Ep.06 出来る後輩ちゃんはとても距離が近い
それからは特に何事もなく日々は過ぎていった。
ノエル君への指導も最初ほど付きっきりじゃないにしても、調剤を一緒にこなしたり、患者さんへの説明を任せてみたり。
相変わらず見られているなぁとは思うけれども、あんな……あんな破廉恥な……いや、距離が近過ぎてドギマギすることもなく、日が出ているうちに帰れる日は一人で帰るし、遅くなった日は玄関前まで送ってもらうし、という感じだ。
その日は仕事も早く終わったので、納品以来ジュリーのお店を訪れた。
夕方もまだ早い時間帯なので、お店の中は人もまばらである。
「こんにちは。ジュリー」
「あらぁ〜、いらっしゃい! フィオナちゃん!」
ジュリーが前掛けで手を拭きながら奥から出てきた。
「今日は一人? 果実水にする?」
「あぁうん、そうだね
果実水もらえる?」
「座ってて、すぐ持ってくるわ
話があるの」
ジュリーから話ってなんだろう?
いつものカウンターに腰掛ける。
と、ジュリーはすぐに果実水のグラスを手に戻ってきた。
「はい」
「ありがと、で、話ってどうしたの?」
ジュリーは周りにさっと目を走らせると私の前でかがみ込んだ。
「薬の瓶の話よ、もうちょっと待って欲しいの」
「薬」の単語に私も声を落とす。
「瓶がどうかしたの?」
「あの瓶、うちで発注してフィオナちゃんの薬だけに使ってた特注品なんだけど、その業者からね、ちょっと待ってもらえないかって」
ん? 特注でうちにしか下ろしてないのに、定期で入らないというのはどういうことだろう?
果実水に口をつけながら疑問に思ったのを悟ったのか、ジュリーが続ける。
「どうも、デザインを盗んで他に流してるんじゃないかって思うの」
「どういうこと?」
「そっちの方が払いがいいからそっちに回したんじゃないかって疑ってるのよ」
「えぇぇ? でもあんなの使い回すようなところってあるの? 思いつかないけど」
「ちょっとこっちでも調べてはみるけど、場合によっては業者を変えるつもり
今月の分の瓶、空き瓶で回収するように言ってあるからまた数がまとまったら連絡するわ」
「了解、じゃぁ、薬の調合も瓶もらうまで待つよ」
「今月はこちらの不手際だから、お金は満額払うわ
安心して」
「そこは出来た分だけでいいのに」
「女の矜持の問題よ、気にしないで
支払いだって減ると困るでしょ?」
「おかげで前より困窮してるわけじゃないから大丈夫なのに」
「こっちが持ちかけた取引なのよ、だから気にしないの」
と、ジュリーがさっと体を起こして出入り口に向きおなる。
「いらっしゃい」
そこにはノエル君がいた。
は? なんでこの子ここにいるの?
いつもの柔和な笑みでジュリーに挨拶をしている。
「こんにちわ、先輩は……果実水ですか? じゃ、僕も同じのを」
「はぁい」
そそくさとジュリーが厨房に引っ込んでいく。
「あれ? ノエル君、帰ったんじゃ?」
ノエル君はそんなジュリーをじっと見送ると私の隣の椅子にかけた。
「先輩の帰る方向が違ってたんで、またこのお店かな? って思って追いかけたんです」
果実水のグラスに口をつける前で良かった。思わず吹き出すところだった。
えぇぇ。ガチストーカーじゃん。こっわ!
「あぁ、まぁ、今日仕事早かったし食事して帰ろうかなって」
「誘ってくださればどこにでもお付き合いするのに……」
いや、そんな悲しそうな顔されても。仕事の付き合いとプライベートは分けたい派なんですぅ。
「はいどうぞ、お食事は何にするの?」
ジュリーはノエル君の席に果実水のグラスを置いた。
いつもはキャピキャピしているジュリーの表情が幾分固い気がする。
気のせいじゃなく、ノエル君と視線を合わせないようにしているような……。
さっき薬の取引の話をしていたからだろうか?
それとも、やっぱりノエル君が嫌いとか?
