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Ep.05 出来る後輩ちゃんは仕事も早い

 あの日の小さな嘘から、ノエル君への疑念が形を持ち始めた。

 今もそれぞれの机で別の調剤をしているが、気にして見ていれば必ずノエル君の視界の中に私が収まるようになっているのが分かる。私はノエル君に見張られている。常に。平常心を装うのが難しい。視線を感じるたびにぴくりと体が反応してしまいそうである。

 でもまだ決定的な何かはないのか、特にノエル君からアクションしてくることはない。

 いつも通りの優しい笑顔、そして気遣い。

 あぁ、逃亡する犯罪者ってこういう気持ちなのかな。

 首を真綿で締められているようだ。

 心を無にして仕事に集中する。こういう時は何も考えないに限る。

 問題を先送りしているともいうけど。

 未済の処方箋の中からわざと手間がかかりそうなものを選んで取り出す。

 え〜っと、5種類か。この患者さんは他にも薬飲んでたはずだから、飲み合わせの確認が必要、と。新しい薬も出てるからこれは要チェックで……どこから手をつけようかな……。


「フィオナ先輩、頼まれた調剤終わりました。患者さんへの説明はどうしますか?」


「え? もう終わったの? 早くない?」


 ノエル君が薬と処方箋を手に私の隣に立つ。

 調剤自体は難しくないけど、薬包に分ける作業にそれなりに時間かかるだろうと踏んだのにな……。


「患者さんへの説明は私がするよ。チェックだけ一緒にやろうか」


 薬の種類、内容量、薬包の数、一緒にチェックをしていく。

 ちゃんとできている。


「そちら、手伝いますか?」


 ノエル君の目が私の持っている処方箋に向く。


「あ〜、これはちょっと自分で確認しながらやらないとだから

 ありがとう、他の先輩手伝ってもらえるかな?」


「分かりました、お手伝いが必要な時はいつでも声かけてください」


 よし。気持ちを切り替えて仕事仕事っと。

 確認の終わった薬を手に患者さんの待つ待合室へ向かう。

 後ろをずっと追いかけてくるノエル君の視線は意識的に振り切った。



 

 なるべく自分一人で調剤に集中するようにして、時々声をかけてくるノエル君には他の先輩のヘルプに回ってもらう。

 そうして1日を慌ただしく過ごして、医師への確認を終えて薬剤師室に戻った時、そこにはもう誰もいなかった。

 未済の処方箋箱は空になり、出欠を表示する札は私以外裏返っている。


(はぁ。今日は1日無事に済んだな……)


 あれからノエル君の目をまっすぐに見られない。

 可愛くて出来る後輩のノエル君。

 騎士と親しげに話していたノエル君。

 じっとこちらを見ているノエル君。

 顔が綺麗すぎて苦手だと思っていた最初よりは、心配してくれたり助けてくれたりしたノエル君を信頼したいって気持ちも確かにある。

 だけど……。


(あの時の嘘はなんでなんだろう……)


 出しっぱなしだった書類を片付ける手が止まる。

 薬剤師室に夕陽が差し込んできた。

 もうすぐ日が暮れる。

 まぁ、いいや。今日は帰ろう。

 そろそろ次の納品日だから、帰って瓶詰めの続きもやらなくちゃ……。


「フィオナ先輩、ここにいらしたんですか? 探してたんですよ」


 入り口にノエル君が立っていた。


「あれ? もうみんな帰ったんじゃなかったの?」


「先輩の札だけまだ残ってたから、探してたんです

 まだお手伝いすることはありますか?」


 ノエル君は部屋を横切ると開きっぱなしだった窓を閉めた。


「あ〜、もう片付けて帰るところだよ

 先輩方は早かったんだね」


「えぇ、フィオナ先輩が時間かかるものを全部引き受けてくださっていたので、早かったみたいです」


 ぱたぱたと私も急いで机を片付ける。

 最後に筆記用具を仕舞って立ちあがろうとした時、ノエル君が後ろから覆い被さるように私の机に両手をついた。

 さらさらの金髪が首筋に当たってくすぐったい。

 え? これ、どういう状況?


「ちょ……え? ……え?」


「フィオナ先輩」


 声だけは優しい。

 耳元で囁かれて優しい低音が体に直接響く。

 これって……えっと……どうしたらいいの……?


「の……ノエル君……?」


「先輩」


「ハイ」


「フィオナ先輩、今日僕のこと避けてました?」


(———————————!)


