれかかるように黒髪の妖艶な美女がいた。
娼館の中にこうして入るのは初めてだが、リリアンさんの部屋は趣味のいい家具でまとめられ貴族のお嬢様の部屋だと言われても違和感のない部屋だ。ただ、部屋の中央にある巨大なベッドとその上から吊るされている薄衣だけが部屋の用途を想像させるくらいか。
「ジュリーの紹介ってことは『妖精の小瓶』のお姉さんかしら?」
「えぇっと私は……」
自己紹介しようと口を開きかけたのを、リリアンさんが手で止める。
「名前は聞かないわ。その方がいいでしょう? どうぞ、そちらに座って」
対面の椅子に腰掛けると、タイミングを見計らってさっきの女の子がお茶を持ってきてくれた。
「ありがとうございます、しかし、『妖精の小瓶』って何ですか?」
うっそりと笑うリリアンさんは胸の谷間に手を入れると、見覚えのある小瓶を取り出した。
「あ」
「ジュリーからのお薬の名前よ、妖精さんの力を分けてもらうお薬って」
「それはジュリーが?」
ふふふとリリアンさんが微笑む。
あの筋肉ダルマめ。小っ恥ずかしい名前つけよって……。
「今日はこの薬の件でお訪ねしたんです
最近、偽物が出回っているようで……ご存じですか?」
「えぇ、娼婦仲間から聞いたことがあるわ
『妖精の小瓶』、たまにお願いされていくつか譲ったりすることもあったのだけど、最近になって自分で買えるようになったからいらないって言われておかしいと思っていたの
ジュリーからうちにしか入ってこないお薬のはずなのにって」
「そちらのお薬を使ったことは?」
「うちには数が十分にあるから、使ったことはないわね」
リリアンさんの返答を聞いて力が抜ける。
よかった。ここに中毒になってしまう人はいない。
「ジュリーから納品されたと確実なもの以外は使わないようにしてください、同じシロップを使っていますが、中身は全くの別物です」
リリアンさんはお茶を一口飲むと口を開いた。
「そんなに急いで確認に来るなんて……、そう。イケナイ方のお薬なの……」
「すみません、詳細は言えないのですが……」
「いいわ、詳しく聞かない方がいい事もあるでしょう?
でも、私たちの薬で悪い事をしている人がいるのは許せないわね」
「お願いがあるのですが、こちらの薬一度持ち帰って検査してもよろしいですか? お代は返金いたします」
「あら、どうして?」
「瓶がなくなってしまったので、今手元に完成した薬がないんです
こちらにお渡ししたものが安全であるとちゃんと確認したくて」
「なんだ、そんなこと
これは私のものだから、お代は気にしなくていいわ
納得がいくまでちゃんと検査してちょうだい
貴方の薬のおかげで、ここだけじゃない、たくさんの女性が救われてきたのよ
もっと自信を持ちなさいな」
リリアンさんの言葉が焦りだけだった心に染み渡る。
借金返済のためとどこか後ろ暗い気持ちで作っていた薬なのに、こんなふうに言ってもらえる日がくるなんて……。
「はい」
小瓶を握りしめてリリアンさんを見る。
なんとしてでもこの件を解決して、また必要な人に薬が届くようにしなければ。
私は決意を新たに春花亭をあとにした。
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