「前の串焼きが美味しかったから、それにしようかな? 先輩はどうします?」
「あー、私も同じでいいよ」
「はぁい、ごゆっくり」
黙って果実水をすする。
どうでもいいけど、同席してもいいよともなんとも言ってないんだけどな。
なんで一緒に食事する流れになってるんだろう。
「フィオナ先輩、こないだ休暇でしたよね? 休暇はいつもどんな過ごし方をされるんですか?」
休暇は家の片付けと片付けと掃除して、ありったけの服の風通しをしてました。
「う〜ん、家で過ごすことが多いかな
普段仕事だと、家の掃除とか全然できないし」
「お出かけとかなさらないんですか?」
納品には出かけましたよ。
だめだな。この流れ、尋問されてるみたいだ。
「あんまり出かけはしないかな
ノエル君は? ノエル君も休暇だったでしょう?」
「僕ですか? 僕は先日は祖母の家に行ってました」
「あぁ、あのお茶を仕込んでくれたっていう」
「祖母の作ってくれるおやつが今でも好きで、お恥ずかしい話なんですが、甘党の男って嫌いじゃないですか?」
ジュリーが持ってきてくれた串焼きがテーブルに並ぶ。
いつものようにパンをちぎって肉汁に浸すと口に放り込んだ。
「ん〜? 別にいいんじゃないかな。食の好みは人それぞれだと思うし」
「良かった、先輩に嫌われてなくて」
いや、甘党の男を嫌いじゃないとは言ったけど、ノエル君本人を嫌いかどうかは何も言ってないぞ。
こちらに振ってくる話題をそれなりに打ち返してノエル君の話に持っていくという非常に疲れる食事をして、その日は家路についた。
「フィオナさん、ちょっといいかな〜」
ヨレヨレメガネのオリヴァー・ドレイク室長が調剤室にやってきたのは、春の雷雨が王都を覆った日だった。
一枚の紙をぺらぺらと振りながら呼ばれる。
「はい、なんでしょう?」
「ちょっとこれの成分表の資料集めてきてくれないかなぁ」
室長の持っている紙を受け取る。
「資料庫にあるものでいいですか?」
「うん、全部資料庫にあると思うんだ〜
産地とかの違いも書いておいてくれると助かるなぁ」
おぉっと、それはちと面倒だぞ。
「午後いっぱい使ってくれていいから、よろしくね〜」
ひらひらと手を振りながら去っていく室長を見送る。
えぇっと、どうしようかな。
「フィオナ先輩、資料探しお手伝いしますよ」
「あ、ありがとう」
ノエル君に返事をしながら出欠板の自分のところに「資料庫」と書いておく。
室長のよこした紙には結構な分量の品名が書かれている。
確かに手伝ってもらっても午後いっぱいギリギリなんじゃないの? これ?
ノエル君と一緒に薬剤師室の資料庫に移動する。
薬剤師室の資料庫は薬になる薬品・食品その他の効能や成分表などの資料が書かれた本がぎっしりと詰まっている。書棚は天井まで届き、書棚の間は人がすれ違うのにギリギリの隙間しかない、明かり取りの窓は壁の上方についているが、今日は雷雨のため部屋自体が薄暗い。
申し訳程度に置いてあるライティングデスクにリストを置くと、リストの上から半分をノエル君に振って、自分はリストの半分から下を探すことにした。
ぱらりぱらりと資料をめくる音と、遠雷の音だけが資料室に響く。
流れ作業で品名を確認し、資料を持ってきて、該当の部分を産地ごとに書き写していく。
資料を書き写すためにつけたランプがじじと音を立てて揺れる。
書き写し終わると資料を元の場所に戻して、次の品目へ。
3つでおや? と思い5つ目にうつったところで確信した。
上からもう一度資料に書かれた品目を全部見直してみる。
(うそ……?)
もう一度、上から順番に品目をなぞる。
間違いない。
(全部、全部王都に流通している甘味料だ……!)
そんな偶然ってあるだろうか?
不自然にならないように次の資料をリストを持って書棚に探しにいく。
部屋に稲光が光る。
閃光に驚いて手に持っていたリストがはらりと落ちる。
と、後ろからそのリストを空中で掴まれた。
(え……?)
いつの間にか後ろに立っていたノエル君が後ろからリストを拾ったのだと気づいた時、雷の落ちる轟音が鳴り響いた。
後ろから抱きかかえられるような格好になって固まる。
心臓が、雷だけじゃないドキドキして後ろにいるノエル君にも聞こえそうだ。
固まりすぎて声にならない。
ノエル君がそのまま私をもう片方の手で抱き寄せた。
(————————!)
え? ……え? なんで……?
「フィオナ先輩……」
ぎゅっと抱きしめられている。
いや、なんで?
ていうか、今仕事中だよね……?
「最近あんまりしなくなったけど、先輩の甘い匂い……
あぁ、やっぱり安心するな……」
え?
匂いかがれてる?
私の腰を抱いていたノエル君の手がもう片方の手にあったリストを指ですーっとなぞると一点で止まった。
そのリストの品目を見てひゅっと喉が鳴った。
「これ、先輩と同じ匂いですね……」
資料庫の中をまた稲光が焼く。
次の轟音が響く前にノエル君はすっと体を離した。
いや、ともうん、とも言えずに俯いて黙る私にノエル君は何も言わなかった。
私はその日逃げるように自宅に帰ると熱を出して寝込んだ。
気に入って頂けましたら、ブックマーク・評価ボタンをお願いいたします。
また、レビューも頂けたら泣いて喜びます。
次話は翌日 AM9:00 予約投稿です。