 ノエル君の手しか見えない。

 そのノエル君の指先が机についたままの私の手をそっとなぞる。

 あの時手を引いてくれた手は大きくて、やっぱり骨ばっている。長い指、そして綺麗な爪。

 いや、そんなことじゃなくて。


「さ……避けてないって。普通にお話ししてたよ?」


「そんなことありません、わざと面倒な処方箋ばかり選んでましたね」


 ノエル君の指先がとんとんと机を叩く。

 ぐ。ちゃんと見てたのか。


「あ〜。今日はそういう気分だったってだけで、べ……別にノエル君がどうとかは……」


「僕の指導、嫌になりました?」


「いや、そんな嫌とか思ったことないから! ノエル君みたいな出来る後輩来てくれて本当にありがたいっていうか」


「じゃぁ、先輩方に押し付けるみたいなのやめてください

 フィオナ先輩に教えて欲しいんです」


 えぇぇ、そう言われてもさぁ。


「で……でも! 色んな先輩の指導を受けるのは良いことだよ! 私一人のやり方だけが正しいわけじゃないし!」


 ていうか、いつまで続くのこれ!


「あの、そろそろどいてもらっていいかな……? 帰れないよ……?」


「明日からいつも通り指導してくださるってお約束いただけるなら」


「そそそそそれは勿論!」


 いいから! どいて! これ他の人に見られたら変な誤解されるでしょ!


「あぁ、やっぱりもう少しこのままでいいですか?

 今日はフィオナ先輩と触れ合えなくて足りないんです。」


 あぁああぁぁ! 足りないって! 何が!


「この後ちゃんとご自宅までお送りしますから、ご心配はいりません」


 いや! そっちの心配! してないから! どいて!


「はぁ、先輩の甘い匂い……やっぱり美味しそうで落ち着くんですよね……」


 きっともう私のライフは0よ。

 と、ノエル君がふっと離れていった。


「あれ〜? フィオナさんとグレンジャー君、まだいたの〜?」


 入り口にヨレヨレメガネの室長が立っていた。

 メガネの奥の目線がさっと私とノエル君の間に走った気がする。


「今から帰るところです、室長」


 今までのことなどなかったかのようにノエル君は涼しい顔で答えている。


「あんまり遅くまで残っちゃだめだよ〜

 気をつけて帰ってね〜」


 室長はひらひらと手を振りながら室長室へ入っていった。



 

 なんとか体裁を保ったまま家まで送ってもらい、いつもどおりノエル君を見送ってから玄関の扉をくぐる。


(はぁ、今日はいつも以上に疲れた……)


 この納品が終わったら、次の休暇はちょっとでも家の中片付けてのんびりするんだ……。

 いつも同じこと言ってる気がするけど。

 しかし、そんなに自分は甘い匂いをさせているのだろうか?

 甘い匂いといえばこの薬を飲みやすくするためのシロップだけど、薬を扱う人間としてそれなりに敏感な人種の多い薬剤師室でもこれまで誰にも指摘されたことはなかった。それにこのシロップは国内の多くの地域に自生する樹木の樹液から精製するもので、木に傷をつけて垂れてきた樹液を回収して煮詰めるだけのお手軽なものだ。食材店などで安価で入手できるため、家庭の甘味料としても広く知られている特別なものではない。

 それとも、この故郷のハーブ? いやいや、これはどっちかっていうと青臭い。原液はまぁ、毒薬だろこれって言われてもあながち間違いではないレベルの代物だ。薬効を感じられるギリギリに薄めるので、納品する薬は殆どこちらのハーブの匂いはしないはずだ。

 つらつらと考えながら手だけは動かして薬を手際よく瓶に詰めていく。

 閉め切って作業してるのがよくないのかなぁ。

 でも、あからさまになんか薬作ってますよって匂いが近所中にするのもダメだし。

 他の匂いで誤魔化すとか?

 いやいやいや、香水とか買うお金はないでしょ。

 しかも、薬扱うのに匂いものはダメでしょ。

 調合に影響しちゃうよ。

 しっかしこの瓶、誰の趣味なんだろうな?

 ジュリーに指定された小瓶は可愛らしいピンク色で、まさに香水が入ってそうなきらきら具合である。


(中身はただのお薬なのに……)


 ジュリーの趣味? ありえるな。

 割と少女趣味好きそうだもんな。

 ふりふりメイド服の筋肉……。

 似合うか似合わないかの話をすると似合わないんだけど。


『そうやって乙女心を理解しないからその年で枯れてんのよ! ムキー!』


 ジュリーの怒り狂う顔が目に浮かぶ。

 箱にきっちりとピンク色の小瓶が並ぶ。

 これで、今月の納品分の数はそろった。

 あー。シロップ使い切っちゃったな。買い足してこないと。

 ハーブは乾燥させて下処理を終えたものが一箱残ってるからまだ大丈夫だとして、瓶も納品の時に次のを貰ってこないと、と脳内のメモに書き足した。

 次の休みは、納品して片付けして換気、あと職場のローブも全部一度風通しして、やることはいっぱいだ。

 この時ちゃんと部屋を片付けておいたことが後に功を奏することを私は知らなかった。

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また、レビューも頂けたら泣いて喜びます。


次話は翌日 AM9:00 予約投稿です。

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